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はい!どうもアバタローです。
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本日はフランスの哲学者
ブレーズ・パスカルの
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[パンセ]について紹介を致します。
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17世紀の終わりに発刊されて以来
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欧米においては
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聖書に次いで
広く読まれている作品であり、
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”人間は考える葦である” という
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あの名言が刻まれた
世界的名著になります。
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パスカルの鋭い人間観察を特徴とする本書は、
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哲学に関心を持っている方だけではなく
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人間関係に悩んでいる方。
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孤独の中で苦しんでいる方。
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自分の人生に対して
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満たされない気持ちを
抱えている方にとっても
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おおいにご参考いただける1冊です。
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ただ「パンセ」は、
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とても面白い作品ではあるのですが
内容が難しくて、
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そう簡単には読めないのです。
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それでいて、「上・中・下巻」
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解説・補足全て合わせますと
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1500ページを超す分量があります。
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更に、「歴史」「宗教」
作品の「成立背景」など、
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予備知識を持った上で臨まないと
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まったく歯が立たない、
とても手ごわい作品なのです。
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そのため学校の授業などで
名前を知る機会はあっても、
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その中身まで
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丁寧な説明を受ける機会というのは、
なかなか無いと思われます。
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そこで、この動画では、
[パンセ]と言う作品を
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幅広い層の方に楽しんでいただけるよう、
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3つのテーマに沿って分かりやすく
紹介をして行きたいと思います。
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1つ目が
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[人間最大の悪徳]
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2つ目が
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[他者に認められたい心]
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最後3つ目が
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[不幸を生み出すものの正体]です。
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もちろんご視聴にあたって
難しい予備知識は一切要りません。
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いつも通り手ぶらでOKですので、
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お茶でも飲みながらリラックスして、
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どうぞ最後まで
お付き合いいただければと思います。
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それでは、参りましょう。
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ブレーズ・パスカル。
[パンセ]
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まずは、この動画の
全体像からお示し致します。
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はじめに「パンセ」の著者である
ブレーズ・パスカルと、
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この作品が誕生するに至った
背景についてお話しを致します。
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「パンセ」は前提知識が肝になりますので、
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いつもより時間を取って
丁寧に進めて行きます。
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その後に作品の内容を
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3つのテーマに沿ってお伝えし、
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最後に、”人間は考える葦である”という
名言に込められた意味について
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解説を加えて終わりたいと思います。
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では早速、1つ目から見ていきましょう。
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ブレーズ・パスカル、彼は1623年、
[Blaise Pascal(1623-62)]
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フランス中部の山岳地帯にある
クレルモンという場所で生まれました。
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父親は徴税官。
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母親は地元の裕福な商人の娘ということで
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経済的には何不自由ない
恵まれた家庭であったようです。
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ところが、パスカル本人は
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2歳の時に重たい病気にかかったことが原因で
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虚弱体質になってしまったり、
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さらに3歳の時には
母親を亡くしてしまったりと、
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肉体的にも精神的にも
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決して楽ではない人生を
歩んで行くことになります。
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そんな、幼くして苦難を
背負ってしまったパスカルに
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彼の父親が与えたもの。
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それは、自分の人生を賭けた教育でした。
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パスカルの父親は、
税金の専門家だったのですが、
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それと同時に、物理や数学にも長けた
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アマチュアの科学者でもありました。
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そこで、学校に行かせることなく
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自らが教師となり、
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我が子に英才教育を施したのです。
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更に、友人の科学者や数学者を自宅に招いては、
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日々、議論を交わしていた為、
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時折、息子のパスカルもその教養の深い
大人たちの輪の中に入っては、
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知的な刺激を受けていました。
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その結果、彼は
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「神童」と呼ばれるほどにその才能を開花させ、
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わずか12歳にして三角形の内角の和が
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180度であることを自力で証明し、
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更に16歳の時に
