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黙示録 2002 パート3
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私はそれを未だやっていなかったと言いたかったのですが。まだ多くのセッションが残っています。
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、、、しかしすべてをやるつもりです。特に問題が無いことを望みます。
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この午後は黙示録に関する物議を醸しだすような問題について話します。
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ですからこの午後は少し重苦しくなります。
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人々はこの本を様々な方法で取り扱いました。それらの方法について学びます。
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また何故そのような混乱があるのか、私たちはそれをどのように理解し、応用するのか。
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ですから申し訳ありませんが、
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私たちは頭を使わなければなりません。ことにこの午後にはそうです。
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考え抜かなければなりません。
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私が説教をした後に私が得る、一番一般的なコメントは、
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「ええ、あなたは確かに私たちに考えることを下さいました」
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何となく柔らかい口調で責めるように言われるのですが、
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それは人々が考えるために教会に来ていないということを意味します。
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しかし世界で一番未開発なのはあなたの両耳の間の領域です。
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私たちは、私たちの思いを尽くして神を愛することを勧められています。
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もちろん不幸なことに、昼食の後のセッションは先生の墓場です。
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美味しい昼食の後には、私たちのメタボリズムに何か起こります。
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その結果、とても難しくなります。
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アメリカ全土でただ一回の日曜日の説教の時にもし全員が眠ってしまうとすると、
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彼らを頭からつま先まで直線状にこのように土の上に並べると、
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彼らは全員もっと居心地が良くなります。
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そう私は言われました。それは私たちが知っておくべき事実の一つです。
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そんなことです。私の友人が英国の田舎で説教をしていました。
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全会衆は農夫とその奥さんとの二人でした。
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説教の間、彼らはぐっすり眠り込んでしまいました。
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私の友人はどうしてよいかわからず、彼は思いました。
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「彼らはとても疲れているに違いない、私はこっそり退散して、家に帰ろう」
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そう彼はしました。しかし次の木曜日に市場で彼はその農夫に会いました。
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彼はその農夫のところに行って、謝りました。
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「すみません、私はあなたを起こして良いものかわかりませんでした。
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多分あなた方は眠ることが必要だと思ったので、そこにそっとして出てしまいました」
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その農夫はとても怒っていました。彼は言いました。
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「私たちは午前一時に置きました。暗い教会の中で、
自分達がどこにいるのかわかりませんでした」
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まあ、しょうがない。もし皆さんが眠ってしまい、こうやっているのを見たら、
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私は非常に優しいでしょう、皆さんが私のために祈っていると思いましょう。
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最初の主題に入りましょう。
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この書物に関する解釈の異なる学派を紹介しましょう。
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それは、皆さんが黙示録に関する一冊の本を買って、
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次に別な本を買うと、それらはお互いに完全に矛盾しているということです。
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この書に関してはあまりに多くの手引き、学習法、接し方があるからです。
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私たちが今朝最初のセッションで学んだ手紙から、これを説明することから始めましょう。
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これらの七つの手紙は適用されなければなりません。そのために聖書の中に入っています。
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明らかに、それは私たちのための小さな歴史ではありません。
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なぜ神は私たちのために、
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現在の我々に関係の無いような小さな歴史を聖書にいれるでしょうか?
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しかし、私たちはそれらを適用するにあたって、適用上の違いにぶつかります。
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明らかにこれらの手紙は、一世紀のアジアと呼ばれる地域の教会に対して書かれました。
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しかし私たちはこれを今日のアメリカの教会に適用する必要があります。
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どうやってそうしますか?
