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はい!どうもアバタローです。
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本日は、ビクトール・フランクルの
[夜と霧]
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こちらをご紹介いたします。
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どんな作品かと言いますと
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自分の未来に対して希望が持てず
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生きる意味を見失ってしまった人を
救い出してくれる
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世界的名著になります。
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フランクルは
著名な精神科のドクターであり
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また、心理学の専門家です。
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皆さまよくご存じの[アドラー]
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そして、[フロイト][ユング]
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彼らは[世界三大心理学者]
と呼ばれていますが
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フランクルは、それに次ぐ
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[第四の巨頭]とも言われる人物になります。
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そんな彼が、第二次世界大戦中
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ナチスによって捕らえられ
強制収容所に入れられた時の
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体験について書かれたもの。
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それが[夜と霧]という作品です。
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因みに、このタイトルの
[夜と霧]というのは
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ヒトラーによって発せられた
”作戦名” のことです。
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自分たちに敵対する者を捕まえるとき
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まるで、夜の霧の中に消えるように
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ひっそりと、跡形もなく
連行されることから
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そのように呼ばれていました。
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ただ「ナチス」とか
「強制収容所」と聞きますと
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あれ、今日の話って
凄く怖い話なんじゃないの?
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暗い話なんじゃないの?と
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ご心配された方も居るかもしれません。
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ですが、ご安心ください。
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この作品は、収容所の恐ろしさや
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戦争の悲惨さを訴えることを目的として
書かれたものではございません。
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絶望の極致に置かれた人間たちの
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メンタルに焦点が当てられた
作品なんです。
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収容所という、受け入れがたい
理不尽な環境の中で
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人々の心は、どのように変化をしていき
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どのようなことに、苦しんでいたのか。
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また、何を心の支えとし
どんな考えをもって
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未来に希望を見出そうとしたのか。
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[夜と霧]には
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こういった、いま正に知っておきたい
生き方のヒントが多く含まれており
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重たいテーマではありますが
読む人の心を軽くしてくれる
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不思議な力があるのです。
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この動画をご視聴いただくにあたって
予備知識は一切いりませんので、
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是非、安心して最後まで
お付き合いいただければと思います。
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それでは参りましょう。
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ビクトール・フランクル
[夜と霧]
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まず、この動画の
全体像からお示し致します。
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はじめに、この作品を読む前に
知っておくべき前提知識として、
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著者のフランクルとは一体、どんな人物で
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どういった経緯で
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強制収容所に入ることになってしまったのか
についてお話をします。
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それを踏まえたうえで
[夜と霧]の中身に入っていき
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最後は、フランクル思想を知る上で欠かせない
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[ブーヘンヴァルトの歌]について
触れて終わりたいと思います。
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では早速、フランクルについて
見て行きましょう。
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ビクトール・フランクル
[フランクル]
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彼は、1905年
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オーストリアの首都
ウィーンに生まれたユダヤ人です。
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[人間の生きる意味を問い続けたユダヤ人精神科医]
幼少期から非常に好奇心旺盛であったフランクルは
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人間の ”生きる意味” という
壮大なテーマに興味を持ち
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更に、アドラーや
フロイトなどの影響を受けることで
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精神科医になったといいます。
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また、医師として
彼の最大の功績の1つは
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[ロゴセラピー]と呼ばれる心理療法を
開発したことです。
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ロゴセラピーとは
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自分の生きる意味を実感できず
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毎日、「虚しい」「苦しい」といった
感情を持った人に対して
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”生きる意味” を見つけ出すサポートをする。
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そういった「心理療法」のことを指します。
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そして、彼は自ら開発した
ロゴセラピーを実践し
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人生に絶望した人の心の救済に
全生涯を捧げ
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1997年の92歳のときに
天寿を全うしました。
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[世のため人のために尽くし続けた偉人]
あのマザー・テレサから
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ノーベル平和賞の
推薦を受けたこともあるほど
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世の為、人の為に尽くし続けた偉人。
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それが、ビクトール・フランクルです。
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ただ、そんな彼が
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強制収容所に入れられてしまうというのは
なかなか、信じがたい事実です。
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[フランクルが強制収容された経緯とは?]