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「円錐曲線試論」と呼ばれる
数学の論文を発表します。
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学校の授業で習う
「パスカルの定理」というのは、
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実は、当時の彼が書いた、
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この論文の中に
含まれているものになります。
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また、30歳の時には、
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「圧力の伝わり方の法則」
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通称、「パスカルの原理」を発見しますが
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これによって、パスカルの名前が
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後に「圧力の値」を示す単位として採用されます。
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天気予報で気圧の説明がされる時、
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”〇〇ヘクトパスカル”
という言葉を耳にしますが、
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これは、彼の名前に因んだものになります。
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では、そんな現代にまで
影響を与え続けている天才科学者パスカルは、
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一体、いつから何をきっかけに
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哲学に興味を持ち始めたのでしょうか。
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結論から言いますと、28歳の時に
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父親が他界したことが
大きな要因の一つと言われています。
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パスカルにとって、自分の父親は、
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才能を花開かせてくれた恩人であり、
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また、最大の理解者でもありました。
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そういった、唯一無二の
存在を失ったことで
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彼は自分がいま
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とてつもない孤独の中で
生きているのではないかと気付き、
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強烈な不安感に襲われたのです。
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研究一筋で取り組んできて、成果は出してきた。
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十分すぎるほどの自己実現を果たして来た。
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けれど、なぜこんなにも
私の心は満たされないんだろう。
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なぜ、こんなにもこの世界は
生きづらいんだろう。
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そうだ!私の研究対象を
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これまでの自然科学ではなく、
人間に変えてみたらどうだろう。
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このように彼は、
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大きな方向転換を決意し、
「人間とは何か」
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「生きるとは何か」といった
根源的な問いを追求する
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「哲学」という新たな道を
切り開いて行くことになるのです。
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では、代表作である[パンセ]とは、
一体どういう作品なのでしょうか。
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これは、答えから先に申し上げてしまいますと、
混乱を招く可能性がありますので
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まずは、2つのことを先に
抑えていただきたいと思います。
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1つ目は、何かといいますと、
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パスカルの宗教です。
[パスカルは敬虔なキリスト教徒であった]
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先ほど見て来たように
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彼は数学と自然科学の天才でした。
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しかし、神という存在を強く信じている
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敬虔なキリスト教徒でもあったのです。
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因みに、パスカルの父親も兄妹も
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家族全員、みなが敬虔なクリスチャンです。
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親子揃って理数系ではあるのですが、
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神という存在はそもそも
理性で捉えられる存在ではなく、
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心で感じるものという思想が
彼らの中にはあったのです。
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そして、もう1つが
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パスカルが生きた時代です。
[17世紀のヨーロッパ]
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彼が活躍したのは
17世紀のヨーロッパです。
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当時のヨーロッパと言えば
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そうです!「科学革命」です。
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「地動説」を唱えたガリレオ・ガリレイ。
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「万有引力の法則」を発見した
アイザック・ニュートン。
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「方法序説」を表したルネ・デカルト。
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こういった近代科学の先駆けとなる
スーパースターが大暴れをしている、
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世はまさに「大科学革命時代」なのです。
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これによって、何が起こったかと言えば、
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人間の「心」の変化です。
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これまで、当たり前のように信じて来た
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「神」という絶対的な存在に
疑いの目を向け始め、
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信仰という行為から人々の心が、
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徐々に離れて行ったのです。
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では、そんな中、
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敬虔なキリスト教徒であったパスカルは、
どうだったのでしょうか。
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キリスト教を捨て、
信仰を諦めたのかというと
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勿論そうではありません。
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それどころか、神を信じない人間たちに
キリスト教信仰の正当性を
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分からせてやりたいという熱い思いが
心の中で煮えたぎっていたのです。
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そして、パスカルが32歳の時、
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遂に彼の思想を決定づける
ミラクルイベントが発生します。
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それは1656年3月24日、パリにある
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ポールロワイヤル修道院で起こりました。
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パスカルの姪である
10歳の少女マルグリット。
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彼女は3年以上
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涙嚢炎(るいのうえん)と呼ばれる
目の病気を患っていました。
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目から喉にかけて酷い炎症をおこし、
