(クラリッサ)私たちはみな それぞれ違うんです 同じになんてなれません みな不完全なんです (アントニオ) テクノロジーを使うことで 理想郷を作るというのは 少なくとも面白そうだね (スチュアート) いつも聞かれるのが オリンピックと パラリンピックです 10‐20年後には パラリンピック選手の方が 健常者の選手よりも 速くなれると思うね (デワルト)どうして 生まれ持った能力を変えたいの? (音楽) (シェリル) シェリル・バーグストーラーです ワシントン大学でアクセシブル テクノロジーサービスの指導をしています 科学とテクノロジーは ある種の障がいを 取り除ける程に 進歩しています しかし出来るからといって 取り除くべきなのでしょうか? 障がいを持った学生たちに この質問に 答えてもらいました (ノーラン)テクノロジーで 人の手助けをすること 人類を進歩させることは いいアイデアだと思います しかし同時に ジレンマも生み出すのです どこまでが やり過ぎになるのか? (コートニー)テクノロジーは アクセス不可能なものを アクセシブルにしてくれる と言えると思います そして障がい者にとって テクノロジーの進歩は 間違いなく 有益だとも思います しかし明らかに 境界線はあると思うのです 例えば改良した車椅子と 車椅子ユーザーが 歩行出来るようになる パワードスーツ この二つの異なる点は 一方は障がい者の生活を より良くしたり アクセス しやすいようにするもの もう一方は障がい自体を 取り除こうとしていること そして障がいの経験がない 健常者が見逃してしまうのが この違いの部分だと 思うのです (シェルビー)どんなものでも 欠点はあると思います しかしそれがタスクを コンプリートする手助けをし 尚且つそれを自分の意志で 選んだり理解出来るなら 素晴らしいことだと思います (コートニー)もし本人が より良くなりたい エクストラな能力が 欲しいと望むなら オプションとして いいことだと思います しかし 強要されるべきではありません 例えば私はそのままの 自分でとても幸せです どこも変えたいとは 思いません もし明日歩けるオプションを 与えられてもいりません 自分の人生が 大好きなんです (アントニオ) 障がいのある人が 健常者と同等の アクセスを出来るような 社会を作るというなら テクノロジーを使って 完全な人間を作ろうとするより 手元に今ある 問題を解決することに フォーカスすべきだと 思います (ニキ)もし そのテクロジーというのが 生命を脅かすような 障がいがある私の友人たちの 身体を強くしたり 寿命を延ばしてくれるような 新しい研究や 新しい薬の開発に つながるのであれば 素晴らしいことだと 思います しかし 本人が望まないのに 無理やりに "ふつう" にしようとするのは 違うのではと思います どうして全ての人やことを "なおす" 必要があるのか? 本人次第だと思うんです もし本人が 自分の人生から 障がいを減らしたいというなら オプションがあるというのは いいことだと思います しかしオプションが そこにあるからといって 誰も 強要されるべきではないし そのような 社会的プレッシャーも 存在すべきでは ないと思うんです (クラリッサ) 誰も完全にはなれません 例えば 障がいがあるかないか そういった個々の 違いというものが 私たちそれぞれを 特別な存在にしてくれるんです ですからそのことに 誇りを持つべきだと思うんです (コートニー)もし私が 新しい研究や 次世代のテクノロジーを 開発中の科学者と話をするなら 最初の質問はこれですね "あなたの開発チームに 障がい者はいますか?" なぜなら物事を アクセシブルにするベストな方法は 障がい者を開発に 関わらせることだと思うからです (スチュアート)より快適な生活が テクノロジーのゴールなので 足をなくした人に 再び歩くチャンスを与えることが どうして 悪いことなのでしょう 200年くらい先の未来に ロボティクスが発展して 世界を 乗っ取ることになったら また話は変わるんでしょうが (リンゼイ)人々の能力を 更に引き出すテクノロジーが 存在するということと そのテクロジーが "なおして" くれるから あるいは "ふつう" に より近くなるから 本人がそれを 望むかどうかというのは 微妙に違うということを 理解せねばなりません "あなたが このテクロジーを必要とするのは" "健常者のように なれるからではなく" "ヘルプが必要な際に" "アシストを してくれるからですか?" と聞くべきだと思うんです 身体本来のあるべき能力 という名のもとに 全ての人をその一つの型に 収めようとするのではなく (シェルビー) クライミングするための 手の代わりになる ツールなどは 素晴らしいと思います しかし最も大事なのは 本人がそれを望んでいるかどうか (コートニー)障がいと 共に生きることは問題ありません 問題なのは 障がい者を念頭に置かず システムが 作られているということ ですから "なおす" のが必要なのは 障がい者ではなく 社会の方なのです 健常者が アクセス出来る全てのことを 障がい者も アクセス出来るように (デワルト)どうして 自分でありたくないのか? アイデンティティを 失くすのと同じでしょう? 様々な要素によって 自分というものが作られる だから全体として 素晴らしい人物ならば ちょっとの欠陥くらい なんだというのでしょう? (コートニー)人間から 障がいを除くことは出来ません 誰だって年を取れば 何らかの障がいが出てくる そういう風に 身体が作られているんです ですから障がいを持つことは 極めて普通のこと ただそれが 遅いか早いかの違いなのです