この瓦礫の山は去年の4月に ここで亡くなった1100人の墓標だ バングラデシュで縫製工場が崩壊し 封印されていた物語が解き放たれた 千人も亡くなったのに 誰もそのことを言いません この短パン見たことありますか? あなたの服を作る人々に会い どこで作られたのかを突き止める ここの住所が発送元になってますよ 販売会社が隠しておきたい真実 殴られた、あなたも 自分も工場で死ぬかも しれないと思ったことは? もちろん、もちろん 危険な工場と 秘密の闇 マーク・ケリーです フィフス・エステートへようこそ 私が立っているのは かつてのラナ・プラザの残骸です 8階建ての工場が4月に崩壊し 生存者の必死の捜索が始まると同時に 疑問の答えを求める探索も始まりました どうしてこのような惨事が起きたのか 世界中が注目しました 犠牲者の多くがカナダの消費者向けの 服を作っていたと知り 私たちはこの探索に加わることになりました 私たちは瓦礫の中からこの台帳を発見し そこに書かれた情報を元に 何ヶ月もかけて手がかりをつなぎ合わせ 服がどこでどのように作られているのか 判ってきました もう一つ明らかになったのは この惨事は決して偶然ではなかったことです ファッションは美と華やかなスタイルのイメージで成り立っている あなたを美しく見せるだけでなく 良い気持ちにさせる作品 良心のかけらも無い衣服 ファッション産業の現実は 華やかさとは正反対 カナダの販売業者が隠しておきたい現実 最安値が勝つ「底辺への競争」 ファスト・ファッションを作り出した競争 その結果、私たちの衣服の多くに バングラデシュ製というラベルが付いている このファッション産業の華やかさに スジット・セニックが惹きつけられたのは トロント郊外で育った少年時代のことだった 私は南アジア系の家族に生まれました 父は医者です 両親は私が同じような道を 歩むことを望みましたが 私は非常に創造性豊かだったので それは私にとって ここに天職があると囁くようでした れっきとした商売です 彼は服飾デザイン学校に進み 夢を「夢の仕事」に変えた パリでクリスチャンディオールや バレンシアガのためにデザインした 水を得た魚のようでした 私に開けた道は、そう 自分の望む生活ができる道でした 私は自由を手に入れ 全てを手にしました しかしファスト・ファッションの 成長と需要の増加で ウォルマートで20ドルのブラウスを デザインするため 彼はトロントに戻った 彼のファッションが注目したのは パリではなくバングラデシュだった バングラデシュへと向かう 自然な流れができていました その理由は、ここ10年の ファスト・ファッションと 衣服をどんどん安くしようとする動きです でも不況が人々を直撃し 安値に走ったのだと思います メッカですよ まさにメッカでした だがメッカへの道は カナダの服飾産業を壊滅させた 2001〜2010年で7万5千人が失業した 地域に密着した多くの業者が 厳しい選択を迫られた 移転か、廃業か 私の曽祖父は古着商人でした シェルブルックからモントリオールまで 馬車に乗って 農家から古着を買い取っていました バリー・ラクスターの家系は モントリオールとトロントで 3世代にわたり服飾業を営んできたが 価格競争のため工場をたたみ 移転へと追い込まれた カナダで操業していた時の 最大の取引先には 生産量の半分以上を納めていたのですが 忠告してきたのです 事業を継続したいなら より低コストで生産できる拠点を どこか他所で探す必要があると それがバングラデシュなのですね 結果的にバングラデシュでした 今や世界中の会社が バングラデシュへとなだれを打っている H&Mからウォルマート、ナイキ、GAPまで この服飾のゴールドラッシュに バリー・ラクサーも加わった 彼の会社、ラディカル・デザインズは今 バングラデシュの首都ダッカ郊外に 2つの工場を操業している この工場のミシンの少なくとも半分は カナダから運んだものです 機械をコンテナ80箱ほど持ってきました ここへ商売のために駆け込んだのですね そう、トロントには何も残しませんでした 彼は現在1000人以上の従業員を雇い 最低賃金の3倍を払っている 工場を持つなら 満杯の現場を歩き回って見るのが最高です フル操業しているのをね そう、フル操業 これは一大帝国ですね、バリーさん バングラデシュに来る企業にとっての魅力は? 