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失明どころか
命すら落としかねないほど、
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症状は悪化していたと言います。
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そんな中、
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キリストが処刑の時に被らされていた
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荊(いばら)の一部部分と信じられていた
聖荊(せいけい)に触れたことで
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なんと!マルグリットの涙嚢炎が
完治してしまったというのです。
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嘘か誠か
実際のところは分かりませんが、
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これは後に、「聖荊(せいけい)の奇跡」と呼ばれ、
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当時の宗教界を揺るがすほどの
大事件となったそうです。
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パスカルは、自分と血縁関係にある
姪っ子に起こった奇跡に、
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凄まじい衝撃を受けると共に
その思想を確固たるものとします。
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そして、自分の知性と全生命力をかけて、
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キリスト教信仰の
正当性を訴える為の作品を書き、
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「理性が猛威を振るう時代にぶつけてやる!」と、
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一大決心をするのです。
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そんな執念をもって
原稿を書き上げていったパスカルですが、
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なんと!完成に至る前に
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39歳という若さで亡くなってしまいます。
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さぞかし無念であったと思われますが、
唯一の救いは、
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彼の施策がびっしり書き込まれた
文章の断片だけは、
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キレイに残っていたのです。
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そこで、遺族たちが中心となって
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パスカルの意志が宿った文章の欠片を繋ぎ合わせ
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未完に終わった幻の著作に編集を施し、
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命を吹き込むことに成功します。
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それが、これから皆さまと一緒に読んでいく
[パンセ]という作品なのです。
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因みに「パンセ」というのは、
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「思考」とか、
「思索」を意味する
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フランス語です。
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この作品は前後の繫がりのない
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断片的な文章の集合体なのですが、
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パスカルの人間観察と
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キリスト教信仰にまつわる記述というように、
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大きく2つに分けることができます。
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ただ、この動画では冒頭に申し上げましたように
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前者に焦点を当て
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[人間最大の悪徳]
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[他者に認められたい心]
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[不幸を生み出すものの正体]
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という、3つのテーマに沿って
進めて参りたいと思います。
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では、早速1つ目のテーマ。
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[人間最大の悪徳]から見ていきましょう。
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自分しか愛さず、
自分しか尊敬しないこと。
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それが自己愛の本質であり、
「自我」の本質である。
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偉大な人間でありたいが、
実際は取るに足りない。
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幸福な人間でありたいが、
実際は惨めである。
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愛と尊敬の対象でありたいが、実際は
「嫌悪」と「侮蔑」の対象である。
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こういった困惑した状況は、
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人間の心の中に
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あるモノを生み出す。
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それは、最も不正で
最も罪深い情念だ。
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こういった状態に置かれた人間は、
自分自身を責め、
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自分の欠点を露わにする真実に対して、
極度の憎しみを抱く。
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そして、この真実を
”握りつぶしてやりたい!” と願うのだ。
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しかし、真実は真実であり、
それが消えることもなければ
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他のものに
置き換わったりすることもない。
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そこで人間は、その真実に対し
どんな行動をとるかと言えば、
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自分と他人の知る限りにおいて、
それを破壊しようと試みる。
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つまり、自分の欠点を
他人に知られないように、
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必死で覆い隠そうとするのだ。
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人間というのは、自分の欠点を
誰かに指摘されることを嫌うし、
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人に見破られてしまうのも
耐えられない生き物だ。
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確かに、欠点ばかりであることは悪いことだが、
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そのことを認めない態度は、
それ以上に悪いことだ。
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なぜなら、悪いことの上に、
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更に意図的な誤魔化しを
加えているからだ。
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誰だって他人に騙されたら
嫌な気持ちがするだろう。
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例えば、あなたの知り合いで、
自分を本来の実力以上に見せかけ
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より多くの尊敬を集めたい、と
願っている人が居たらどうだろう。
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それを正しい態度であると、感じるだろうか。
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少なくとも、私はそうは思わない。
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それならば、私たちが他人を騙し、
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本来の自分よりも大きく見せて、
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評価を上げようとすることは、
正しい態度ではないのだ。
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はい!ここで止めます。
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[人間にとって、最大の悪徳は
「自己愛」である]
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これが、パスカルの出した結論です。
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では、そもそも「自己愛」とは
何なんでしょうか?
