1 00:00:00,861 --> 00:00:05,222 学校で綴り方を習うのに 私たちは 膨大な時間を費やしてきました 2 00:00:05,964 --> 00:00:11,969 今も 子供たちは綴り方の練習に 多くの時間をかけています 3 00:00:12,585 --> 00:00:16,236 そこで ある問いを 投げかけたいと思います 4 00:00:17,720 --> 00:00:20,831 綴り方を新しくしてはどうでしょうか? 5 00:00:21,572 --> 00:00:23,866 私はそれが必要だと思います 6 00:00:23,890 --> 00:00:28,520 もっと言えば 現在の綴り方を 単純化する必要があると思います 7 00:00:29,187 --> 00:00:33,465 この問いとそれに対する答えは スペイン語にとって目新しくはありません 8 00:00:33,489 --> 00:00:37,703 何世紀にもわたって 議論され続けてきたことです 9 00:00:37,727 --> 00:00:43,330 それは1492年にまで遡り 当時 初のスペイン語の文法書において 10 00:00:43,354 --> 00:00:49,096 アントニオ・デ・ネブリハは 綴り方の原則を端的に示しています 11 00:00:49,120 --> 00:00:52,039 「...それゆえ我々は発音通りに 言葉を書き記し 12 00:00:52,063 --> 00:00:54,443 書き記す通りに 発音せねばならない」 13 00:00:54,467 --> 00:00:57,769 それぞれの音は ひとつの文字に対応し 14 00:00:57,793 --> 00:01:01,118 それぞれの文字は ひとつの音を表します 15 00:01:01,142 --> 00:01:06,345 何の音も表さない文字は 取り除くべきなのだと 16 00:01:07,517 --> 00:01:09,972 このアプローチは 「音声学的アプローチ」で 17 00:01:09,996 --> 00:01:13,613 発音する通りに書き記す というものです 18 00:01:13,637 --> 00:01:18,346 現在の綴り方は これを元にしつつも そうでない面もあります 19 00:01:18,901 --> 00:01:24,402 それというのも スペイン語は 英語やフランス語などとは異なり 20 00:01:24,426 --> 00:01:29,737 発音と大幅に異なる表記を 21 00:01:29,761 --> 00:01:31,459 常に拒んできたためです 22 00:01:31,483 --> 00:01:33,752 しかし音声学的アプローチは 現在は見られません 23 00:01:33,776 --> 00:01:37,112 なぜなら 18世紀に 表記の仕方を 24 00:01:37,136 --> 00:01:38,348 統一するにあたり 25 00:01:38,372 --> 00:01:42,385 多くの判断の根拠として 他のアプローチが使われたからです 26 00:01:42,409 --> 00:01:45,251 「語源学的アプローチ」です 27 00:01:45,275 --> 00:01:47,468 これによると ラテン語やギリシャ語など 28 00:01:47,492 --> 00:01:50,646 語源である言語で 書かれている通りに 29 00:01:50,670 --> 00:01:52,212 書かねばなりません 30 00:01:52,236 --> 00:01:57,036 そのために発音されない 無音の「H」も書き記すのです 31 00:01:57,060 --> 00:02:02,348 「B」と「V」があるのもそのためです 意外に思われる方も多いでしょうが 32 00:02:02,372 --> 00:02:06,039 スペイン語の発音で この2文字が 区別されていたことはありません 33 00:02:06,460 --> 00:02:08,508 「G」が厄介なのもこのためです 34 00:02:08,532 --> 00:02:11,213 「gente(ヘンテ:人々)」では h音を伴うのに 35 00:02:11,237 --> 00:02:13,618 「gato(ガト:猫)」のように h音を伴わない場合もあります 36 00:02:13,642 --> 00:02:17,152 「C」「S」「Z」の複雑さも このためです 37 00:02:17,990 --> 00:02:21,218 これら3文字は 同じ1つの音を表したり 38 00:02:21,242 --> 00:02:24,207 2つの音であったりしますが 文字は3つも必要ありません 39 00:02:25,800 --> 00:02:30,778 ここでお話しすることは 皆さん誰しも経験がおありでしょう 40 00:02:31,368 --> 00:02:34,317 私たちは皆 学校へ通い 41 00:02:34,341 --> 00:02:38,988 長い時間を学びに費やしました 