本当の魅力は労働力だけです 他の国では不可能な賃金でも働きます 他に仕事がないからです ゼロに近い給料でも 無給で働くよりマシです じっさいゼロに近い給料とは 月給38ドル つまり時給24セントだ 世界最低の縫製労働者の賃金だ カナダ市場への水門が開かれたのは 2003年にカナダ政府がバングラデシュ からの輸入関税を撤廃した時だった ルルレモンやHBC、ウォルマート・カナダ のようなカナダ企業は こぞってバングラデシュへと乗り出した その結果、輸入は618%の伸びを示した 底辺への競争の先頭を走っているのは ロブロー社のブランドである ジョー・フレッシュだと言われている このテレビCMに出ているのは 安くて可愛い服のシリーズだ このシリーズはカナダ子供服市場の トップに躍り出た この社長は 2010年カナダCBCのインタビューで 消費者が求めるものを 提供しているだけだと答えた 消費者が求めていたのはファッション 全国に通用するファッション それを驚くような安値で求めていました ジョセフ・ミムランは今や ファストファッションの象徴だった だが価格はどこまで下がるのだろう? ウォルマートのテレビCMを見れば 安いほど良いのは明らかだ より多くのスタイルが、もっとスタイリッシュに 信じられないようなお値段で ウォルマートだけ スジット・セニックのような デザイナーにとって 美しさは価格の二の次だ 衣服の値段をどんどん安くするために どんな圧力が掛かっていましたか? 価格は出発点であって それが全てです 例えば シャツにボタンが6つあったら それを5つにしろ 4つにできないか? コスト低減の圧力を販売会社から 感じたとセニックは語るが 工場主たちも同様だった 10万着の注文にノーとは言えないのです その注文を失えば 非常に長いあいだ 工場が止まることになるからです 注文が必要だったのですね そうです、必要なのです 結局それは私が決めることではありません でも… 私は疑問に思うようになったんです 本当に分からなくなった どうすれば服をこんなに安く 作ることができるんだろうか? 真っ当な疑問だ 価格が最優先なら 労働安全は 後回しになる兆候が表れていたからだ ラナ・プラザ以前の10年で 何百人もの犠牲者が バングラデシュの工場火災と ビル崩壊で発生していた 惨事に次ぐ惨事が、毎年・毎年 しかしカナダで気にとめる人は 誰もいないようだった それを変えたのは、4月24日の朝だった 8階建てのラナ・プラザが崩壊 犠牲者は1100人以上 依然として何百人も行方不明 瓦礫に埋まっていると見られる ラナ・プラザについて知ったとき 何が起きたかお話しください それはちょうど… 悪夢を見るようになり それが現実化したようなものでした 私にとってラナ・プラザは そういうものでした 生存者の捜索が延々と続いていた 兄さん助けて、兄さんお願いだ 死にたくない スジットは崩壊事故の後で 召集された会議のことを思い出す そこでは人命より利益が優先だった 満員の会議室で 我が社が関係していると告げられました しかし亡くなった千人のことを 誰も口にしませんでした 千人が亡くなったのに 誰も何も言わない 犠牲者について何も言わなかったのです 話題になったのはただ 損害が何着だとか 利潤をどうやって確保するかとか みんなそういうことを話していました 私はそこに座って 何も言いませんでした それを恥じています ウォルマートはラナ・プラザを 使っていた数十社の中の 1社に過ぎない 事故当時、ビル内で最大の工場は ジョー・フレッシュの服を作っていた 瓦礫の中には そのピンクと赤のズボンが 作っていた労働者の 遺体とともに埋まっていた 崩壊から1週間後 ジョセフ・ミムランと ロブロー社の会長ゲイレン・ウェストンは メディアの注目を浴びた これは誠に悲惨な出来事で ええ、我々全員の心は深く痛んでおります 誰もが心を痛めた1週間でした 最高水準の 倫理的調達に向けての 断固とした取り組みにもかかわらず 当社がこのような言語を絶する 惨事に関係することとなったのは 誠に遺憾であります その倫理的調達への取り組みは どれほど真剣なものだったのだろうか? 