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二つの方法についてこれからお話しします。
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説教者、聖書学者、聖書学徒によって適用されてきた方法です。
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その内のひとつには、私はついていけますが、他方は単純についていけません。
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私が賛成しない最初の方から見て行きましょう。
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それはこういう理論です。
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七つの教会が預言的であり、それら一つ一つが教会の歴史の
一時期に対応している、というものです。
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七つの教会によって、イエスが最初に来た時から
再臨の時までの教会の全歴史が包まれていて、
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一つの時代から次の時代に続いていくというものです。
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従って、この理論によれば、一世紀は教会史のエペソの時代でした。
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その後、教会が酷く迫害された、二、三世紀のスミルナの時代に移ります。
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四世紀になると、ペルガモの教会史に入り、
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コンスタンティヌス帝が改宗して、教会は公式に認められ、確立されます。
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続いて、教会史の中世期にあたるテアテラの時代に入ります。
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サルデスの時代は十六世紀のプロテスタントの宗教改革に代表されます。
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それからフィラデルフィアの教会、戸が開かれて宣教する教会に入り、
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十九世紀、二十世紀の偉大な宣教時代になります。
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そして今、私たちは教会史のラオデキアの教会の時代に生きていて、
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全ての教会が生ぬるくなっている、と言います。
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これがその理論です。このような説教を聞いたことがある人は手を挙げてみてください。
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これは皆さんの中で良く知られています。しかし私はこれを信じません。
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とても簡単な理由です。今日の教会は全てがラオデキアの様ではありません。
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ある教会は、特に西洋では、ラオデキアの様です。
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しかし、もし私が皆さんをボルネオに連れて行ったと
すると、そのような教会を見ないでしょう。
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むしろその反対です。第三世界のいくつかの教会には、生ぬるさのかけらもありません。
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言葉を変えて言うと、これは七通の手紙が時間軸で異なった
時期を示していると仮定する不自然な適用です。
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いくつかの驚くような類似点がありますが、非常に大きな違いもあります。
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また、教会の中にも、一つの都市の中でさえ、違いがあることを無視しています。
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私はおそらくこのカンサス市の中でも皆さんを六つの教会の内の一つのような教会、
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または、その六つのすべてのような教会にお連れすることができると思います。
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また、二つの教会が入り混じったような、いくつかの教会に
お連れすることができるでしょう。
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しかし、私たちのすべての教会がラオデキアの教会の様であるというのは、極めて
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間違った告発です。
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特に第三世界の教会については。
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私が話している一分間の間に世界で四十五人の新しいクリスチャンが誕生しています。
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一時間、一日、一週間に、何人の新しいクリスチャンが
誕生しているか計算してみてください。
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毎週、二つの教会ができています。今ほど教会が早く成長したことはありません。
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今まで生きて来たクリスチャンの半数は今日生きています。
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驚くべき成長です。現在、人口の三分の二が自分はクリスチャンであると公言しています。
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たとえ聖霊を実際に持っていなくてもですが。
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ですから、世界の多くの地域で教会はラオデキアの様ではありません。
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これは当てはまりません。
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この見解の一つの大きな問題は、今日の教会にとって、残りの六つの教会は時代遅れです。
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もし今の私達全員がラオデキアの様であるならば、
他の六つの教会について学ぶことは無駄になります。
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私はこれで十分話したと思います。
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各々の教会が預言的に、教会史の後の時代のある一時期を表しているというのは
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聖書の不自然な適用であることを示すことができたと思います。
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これらの七つの教会は全て今日の異なった場所にある教会に当てはまると私は信じます。
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教会史の異なった時期にではなく、これらのすべての手紙は、今日の教会に関連しています。
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ある教会はまったくこれらの教会の内のひとつの様です。
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スミルナの教会(現在の)はイエスが書き送った教会の
殆どアイデンティキット・コピーです。
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しかし私は皆さんを他の教会にもお連れすることが
できるでしょう。あるものはサルデスの様であり。
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他のはフィラデルフィアの様です。
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また既に述べたように、あるものは二つ、あるいは三つを合わせたようです。
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私たちに必要なのは、あたかも鏡を見ているように、これらの手紙を読むことです。
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確かに、ヤコブはみ言葉を読むのは、鏡を見ているようだと言います。
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しかし危ないのは、鏡から離れた時に、自分が見たものを忘れてしまうことです。
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これらの手紙は、教会に対して鏡をもって、
「あなたはどの種類の教会ですか?」 と語っています。
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憶えていてください。イエスがこの手紙を書いた動機は、
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彼らの上に訪れようとしている大きな困難に対して準備をさせるためでした。
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それ故に、私は機会が与えられれば、どこでも黙示録を教えます。
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世界中の教会に大きな圧力がかかる時が来ていると私は信じます。
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「私たちは全ての国々から嫌われるでしょう」とイエスは言います。
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私には、それがとても早くやって来るのが見えます。
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私は急いで教会に迫害に対する準備をさせようとしています。
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西洋にいる私たちはそれに慣れていません。準備もできていません。
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これらの手紙を読むことによって、教会がどのように準備ができるかがわかります。
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特に、信仰や行動で教会が妥協しないようにすることです。
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そして、どんなことがあっても、外部の者達が教会を
弱体化させるようなことを許してはなりません。
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困難が本当にやって来る時、聖く、言行一致した、
よく訓練された教会だけが生き残るでしょう。
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これで、私のこの午後のセッションの主なトピックを紹介しました。
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彼らは解釈の学派と呼ばれています。
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聖書の教師達、学者達が黙示録に対するそれぞれ特別な
アプローチをする学派の周りに集まります。
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それはなぜかと言うと主に、黙示録にはとても多くの未来に対する予測があるからです。
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昨晩、私は皆さんに語りましたが、この書物には五十六の未来の予測があります。
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三分の二の節に予測が入っています。
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大きな疑問が出てきます。これらの予測はいつ成就するのでしょう?
