こんにちは。誉めること、感謝することの大切さ
そしてこれらをはっきりと心のこもった形で
表現することの大切さについてお話します。
こんなことに興味を持ち始めたきっかけは、
成長するにつれて、数年前までは、
人に感謝の気持ちを伝えたい、
人を誉めたい、そして私自身も人から
誉められたいと感じていることに
気付いたからです。
しかしそれを止めてしまうのです。
そこで自分に問いました「なぜ?」
私は照れくさくなり、困惑していたのです。
そこで疑問は「これは私だけ?」
に変わりました。
そこで調査することに決めました。
私は幸運にもリハビリ施設で働かせていただいており、
中毒で生と死に直面している人々に会うチャンスがあります。
時々は単純なとこに行きつきます、例えば彼らの心の最大の傷は
父親からの「お前は俺の誇りだ」という言葉を聞けなかったことが挙げられます。
しかし、後に彼らは残りの家族や友人から、お前の父は
お前のことを誇りに思ってたとみんなに言っていたと耳にします、
しかし息子自信には決して言わなかったのです。
理由は息子が耳にすることにの必要性を認識していなかったからです。
そこで私の疑問は「なぜ我々は重要なことについて尋ね合わないのか?」
私は25年間の結婚生活の間で妻から
「子供たちと一緒にいれるのは、あなたが働いてくれているおかげだわ。」
と言われたいと願い続けたが一度もそんなことは
尋ねなかった男性を知っています。
こういうことに関して上手な知り合いがいます。
彼女は週に一回夫に会うと、
「家事とか子供の世話とか、感謝して欲しいわ」と言うんです。
そこで彼は「おぉ、そうだな、ありがとう」と答えます。
賞賛は絶対に心からのものでなくてはなりません。
でも彼女はそこの責任をとっています。
次に友人の一人エイプリル、幼稚園からの付き合いなんですが、
彼女はいつも子供がなにか家事を手伝うと「ありがとう」と言います。
彼女に言わせれば「子供たちが担当だからって、なんで感謝をしないの?」という感じです。
そこで疑問は「なぜ私はこれらを遮断していたのか?」です。
なぜ他の人もそのような言葉を口に出せないのでしょうか?
なぜ私は「ステーキはミディアムレアで」とか
「サイズ6の靴を探してるんですけど」とは言えて
「こんな風に私のこと誉めてくれる?」とは言えないのだろう?
なぜならこれは他人に自分の弱みを見せることになるからです。
どこで自分が脆くなるのかを明かすことになります。
どこで助けが必要になるのか自白することになります。
そこで私は、心の内側であなたを
敵対者のように扱っているのです。
だって弱点になる情報があれば何ができるでしょうか?
私を無視できるかもしれませんね。
もしくは弱みに付け込むことも可能です。
もしくは実際の私の要求を満たすこともかのうでしょう。
この話は好きなんですが、先日私は自転車を自転車屋に持って行きました、
そこでは店員さんはなんか「車輪の修正」と呼ばれることをしてくれるみたいです。
「ほら、修正すれば
もっとよくなるからさ」と言ってました。
自転車を引き取ると、私が二年半悩んでいた
車輪の細かいひずみを全て直してくれていました。
するとその自転車はまるで新品同様でした。
そこで皆さん、全員に挑戦をします。
あなたたちにもひずみを修正して欲しんです。
誉められるに値する行動に対しては正直になりましょう。
どんなことを言われたいですか?家に帰って妻に聞いてみましょう
「なんて言ってほしい?」って。
家に帰って夫に聞いてみましょう、「なんて言われたい?」って。
家に帰ったら、こんな質問をして周囲の手助けをしてください。
簡単でしょ。
なんでこんなことが重要なのかって?
世界平和の話をしてるんですよ。
どうやって異なる文化、言語間で世界平和を達成できるでしょう?
私は一つ屋根の下、一つ一つの家庭から始まると思っています。
さぁ私たちの出来ることから始めましょう。
そこで聴衆の皆さんに、素晴らしい夫であること、
素晴らしい母であること、素晴らしい友であること、
素晴らしい娘、息子であることに感謝したいと思います。
多分誰も今までそんなことあなたに言わなかったでしょう、
けど今まで本当によくやってきました。
そして本日はご列席いただき、意識の変革を
生み出していただいたことに感謝します。
ありがとう。
(拍手)