衣服がバングラデシュで どのように作られているか カナダの企業はどこまで 知っていたのだろうか? それを究明するために 何をしていたのだろうか? スジットは真実を知りたいと考えた 彼は人生を変える決断をし 仕事を辞めた 私はこれ以上このことに 加担したくなかったのです もう続けられない だから辞めました この後は スジットの旅です 重大な危険があると知りながら 人々を工場に送り込むのでしょうか? 崩壊事故を生き延びた 10代の縫製労働者 国際服飾産業の 西部開拓時代へようこそ バングラデシュの 人口密度は世界有数で 世界最悪クラスの 政情不安と政治腐敗もある 90年代以降 ファストファッションのおかげで 経済は2桁成長してきた 建設途上の工場は 新たな会社を収容するため 上の階を増築している 毎朝このような光景が 首都ダッカの至る所で見られる 400万人の縫製労働者が 黙々と仕事に向かう 彼らの心中には ラナ・プラザの記憶がある 同様の惨事が自分の身に 起きるのではないか ラナ・プラザの崩壊で スジット・セニックは旅に出た ウォルマート・カナダの 元デザイナーは 彼のデザインした服が どのように作られたか 真実を突き止めようとしている 自分自身で確かめねば これは私の業界が今まで 続けてきたことなのか? 私たちはこれを 意図的にやっているのか? 重大な危険があると知りながら 人々を工場に送り込んで いるのでしょうか? スジットは我々と共に バングラデシュへと旅した 最初に訪れたのは ダッカの住宅地区 ラナ・プラザ以前では最悪の 服飾産業災害の現場には 似つかわしくない風景だ ここがタズリンです 大きいなあ 2012年11月 タズリン・ファッションの工場で火災が発生 ビルは9階建てだが 所有者は 3階の許可しか得ていなかった 火災時の非常口はなかった ドアの多くは箱で塞がれ 窓は鉄格子で閉ざされていた 火災の何ヶ月も前に 工場の火災安全許可証は取り消されていた 112人の犠牲者の多くは 生きたまま火に巻かれた タズリン工場火災が起きた時は ゾッとしました 人々は責任のなすり合いをしていましたが 誰も言おうとしなかったのです おい、ちょっと俺たちに関係があるかもよ、と ウォルマートは実際この工場と関係があり Faded Gloryブランドの 短パンが 灰の中から見つかった ウォルマートはこの惨事とは 距離を置こうとし タズリンはウォルマートの 認可工場ではなかったと主張した 窓という窓に鉄格子が入っています どうやってここから出ろというのでしょう? 出口なしです スジットさん このビルは… あなたにとって何の象徴ですか? 恥です このようなことが起きるのを許したことを 私たち自身に恥じるべきなのです この工場がこんな風になっているとは 知らなかったなんて 有り得るでしょうか? 物珍しそうな群衆の中から 現れたこの女性が 語ってくれたのは 労働者たちが換気扇を破り 彼女が3階から飛び降りて 生き延びた話だった もう一度働きたいですか? ケガが治ったらまた別の仕事をしますか? どうやって働けというのですか? 働くのは怖いし 誰も私を 雇いたいとは思わないでしょう 長時間座ったり横になり続ける ことができません 薬を飲めば良くなりますが 飲まないと痛みます 将来の見通しのない彼女は 作っていた衣服と同様 使い捨てにされたように見える これは私の図柄だったかもしれません ヘビ皮みたいでしょう ほら シャツか、ドレスか 納期を守るために 人々をビルに閉じ込めるほど これは重要なことだったんでしょうか? 違います、私にとっては 気分が悪くなります ではなぜウォルマートの服がこのように 危険な工場に行き着いたのだろう? ウォルマートの調査では 納入業者の一つが 許可なくタズリンに下請けに 出したと結論した だがカナダの販売会社が 製造元を突き止めることは どれほど困難なことなのだろうか? 