"プログラム完了
入場してください"
私は今まで映画とテレビに
焦点を当ててきた
しかし時々ビデオゲームの世界を
見るのも好きだ
そして何が起こっているかを知るのに
ゲームイベントほどいいものはない
毎年夏にゲーム業界が集まり
大規模に新作ゲームを発表する
ハイライトは主要企業の最新作発表だ
素晴らしい世界が明かされる
でもなぜか私はいつも
失望感と共に家に帰る
才能ある開発者やハードの革新
あらゆる技術の進歩にも関わらず
まだクリエイティブではないと感じるからだ
毎年ゲーム業界は一つのテーマにはまり込む
殺すか 殺されるか
基本的に同じようなプレイ映像と
弾丸と剣と爆発が繰り返される
そうしてピカード艦長のように感じる
"何しに来た?金か?"
"いや お前を殺しに来た"
"プログラムを止めろ!"
"これは求めてるものじゃない"
"もっと落ち着けるものだ
弾丸はいらない やり直せ"
ゲームは今や年間1000億規模の産業だ
E3のようなイベントに出るのは
代表的なゲームだろう
だからゲームの世界を分析するのに
理想的な環境と言える
そこで私は今年のゲームを統計分析した
"何が出るか"
全部で133のゲームが紹介され
戦闘がなかったのは20だけだった
そのうちの10個は
スポーツやレーシングゲームだ
詳細はこうだ
82%が戦闘
3%がわずかな戦闘
5%がスポーツ
3%がレーシング
1%がダンス
その他7%が非戦闘系だ
82%のゲームが戦闘ものという事実は
想像力の欠如を示していないだろうか
この結果は長期的のものなのか
過去のイベントも調べてみた
そして似たような結果を見つけた
もっと多様性があると思っていた
物語のあるゲーム アドベンチャーゲーム
パズル 街づくり 探検など
しかしどのジャンルも数が少なかった
数字を説明しよう
このデータは暴力というより
戦闘に焦点を当てたものだ
よって非戦闘ものでも
暴力がないというわけではない
実際10のうち3つは
サバイバルホラーゲームだ
戦闘と暴力は別だ
戦闘ではプレイヤーが暴力を振るう
残念ながら暴力は人類史の一部であり
ゲームに存在するのも納得できる
しかし戦闘がゲームの中心であるとき
暴力を悲劇というより
称賛として描く傾向がある
"25連キルで核が手に入る"
"熱い試合となるでしょう"
"開始!"
もちろんすべてではない
試しにタイプを分けてみた
2017年の戦闘的ゲーム108のうち
20が漫画的な暴力だった
これらは殺す殺されるというより
潰す潰されるというものだ
暴力としてはかわいい
それでも敵対的な環境が用意され
プレイヤーは戦うよう強いられる
血は流れないかもしれない
でもゲームの形式は決められている
"やられる前にやれ"と
ゲームはこの形式が好きだ
何十年に渡り ゲームの開発者も
会社もプレイヤーも
戦闘とゲームを同一視してきた
アメリカの任天堂の社長はこう言った
"ゲームは楽しい"
"ゲームは戦いだ"
"楽しくないなら やらない"
"戦いがなければ 楽しくない"
これはゲームについての
究極に狭い定義であり
楽しみについての
より狭い定義だろう
私はこの戦闘へのこだわりが
ゲームをつまらなくしていると思う
なぜなのか説明させてほしい
ゲームをプレイする方法は
ゲームの世界に関わるためのルールだ
それはプレイヤー同士が相互作用する
道具だと考えてみてほしい
多くのゲームでは暴力が
問題解決の唯一の方法だ
「ハンマーを持つとすべてが釘に見える」
ということわざは正しい
ゲームで出てくるものはすべて
実際釘となるように設計されている
道具としてマシンガンが与えられると
その世界でどう動くかが決定される
"男がアーッ!と来たから
バン!"
"もう一人もバン!"
"さらに二人来て"
"バン!デュシデュシ"
"めちゃくちゃ撃ちまくった"
ゲームが戦闘に重点を置いてしまうと
創造的な対立解消の選択肢が制限される
もちろん 対立は物語の重要な部分だ
対立の形は様々だ
個人的なものから銀河系のものまで
対立解消にも様々な形があり
多くは死体の山など残らない
少数だが外交を行うゲームもある
「Undertale」でプレイヤーは
話し合いによる解決を目指せる
しかしあくまで例外だ
RPGのようなジャンルでは
戦い以外の場面も多い
しかしそれらはたいがい
戦闘を支えるために存在する
クエストを依頼されるが
それは何かを殺すものだったり
アイテムを買ったり強化したりするが
それは殺しのためのものだったり
"荒れ地での生活が終わり家に帰る時が来た
自分の家に"
家を建てるが そこを守るために
何かを殺すことになったり
"守りを固める必要がある
襲撃者が攻撃してくるから"
プレイヤーにできることは結局は
核となる戦闘と関わっている
私は男らしさに関心があるので
このテーマは特に興味深い
あらゆるポップカルチャーの中に
暴力や攻撃性と関連した男らしさがある
特にゲームでは男性キャラが
思いやりによって問題解決するのは稀だ
"戦うため 戦士は敵に感情を持たない"
外交や交渉は暴力の強調のため
脇に追いやられている
そうして物語は限られた範囲に入る
私がこのようにSNSで言うと
いつも誰かの皮肉が返ってくる
モンスターをハグで倒すのか?
紅茶とケーキを出すのか?と
いい反論をしたつもりだろうが
実際ゲームのいいアイデアだと思う
私はそういうゲームがプレイしたいし
他の人もそうだと思う
ゲームには驚くべき
無限の可能性があると思う
感情的で愛や共感のある
深い人間性を経験するような
オープンワールドゲームを
想像してほしい
そこで消防士や活動家や
銀河系医師団になる
宇宙船で食料を作る農家になる
文明が崩壊した世界
実際E3ではそういうゲームがあったが
そこで奪い合うのではなく
協力して社会を構築する
開発者が銃や剣の世界にこだわるせいで
私たちが逃している体験を想像してほしい
ゲームの7%が非戦闘系だった
イベントではゲームの可能性を開く
ちょっとしたゲームを紹介していた
タコマはその例の一つだ
捜査官となり宇宙ステーションで
消えた乗組員の謎を解いていく
こういう革新的ゲームが
新しい道を切り開くのかもしれない
これがもっと必要だ