42 00:02:39,012 --> 00:02:43,710 脳がまだ柔軟で幼い頃に 多くの時間を 43 00:02:43,734 --> 00:02:45,341 口述の書き取りや 44 00:02:45,365 --> 00:02:50,396 例外に満ちた文法の規則の 暗記に費やしたのです 45 00:02:50,919 --> 00:02:54,706 私たちは はっきりと そして暗に こう聞かされてきました 46 00:02:54,730 --> 00:03:00,420 綴り方にこそ 成長に不可欠な 何かがかかっているのだと 47 00:03:01,261 --> 00:03:03,562 しかし 私はこう思わずには いられません 48 00:03:03,586 --> 00:03:07,221 先生たちはなぜそこまで重要か 自問しなかったのではないか 49 00:03:07,245 --> 00:03:10,373 そう 先ほど挙げた問いを 自問しなかったのです 50 00:03:10,397 --> 00:03:12,939 「綴り方の目的は何であるか?」 51 00:03:13,993 --> 00:03:16,865 「どうして綴り方が必要なのか?」 52 00:03:18,619 --> 00:03:21,536 実のところを言えば 誰かがこれを自問して 53 00:03:21,560 --> 00:03:24,649 出てくる答えは私たちが 考えるよりもずっと単純で 54 00:03:24,673 --> 00:03:26,106 取るに足らないことです 55 00:03:26,672 --> 00:03:33,391 綴り方を決めるのは 表記を統一し 誰もが同じように書けるようにするためです 56 00:03:33,415 --> 00:03:37,773 それによって互いの文章を読んで 理解をしやすくするのです 57 00:03:38,407 --> 00:03:43,979 句読点の使い方のような 他の文法事項とは異なり 58 00:03:44,003 --> 00:03:50,102 綴り方では 個性は表現されないものなのです 59 00:03:50,126 --> 00:03:51,570 句読法には関係があります 60 00:03:52,117 --> 00:03:56,073 句読点の使い方で 語句の意味を変えることができます 61 00:03:56,097 --> 00:04:01,522 句読点の使い方で 文章に特定のリズムをつけられますが 62 00:04:01,546 --> 00:04:03,785 綴り方はそうではありません 63 00:04:03,809 --> 00:04:07,386 綴り方は 現行の規則に 沿っているか否かで 64 00:04:07,410 --> 00:04:11,004 正しいか誤りかが決まるのみです 65 00:04:11,694 --> 00:04:17,048 それならば 現行の規則を もっと単純化して 66 00:04:17,072 --> 00:04:23,044 正しい綴り方を教え 学び 使いやすくすべきではありませんか? 67 00:04:23,678 --> 00:04:28,185 現行の規則を単純化して 68 00:04:28,209 --> 00:04:33,561 綴り方を教えるのに 費やしている時間で 69 00:04:33,585 --> 00:04:36,653 言語の他の諸問題を教える方が 理にかなっていませんか? 70 00:04:36,677 --> 00:04:40,644 そのような複雑な問題こそ 時間と努力を費やすべきなのでは? 71 00:04:42,433 --> 00:04:47,397 私が提案したいのは 綴り方をなくしてしまうとか 72 00:04:47,421 --> 00:04:51,413 皆が好きなように書けば良いと いうのではありません 73 00:04:51,878 --> 00:04:55,798 言語は人々が 共通して使うツールですから 74 00:04:55,822 --> 00:05:01,154 共通のルールにのっとって用いるのが 基本であると思います 75 00:05:01,609 --> 00:05:03,781 ですが 同じく基本として 76 00:05:03,805 --> 00:05:08,151 共通のルールはできる限り シンプルであるべきです 77 00:05:08,175 --> 00:05:12,009 それというのも こと綴り方を単純化したとしても 78 00:05:12,033 --> 00:05:14,846 それは水準を下げることには ならないからです 79 00:05:14,870 --> 00:05:17,543 綴り方が単純化されても 80 00:05:17,567 --> 00:05:21,345 言語の質にはまったく影響しません 81 00:05:22,109 --> 00:05:26,018 私はスペインの黄金期の文学を 日々研究しており 82 00:05:26,042 --> 00:05:29,646 ガルシラソやセルバンテス ゴンゴラやケベードの作品を読みます 83 00:05:29,670 --> 00:05:32,617 彼らは「hombre(男)」を 「H」を使わずに書いたり 84 00:05:32,641 --> 00:05:35,869 「escribir(書く)」を 「V」を使って書いたりします 85 00:05:35,893 --> 00:05:38,332 はっきりとしているのは 86 00:05:38,356 --> 00:05:43,757 これらと現代の文章との違いは 慣習の違いのひとつだということ― 87 00:05:43,781 --> 00:05:47,374 あるいは 当時慣習がなかった ということです 88 00:05:47,398 --> 00:05:49,427 質の問題ではありません 89 00:05:50,344 --> 00:05:52,768 巨匠たちに話を戻しましょう 90 00:05:52,792 --> 00:05:56,146 彼らは このお話にとって 重要な登場人物です 91 00:05:56,170 --> 00:06:01,611 先ほど 先生たちが 綴り方に関して 92 00:06:01,635 --> 00:06:04,549 ほぼ考えなしに しつこく追及するきらいがあると 93 00:06:04,573 --> 00:06:06,073 私は述べましたね 94 00:06:06,097 --> 00:06:09,569 しかし 実は 現状を鑑みると 95 00:06:09,593 --> 00:06:11,885 これは全く理にかなっているのです 96 00:06:11,909 --> 00:06:17,248 私たちの社会では 綴り方が階級の指標となっており 97 00:06:17,272 --> 00:06:21,660 教養がある者とない者 教育を受けた者とそうでない者を 98 00:06:21,684 --> 00:06:26,672 実際に書かれている内容とは 無関係に分けています 99 00:06:26,696 --> 00:06:30,007 「H」を正しく使って綴ったかどうかで 100 00:06:30,031 --> 00:06:32,700 就職できるかが決まることもあるでしょう 101 00:06:32,724 --> 00:06:35,913 誤って「B」を使ってしまったことで 102 00:06:35,937 --> 00:06:38,588 人々の笑いものに されることもあるでしょう 103 00:06:38,612 --> 00:06:40,788 ですから このような状況では 104 00:06:40,812 --> 00:06:45,885 もちろん 綴り方に 時間を割くのもわかります 105 00:06:45,909 --> 00:06:48,447 ですが 忘れてはならないのは 106 00:06:48,471 --> 00:06:50,671 私たちの言語の歴史において 107 00:06:50,695 --> 00:06:52,635 綴り方の刷新を進め 108 00:06:52,659 --> 00:06:56,584 知識を伝える上での障壁が 綴り方にあると実感してきたのは 109 00:06:56,608 --> 00:06:59,128 いつも先生たちや 110 00:06:59,152 --> 00:07:03,591 幼少期の言語教育に 携わる人々であったはずです 111 00:07:03,615 --> 00:07:06,004 幼少期の言語教育に 携わる人々であったはずです 112 00:07:06,028 --> 00:07:07,695 スペイン語の場合は 例えば 113 00:07:07,719 --> 00:07:12,272 サルミエントがアンドレ・ベヨと共に 114 00:07:12,296 --> 00:07:15,701 スペイン語史上 最大の 綴り方の刷新を進めました 115 00:07:15,725 --> 00:07:20,235 19世紀半ばの チリにおける革新です 116 00:07:21,894 --> 00:07:26,355 ならば こうした先人たちの思いを 受け継いで 117 00:07:26,379 --> 00:07:29,772 私たちの綴り方に 進歩をもたらしませんか? 118 00:07:29,796 --> 00:07:33,048 1万人の仲間が 集まっている この場で 119 00:07:33,072 --> 00:07:34,626 議論し始めるに値すると 120 00:07:34,650 --> 00:07:39,121 私が考える変更のいくつかを 提案したいと思います 121 00:07:40,207 --> 00:07:42,575 無音の「H」をなくしましょう 122 00:07:42,599 --> 00:07:47,687 発音をしない「H」を書くのは 123 00:07:47,711 --> 00:07:49,002 もう やめましょう 124 00:07:49,026 --> 00:07:50,042 (拍手) 125 00:07:50,066 --> 00:07:52,704 どんなに思い入れがあっても 126 00:07:52,728 --> 00:07:57,719 