我々はそれを明らかにしたかったので スジットがデザインした ウォルマートのシャツをカナダで購入した 運送記録からダッカ郊外の 工場が判明した 記録にあった工場は ハサン・タンビル ウォルマートは監査に合格 しなかった取引禁止工場の リストを公表している この工場は昨年6月から このリストに載っている 我々は工場訪問を 繰り返し申し入れたが 我々がカメラを持って 工場に現れるまで 経営者は我々に 話そうとさえしなかった こんにちは 私はカナダから来たマークです カナダのテレビ局です よろしく どうも 私たちの衣服がどこでどのように 作られているか見たいので ここまで来ました 工場の中を見たいのですが だが彼は我々を通そうとせず 別の経営者に我々を引き渡した ここでこれを作ったことは? この運送記録には ここで作ったと書いてあります ハサン・タンビル・ファッションウエア ここの住所が発送元になってますよ うちじゃない もしもし? すみません これを見たことがないと彼は言います 見覚えはないと 我々が示した証拠では 実際に作られた場所が ここハサン・タンビル・ ファッションウエアなのですが ウォルマートはこう言います ここでシャツを作っているが 当社のシャツではないと 実はこの工場がブラックリストに 載る3ヶ月前に ウォルマートはここでシャツを 作っていることを認めている 最後の注文だと彼らは言う 中に入って労働者に会うことは できなかったので 仕事が終わった後の家に スジットを連れて会いに行った この地区全体に 住んでいる人はみんな 縫製工場で働いています 縫製労働者の居住地のようなもので 今夜はここで何人かに会いに行きます 今夜話す皆さんです あの工場で働いている9人です 顔を写さない条件だった 我々に話をしたというだけで 解雇されることを恐れたのだ あの工場で どこ向けに服を作っているか 教えてください カナダ、カナダ、カナダ ハサン・タンビルの仕事は 問題があると聞きました 工場で最近火災があったという報告も見ました 何が起きたか教えてくれますか? 火が激しく燃え広がり始めると 労働者全員が騒ぎ始めて 門を破って脱出したのよ 奴らは出したくなかったんだ いつも出したくない 明かりを消して閉じ込めて 「座れ、黙れ、働け」って言うのよ 自分も工場で死ぬかも しれないと思ったことは? もちろん、もちろん いつも起きるのよ 当たり前のように そうよ、いつも起きる 何日かに一度は火事がある 聞きたいんですが このシャツに見覚えは? 何ヶ月か前にこれを作ったことを 覚えている人はいますか? これはこの工場で作っていたものですか? カナダで買ったスジットのシャツを見せた 5階のだわ そうよ、5階にあったものだわ 5階で働いていた時に作ったよ 彼女がこの服を縫った? そうです 私がこの服をデザインしました 私がこれを描いたのです 見て、私が縫った この2枚を縫い合わせたんですね 袖を付けてくれた どうもありがとう あなたのデザインを縫った女性に出会って どういう感じですか? あなた方に会えたことを感謝します あなた方に会いたかったのです ついに会うことができた あなた方はもっと良い暮らしをすべきだ 私が思っていることを 伝えることができて嬉しいです この後は… ジョー・フレッシュの服がラナ・プラザという 死の罠で作られることになったのはなぜか? その答を求めて バングラデシュの刑務所に 私たちの服 一着一着には 無言の物語が縫いこまれている それを作った人と所の物語 4月にラナ・プラザが崩壊すると その物語が漏れ出て来た では この不幸な工場で作られた服は カナダに入っていたのか? 我々はトロント地区で6つの店を 隠しカメラを持って訪れた ラナ・プラザの崩壊から3ヶ月後のことだった どの店でもラナ・プラザで 作られた服が見つかった ひとつ質問を… しかし店員に聞いても要領を得ない その特定の工場で作っていた製品というのは 本当にたった一つしかなかったみたいです このシリーズのズボンが そうらしいのですが 当店ではそれを仕入れていません ですから本当に それは全部廃棄してしまったみたいで これがその工場から来たというのは 疑わしいですね その場所で作られた物は 決してここに入荷していません ロブローの運送記録から判ったのは これら全てのスタイルが ラナ・プラザの崩壊前に 何十万着も作られ この夏にジョー・フレッシュの 店舗で売られていた ではなぜジョー・フレッシュの服が ラナ・プラザという死の罠で 作られることになったのでしょう? これが工場主に 聞いてみたかった質問です 問題は 彼が刑務所に入っていることです 労働者の死に対する不注意の容疑です 番組からバングラデシュ政府に 彼と面会できるよう請願しました 政府は最終的に同意しましたが 条件がつきました カメラは刑務所内では許可されません 崩壊の後で大衆の怒りが爆発し バズルス・アドナンは警察に投降した 彼の所有する3つの工場が ラナ・プラザのほぼ半分を占めていた