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これらの事柄はいつ起こるのでしょうか?
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この質問は単純ですが、その答えはとても複雑になりました。
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この質問には四つの違う答えが与えられています。
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私たちが今夜学ぶこの章の中の出来事はいつなのか、この大きな困難はいつ起こるのか?
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ある人たちは、それは既に起こった、それらは過去です、と言います。
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ある人達は、それは現在のことであり、私たちはその中にいる、と言います。
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ある人達は、それは未来のことであり、これから起こることですと言います。
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ある人達は、それは特別な時に当てはまるのではなく、
いつの時にも、全ての状況に当てはまると言います。
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私は皆さんに、これらの違う解釈をしている学派の名前を差し上げます。
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なぜなら、皆さんはそれらに出会うからです。
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ある方々はご自分が購入した黙示録の本を私に見せてくれました。
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そして、それが問題ない本で、そこから学んでいいものかと考えています。
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あなたはその著者、説教者がどの学派に属するのかを尋ねなければなりません。
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そうすれば、その人がどのように黙示録を扱っているかを知ることができます。
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黙示録に関するかぎり、これらが四つの解釈学派です。
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それらにはテクニカルな名前が付けられています。
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どうかその名前に、うんざりしないでください。
ラベルは便利です。
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過去主義学派、歴史学派、未来学派、理想主義学派と呼ばれています。
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とても簡単に言うと、彼らは異なった答えを与えています。
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黙示録の予測が過去、現在、または、未来の何時、どこで成就するのかという問いに対して。
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過去主義学派はとても単純なアプローチです。
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これらの予測は一世紀のクリスチャンに対して与えられたものである。
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彼らは、これらのことはすぐに起こります、と言われました。
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従って、この書物が書かれたすぐ後に起こったに違いない。
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従って、それらはローマ帝国の時代に成就しました。
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従って、黙示録の中ほどに書いてあることもすでに起こったことであり歴史である。
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それらはローマ帝国の時代の迫害であり、私たちは
既に起こった出来事を読んでいるのである。
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もしそれが真実であれば、それはとても慰めになります。
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これが過去主義の捉え方で、これらの予測を今日の社会に
当てはめて読もうとしないでください、と言います。
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私たちは過去の危機、過去の出来事からインスピレーションを得ることはできるが、
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しかしそれらを経験しなければならないとは考えないでください。
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これが過去主義のアプローチです。
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それらは全て一世紀、あるいはその直後に起こった事です。
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言葉を変えて言うと、全てが過去に起こった事です。
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これらすべてがどういうものかを最初に述べておきたいと思います。
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それから、各々の見解を評価していきます。
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各々にどのくらいの真実があるか、あるいは無いかを見て行きましょう。
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第二の学派、歴史学派は、黙示録の中央の部分、
四章から十九章までは、キリスト教会の全歴史であって、
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象徴や絵という外観の下に、一世紀から最後までの
教会の全歴史を与えていると信じています。
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従って、私たちは今その間にいます。
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十五章、十六章、十七章のどこにいるのかという小さな論争があります。
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この見解を取る人たちは、私たちが今どこにいるのか、少し不確かです。
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彼らは、私たちはその間にいると言います。
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あることは成就し、あることはこれから起こります。なぜなら、教会史全体だからです。
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これが十分複雑でなければ、もう一つのバーションがあります。
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リニア(直線)バーションと呼ばれているものを既に話しましたが、
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それは、十四章から十九章まで、教会史は一回だけ通過するというものです。
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しかし牧師たちの間に今日拡がっている一番ポピュラーな新しい考え方は、
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その歴史学派の見解が繰り返すというものです。
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実際、黙示録の中央部は教会史全体の中で七回以上繰り返しているというもので、
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反復の理論と呼ばれています。
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私はこの本の主な著者の名前を挙げておきます。
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というのは、どの牧師もこの本を持っているからです。
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ウィリアム・ヘンドリックソンという人が、黙示録の
注解書、「圧倒的な勝利者」という本を著しました。
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彼は言います。それは一回の教会史ではなく、七回です。
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教会の最初に戻り、そして終わりに来て、また最初に戻り、
終わりに行き、それをくり返す。七回以上。
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そのように彼は論じます。
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残念ですが、私はそう確信していません。
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これらが私たちに与えられている各種のアプローチです。
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多くの混乱を招きます。
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未来派の見方は、黙示録の四章から十九章を深刻にそして文字通り読みます。
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それらのうちほとんどが既に起こったとは考えません。
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その中央の部分は私たちの未来であると信じます。