無音の「H」がもたらす面倒は 正当化されないでしょう 127 00:07:57,743 --> 00:08:00,088 すでに言及した「B」と「V」ですが 128 00:08:00,112 --> 00:08:02,982 スペイン語では元々 区別されません 129 00:08:03,006 --> 00:08:04,023 (拍手) 130 00:08:04,047 --> 00:08:07,352 どちらかにすべきです 議論を重ね 話し合えばいいでしょう 131 00:08:07,376 --> 00:08:11,006 誰もに好みがあるでしょうし 意見があるはずです 132 00:08:11,030 --> 00:08:13,874 どちらかを残して もう一方を取り除くのです 133 00:08:13,898 --> 00:08:16,905 「G」と「J」については 役割を分けましょう 134 00:08:16,929 --> 00:08:21,351 「G」はh音を伴わない「gato(ガト)」 「mago(マジシャン)」「águila(鷲)」に 135 00:08:21,375 --> 00:08:24,671 「J」は 次のような h音を伴う音に使うのです 136 00:08:24,695 --> 00:08:29,589 「jarabe(シロップ)」「jirafa(キリン)」 「gente(人々)」「argentino(アルゼンチン人)」 137 00:08:30,441 --> 00:08:35,769 「C」と「S」と「Z」は 興味深い問題です 138 00:08:35,793 --> 00:08:39,630 音声学的アプローチが 頼りになるにせよ 139 00:08:39,654 --> 00:08:42,719 それだけが基準とは ならないためです 140 00:08:42,743 --> 00:08:47,502 発音の違いが問題となる場合もあります 141 00:08:47,526 --> 00:08:50,432 すでに申し上げた通り 「C」と「S」と「Z」は 142 00:08:50,456 --> 00:08:53,798 1つの音であることもあれば 2つの音であることもあります 143 00:08:53,822 --> 00:08:59,008 3つではなく2つの文字に減らせば 状況は良くなると思いませんか 144 00:09:00,247 --> 00:09:05,117 こうした変革は行きすぎだと 思う人もいるでしょうが 145 00:09:05,141 --> 00:09:07,322 そうではありません 146 00:09:07,346 --> 00:09:10,609 スペイン王立アカデミーや 他の言語アカデミーも 147 00:09:10,633 --> 00:09:15,538 綴り方は徐々に 改変していくべきだと考えています 148 00:09:15,562 --> 00:09:20,448 言語は歴史 伝統 慣習などに 結びついていますが 149 00:09:20,472 --> 00:09:25,095 同時に日常で使われる 実用的なツールでもあります 150 00:09:25,119 --> 00:09:30,013 時には この歴史 伝統 慣習などへの愛着が 151 00:09:30,037 --> 00:09:35,121 今 言語を使う上で 障害になることもあるのです 152 00:09:35,619 --> 00:09:37,728 実際 このことから 歴史的にも 153 00:09:37,752 --> 00:09:44,705 私たちの言語が変化を遂げているのは 私たち自身に基づいてであって 154 00:09:44,729 --> 00:09:48,257 まわりの人々の影響を 受けてではないことがわかります 155 00:09:48,281 --> 00:09:51,935 例えば 「ortographia」は 「ortografía」に 156 00:09:51,959 --> 00:09:56,060 「theatro」は「teatro」に 「quantidad」は「cantidad」に 157 00:09:56,084 --> 00:09:58,472 「symbolo」は 「símbolo」になりました 158 00:09:58,496 --> 00:10:03,903 無音の「H」には徐々に こっそりと姿を消したものもあります 159 00:10:03,927 --> 00:10:06,167 スペイン王立アカデミーの 辞書によると 160 00:10:06,191 --> 00:10:11,983 「arpa」と「armonía」は 無音の「H」があってもなくてもいいのです 161 00:10:12,007 --> 00:10:13,507 誰も問題に思いません 162 00:10:15,452 --> 00:10:18,200 また私はこう思います 163 00:10:18,224 --> 00:10:24,169 今こそがこの議論をするのに 非常に適している時期であると 164 00:10:25,397 --> 00:10:29,408 言語は常に気まぐれに 変化するものだと言われています 