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それは、自分だけを愛し、
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自分だけを尊敬しようとする
態度のことです。
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そして、自己愛の中心にあるもの。
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それが「自我」なのだ、と言っているんです。
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つまり、人間は誰しも
「自我」を持っている以上、
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最大の悪徳である
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「自己愛」を抱えながら生きている
ということになります。
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ただ大事なのは、ここからです。
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パスカルは、別の断章で
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[自我は憎むべきもの]であると
主張しているんです。
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自我は憎むべきもの...
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ちょっと何が言いたいのか
分かりにくいですねぇ。
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彼の理屈によると、
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どうやら自我は、
2つの性質があるようです。
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ひとつが
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[1.自分を全ての物事の中心にしようとする]
点です。
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要するに、自我の働きによって
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自己中心的な考えや態度を
とってしまうというわけです。
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ただ、神の存在を中心に
考えているパスカルにとって、
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こういった自己中心的な性質を持つ自我は、
ハッキリ言ってしまえば、
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信仰の障害物であり、
あまり歓迎できるものではないのです。
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ですから、彼は自我を
-
それ自体が不正なものであると、
たいへん厳しい言葉で表現したわけです。
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そして、自我のもうひとつの性質は、
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[2.他人を従わせようとする]点です。
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例えば、誰かにマウンティングされてしまったら
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とても嫌な気持ちがすると思います。
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つまり、自我は他人に対いて暴君になろうとする
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不快な性質をもつものだ、というわけです。
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このような理由からパスカルは、
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自我を憎むべき対象として捉えていたのです。
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ただ、どうでしょう。
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確かにそういった自我を丸出しにして、
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人を不快にさせてしまう方も
居るかもしれませんが、
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余計な自我を抑えて、
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他者に対して、親切な
行動がとれる人だっているわけです。
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ですから、自我を憎めというのは、
流石に表現としては、言い過ぎではないかと
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そのように思われた方も
いらっしゃるのではないでしょうか。
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ただ、余計な自我を抑えて、
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他人を思いやる親切な行動をとったとしても
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それは、不快なものを取り除いたに過ぎず、
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自我そのものが、不正であることには変わりはない
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というのがパスカルの考えなんです。
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さらに言うと、自我を抑えて
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他人を思いやる親切な行動をとったとしても
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それは、他人によく思われたい虚栄心であって、
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その虚栄心を突き詰めていけば、
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結局は、他者からの評価を意識しているので
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根本にあるのは、結局「自己愛」じゃないかと
そのように言われてしまうのです。
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このようにパスカルは、人間の本質を鋭く突き
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読者に何とも言えない内省を
迫って来るのです。
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では、人が他人に「認められたい」とか、
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「褒められたい」と思うことは、
果たして悪い事なんでしょうか。
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また人間は、虚栄心を捨てるべきだと
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パスカルはそのような主張を
しているのでしょうか。
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それでは、ふたつ目のテーマである
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[他者に認められたい心]に移り
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彼の本心を探っていきましょう。
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人間の思い上がりというのは、
厄介なものだ。
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全世界の人間に、自分のことを知って貰いたい。
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更には、自分が死んだ後も
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自分のことを知られていたい
と願っているのだ。
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にも拘わらず、自分の周りにいる
5,6人に評価されるだけで満足してしまう
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実に軽薄な生き物じゃないか。