なので今から、彼が
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強制収容所に入るまでの経緯について
お話をいたします。
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時は今から遡ること
約90年前。
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1933年のドイツでのことです。
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[ナチスが政権与党となった]
ここで、ある大きな
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政治的変化が起こりました。
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なんと、長らく政権野党であった
国家社会主義ドイツ労働者党。
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通称「ナチス」が
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その年の1月30日
遂に与党となったのです。
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もちろん、政権のトップは
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皆様ご存じの
アドルフ・ヒトラーです。
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[ユダヤ人を排除するための政策]
そして、彼は
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ユダヤ人を排除するための政策を
次々と打っていきました。
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何故、ヒトラーは
そんなことをしたのでしょうか。
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凄く簡単に言いますと
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共通の敵を作ることで
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当時バラバラだった
ドイツ国民の心を一つにし
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国をまとめ上げようとしたのです。
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[我らはアーリア人である]
具体的には、自分たちは
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アーリア人と呼ばれる
優性民族であり
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劣等民族であるユダヤ人を迫害し
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国外に追い出し
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「我々で、ヨーロッパを統一しませんか」
と言い出したわけです。
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[ユダヤ人への迫害は年々エスカレート]
ナチスが政権与党となった初期の頃は
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ユダヤ人が経営するお店を妨害するとか
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レストランに入れないとか
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そういうレベルの嫌がらせが
多かったのですが
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徐々にこれが
エスカレートしていきます。
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[1935年ニュルンベルク法の制定]
1935年には、ニュルンベルク法と呼ばれる
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ユダヤ人の公民権を奪う
人種差別法が制定されます。
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これによってユダヤ人と
ドイツ人の結婚が禁じられ
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更に、ユダヤ人は公共的な場所。
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例えば、「庭園」「劇場」「プール」
などへの出入りが禁止されてしまいます。
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[1938年、ユダヤ人の青年がドイツ大使館襲撃]
そして、1938年11月。
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フランスの首都
パリにあるドイツ大使館で
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書記官がユダヤ人青年によって
射殺されるという事件が起こりました。
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因みに、その青年は
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自分の家族を
ナチスによって迫害され
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その恨みから、書記官を襲ったと言います。
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こうなりますと、当然
ドイツに居る国民たちは
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けしからん!と大激怒です。
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[ドイツ本国で大暴動!]
そして、国内にあったユダヤ教会や商店街が
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次々と襲撃されるという、大暴動が起こり
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90人以上のユダヤ人の方が
亡くなってしまったと言います。
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破壊された家や、商店街の窓ガラスが
ドイツ中の道路を埋め尽くし
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それが月明かりによって照らされ
まるで、水晶のように光っていたことから
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その事件は
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[水晶の夜(クリスタル・ナハト)]
と名付けられました。
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これによって、
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[ユダヤ人追放の動きが加速し第二次世界大戦へ]
ドイツ国内におけるユダヤ人追放の動きは
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更に、加速していくこととなったのです。
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そして、その流れのまま
翌年1939年。
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ドイツ軍が、ポーランドに
侵攻したことを契機に
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第二次世界大戦が勃発します。
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ナチスも、自分たちが占領した
地域のユダヤ人を
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はじめは追放したり
隔離したりしていたのですが
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[戦線膠着で、ナチスは方針を一変]
戦線が膠着するにつれて、方針を一変させます。
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なんと!「殺処分する」という
えげつない方向に舵を切り始めたのです。
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これが、ナチスによる大量虐殺。
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所謂[ホロコースト]の始まりです。
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[ホロコーストの始まり]
因みに、ホロコーストとは
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元々ギリシャ語で
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「焼かれた生贄」という意味になります。
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水面下で行われてきた
ユダヤ人狩りが
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遂に、ここから
本格化していくことになるわけです。
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[フランクル(36歳)にも魔の手が…]
そして1941年
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当時36歳であった
ビクトール・フランクルの元にも
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ナチス当局から軍司令部への
出頭命令が下ります。
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そして、1942年。
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遂に、連れて行かれてしまうわけです。
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[最悪のタイミングで絶望の世界へ]
因みに、当時のフランクルは
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数年前に自分の病院を立ち上げたばかりで
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更に結婚もしたばかり
という状況でございます。
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そんなタイミングで彼は