165 00:10:29,432 --> 00:10:31,298 それもボトムアップで 166 00:10:31,322 --> 00:10:34,595 使用者こそが 新たな語彙を取り入れたり 167 00:10:34,619 --> 00:10:38,154 文法規則の変更を起こしたり するのです 168 00:10:38,178 --> 00:10:41,995 そして権威ある人々は― アカデミーであったり 169 00:10:42,019 --> 00:10:45,930 辞書であったり 省庁であったり― 170 00:10:45,954 --> 00:10:49,780 ずっと後になって そうした変化を受容するだけなのです 171 00:10:50,576 --> 00:10:54,224 これは言語の 一定のレベルまでは真実です 172 00:10:54,248 --> 00:10:57,643 語彙的なレベル 単語レベルではこれは本当です 173 00:10:57,667 --> 00:11:00,921 文法的なレベルでは あまり当てはまりません 174 00:11:00,945 --> 00:11:05,131 そして綴り方のレベルにおいても 当てはまりません 175 00:11:05,155 --> 00:11:09,196 これは歴史的に トップダウンで決められてきました 176 00:11:09,220 --> 00:11:13,255 規則を決めて 変更を提案するのは 177 00:11:13,279 --> 00:11:15,619 常に機関のほうなのです 178 00:11:17,143 --> 00:11:21,933 では 今がとりわけ 適した時期であるのはなぜでしょうか? 179 00:11:21,957 --> 00:11:23,325 現在まで 180 00:11:23,349 --> 00:11:29,489 書くことは 話すことに比べて より限定的で私的なものでした 181 00:11:30,118 --> 00:11:34,592 しかし現代の ソーシャルネットワークの時代では 182 00:11:34,616 --> 00:11:37,763 このあり方は 大きく変わろうとしています 183 00:11:38,311 --> 00:11:41,355 これほどまでに人々が ものを書き記した時代はありません 184 00:11:41,379 --> 00:11:45,927 自分が書いたものがこれほどまでに 多くの人の目に触れることもありませんでした 185 00:11:46,536 --> 00:11:49,653 ソーシャルネットワークの 時代になって初めて 186 00:11:49,677 --> 00:11:54,717 画期的な綴り方を あちこちで目にするようになっています 187 00:11:54,741 --> 00:11:59,350 完璧な綴り方を身につけた 教養の有り余る人々でさえ 188 00:11:59,374 --> 00:12:01,654 ソーシャルネットワークを 使うときには 189 00:12:01,678 --> 00:12:07,227 ソーシャルネットワークの大多数の ユーザーのように振る舞います 190 00:12:07,251 --> 00:12:10,933 つまり スペルチェックはそこそこに 191 00:12:10,957 --> 00:12:15,792 コミュニケーションの速さと 効率の良さを優先するのです 192 00:12:16,309 --> 00:12:21,740 今のところ ソーシャルネットワークでは 無秩序な単独の用法が見られるだけです 193 00:12:21,764 --> 00:12:24,781 しかし これらに注意を 向ける必要があると思うのです 194 00:12:24,805 --> 00:12:27,152 なぜなら こうした用法は もしかしたら 195 00:12:27,176 --> 00:12:31,774 書くための新たな場が生まれた時代には 196 00:12:31,798 --> 00:12:36,107 書くための新たな規則が必要だと いうことなのかもしれないからです 197 00:12:36,448 --> 00:12:41,566 そういった用法を 現代の文化的退廃の兆候だとして 198 00:12:41,590 --> 00:12:46,562 拒絶したり 捨て去ったりしてはいけません 199 00:12:46,586 --> 00:12:51,524 観察し 体系的にまとめ 分類して 200 00:12:51,548 --> 00:12:57,210 時代の需要に対応できる よりよい規則を作るべきなのです 201 00:12:58,741 --> 00:13:02,473 もちろん 反論もあるでしょう 202 00:13:03,524 --> 00:13:04,954 綴り方を単純化したら 203 00:13:04,978 --> 00:13:10,088 語源が失われると 言う人もいることでしょう 204 00:13:10,923 --> 00:13:14,013 厳密に言えば 語源は 残したくても 205 00:13:14,037 --> 00:13:16,467 綴り方だけではできません 206 00:13:16,491 --> 00:13:20,496 ラテン語 ギリシャ語 アラビア語を学ぶ必要があります 207 00:13:21,239 --> 00:13:23,870 綴り方を単純化しても 208 00:13:23,894 --> 00:13:29,084 語源の普段の居場所は 現在と変わらないでしょう 209 00:13:29,108 --> 00:13:31,457 そう 語源辞典の中です 210 00:13:32,117 --> 00:13:35,124 また別の反論には このようなものがあるでしょう 211 00:13:35,148 --> 00:13:38,866 「綴り方を単純化したら 1文字しか綴りの違わないような 212 00:13:38,890 --> 00:13:42,566 単語を区別できなくなるのでは?」 213 00:13:42,590 --> 00:13:46,680 その通りですが 問題ではありません 214 00:13:46,704 --> 00:13:51,680 スペイン語には同音異義語や 複数の意味を持つ言葉がありますが 215 00:13:51,704 --> 00:13:54,466 腰掛けるための「banco(ベンチ)」を 216 00:13:54,490 --> 00:13:56,562 預金する「banco(銀行)」や 217 00:13:56,586 --> 00:13:59,835 着る「traje(スーツ)」と 「trajimos(持つ)」を混同しません 218 00:13:59,859 --> 00:14:06,498 非常に多くの状況で 文脈が誤解を防いでくれます 219 00:14:07,192 --> 00:14:10,145 反論はもう1つあると思います 220 00:14:12,102 --> 00:14:13,274 私にとっては 221 00:14:15,053 --> 00:14:18,498 一番理解できるもので 感動的ですらあります 222 00:14:18,522 --> 00:14:21,990 このような反論です 「変えてほしくない 223 00:14:22,536 --> 00:14:26,245 自分はこれで育ち 慣れ親しんだやり方なので 224 00:14:26,269 --> 00:14:32,542 単純化された書き言葉なんて 目も当てられない」と 225 00:14:32,566 --> 00:14:34,367 (笑) 226 00:14:34,391 --> 00:14:39,264 この反論はある意味では 誰もが持っているものです 227 00:14:40,183 --> 00:14:41,672 どうしたら良いと思いますか? 228 00:14:41,696 --> 00:14:44,405 こうした場合には いつも同じことが繰り返されます 229 00:14:44,429 --> 00:14:49,842 変化は未来のためになされます 子供たちは新しい規則を学び 230 00:14:49,866 --> 00:14:54,399 適応したくない人は 自分のやり方を続ければ良いでしょう 231 00:14:54,423 --> 00:14:58,724 願わくば やがて新しい規則が 主流になるときが来ます 232 00:14:59,264 --> 00:15:05,771 長く根付いた習慣を変える 綴り方の刷新の成功の鍵は 233 00:15:05,795 --> 00:15:11,101 注意深さ 同意 漸進主義 そして寛容さにあります 234 00:15:11,663 --> 00:15:15,981 同時に 古い習慣に固執するせいで 235 00:15:16,005 --> 00:15:18,320 前進することが 妨げられてはなりません 236 00:15:18,775 --> 00:15:22,211 過去に払うことのできる 最高の敬意は 237 00:15:22,235 --> 00:15:24,749 過去が与えてくれたものを 自らの手で改善することです 238 00:15:25,255 --> 00:15:27,828 ですから 私たちは 同意しなければなりません 239 00:15:27,852 --> 00:15:30,863 アカデミーも 同意しなければなりません 240 00:15:30,887 --> 00:15:33,825 もはや役に立っていないにもかかわらず 241 00:15:33,849 --> 00:15:37,554 伝統だけのために 習慣となっていることを 242 00:15:37,578 --> 00:15:39,239 綴り方から排するのです 243 00:15:39,685 --> 00:15:43,161 もし私たちが ささやかでありながら 244 00:15:43,185 --> 00:15:47,185 非常に重要な言語体系で これを成し遂げられるならば 245 00:15:47,209 --> 00:15:52,543 来る世代に よりよい未来を 残すことができるでしょう 246 00:15:53,122 --> 00:15:56,530 (拍手)