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未だ起こっていないが、イエスが戻る前に起こる、と。
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それが未来学派の意見です。私はこれらすべてを皆さんに
わかりやすく説明していることを望みます。
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皆さんにとって、とても多くのアプローチがあることを知っていることはとても重要です。
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私たちは黙示録を学ばなければなりません、
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それを用いて、これから起こることに対して、準備しなければなりません。
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しかし、私たちが混乱していては、そのようなことはできません。
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これが未来学派の意見です。
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一世紀、またはその直後に、予測は既に過去であり、
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紀元後の全ての世紀は、最初のキリスト降臨から最後まで、現在、未来、最後の世紀、
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その時まで私たちが生きているかどうかわかりませんが、
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それは私たちにとって未来であり、最後、最後最後の時です。
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それから理想主義の意見があります。
「あなた方は皆間違っている」と彼らは言います。
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これらは特に、過去の世代、現在、未来に適用されない。
これらは誰にも、どの時にも適用される。
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このアプローチは全てを象徴的に、寓話的に捉えます。
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バンヤンの天路歴程のように。
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もちろんそれは寓話であり実際に起こった事ではありません。それは真理を含んだ物語です。
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彼らは黙示録をそのように捉えます。永遠に続く善と悪、神とサタンの間の闘争の絵です。
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しかし語り口全体は、最後に神がサタンに勝利するという
真理を含んでいます。
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従ってそれはどの時代にも、どこにでも、どの時にでも適用できます。
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理想主義(アイデアリスト)という言葉はもちろんギリシャ語です。
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それは旧いプラトン的なアイデアからきています。理想的な世界があって、
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その世界の方がこの世界よりももっとリアルであり、
その理想的な世界で善と悪とが常に戦っています。
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ですからそれは特別なある期間につながっているのではありません。
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これらは皆さんが出会う四つの主要な学派です。
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黙示録から一つの絵を取って、その一つの絵を四つの学派が
どのように解釈するか見てみましょう。
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皆さん誰もが、緋色の女のことを聞いたことがあるでしょう。
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その小さな部分の終わり近くに、ひどい女、実際、売春婦の幻があります。
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彼女は血の色の衣を着ているので、緋色の女と呼ばれています。
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彼女は竜に乗っています。私たちは竜がヘビであることを知っています。
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この四つの学派は、この緋色の女が何を意味すると言っているのでしょうか。
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その女は誰ですか? 過去主義の学派は、緋色の女はローマだったと言います。
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ローマのパワーです。確かに、緋色の女について語っている章には、
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彼女は七つの丘の上に座っているとあります。
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もちろん、あなたがローマを知っているなら、ローマに行ったことがあるならば、
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ローマは七つの丘の上に作られたことをご存知です。
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人々は言います。これは明らかにローマに関係している。
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この書物全体が昔のクリスチャンの迫害に関するものです。
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緋色の女はローマです。ローマ帝国、皇帝がクリスチャンの教会を迫害しました。
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歴史主義者達は言います。「いいえ、いいえ。緋色の女はローマ教皇です。」
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ここでは性の混乱がありますが。緋色の女は教皇です。
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これがプロテスタント改革派の教えです。マルティン・ルター。
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中央の部分を教会史と見なして、彼女が現れた時は、
教皇がプロテスタントの真理と戦った時だと言います。
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マルティン・ルターは教皇を緋色の女と呼ぶことを殆ど躊躇しません。
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それはローマ帝国からカトリックのローマに移る単純なステップだと言います。
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それが事の起こりです。
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マルティン・ルターの時代に教皇はそう言われるのに応答
して、マルティン・ルターが緋色の女であると言いました。
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相互に非難することは今日まで続いています。
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悲劇的なことに、その非難は私たちの国の北アイルランドの問題の背後に控えています。
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緋色の女の間違った認識は、いまだに問題を起こしています。
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爆弾、怒り、暴力、私たちの国で。未だにそこにあります。
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北アイルランドには、カトリック、特に教皇は緋色の女
であると公けに言うプロテスタントがいます。
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実際、緋色の女について読むと、彼女は全然宗教的なキャラクターではありません。
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未来学派は、緋色の女を都市、バビロンを表していると考えます。
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それは最終的な世界の貿易の中心となります。
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パワーとお金、快楽の中心です。
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お金と快楽が一緒になる時、売春は明らかにそのシンボル、
絵となります。お金を快楽のために交換します。
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その仕組みでは、一方はお金を欲しがり、もう一方は快楽を欲しがります。
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それが、バビロンが緋色の女、売春婦として代表されている理由です。
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9月11日に世界貿易センタービルが崩壊した時、
その五日後に私はそれについて話しましたが、
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驚いたことに、一万人の人達がそのテープのコピーを求めました。
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私たちはそれらを送るのに忙しくしていました。
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皆さんそのテープを聞いたことがありますか?