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人間は、誰しも虚栄心を持っている。
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兵士も、料理人も、湾岸で働く労働者も
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それぞれ自慢ばかりして、
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自分を褒めてくれる人間を欲しがっている。
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哲学者だって、賞賛してくれる人が欲しいし
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批判を書くような人も
批判が的確だと褒められたいし、
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更に、その批判を読んだ者も
それを読んだことを褒められたがっている。
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これを書いている、私だって同じだ。
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心の何処かで、
そうした願望を持っている。
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また、人間の好奇心も私に言わせれば、
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大抵は、虚栄心によるものだ。
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人が何かを知りたがるのは何のためだ。
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それについて誰かに話すためだろう。
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さもなければ、遠い海の果てまで
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大航海の旅に出ようなんて誰も思わない。
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自分が見たこと、自分が聞いたこと。
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それをいつか人に伝えたい。
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そういった希望もないままに、
ただ純粋な楽しみだけで、
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好奇心など広がるはずはないのだ。
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人間の最大の卑しさというのは、
名誉の追求だ。
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しかし、裏を返せば
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それは人間の優秀さを示す
最大の印でもある。
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この世界にどれほどの
所有物を持っていようが、
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どれほど健康で
快適な生活に恵まれていようが、
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他者からの尊敬が手に入らない限り
人間は何処までも満足しない。
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何をもってしても
この欲望から逃げ切ることはできないのだ。
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これこそ、人間の心の
最も消し難い性質と言えるだろう。
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はい!ここで止めます。
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つまりパスカルは、人間のもつ「虚栄心」や
「承認欲求」そのものを
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全否定しているわけではないのです。
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それによって新しい技術を発明したり、
文明を発展させたりすることで、
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人類は進歩してきましたし、
それは事実なのです。
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ですから、虚栄心は
人間の「卑しさ」の象徴であると同時に
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「優秀さ」の象徴でもある説き、その上で、
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[人間の心の最も消し難い性質]
と言っているんです。
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つまり、虚栄心というのは、
純粋な「善」でも「悪」でもなく
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受け入れるべき人間の
性(サガ)と言えるわけです。
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ただ、ここまでの話しを
あらためて振り返ってみますと、
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人間は、何処まで行っても心が晴れない
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不幸で虚しい存在であるように
思えてしまいます。
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では、パスカルは一体、
人間の「幸・不幸」について
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どのような考えをもっていたのでしょうか。
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それでは、3つ目のテーマ。
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[不幸を生み出すものの正体]について
見ていきましょう。
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人間の不幸の全ては、
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ただ一つのことに由来するものと思われる。
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それは、すなわち
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部屋の中で、ひとり静かに
留まっていられないことだ。
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一生遊んで暮らせるだけの
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十分な財産を持っている
国の権力者を見てみるがいい。
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なぜ彼は、わざわざ海を越えたり、
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戦に出かけたりするのだろうか。
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それは、彼が自分の家の中で、
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ただジッとしているのが
苦痛で堪らないからだ。
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社交の場に足を運ぶこと。
-
ギャンブルをすること。
-
こういった気晴らしを一切求めず、
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ただ、家の中でジッとしていたところで、
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人間の心は満たされない。
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たとえ、一国の王であったとしても
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何の気晴らしもなければ、
今後、起こりうる反乱や
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避けることのできない「病」や「死」といった
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余計なことばかりが
頭に浮かんできてしまうだろう。
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つまり、「気を紛らわす」 という