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これ以上ない絶望の世界に
呑み込まれて行くことになるのです。
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続きまして、彼が捕まってから
解放に至るまでの大まかな流れを
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スライドにお示しします。
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ちょっと、カタカナが多いですが
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これらの名前は全く
覚えておかないで大丈夫ですので
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そこは、ご安心ください。
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[1.テレージエンシュタット]
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ここは、今もチェコにあります。
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1942年の9月から
自分の両親と奥さんと一緒に
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フランクルは、2年程ここに
収容されることになります。
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実は、フランクルのお父さんは
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当時、80歳を超すほどのご高齢であったんですが
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非常に栄養状態の悪い生活を
強いられたことによって
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ここで、餓死をさせられてしまうのです。
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そして、ふたつ目がポーランドにある
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[2.アウシュヴィッツ]です。
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絶滅収容所として
非常に悪名高い所ですね。
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ここで、フランクルは
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自分のお母さんと
お兄さんを失ってしまいます。
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滞在期間は、4日ほどです。
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その後、ドイツ南部
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バイエルン地方にある
「ダッハウ」と呼ばれる強制収容所の
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[3.ダッハウ(カウフェリング第3支所)]
という所に送られ
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最後は、病人収容所である
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[4.ダッハウ(カウフェリング第6支所)]に行き
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1945年の4月に
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ようやく解放
という流れになります。
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ここで、抑えておいていただきたいのは
[夜と霧]の舞台が
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アウシュビッツ以降
特にダッハウ強制収容所の
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「支所」であるという点です。
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もっとハッキリ言いますと
この作品のメインステージは
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アウシュヴィッツではありません。
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支所です!
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ここは、よく誤解されますので
ご注意いただければと思います。
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ここまで、よろしいでしょうか。
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以上の流れを踏まえたうえで
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さっそく作品の
中身に入っていきたいと思います。
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では、行きましょう。
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[強制収容所における一心理学者の体験]
私は、一心理学者として
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強制収容所で体験したことを
述べたいと思う。
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ただ、何も私は
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身の毛のよだつ恐ろしい話を
したいのではない。
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そこにいた囚人たちが、収容所の中で
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どのような苦労を
抱えて過ごしてきたのか。
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そういった、心の問題を取り扱いたいのだ。
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[番号が振られただけの一人の囚人]
[119104]
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忘れもしない。
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これは、私の囚人番号だ。
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強制収容所において
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私は、心理学者でも
ましてや、医者でもなかった。
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ただ、番号が振られただけの
一人の囚人でしかなかったのだ。
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ではまず、私がアウシュヴィッツに
送られた時の様子から話しをしていこう。
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1つの貨物車両に
80人ほどの人間たちと
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その荷物が息苦しいほどに
隙間なく入れられ
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私たちは、ある場所へと
輸送させられた。
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辛うじて、窓の一番上から
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薄暗い空を
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眺めることができたのを
覚えている。
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一体我々は
何処に連れていかれるのか。
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軍需工場で強制労働でも
させられるのか。
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そうやって、狭い空間の中で
言葉を交わし合った。
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しばらくすると、列車は
開けた平地に止まろうとしていた。
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「何処だ!」
「ここは一体、何処なんだ」
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そんな言い知れぬ空気が
列車内を覆う中
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群衆の中から、突然
ひとつの叫び声があがった。
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「ここに立札があるぞ!」
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[AUSCHWITZ]
「アウシュヴィッツ」
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「アウシュヴィッツだ!」
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[アウシュヴィッツは1つの概念]
この瞬間どれほど、心臓が止まると思ったか。
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アウシュヴィッツはひとつの「概念」だった。
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何かよく分からないけれど
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しかし、それだけに恐怖しかなかった。
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停車場に着くと、エレガントな
紳士のような将校が現れた。
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そして、我々を指さしながら
何やら指示を出し始めたのだ。
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私はこの時、知る由もなかった。
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あの男の指の動き一つ一つが
命の選別であったということを...