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そのテープの最も注目に値する効果は、非常に沢山の回心があったことです。
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オーストラリアの七十五歳の男性は、
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六人の成人になっていた子供たちのために、
そのテープを六本注文してきました。
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彼はテープを子供たちに送りました。全員が回心して主に来ました。
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二か月後に彼は亡くなりました。幸福な男性です。
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彼はハーバート・アームストロングのワールドワイド・チャーチ・オブ・ゴッド
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「明白な真理」(雑誌)のディレクター、理事でした。
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そのムーブメントがどうなったかご存知でしょうか。
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彼らは福音に戻りました。たった二、三年の間に聖書に戻りました。
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彼らは、アームストロングの偽りの教えから全く離れました。
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教会史ではこのようなことは起こったことがありません。
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彼はオーストラリアのワールドワイド・チャーチ・オブ・ゴッドの代表でした。
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彼に祝福を。彼は六人の子供たち全員が主のものであることを知って亡くなりました。
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それは結果の内のひとつです。人々が涙を流しながら
電話してきて、自分の罪を悔い改めました。
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私が語った他の事にもまして、「タワーで死んだ人たちは
全員、死に値する」と言ったことが、
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衝撃波をあらゆるところに送りました。
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しかし私は言いました。「それはイエスが言ったことです」と。
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イエスの時代に、シロアムの塔が崩れた時、多数の人達が死にました。
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人々は言いました。「彼らは他の人達よりももっと悪い罪人だったのでしょうか?」
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彼は言いました。「全くそうではありません。もし
あなた方が悔い改めないなら、あなた方も同様に滅びます」
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私はワールドトレードセンターで死に値したのです。
ただ、その時に私はたまたまそこにいなかったのです。
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私は生きるに値しません。
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もし神が私を厳しい義をもって取扱っていたならば、
今日の午後、皆さんには説教者がいなかったでしょう。
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皆さんにニュースがあります。誰もこの部屋にはいないでしょう。
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私たちが滅びていないのは、彼の憐れみに依るのです。
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私たちは、災難が起こった時に、「私はあの災難の中で死に値する」と言う必要があります。
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神に感謝します。私は死にませんでした。
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彼の憐れみがその理由です。私はこれ以上テープの話に入ってはいけません。
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どうしてこの話になってしまったのでしょう?
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沢山の人達が私に電話してきました。9月11日の後、私の
電話は鳴り止むことがありませんでした。
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人々は言いました。これは黙示録十九章が成就したのでしょうか?
