WEBVTT 00:00:07.064 --> 00:00:11.514 パブロ・ネルーダは19歳のときに 最初の詩集を出版しました 00:00:11.514 --> 00:00:14.584 彼はのちにノーベル文学賞を受賞し 00:00:14.584 --> 00:00:17.404 さらには 2,000人の難民を救い 00:00:17.404 --> 00:00:20.174 3年間の政治亡命を経験し 00:00:20.174 --> 00:00:22.354 チリの大統領の候補となりました NOTE Paragraph 00:00:22.354 --> 00:00:24.554 ロマンティックで革命的なネルーダは 00:00:24.554 --> 00:00:29.104 20世紀で著名な詩人の ひとりでありながらも 00:00:29.104 --> 00:00:32.712 身近で議論の的になる人でもありました 00:00:32.712 --> 00:00:34.652 元はスペイン語で書かれた彼の詩は 00:00:34.652 --> 00:00:39.412 多くが平易な言葉と 日常の経験を元にしており 00:00:39.412 --> 00:00:42.574 長く続く影響力を生み出しています NOTE Paragraph 00:00:42.574 --> 00:00:46.874 ネルーダの本名はリカルド・エリエセール・ ネフタリ・レジェス・バソアルトで 00:00:46.874 --> 00:00:50.024 1904年にチリの小さな町で生まれました 00:00:50.024 --> 00:00:52.244 彼が詩人になることを 父は望まなかったため 00:00:52.244 --> 00:00:57.244 16歳の時「パブロ・ネルーダ」という ペンネームを使って執筆を始めました 00:00:57.244 --> 00:01:02.438 初期の詩集『ニ〇の愛の詩と一つの絶望の歌』 に収められた詩は 00:01:02.438 --> 00:01:04.708 優しく鋭敏で 00:01:04.708 --> 00:01:08.508 愛と喜びの繊細さを照らし出しています 00:01:08.508 --> 00:01:11.518 例えば「詩集第6編」の中で 彼はこう書いています 00:01:11.518 --> 00:01:17.698 「あなたの思い出は 光 煙 そして静かな池なのだ 00:01:17.698 --> 00:01:21.714 あなたの目の奥の方で 夕陽が輝いている」 00:01:21.714 --> 00:01:26.684 のちに彼は このような細部に対する注意力を 日常目にするものへの 00:01:26.684 --> 00:01:28.734 感謝の詩に注ぎました 00:01:28.734 --> 00:01:33.214 詩集『All the Odes』(すべての頌詩) にある225の短詩の多くは 00:01:33.214 --> 00:01:35.920 様々な小さなものたちへ 捧げられています 00:01:35.920 --> 00:01:39.920 靴ひもからスイカといったものまで 00:01:39.920 --> 00:01:42.740 身近にある取るに足らないような もののことです 00:01:42.740 --> 00:01:48.610 玉ねぎは 「まばゆい羽根を持った鳥よりも美しく」 00:01:48.610 --> 00:01:52.399 また 市場のマグロは 「深い海から現れた魚雷 00:01:52.399 --> 00:01:57.849 泳ぐミサイルは 今は目の前で死に伏している」 NOTE Paragraph 00:01:57.849 --> 00:02:00.656 このように早くから 文学的成功を収めていたものの 00:02:00.656 --> 00:02:02.716 ネルーダは経済的に苦しく 00:02:02.716 --> 00:02:07.675 ビルマやインドネシア シンガポールやスペインなどで 00:02:07.675 --> 00:02:09.785 外交の仕事を引き受けていました 00:02:09.785 --> 00:02:14.305 1936年 ネルーダがマドリードの 領事館で働いていたときに 00:02:14.305 --> 00:02:16.065 内戦が勃発し 00:02:16.065 --> 00:02:20.779 政府は共産党軍事政権に倒されました 00:02:20.779 --> 00:02:25.139 ネルーダはスペインからチリへと避難する 難民支援を組織し 00:02:25.139 --> 00:02:27.239 2,000人の命を救いました 00:02:27.239 --> 00:02:29.119 20年の年月を経て 00:02:29.119 --> 00:02:33.879 ネルーダは彼の外国での経験を 3巻からなる詩集 ― 00:02:33.879 --> 00:02:36.419 『Residence on Earth』 (地球の住民)に残しました 00:02:36.419 --> 00:02:39.989 これらの詩の多くは 実験的でシュールなもので 00:02:39.989 --> 00:02:43.989 叙事詩の視点と 超自然的な題材と 00:02:43.989 --> 00:02:48.169 政治紛争の議論への切望の思いと 00:02:48.169 --> 00:02:52.876 不正に対し声を上げることへの 詩人としての責任感とが融合したものでした 00:02:52.876 --> 00:02:54.797 『I Explain a Few Things』 (私が説明するいくつかのこと)の中で 00:02:54.797 --> 00:03:00.457 スペイン内戦がもたらした荒廃は 細部に至るまで彼の心に残りつづけ NOTE Paragraph 00:03:00.457 --> 00:03:01.817 その後の人生において 00:03:01.817 --> 00:03:05.817 ネルーダは革命的思想に傾倒し続けました 00:03:05.817 --> 00:03:08.987 政治思想が原因で彼は数年間亡命し 00:03:08.987 --> 00:03:12.457 チリに帰国できたのは1952年のことでした 00:03:12.457 --> 00:03:13.547 亡命中に 00:03:13.547 --> 00:03:16.877 彼は影響力のある 『大いなる歌』を出版しました 00:03:16.877 --> 00:03:22.237 この本は 詩を通してラテンアメリカの 歴史全体を語り直そうとするもので 00:03:22.237 --> 00:03:25.524 動植物から 政治と戦争までの 00:03:25.524 --> 00:03:27.534 すべての事に触れています 00:03:27.534 --> 00:03:30.564 また何よりも 文明を発展させてきた ― 00:03:30.564 --> 00:03:34.004 一般の人々に対し敬意を払っています NOTE Paragraph 00:03:34.004 --> 00:03:35.814 彼は亡命から帰国した後も 00:03:35.814 --> 00:03:37.494 旅をし続けましたが 00:03:37.494 --> 00:03:40.586 余生はチリで過ごしました 00:03:40.586 --> 00:03:43.156 1970年 66歳のとき 00:03:43.156 --> 00:03:47.576 ネルーダはチリの大統領候補となりますが サルバドール・アジェンデに譲り 00:03:47.576 --> 00:03:50.465 彼の身近な相談役となりました 00:03:50.465 --> 00:03:52.500 しかし1973年 アジェンデは 00:03:52.500 --> 00:03:56.985 オーグスト・ピノチェト将軍の クーデターによって倒され 00:03:56.985 --> 00:04:00.625 ネルーダはクーデターの数週間後に 病院で死亡しました 00:04:00.625 --> 00:04:04.335 彼の死がクーデターの直後であったため 00:04:04.335 --> 00:04:09.145 失意の死だとか 暗殺されたのでは という噂が渦巻きましたが 00:04:09.145 --> 00:04:13.099 病院では死因は癌だと記録されています NOTE Paragraph 00:04:13.099 --> 00:04:18.379 現在 ネルーダの言葉は 世界中の抗議や行進で唱えられています 00:04:18.379 --> 00:04:19.559 彼の人生のように 00:04:19.559 --> 00:04:22.639 ネルーダの詩は 闘うに値する 日常の瞬間を強調することで 00:04:22.639 --> 00:04:27.229 ロマンスと革命の架け橋となったのです