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[裸の存在]
この時、輸送された約90パーセントの人が
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数時間も経たないうちにガス室に送られ
命を奪われた。
-
一方、私を含む残りの人間たちは
風呂場に連れていかれ
-
全身の毛を剃られた。
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そして文字通り
裸の存在となったのだ。
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はい!ここで止めましょう。
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[貨物列車から降りると命の選別が始まった]
非常に恐ろしい世界です。
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列車から降りますと、最初にあったのは
”命の選別” でした。
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ここで、フランクルは
-
偶然にも、生き残ることが
出来たわけですが
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それは一体、なぜでしょうか。
[労働者として使える者だけが命を許された]
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[労働者として使える者だけが命を許された]
結論から言いますと、労働者として”使える” と
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判断されたからです。
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逆に、労働者として”使えない”
と思われた人のことごとくは
-
最初の段階でふるいに
掛けられてしまった、というわけです。
-
このとき囚人たちは
「収容ショック」といって
-
とてつもない、恐怖体験をすることになります。
-
囚人によっては
収容所を取り囲んでいる
-
高電圧が流れている鉄条網に走って
-
自害を試みることもあったようです。
-
[死の恐怖すら消えていく]
ですが、しばらくしますと
-
死の恐怖がなくなっていき
自分で命を絶つことすら
-
考えなくなっていく、といいます。
-
[心を強く保とうとするフランクル]
フランクルは、自分の命だけは諦めないと
-
気持ちを強く保っているのですが
いつ、心が崩壊しても
-
おかしくない状態で
収容所生活を送っていました。
-
そんな中、先輩囚人がこっそりと
-
フランクル達が
寝泊まりしている所にやってきます。
-
そして、生きる為のアドバイスを
授けてくれるのです。
-
では、そのシーンから
続きを見て行きましょう。
-
先輩囚人:いいか!
僕は、君たちに1つのことを忠告する
-
それは「ヒゲを剃れ!」ということだ。
-
できれば毎日。
-
剃るものは、何だっていい。
-
僕は、その辺に落ちている
ガラス片でやっている。
-
あと病気になるな。
-
病気であっても、それを悟られるな。
-
命を奪われたくなければ、とにかく
-
労働が可能である
という印象を相手に与えろ。
-
コイツは動けない、と判断されたら
もう、俺たちはお終いなんだ。
-
いいか!
もう一度言うぞ!
-
ヒゲを剃れ!
-
そして、いつも
真っすぐ立って歩け!
-
はい!ここで止めましょう。
-
[囚人たちの心は次の段階へ進む]
どれだけ理不尽で、残酷な環境の中で
-
フランクル達が生きていたかが
よく分かります。
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収容された当初は
「苦しい」とか、「怖い」とか。
-
様々な感情の浮き沈みを
体験するそうです。
-
しかし、それが長引いてきますと
-
今度は逆に、何も感じなくなるという
新たな状態に移っていきます。
-
つまり、自分が生きている世界に対して
「無感動」「無関心」
-
「無感覚」になって行くというのです。
-
[無感動、無関心、無感覚]
こうなりますと、自分の家族や仲間が
-
殴られていても、一切
目を反らさなくなるといいます。
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黙ってただ眺める。
-
そこには「嫌悪感」も
「恐怖」も「同情」もない。
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何にも感じることができないのです。
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更に、収容所の世界において
「苦しんでいる人」
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「病んでいる人」「死につつある人」
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そして、「死んでいる人」というのは
全く珍しくなく
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むしろ、当たり前すぎる光景であるため
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人としての心が徐々に
動かなくなってくるのです。
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フランクルは、この
感情が動かなくなる状態のことを
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[心を包む最も必要な鎧]であったと
表現しています。
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つまり、自分の肉体が生命を
維持するという
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ただ、その目的だけに
集中する、というモードに入るんです。
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その結果、生命維持に
直接関係のない心の機能が
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シャットダウンしてしまう
というわけです。
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一旦、そのモードに入りますと
人は食べるとか、寝るとか。