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十八章、十九章では、バビロンが陥落し、その都の火の煙は海上の船々から見えました。
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今晩、または明日、9月11日の写真をお見せします。
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私はそれを見てすぐにバビロンの崩壊を思い出しました。
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それは殆どバビロンの描写の様です。
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実際、私に電話してきた人たちに対しての私の答えは、それは、成就ではなく、前兆です。
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従って私たちはそれを深刻に捉えなければなりません。
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私たちは、成就と前兆を混乱してはいけません。
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将来酷いこと(複数)がありますが、聖書は言います。これら全ては前兆です。
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多くの人が成就と前兆を取り違えます。
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私が黙示録について語ると、人々は新聞や雑誌の切り抜きを私のところに持ってきます。
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「これがそうですか?」
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いいえ、これらすべてはそれらの前の前兆です。
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ヨハネ自身が、彼の手紙の一つの中で言いました。
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「私たちはその反キリストが来ることを知っています。
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しかし、既に多くの反キリストがこの世に出ています。」
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人々は私に訊きます。「ガダフィはその反キリストですか?」
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彼らはかつてそう訊いてきました。
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そして今は、「サダム・フセインはその反キリストですか?」と訊いてきます。
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聞いてください。沢山の反キリストがいます。しかし彼らは大きなものの前兆です。
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そして彼は未だここに来ていません。
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最後には一人の大きな偽預言者が出ます。すでに多くの偽預言者達が世界にいます。
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彼らは前兆です。しかし大きなことはその成就になります。。
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私は、9月11日は最終的な世界貿易の中心であるバビロンの崩壊の前兆だと信じます。
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しかし成就ではありません。
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ただ、私は説教者がこれが成就であるというのを聞いたことがあります。
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従って私たちは世の終わりの時であると。
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ではこれを評価していきましょう。過去主義は全てが過去のことであると言います。
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しかし予測を見て行くと、殆どそのどれもローマ帝国の時代には成就していません。
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それは起こりませんでした。
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従って、予測を曲げて当てはまるようにしなければなりません。
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私は皆さんに祈って欲しいのです。聖霊があなたに見分ける力を与えてくれるように。
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説教者が聖書を曲げて自分の言いたいことにあてはめているかどうかを知るために。
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それはとても一般化しています。
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何年も前に私は主に厳かに言いました。私はポピュラーな説教者になりたくありません。
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私は名声を欲しません。私はあなたのみ言葉から真理を話したいのです。
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その結果のコストがどんなものであっても。
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たとえそれが意見や伝統に反していて、反対があるとしても、
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私はあなたの真理を教える者だとあなたが信頼できるようになりたいのです。
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それは私が間違わない者になるということではありません。私はそうではありません。
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聖書を教える者で間違わない者はいません。
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今私は皆さんにお願いします。前にも言っておくべきでしたが、今言います。
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私が言うことすべてをあなたの聖書で確かめてください。
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もし私が教えていることを聖書の中に見つけることができなければ、それを忘れてください。
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神のために、それを忘れてください。
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私は皆さんを聖書にお連れしたいのです。
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このセミナーが終わって、誰にも、「デイビッド・ポーソンがこう教えていた、
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知っていましたか?」と言って欲しくありません。
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あなたがそう言う前に私の言ったことを
聖書で確認してください。
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あなたがそこに見つけるならば、あなたは、私がそう言った、という必要はありません。
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あなたは、聖書がそう言っている、と言えます。
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そうすれば、あなたの言うことの背後に神の権威があります。
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私はローマンカトリックの人に言ったことがあります。
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私があなたの教会で素晴らしいと思うのは、
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あなたの教会では一時に無謬の教師がただ一人しかいないということです。
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私は言いました。私達のプロテスタントでは、数百人います。
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私たちはこれがあたかも最後の言葉のように、教え歩き回ります。
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もし皆さんが、ここで私がそうしていると思うならば、それはまったくの誤解です。
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私は皆さんを聖書に連れて行きたいのです。自分で確認してください。
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自分の確信にたどり着いてください、自分で考えてください。
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さて、ここを学んでいますが、過去主義者は正しい、これは一世紀のために、
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一世紀の教会のために書かれたものです。
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従って私たちはその背景に合わせて解釈しなければなりません。
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これは全て良いのですが、しかし、これらの手紙を歴史に限定してしまいます。
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なぜ神はこのことを、全ての時のためにここにいれたのでしょうか?