ここダッカ中央刑務所で 彼は裁判を待っている インタビューの初めに 彼が父親から1992年に 借りた8000ドルを 年商1500万ドルのビジネスに 育て上げたことを語った その後押しをしたのが 懇意の顧客であるジョー・フレッシュだった ジョー・フレッシュは最大の顧客で 年商は約600万ドルでした そのおかげで大きくなったのです 最大の顧客を喜ばせようと 彼は事業拡大のため ラナ・プラザに9階の増築を始めていた 服を安く速く作るよう 圧力を受けたか彼に尋ねた みんなやっています 私から搾取するんです でもジョー・フレッシュは良い客でした 彼らの条件は納期を厳守することだけでした インタビューの時間が終わる前に 彼に尋ねたのは ラナプラザ崩壊の前に 工場を訪ねたロブロー社員がいたら 教えて欲しいということだった 彼は覚えていなかった なぜそんなことになるのか この台帳がその手がかりになる その記載から ロブローが まずインドにある商社の パール社に発注し そこから ジョー・フレッシュの注文を ラナ・プラザの工場に 出していたことが判った パール社は監査官を雇い ラナ・プラザで作られた 服の品質を検査していたが ビルの安全性はチェックしなかった 第三者に倫理責任を外注することで ロブローのような企業は 現地の労働環境から 距離を置くことができると カナダ人の工場主 バリー・ラクサーは語る ラナ・プラザが起きた後 これら販売会社はみんな 「知りませんでした」と言っていますね 本当でしょうか? この国で 何が起きているか知らなかったなんて? 多くの企業はただ 安価な製造拠点を求めています だから目を背けます 追求もしませんね そう、追求しなければ 知りたくない答を 聞かずに済みますからね ラナ・プラザは 警鐘を鳴らしたのでしょうか? つまり、これで何か変化が起きると 本当に思いますか? 結局、多くの企業は 利益とコストだけを 追い続けると思います そして、その 突き詰めればそれが ここへ来る理由でしょう? ここへ来る理由です もしコストが問題でなければ アメリカやカナダで作った製品を 買うでしょう ラナ・プラザ内の労働条件について もっと詳しく知りたいと我々は考えた そこで実際に働いていた人に 聞いてみるのが一番だ 崩壊の後 カメラが捉えていた映像に 病院で回復を待つ生存者がいた 我々が興味を抱いたこの少女は 2人の遺体に挟まれて 瓦礫の中に3日間閉じ込められていた 彼女は母を亡くし、片足を失った 母と子は2人とも ジョー・フレッシュの服を作っていた 崩壊から何ヶ月も経って ついに彼女を見つけた 彼女の名はアルティ 彼女は17歳だと言うが 彼女の祖母によると本当は15歳だという カナダ人のために子供服を作る子供 この短パンに見覚えは? このような短パン ええ あそこにありました 彼女はポケットを縫っていた 1時間でポケット150個 このパンツを見てどう感じますか? 悲しいです あの工場で働いていなければ こんなことにはならなかった このパンツを見ると とても辛いです 彼女は縫製産業で 3年間働いたという つまり12歳の時から 働き始めたわけだ 多くのバングラデシュ女性と同様 これが彼女にとって唯一の希望だった 小さい時は、大きくなったら学校に行って 勉強して就職すると思っていました 勉強すれば仕事に就けます 医者でも教師でも どんな仕事でも就けます でも私には無理でした 貧乏で食べるために働く必要がありました それで縫製の仕事に入ったのです アルティの勤務は過酷だった 毎日12時間、毎週7日 急な注文が入れば 残業しなければならない 上司はあなたや同僚を どのように扱いましたか? 仕事のやり方がわからないと 怒鳴ったり罵ったりしました 仕事が遅くて目標に届かないと 私も罵られました すごく嫌な感じでした 彼女は惨事の前日にラナ・プラザの中で 亀裂が見つかった時の様子も思い出す ビルに避難勧告が出た ビル所有者は崩壊の数時間前に 全く危険はないと言い張っていたが 彼女には信じられなかった これは亀裂ではありません 漆喰がちょっと剥がれただけです 大げさに言いすぎです 翌日の4月24日 彼女の上司は家に電話をかけてきて 仕事に戻れ、さもないとクビだ と命令した 仕事に戻るよう告げられた日に 不安はありましたか? ビルが危険だと思いましたか? 