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[原始的な欲求だけに支配される]
そういった原始的な欲求だけに
-
支配されることになった、と言います。
-
ただ、当時の囚人たちは
一日に水のようなスープと
-
パンのかけらくらいしか
食事を与えられていなかったため
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[収容所は絶望の極限であった]
原始的な欲求のほとんどは
-
「食欲」が占めていたと言います。
-
当然、地獄のような
飢餓状態におかれますから
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一人残らず屍のように
痩せこけていきます。
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更に、その状態で蹴られたり
殴られたりしながら
[収容所は絶望の極限であった]
-
朝から晩まで
強制労働をさせられ
-
使えないと判断されれば
処理されてしまう。
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それが収容された者たちの
世界だったんです。
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[離れ離れになった妻の面影が突然現れた]
そんな極限状態の中
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フランクルは、不思議な体験をします。
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なんと!自分の目の前に
奥さんの面影が現れ
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そして、言葉を交わし合ったというのです。
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この場面は[夜と霧]という作品の中でも
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特に胸が締め付けられるところになります。
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では、そこから
続きを見て行きましょう。
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私は妻と語った。
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そして、彼女が答えるのを聞き
-
彼女が笑うのを見た。
-
たとえ、その場に居なくても
-
彼女の眼差しは
-
今さに昇ろうとしている太陽よりも
-
私を照らしてくれた。
-
そのとき、私は気付いたのだ。
-
[愛こそが人間にとって最高のものである]
愛こそが人間にとって
-
最高のものだということを。
-
たとえ、この世に
何一つ残っていなくても
-
人間は愛する人の面影を
心に宿すだけで救われるのだ。
-
このとき私は、自分の妻が
生きているかどうかも知らなかったし
-
知る必要もなかった。
-
私は深い愛情をもって
彼女の面影を見つめ続けた。
-
彼女は、まだ生きているのか。
-
それとも、もうこの世にいないのか。
-
そんな事実は
もはや問題ではなかった。
-
たとえ、愛する妻が
亡くなっていたと分かっていても
-
それでも私は、彼女の面影を
見つめ続けていただろう。
-
何時間も凍った地面を掘り続けても
監視兵に怒鳴られても
-
[妻と言葉を交わし続けた]
私は彼女と言葉を交わした。
-
そして、その度に
妻の存在を強く感じた。
-
彼女を抱きしめることが
出来るのではないか。
-
手を伸ばせば触れることが
出来るのではないか。
-
そんな感情が強く
私を襲うたび思うのだった。
-
彼女はきっと、そこにいる。
-
そこにいるのだ。
-
[フランクルは愛によって生かされた]
はい!ここで止めましょう。
-
つまり、フランクルは
-
いつ精神が崩壊しても
おかしくない極限状態の中で
-
愛によって生かされたのです。
-
そして、どれほど人間にとって愛が
大切なものであるかということを
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頭ではなく、心から痛感したというのです。
-
ただ、非常に申し上げにくいのですが
実は、このときフランクルの奥さんは
-
別の収容所に移送され
そこで処刑されてしまっているのです。
-
それを知らない状態で彼は
ただ、愛する奥さんの面影を心に宿し
-
見つめ続けていた、というわけです。
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[ルキウス・アンナエウス・セネカ]
因みに、以前紹介した
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古代ローマの哲学者セネカは
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過去は唯一、運命に支配されない
-
誰からも奪われない
神聖な時間だ、と言っていました。
-
彼の言葉の重さが、ここに来て
ズシン!と響いてきます。
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[フランクルは「過去」によって生かされた]
つまり、フランクルは、身ぐるみを全て剥がされ
-
財産も、家族も、尊厳も
何もかも奪われたのですが
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唯一、過去だけは
侵害されなかったんです。
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そして、彼は極限状態の中で
自分にとって最も大切な「過去」
-
つまり、愛する奥さんという存在を
自分の記憶から引っ張ってきました。
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そして、会話ができてしまうくらい
彼女の存在を自分の心のスクリーンに
-
強く投影させ、それによって
自らを支えていたわけです。
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ただ、気を強く保っている
フランクルですが
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それでも心が折れそうになる瞬間は
何度かあったようです。
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[何が精神的にきつかったのか?]