行為が無ければ、
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「王」という、最高に
恵まれた地位にいる人間であっても
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たちまち不幸になる。
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自由に賭け事をしたり、
-
気を紛らわしたりできる
最下層の家来よりも
-
最上位にいる王の方が
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よっぽど不幸になってしまうのだ。
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だから人間活動の中には、
賭け事とか、誰かとの会話、
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戦争、名誉ある職の追求といったことが
こんなにも求められるのである。
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ただ、こういった行動ひとつひとつに
幸福の源泉があるわけではない。
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真の幸福とは、
-
賭け事で儲ける金でもなければ
-
狩りによって
獲物を得ることでもないのだ。
-
何の苦労もせず「ホラッ、くれてやる」
と言われたところで、
-
心は決して満たされないだろう。
-
人間が求めるのは、
-
不幸な状態が頭に浮かんできてしまうような
-
のんびりとした時間ではない。
-
ただ、自分の不幸を忘れさせ
-
気を紛らわせてくれる
-
「騒ぎ」を求めているのである。
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はい!ここで止めます。
-
家の中でやることがなく、
ジッとひとりでいると、
-
人間は余計なことを考え、その結果、
-
不幸な状態に陥ってしまう。
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これがパスカルの考えです。
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確かに暇すぎると、
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思い出したくない人の顔が浮かんできたり、
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将来のことが不安になったり、
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過ちを犯した自分を責めたり、恥じたり、
-
何かとネガティブモードに
なってしまいがちです。
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ただ、パスカルは
-
これは、あなただけじゃなくて、
-
王様だって、誰だって
人間みんな同じなんだよと
-
そう言っていました。
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そこでパスカルは、その解決策として
-
自分の気を紛らわす
気晴らしの必要性を説いていました。
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ただ、彼の言っている「気晴らし」というのは、
-
ストレス解消の娯楽だけを
指しているのではありません。
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会社やバイト先に行って、
-
一生懸命、仕事をすること。
-
家の中で、テキパキと家事を行うこと。
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こういった活動も含めて、パスカルは
「気晴らし」と呼んでいるんです。
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つまり、何か作業に没頭し、
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自分の意識が不幸な状態に向かないよう、
-
気持ちを紛れさせる活動全般を
彼は「気晴らし」と呼び、
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人間はこれなしでは、
生きて行けない存在なんだ、と説いたんです。
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ただ、話しはこれで終わりません。
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パスカルは本書で、
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気晴らしは人間を不幸から遠ざける為に、
-
絶対に必要だという
主張を展開しておきながら
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また、違うところでは、
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気晴らしは、人間の悲惨さの
最たるものであるという主張もしているのです。
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ちょっと、混乱しそうですが、これは
一体どういうことでしょうか。
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結論から言いますと
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気晴らしは不幸から目を反らし、
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気持ちを紛れさせる、
という行動がある一方で、
-
自分自身を冷静に顧みることを
忘れさせてしまうという、
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副作用もあるんです。
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例えば、朝から晩まで仕事漬け。
-
或いは、ギャンブル漬けという生活でしたら
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確かに、余計なことを考える時間は
無いと言えます。
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ただ、それによって
自分と対話する余白まで無くなってしまい、
-
その結果、新しい人生の可能性や
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方向性を見出だすチャンスを
失ってしまうのです。
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例えば、パスカルの人生を
思い出してみてください。
-
彼は30歳手前まで、
-
数学や自然科学の研究という
気晴らしに没頭していました。
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しかし、父親の死という
出来事によって余白が生まれ、
-
それによって自分の人生を深く見つめ直し、
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哲学という新たな道が開かれたわけです。
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つまり、「どう生きるか」 という
人生の重要課題を発見するには、
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自分の人生を「気晴らし」だけで
埋め尽くしてはいけない、ということになるんです。
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ただ、ここまで言われてしまいますと、
-
結局私たちは、
どうすればいいのですかと。
-
何処にも逃げ道が
ないじゃないですかと。
-
そのように突っ込みたくなりますが、
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パスカルからしてみれば、
そういった読者の反応は
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想定の範囲内です。
-
彼はこのあと、
更に考察を深めていき
-
最終的に完全に出口を塞いだ上で、
-
ホラッ!だから私たちは
「神を信じるしかないのですよ」と。
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読者を目的の場所まで誘う
設計になってるんです。
-
ただ、この動画は、
-
あくまで彼の人間観察に注目して
進めていますので、
-
これ以上の深掘りは致しません。
-
なので、このテーマの結論としては
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不幸を避けるための対抗手段として
「気晴らし」は有効でありますが、
-
そればかりに偏ると、
自らを省みる時間が無くなるので
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注意しましょう、とういところを
落としどころにしたいと思います。
-
3つのテーマに関しては、これでお終いです。
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最後にパスカルのあの名言。
-
[人間は考える葦である]
-
というフレーズが登場する
パートに触れて終わりたいと思います。
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たいへん有名な言葉ですが、
-
これには一体どんな意味が
込められているのでしょうか。