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もしそれが私たちの必要に直接関連しないのであれば。
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聖書のすべては霊感によって、私たちを指導するために書かれたものです。
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既に言ったように、多くの未来に関する予測はローマ帝国の時代に成就してはいません。
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過去主義のアプローチは書物全体に当てはまりません。
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歴史主義者は、とても率直に言って、私を全く混乱させます。
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私は直線的な歴史主義の本を読みました。
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家にある書物の一つは、十二巻のケンブリッジの世界の歴史です。
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一方の側のページに史実、もう一方には黙示録が印刷されていて、
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世紀にわたって史実が黙示録に合わせてあります。
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私はそれを読んだ時に、悲しく頭を振りました。
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比較には無理がありました。何度も何度も。
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聖書をあなたの理論に合わせて簡単に曲解することができます。
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しかしそれは聖書を扱うべき方法ではありません。
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それは聖書から読み取るのではなく、聖書の中に読み込ませることです。
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私はそのアプローチはとても説得力に欠けていると思います。
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反復主義、循環の見解によると、歴史は七回以上繰り返すというのですが、
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その理論を動機づけるものは、ミレニアムをなくすことだと思います。
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ミレニアムの話をする時にもっと話しましょう。
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未来派のアプローチは、私は彼らにとても共感します。
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黙示録の中央の部分に関しては、私は彼らのアプローチをとります。
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なぜなら、その多くが、予測されたスケール、
世界的な規模で、未だ起こっていないからです。
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その予兆はありましたが、まだ成就はしていません。
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それが私のアプローチです。
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多くのことが今日起こっていますが、それらは、最後の危機の予兆です。
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しかし大きな困難ではありません。
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神に感謝します。まだ私たちはそこに至っていません。
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未来派、ええ、私は彼らの見解を採ります。
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しかし未来派の見解を取る人たちは、注意しないと、
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全てが未来のことであるとして、現在には関係がなくなってしまいます。
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従って未来に何が起こるかという単純に知的な趣味になってしまいます。
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しかし予兆であるということは、これら全ての予測が
今日にとても重要であるということです。
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というのは、私たちが予兆に対して反応するように、
私たちはそれらが成就した時に反応するからです。
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あなたが偽預言者に今、反応するしかたによって、
(黙示録の)偽預言者に反応する仕方がわかります。
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偽キリストについての今のあなたの考え方が、(黙示録の)
偽キリストが来る時のあなたの考え方を決定するでしょう。
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ですから、これらの章は今日に深く関係しています。
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たとえ成就していなくても。
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私たちは予兆に反応しなければなりません。
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理想主義はこのメッセージを全ての世紀に関連させます。
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しかし率直に言って、それは文字通り受け取ってはならず、象徴として捉えて
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善と悪との戦いに終わりがあるという希望を破壊してしまいがちです。
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その戦いがずっと続くというように語る傾向があります。
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本質的には、それはギリシャ的な方法です。
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私が教会からギリシャの影響を拭き取るという話をしたのを憶えていますか?
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それについては今日の午後少し話したいと思います。
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私は皆さんに私の意味することを知って欲しいからです。
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ギリシャの考え方には、霊的な物と肉的な物、聖いものと
世俗のものを分けるというひどい方法があります。
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時間と永遠を分けます。聖書はこれらを分けていません。
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とても実践的な領域で、命が分けられることを意味します。
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それらの一つ、二つを話させてください。
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ユダヤの祈りの本には、トイレに行く時祈る素晴らしい祈りがあります。
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皆さんはトイレをレストルームと呼んでいますね。私たちは、ルーと呼んでいます。
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ユダヤの家族の祈りの本に、トイレに行く時に祈る祈りがあります。
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平均的な西洋のクリスチャンはとてもギリシャ的に考えているので、
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これは、冒涜ではないとしても、馬鹿げています。
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でも聞いてください。
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イスラエルの神はあなたが教会で何をしているかと同じように、
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あなたがトイレでしていることに興味があります。
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そうでなければ、あなたは彼を理解していなかったのです。
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なぜなら、彼はあなたの身体を造りました。あなたの肉体を
造りました。あなたの身体を心配してくれます。
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あなたの霊と魂と同様にあなたの身体を愛しています。
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それはとても重要です。私は世界中を旅行して、
多くのクリスチャンの家に泊まります。
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従って私はクリスチャンのトイレを使用します。それがどんなものか言いましょうか?
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デボーションの本が玉座の脇に積まれています。
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壁には花と一緒に聖句の額がかけてあります。
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壁には聖句、私の側には本があり、私がそこにいる理由に何の関係があるのでしょうか?
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それらは全て、私を霊的に高い状態に保つためのものです。
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皆さんは笑いますが、私は真剣です。
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ユダヤ人が使う祈りは、「主よ、私の身体がちゃんと動いていて感謝します。
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感謝します。私は気分が良くなりました。
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ほっとしました。」 そして主をほめたたえて出てきます。
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素敵なことではないですか?
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私がユダヤ人の会衆にその話をすると、彼らは微笑みさえしません。
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彼らの反応は、「もちろん、もちろん」
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私は日曜のランチのため、ある家にいました。
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父親はこちらに座り、母親はあちらに座りました。
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二人の子供たちが反対側に座りました。
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ラムとミントソースの素晴らしいランチでした。
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私はそのにおいをかぐと、私はパブロフ犬、よだれをたらしました。
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私は席に着きました。父親が、「私たちのために
食前の祈りをしていただけますか?」 というので、
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私は頭を垂れて、こう言いました。
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「主よ、私はこの食事をとる準備ができています、これが
私のために準備されているので、あなたに感謝します」
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そして私は目を開けました。両親はショックを受けたように見えました。
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「私たちは神の人がランチに来ると思っていました。」
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子供たちは私を気に入ってくれました。
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でも私にとっては、温かい食事が用意されているのに、長い祈りをするのは不敬虔です。
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神は私たちにすべてを自由に楽しむために与えました。
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皆さんはこの本質を味わい始めているでしょうか?
