1 00:00:09,104 --> 00:00:11,890 1972年 トーマス・サンカラは 2 00:00:11,890 --> 00:00:14,880 異国の地で 「革命の波」に 飲みこまれたのでした 3 00:00:14,880 --> 00:00:18,220 彼は 西アフリカのボルタ川の上流にある 当時はオートボルタと呼ばれた 4 00:00:18,220 --> 00:00:20,330 ブルキナファソという国の出身でした 5 00:00:20,330 --> 00:00:23,370 彼はマダガスカルの軍事学校へ留学し 6 00:00:23,370 --> 00:00:25,760 22歳で兵士になりましたが 7 00:00:25,760 --> 00:00:29,310 マダガスカルに到着したとき 紛争を目の当たりにしたのです 8 00:00:29,310 --> 00:00:32,670 地元の革命家たちは 延々と続く フランスの植民地支配から 9 00:00:32,670 --> 00:00:35,219 マダガスカルの支配権を 奪還したかったのです 10 00:00:35,219 --> 00:00:37,310 サンカラは革命家たちに感銘を受け 11 00:00:37,310 --> 00:00:40,110 カール・マルクスのような 社会主義リーダーの書物を読み 12 00:00:40,110 --> 00:00:43,040 軍事戦略の知恵を求めました 13 00:00:43,040 --> 00:00:46,333 1973年 オートボルタに戻ったとき 14 00:00:46,333 --> 00:00:51,090 サンカラは 植民地支配による負の遺産から 国を開放することを決意したのです 15 00:00:51,090 --> 00:00:53,020 1949年 16 00:00:53,020 --> 00:00:56,273 サンカラは 比較的恵まれた家の 17 00:00:56,273 --> 00:00:58,343 10人中3番目の子として 生まれました 18 00:00:58,343 --> 00:01:02,110 両親は 彼に神父になることを 望んでいましたが 19 00:01:02,110 --> 00:01:05,253 サンカラは 多くの仲間同様 オートボルタの腐敗を終わらせるには 20 00:01:05,253 --> 00:01:07,893 軍隊こそ最も望ましい組織と 判断したのです 21 00:01:07,893 --> 00:01:09,953 マダガスカルから戻って以降 22 00:01:09,953 --> 00:01:14,193 彼はカリスマ性と透明性のある演説調で 世に知られることとなったのですが 23 00:01:14,193 --> 00:01:17,344 当時の政権には疎まれていました 24 00:01:17,344 --> 00:01:20,133 ジャン=バプティスト・ウエドラオゴ大統領の 率いる政権は 25 00:01:20,133 --> 00:01:22,813 オートボルタの近代史において 26 00:01:22,813 --> 00:01:26,113 3度目のクーデターの後 政権の座に就いたのです 27 00:01:26,113 --> 00:01:27,863 この政権の政策は 28 00:01:27,863 --> 00:01:30,943 サンカラが提案した全面的な改革とは かけ離れていました 29 00:01:30,943 --> 00:01:34,903 ところが 1981年までには サンカラの人気が上昇し 30 00:01:34,903 --> 00:01:37,653 ウエドラオゴ政権で役職を得ました 31 00:01:37,653 --> 00:01:42,100 そして「アフリカのチェ・ゲバラ」と呼ばれた サンカラは瞬く間に政権を上り詰め 32 00:01:42,100 --> 00:01:45,470 2年も経たずに首相に任命されたのです 33 00:01:45,470 --> 00:01:47,053 新しい役職につくと 34 00:01:47,053 --> 00:01:51,773 貧しい 「コミュニティー」「 女性」や 「若者」に向けて 集会演説を行いました 35 00:01:51,773 --> 00:01:55,413 さらには他国政府に 同じ植民地支配の負の遺産を背負う者として 36 00:01:55,413 --> 00:01:58,203 同盟国になるよう説得しました 37 00:01:58,203 --> 00:02:01,950 ところが ウエドラオゴ大統領とその顧問は サンカラの仕事ぶりに危機感を持ったのです 38 00:02:01,950 --> 00:02:06,445 「サンカラの共産主義思想が資本主義国家との 同盟関係に悪影響を及ぼすのではないか」 と 39 00:02:06,445 --> 00:02:09,169 サンカラは 首相に任命されてから 数カ月もしないうちに 40 00:02:09,169 --> 00:02:12,268 ウエドラオゴ政権に役職を追われ 41 00:02:12,268 --> 00:02:14,603 軟禁状態に置かれたのです 42 00:02:14,603 --> 00:02:16,363 大統領は このことがきっかけとなり 43 00:02:16,363 --> 00:02:21,387 オートボルタで17年間で4度目のクーデターが 起きることを 知る由もありませんでした 44 00:02:21,387 --> 00:02:24,007 首都は 民間人による 抗議集会で埋め尽くされ 45 00:02:24,007 --> 00:02:25,673 政治機能がマヒする中 