戻りたくない仲間はたくさんいました でも強制されたんです こう言って 「心配するな、何も起こらない お前らが死んだら俺たちも死ぬんだから」 でも彼らは中に入りませんでした 私たちに仕事を始めさせると逃げました 怖かった でも私にはどうすることもできませんでした 私が仕事を止めたらラインが止まり 困ったことになります 彼女と同僚たちは工場に戻った 1時間後にビルが崩壊 アルティは6階にいた ビルが崩壊した瞬間のことを 覚えていますか? 崩壊の時、私は 死ぬと思いました 2つの死体が私の足の上に落ちて 動けなくなりました 天井が死体の上に落ちました その時はここを生きて出られると 思いませんでした 母親の死と片足を失ったことで 彼女の家族は 政府からいくらかの 補償金を受け取った ロブローから補償はあったのかと聞くと まだ望みを失っていないと彼女は答えた この後は バングラデシュのファッション産業の さらに醜い側面を暴き出す 殴られた、あなたも ラナ・プラザ崩壊の後 バングラデシュ政府は大慌てで この国での事業は安全だと説明し 販売会社と消費者を 安心させようとした ロブローはバングラデシュで それまで7年間ジョー・フレッシュの 服を作っていたが そんな彼らでさえ縫製労働者が 「受忍できない危険」にさらされても 良いのだろうかと考えざるをえなかった そこで我々はさらに調べると 3時間もしないうちに ファストファッションの醜い面を いとも簡単に見つけることができた 総天然色の廃水を川に垂れ流す工場 どす黒く流れる川 ジュート麻の工場で 開いていた扉から中を見ると 空気はホコリだらけ 有毒な染料のホコリだが 誰もマスクをしていない 数分もすると我々は 工場所有者と悪党たちに追い出された 我々は最後に ある工場に隠しカメラを持って潜入した とても良い工場をお見せします すべて整然としています 子供たちが織機を操作している 10歳以下の子供を雇い日給およそ 1ドルで単純労働をさせる工場主もいると ある経営者は認めた 服飾産業はこの国の一部の人々を 途方もない金持ちにしたが 今だに貧困はどこでも目に入る その中でも特に貧しい 鉄道線路脇の不法居住者たちは 繁栄の陰で暮らしている このまばゆく輝く高層ビルに BGMEA (服飾製造輸出協会) がある バングラデシュ服飾産業の 巨人たちを代表する 業界団体だ その外では何千人もの 怒った労働者たちが抗議している この1ヶ月は給料を受け取っていないという 彼らの働く工場では 昨年の秋まで カナダ向けの服を作っていた 何があったんですか? ビシッ、ビシッ、ビシッ 殴られた、あなたも 彼も殴られた 彼も、彼も殴られた 誰が? 竹で そう、竹 誰がやったの? 工場主がヤクザを? そうそう、ヤクザ ここで何を? 抗議してる? そうだ 未払い賃金を要求して? そう カナダ向けの服を作ってる? そうだ 服飾産業の有力な代表者に 我々は質問したいことがあった カナダの販売業者が交渉する 最高位の男だ アティクル・イスラムは 自身も有名な工場主で ウォルマート・カナダ、 ロブロー、HBCの服を作った 窓の外の抗議集会について聞いた これは完全に開かれた産業です もし気に入らなければ 別の仕事に移ることができます 労働者は25%も不足し それは今も続いています 言い換えれば もし労働者がひどい扱いを受けたなら 彼の助言は、辞めて他所で働けということだ 我々が見た劣悪な工場について聞いた 児童労働、環境汚染、危険な労働環境など 彼は心配していなかった 多くの工場は最新式です 良い工場も見ましたよ 最新式のを見ました この業界の行く先を示す 良い例を確かに見ました しかし現時点では 輝かしい例の反面で… それについては 時に光はこのような雲によって 遮られるものです 我々は雲を払拭しなければなりません では違法な下請け契約はどうか? ある工場が無許可で 別の工場へ注文を出したら? もし能力以上の注文が来たら 無理ですと言わねばなりません 外部からの圧力だけではなく 販売会社の側も同様です でもあなたはビジネスマンでしょう 「無理です、注文は受けられません」 なんて本当に言うでしょうか? はいはいはい みんな商売が欲しいですよ いやいやいや そんな風じゃありません 事情は全く変わりました そんな風じゃありません ウォルマート・カナダで働く ある人と話したのですが