その中でも、特にこれはキツイと思われる要素を
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彼は、本書でひとつ挙げています。
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それは、フランクルだけではなく
他の囚人たちも
-
「確かにその通りである」と
意見が一致したと言います。
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[何が精神的にきつかったのか?]
皆さんは、何が囚人たちのメンタルを
-
最も苦しめたと思いますか。
-
答えを言いますと
-
[「期日」が無かったこと]です。
-
私らは、いつまでこの収容所にいて
-
いつ、解放されるんですか。
-
一体、いつになったら
-
今まで通りの生活に戻れるんですか。
-
こうやって
-
終わりの日が見えないこと
-
出口が見えないことが
何よりも辛かったと
-
彼らは口を揃えて
そう言っているのです。
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更に、収容所という
極端に活動が制限された環境の中で
-
無限の時間を感じるのは
並大抵ではない
-
精神的ストレスであったと言います。
-
[収束時期について様々な情報が流れた]
そんな中、”もう直ぐ戦争が終わるらしいよ”
-
”あと、6週間で出られるらしいよ” と
終息の見込みに関する色んな噂が
-
終息の見込みに関する色んな噂が
収容所内に流れては
-
また、引き延ばされる。
-
これの繰り返しです。
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[期待と幻滅の無限ループ]
こういった、期待と幻滅の
-
無限ループに置かれると
人はいずれ心が壊れてしまう。
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フランクルは
そう言っているのです。
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そして、彼はまた
次のように語り始めます。
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1944年のクリスマス。
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そして、1945年の新年。
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[かつてない大量の死亡者]
この間に、未だかつてない大量の死亡者が出た。
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強制収容所にいた医者によると
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それは、過酷な労働条件や
悪化した栄養状態。
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或いは、伝染病などで
説明がつくものでは、なかったそうだ。
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[素朴な希望]
むしろ、その原因とは
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囚人たちが、クリスマスや新年には
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きっと、状況も良くなって
家に帰れるだろうと
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素朴な希望に
身を寄せたからなのだ。
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もう直ぐ、クリスマスだというのに
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収容所から流れて来る
ニュースと言えば
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いつも暗い話ばかりで
明るい記事など一切なかった。
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[囚人たちは失望と落胆によって抵抗力を落とした]
そうやって、囚人たちはどんどん失望し落胆し
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そして、抵抗力を落として行ったのだ。
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凄まじい収容所生活において
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自分の内側にある
抵抗力を落とすことは
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そのまま、命を落とすことに繋がる。
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[抵抗力を維持するには?]
だから、自分たちの抵抗力が落ちないよう
-
どうにか気持ちだけは
維持しなければならない。
-
その為には、自分は何としてでも
-
生き延びなければならないという
-
[人生の目的意識]が
必要だったのだ。
-
はい!ここで止めましょう。
-
[苦しみや辛さに見合うだけの意義が必要]
どんな人であれ、苦しいとき
-
辛いときはありますが
それを乗り越えるためには
-
その苦しさや、辛さに見合うだけの
意義が必要だと
-
フランクルは、言っているのです。
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耐え抜く意味。
-
頑張り通す意義。
-
それが無ければ
苦しさや辛さに耐えられず
-
心が折れてしまうわけです。
-
好きな仕事だから
辛い時でも頑張れた。
-
応援してくれる仲間がいたから
苦しかったけど頑張れた。
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皆さんにも、そんなご経験が
あるのではないでしょうか。
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[心が崩壊してしまった囚人たち]
ただ、心が崩壊してしまった囚人たちは
-
どれだけ励ましても、どれだけ慰めても
-
何も言葉を
-
受け取らなくなってしまったと言います。
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そして、こんな未来に
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期待のできない人生を
なぜ、生きなきゃいけないんだ。
-
生きていたって
意味なんかないじゃないかと
-
口にするように
なっていったそうです。
-
[生きる意味を見失ってしまったらどうするのか]
では、こういった状態に陥ってしまったら
-
一体、どうすればよいのでしょうか。
-
この問いに対し
フランクルは本書で
-
見事な回答を
提示してくれています。
-
では、その続きから見て行きましょう。
-
[自分の人生に問を投げるのを止めましょう]
これからの未来に、一体なにが期待できるんだろう。
-
自分の生きている意味って、何だろう。
-
そうやって、自分の人生に
問いを投げるのは
-
実は、正しい態度ではない。
-
むしろ、私たちが人生から
-
「君は、これからどうするんだ」と
-
期待され、問われているんだ。
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[人生からの問いかけに対し「行動」でこたえる]
人生は、私たちに毎日
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さまざまな問いを投げかけて来る。
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そして、その度に私たちは
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その問いに対して、口先ではなく
行動によって答えなければならない。
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生きるということは
自分に課せられた使命に対し
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責任をもって
全うする事なのだ。
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人生から要求されることは
人によって異なるし
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その瞬間によって、変化もする。
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だから、人生にどんな意味がるだろうと
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どれほど考えようが
答えなど見つかりはしない。
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[人生からの問いかけは、常に具体的である]
人生からの問いかけ
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すなわち、運命とは
決して漠然としたものではなく
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常に、具体的な状況となって
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私たちの目の前に現れる。
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そして、その度に
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「さぁ、君はどう行動する」と
問いかけられているのだ。
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したがって、今まさに苦しみという課題が
与えられているのならば