46 00:02:25,673 --> 00:02:29,533 サンカラは 平和裏に政権交代するよう 交渉を試みたのです 47 00:02:29,533 --> 00:02:32,023 この間 サンカラの友人で 48 00:02:32,023 --> 00:02:34,683 同志でもあった元軍人の ブレーズ・コンパオレは 49 00:02:34,683 --> 00:02:38,923 サンカラの命をも狙った 再度起きたクーデターを阻止しました 50 00:02:38,923 --> 00:02:42,379 やがて ウエドラオゴは 抵抗することなく辞任し 51 00:02:42,379 --> 00:02:49,138 1983年8月4日 トーマス・サンカラは オートボルタの新大統領となったのです 52 00:02:49,138 --> 00:02:52,818 ようやく権力を握ったサンカラは 野心的な政策を掲げ 53 00:02:52,818 --> 00:02:55,375 社会と経済改革を起こしたのです 54 00:02:55,375 --> 00:02:58,765 彼の1つめの課題策として 55 00:02:58,765 --> 00:03:02,210 「オートボルタ」という フランスの植民地時代から続く国名を 56 00:03:02,210 --> 00:03:07,336 「高潔な者たちの国」と言う意味の 「ブルキナファソ」に変更しました 57 00:03:07,336 --> 00:03:12,141 次の4年間で 彼は 全国的に識字運動を広め 58 00:03:12,141 --> 00:03:15,081 1千万本の植樹を指示し 59 00:03:15,081 --> 00:03:17,645 新しい国家を作詞しました― 60 00:03:17,645 --> 00:03:21,265 それも 高騰した政府役人の給料を 削減しながら です 61 00:03:21,265 --> 00:03:24,825 しかし おそらくサンカラの革命の中で 最も独特な要素は 62 00:03:24,825 --> 00:03:27,755 男女平等への貢献です 63 00:03:27,755 --> 00:03:30,371 女性解放運動を広め 64 00:03:30,371 --> 00:03:35,041 強制結婚 一夫多妻制 そして性器切除を禁止しました 65 00:03:35,041 --> 00:03:39,499 彼は 女性を政府の要職に就任させた 初のアフリカ人リーダーであり 66 00:03:39,499 --> 00:03:42,679 彼女らを積極的に軍隊に採用しました 67 00:03:42,679 --> 00:03:47,360 しかし サンカラの社会主義政策は 多くの抵抗に遭いました 68 00:03:47,360 --> 00:03:50,510 多くの学生やエリートは 彼の経済政策が 69 00:03:50,510 --> 00:03:54,151 ブルキナファソから資本家を 遠ざけるのではと危惧したのです 70 00:03:54,151 --> 00:03:56,861 そして 公資金の乱用に対する取り締まりは 71 00:03:56,861 --> 00:03:59,311 政府要人をも敵にまわしたのです 72 00:03:59,311 --> 00:04:02,611 4年の歳月の後 人々を勇気づけるはずの革命は 73 00:04:02,611 --> 00:04:05,491 影響力を持つ多くのブルキナファソ人を 孤立させたのです 74 00:04:05,491 --> 00:04:08,817 しかし サンカラは権力を譲るつもりはなく 75 00:04:08,817 --> 00:04:11,707 より独裁主義的な政策を実行し 76 00:04:11,707 --> 00:04:15,437 労働組合や報道の自由を禁じました 77 00:04:15,437 --> 00:04:17,927 やがて彼の独裁主義傾向は 78 00:04:17,927 --> 00:04:20,967 近しい友人らをも敵に回したのです 79 00:04:20,967 --> 00:04:23,927 1987年10月15日 80 00:04:23,927 --> 00:04:26,837 サンカラが会議を行っている最中に 81 00:04:26,837 --> 00:04:28,797 襲撃者らは本部を襲撃し 82 00:04:28,797 --> 00:04:31,307 サンカラは暗殺されたのです 83 00:04:31,307 --> 00:04:35,747 多くの人々は ブレイズ・コンパオレが 指令を出したのだと信じています 84 00:04:35,747 --> 00:04:37,501 サンカラが残したものは複雑ですが 85 00:04:37,501 --> 00:04:41,927 政策の多くは 時代を先駆けたものだった ということが自ずと証明されています 86 00:04:41,927 --> 00:04:43,313 この10年の間 87 00:04:43,313 --> 00:04:47,057 ブルキナファソの若者は サンカラの政治的哲学を称賛し 88 00:04:47,057 --> 00:04:52,607 ガーナのような隣国は サンカラの経済モデルを導入したのです 89 00:04:52,607 --> 00:04:58,912 2019年3月2日 サンカラの銅像は ブルキナファソの首都に建てられ 90 00:04:58,912 --> 00:05:03,282 自国そして世界の革命者として 91 00:05:03,282 --> 00:05:05,194 偶像視されるような立場を確立したのです