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では早速、みていきましょう。
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人間は一本の葦に過ぎない。
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自然の内で最もか弱いものだ。
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だが、それは考える葦だ。
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人間を押し潰すのに
宇宙全体が武装する必要はない。
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「一吹きの蒸気」
-
「一滴の水」
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それだけで、人間を殺すのには十分だ。
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しかし、宇宙に押し潰されようとも
-
人間は自分を殺すものよりも更に尊い。
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なぜなら人間は、
-
自分がいずれ死ぬことを知っているからだ。
-
また、自分よりも宇宙の方が大きく、
-
優位な存在であることを分かっているからだ。
-
しかし、宇宙は
そんなことを考えたりはしない。
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つまり、私たちの尊厳の根拠というのは、
-
この、「考える」という
行為の内にあるものなのだ。
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だから、よく考えることに努めよう。
-
ここに、「道徳の原理」がある。
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はい!ここで止めます。
-
言ってることが分かるようで
分からないパートですが、
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先に申し上げておきますと、
人間はほかの動植物と違って、
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「考える」という機能が付いているから
尊い存在なのだ、という意味ではありません。
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ここはよく、誤解されるポイントになります。
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実は、このパートとは別にパスカルは、
[パンセ]の中で、
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次のように述べています。
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人間というものは、どう見ても
考えるために作られている。
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考えることが人間の尊厳の全てなのだ。
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人間の価値の全て、その義務の全ては、
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正しく考えることにある。
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はい、どうでしょう。
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要するに、何でもかんでも考えていれば
それでよし!という訳ではなく、
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人間の価値の全て、義務の全ては
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「正しく考えることにある」と、
パスカルはそう言っているんです。
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では、「正しく考える」とは
何なんでしょうか。
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それは、自分の人生に
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いつか終わりの時間がやって来るという、
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悲惨な運命を自覚し、その上で、
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今の自分のあるべき姿や
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これからの自分の生き方について考えること。
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それが彼の言っている
「正しい思考の働かせ方」であり、
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その中にこそ、
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人間の尊厳の根拠があるのだ
と言っているんです。
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つまり、思考ができる人間を
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ただ、「素晴らしい」と
謳っているわけではないのです。
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それどころか、パスカルは本書の中で、
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多くの人は、自分たちの背負っている運命を忘れ
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正しく思考を働かせていないと、
嘆いているんです。
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つまり、「人間は考える葦である」 という
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言葉の中には
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正しい思考を手放してしまった
人間に対する「警告」と
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本来の尊厳を取り戻して欲しい、という
「期待」が込められていたというわけです。
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人はどうあるべきで、
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そして、どう生きるべきなのでしょうか。
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パスカルは、一本の葦に過ぎない人間に
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今もそうやって
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問いを投げ続けているのです。
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というわけで、パスカルの[パンセ]
以上でございます。
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いかがでしたでしょうか。
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前回紹介いたしました[思考の整理学]は、
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「考えることの楽しさを知って貰う」
というテーマでした。
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なので今回は、
「考えること」そのものを考え
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つまり、人間にとって「考える」って、
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どういうことなんだろうという
問いを投げかけてくれる、
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そんな哲学の古典的名作を選んでみました。
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ご興味のある方は是非、
チェックしてみてください。
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面白かった、参考になったという方は
高評価・コメントなどいただけますと嬉しいです。
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また、チャンネル登録も
よろしくお願い致します。
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ではまた、次の動画でお会い致しましょう。
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ありがとうございました。