ウォルマートがあなたの会社に 出した注文が 最終的には無許可の工場に 回されていたそうです ハサン・タンビルです ハサン? ハサン・タンビル 例のウォルマートのシャツだ いったい誰がこれを作ったのか 聞きたかった 労働者たちにこれを見せたら 「はい」作りましたと答えたんですよ 私がこれを作ったかどうか答えるのは 非常に難しい、これが第1点 第2点は、私たちは決して 外部に商品を出さない 全く有り得ません 私たちの服は全部自社工場で作ります だがウォルマートによれば イスラム氏は 確かにスジットのシャツを作る契約をしていた しかし彼自身の工場であって ハサン・タンビルではない どうもありがとうございました これは頂いて行きます あなたには必要ないですからね これを少し見せてもらっていいですか? もちろんです この後、インタビューの収録が終わった後で 驚くべきことが起きた 背景に注目すると イスラム氏がペンを手に その衣服を机の後ろに隠している 我々が帰った後、シャツに付いていた タグが改ざんされていたのに気づいた このシャツとアティクル・イスラムの 工場を結びつける バーコードとカナダの輸入番号が 黒く塗りつぶされていた 彼がやったのか翌日に問い合わせたが 彼は否定した カナダ企業のロブローと ジョー・フレッシュは バングラデシュの産業改善を 主導するため援助すると主張している 我が産業は良き力となるでしょう 適切な検査を受け 健全に建設された工場が バングラデシュのような国々の発展に 重要な役割を担うのです ロブローはラナ・プラザ崩壊の前に 適切な検査を行ったのだろうか? 確かに工場を訪問したというが ではなぜ当時まで そこで服を作り続けていたのか? そのことをジョー・ミムランに 聞いてみたかったが インタビューに応じる 時間がないと断られた この件について 他の衣料品販売業社の 深い沈黙に 私は困惑しています ロブロー最高経営責任者の ゲイレン・ウェストンは 他社の深い沈黙を公然と批判したが この番組のインタビューには応じなかった ロブローが我々に送ったメールには バングラデシュ労働者を 援助する努力がまとめられていた 崩壊事故のあとロブローは 2つの慈善団体に 100万ドルを寄付し バングラデシュでの労働条件改善を目指す 他の販売業社との 協定に加盟する一方 ロブローは「該当地域」のどこかに 工場を監査するため 「現地」事務所を置くという しかしもう一つの方法がある カナダ人の工場主バリー・ラクサーは 安全な工場を作ろうと思い立ち それを自分で作った カナダ人チームによって運営され 彼自身も定期的に見て回る ではバングラデシュのような国に 最低ギリギリのお金しか払わないと どんな影響があるのでしょう? 遅かれ早かれ第2の ラナ・プラザが起きるでしょう 時間の問題です 遅かれ早かれ火災がどこかで起き また犠牲者が出るでしょう バングラデシュは製品の値段を どこまで下げられるかを見るための 実験場なのです ウォルマート元デザイナーのスジット・ セニックがバングラデシュを去る前に あと1カ所を見ておく必要があった 帰る前にあと1つ 見てもらいたいものがあります ここがラナ・プラザがあった所です なんてことだ 何も残っていない ここで死んだ人々が作った服を着て カナダでは人々が歩き回っているんだ ある意味これは欲望の記念碑だよ 底辺への競争が生んだ産物です では消費者はどうすればいいのか? バングラデシュ製の服をボイコットするか? この仕事が何百万の女性たちを 貧困から救ったのだ 多くを失っても仕事に戻る他ない アルティのように 母を失った彼女は一人で 妹たちと祖母を支えなければならないのだ いま縫製工場の仕事に戻りたいですか? 工場で働こうとしても 前後に歩いたり 階段を上り下りできません まだできないけど いまはそれが問題です 戻れるようになると思います でも不安です 今夜の番組をご覧になって 買っている服がどのように作られているか 気になる方もいらっしゃるでしょう 今夜の番組で取り上げた 服のブランドや シリーズのいくつかについては 番組のウェブサイトに 情報を載せています cbc.ca/fifthです この番組に関する最新情報があれば 何週間、何ヶ月に渡って ウェブサイトを更新していきます ぜひご覧ください またお会いしましょう (字幕翻訳:酒井泰幸)