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そこに対して、人間は
「運命」を見出さなければならない。
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[どんな苦しみであっても、それは授かった運命]
私たちは、自分以外の誰かの苦しみを
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代わりに背負うことはできない。
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その運命を授かった本人が
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その苦しみを背負い
担わなければならない。
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[「苦しみ」という課題の中にある君だけの業績]
しかし、その苦しみの中にこそ
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本人だけしか達成できない
唯一無二の、業績があるのだ。
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こんなことを聞くと、なんて現実離れした
考え方だと思うかもしれない。
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しかし、この考え方は
地獄のような強制収容所生活において
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我々を絶望させない、唯一の
思想だったのだ。
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[フランクル思想の真髄]
はい!ここで止めましょう。
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なかなか、ガツン!と響くものが
あったのではないでしょうか。
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と言いますのも
いま、紹介したパートは
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フランクル思想の
まさに中心的な部分なのです。
[フランクル思想の真髄]
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もう一度整理しますと
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自分の人生に意義を見出せずに「苦しい」
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[人間は人生から問われている存在である]
そういう時は、その考えを
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クルリと反転させて、人間の方が
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逆に、人生か
ら問われている存在であると
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思考を切り替えてくださいね
と言っているわけです。
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[人生に対する絶対肯定]
また、苦しみにも
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運命を見出してという
力強い言葉もありましたが
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彼が人生というものに対して
絶対に肯定するという
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揺るぎないスタンスを
取っているのが伺えます。
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[人生における重要な考え方]
そして、フランクルは
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人生における重要な考え方を
もうひとつ、本書で示してくれています。
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それは、この先の未来に
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[自分のことを待ってくれている
存在を意識する]ということです。
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[待ってくれている存在とはなんでもOK]
この「待ってくれる存在」というのは
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人でもモノでも、何でもいいのです。
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ある人は、いずれ巡り合う
運命のパートナーや
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自分の子供や、孫かもしれませんし
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また、ある人は
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一生涯、誇りをもって打ち込める仕事。
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或いは、趣味かもしれません。
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つまり、未来に待っている「存在」というのは
人それぞれ、違うのです。
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そして、未来の世界は
自分がやって来るのを
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期待しながら待ってくれている。
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そうやって、自分を待つ
何かの存在に意識を向け
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未来に責任を感じていれば
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人は絶対に自分の命を
自ら諦めたりはしない。
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だから、今
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この瞬間を乗り越えてください。
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「我々は人生に、試されているんです」と
フランクルは解いたのです。
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ここで[夜と霧]についてはお終いです。
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では最後に、フランクル思想を理解するうえで
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非常に重要な
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[ブーヘンヴァルトの歌]について
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紹介して終わりたいと思います。
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[ブーヘンヴァルト強制収容所]
「ブーヘンヴァルト」というのは
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ドイツの強制収容所の名前です。
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場所は、フランクルがいた
ダッハウ強制収容所から
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400キロメートルほど離れた所にあります。
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[囚人がつくり、囚人が歌った行進曲]
そして、そこにいた囚人たちが
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歌った行進曲。
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それが[ブーヘンヴァルトの歌]です。
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その歌詞の一部を読み上げますので、
ちょっと、聞いてみてください。
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[ブーヘンヴァルトよ]
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[私は、お前を
忘れることが出来ない]
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[お前は、私の運命だったのだ]
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[お前から去った者だけが分かる]
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[自由がどれほど素晴らしいか]
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[ブーヘンヴァルトよ]
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[私は嘆いたり、悲しんだりはしない]
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[私達の運命が
いかなるものであろうとも
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私達はそれでも
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人生にイエスと言おう]
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[なぜならその日は
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いつか来るから]
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[私達が自由になる日が
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私達はそれでも人生にイエスと言おう]
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[なぜならその日は
-
いつか来るから]
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[それでも人生にイエスと言おう]
こんな感じの、歌でございます。
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先ほどフランクルは
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「苦しみ」という課題を
運命として捉えましょう。
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そこに、自分だけの
業績を見出しましょう。
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なぜなら、この考え方こそが
強制収容所のような環境でも、
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人間を唯一絶望させない
思想だったんですよ、と言っていました。
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そんな中、ブーヘンヴァルトの囚人たちは、
どうしようもない状況下であっても
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私達は、それでも
人生に「イエス」と言おうと歌い
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自分たちの運命を受け入れ、肯定し、
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自由になれる日が
我々を待っているのだと
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叫び続けたのです。
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つまり、どんなに苦しい人生であっても、
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どんなに辛い人生あっても
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すべて人生からの問いかけである、と説く
フランクルの思想を
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[ブーヘンヴァルトの歌]は
見事に表現していると言えます。
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そして、フランクルは1945年4月
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遂に、収容所から解放され
9月に終戦を迎えます。
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そのあと彼は、わずか9日間で
[夜と霧]を書き終え
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世界に衝撃を与えました。
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更に、自身の収容所体験について
世界中で講演活動を行い
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人生の意味を見出せずに嘆いている人に
勇気を与え続けたといいます。
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その講演録は、後に書籍となり
[夜と霧]に次ぐ、彼の代表作として
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世界中で読み継がれることとなるのです。
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フランクルは、その本のタイトルを
[ブーヘンヴァルトの歌]から取り
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[それでも人生にイエスと言う]
と名付けました。
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もし、この動画で[夜と霧]に
ご興味を持っていただいた方は
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是非、こちらの作品も
併せてご一読いただければと思います。
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心が苦しくて耐えられない時。
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きっと、フランクルの言葉が
あなたのことを守ってくれるはずです。
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というわけで、[夜と霧]
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以上でございます。
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いかがでしたでしょうか。
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重たいテーマでしたけれども
意外に後味は
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悪くなかったのではないでしょうか。
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また、以前紹介した「ニーチェの思想」と
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今回の話との関連性に気づいた方。
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恐らくいらっしゃると思います。
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フランクル思想の中心にある
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[それでも人生にイエスと言う]
というこの言葉は
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ニーチェ哲学のテーマである
[生の肯定]そのものなんです。
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ニーチェは、人生の意義を
見出せなくなってしまう状態のことを
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「ニヒリズム」と呼びました。
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そして、それを克服するために
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「超人思想」や「永遠回帰」といった
概念を持ち出したわけですが
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まさに、フランクルは
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極限状態で、それを体現した人と言えます。
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[夜と霧]の中には、
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何度かニーチェの言葉を
引用するシーンがありますので
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恐らく思想的影響を
受けているものと思われます。
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そういったところにも
ご注目いただきながら読んでいただくと
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より作品を楽しんで
いただけるのではないかなと思います。
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面白かった、参考になったという方は、
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高評価・コメントなど
いただけますと嬉しいです。
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また、チャンネル登録も
よろしくお願い致します。
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ではまた、次の動画でお会いしましょう。
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ありがとうございました。