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私たちの日常の生活に対する態度はギリシャの考え方に深く影響されています。
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それは、労働は必要悪であり、より少なく働く方が、より良い、というものです。
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よりレジャーを持つ方が、より良い。
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彼らは奴隷を買いました。奴隷に仕事をさせて、自分達はレジャーを楽しみました
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仕事に対するギリシャ人の態度は、皆さんの聖書のそれとはまったくかけ離れています。
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皆さんの聖書にはレジャーに関する教えはありません。
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来ること、別れること、しばらく休息することについての教えははありますが、
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今日の巨大なレジャー産業については何の教えもありません。
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労働は神によって意図されたものです。
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どんな仕事をするかは、それが不道徳的なもの、
違法なものでない限り、神には関係がありません。
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それはあなたの神聖な召しです。それはあなたの聖なる天職です。
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神は悪い宣教師よりも、善いタクシードライバーを欲しています。
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私たちはマルティン・ルターがかつて言ったことに戻る必要があります。
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「すべての仕事は神にとって同じ位置付けです」
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肉的と霊的に分けたことが、クリスチャンのセックスに対する姿勢に深い影響を与えました。
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セックスは、罪が世に入るよりずっと以前に神が造ったものです。
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私はカナダのある野外集会で話をするように頼まれました。
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そこはそれまでクリスチャンの集会が許可されなかった
ところでした。ナイアガラの滝の前です。
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何という背景でしょう。そのような所で話をするとは。
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それはカナダ全域とアメリカの地域に放映されました。
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私達三人が話をしました。私が最初のスピーカーでした。
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私は立ち上がって言いました。「私は皆さんに
ナイアガラの滝を造った人の話をしましょう、というのは、
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私は十七歳の時に彼に会ったからです」 彼らは私を横目で見ました。
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私は言いました。「彼の名前はイエスです。
造られたもので彼無しに造られたものはありません」
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「ですから、彼が私の後ろのものを造りました」
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しかし私は言いました。「私は滝について
語りたいのではなく、ハネムーンについて語りたいのです」
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私は言いました。「神はセックスを楽しみます。」
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「ワオ」数百人の教会の人達がいましたが、
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彼らは、自分達がどのようにしてこの世界に入ったかを忘れてしまったように見えました。
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しかし彼らはそこにいました。
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私は言いました。「私は神が身体を持っていて、
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肉体のセックスをすると言っているのではありません。彼がそれを考え出したのです。
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カップルが残りの生涯をお互いに忠実であることを約束して、
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ハネムーンに行き、神が彼らのために意図した絶妙な喜びをもって、
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お互いへの献身を堅固なものとします。
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神は言います。「私がそれを造った、私の手の業です」
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さて、二番目のスピーカーはカトリックの司祭でした。
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彼は立ち上がって、言いました。
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「私はたまたま結婚していませんし、また今後結婚することもないでしょう。」
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しかし、私はハネムーンの話をします。
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三番目は良く知られたペンテコステ派の牧師でした。
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ハントリーストリート100というトロントのクリスチャンテレビセンターの代表でした。
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彼は立ち上がって言いました。「私は今朝、主に何を話しましょうか、と訊いたら、
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彼らにあなたのハネムーンの話をしなさい、と言われました」
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私達三人全員がハネムーンのメッセージをするように導かれました。
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私は後で、ナイアガラの滝はカナダのハネムーンの殆ど首都であることを知りました。
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全てのホテルがハネムーンのカップルのためにブライダル・スイートルームを持っています。
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数百のハネムーンのカップルがその日、私たちの話を聞いていたに違いありません。
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千人かもしれません。とても大きな人だかりでした。
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私は、私達全員がそれについて語ったことを喜んでいます。
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セックスは、S,I,N (罪)と綴られていません。
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それが腐れたのは、人が神に背いたからです。
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しかしギリシャ人はそのように考えられませんでした。
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セックスは肉的なものです、霊的ではありえない。
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何とクレージーでしょう。
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これが理想主義のアプローチの背後にあるものであり、
また聖書を霊的にするその背後にあります。
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私たちはとても頻繁に聖書を霊的に、また寓話的に取り扱います。
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例を上げましょう。このことについて私はホットになってきます。
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しかし、私はすぐにこれを止めて、黙示録に戻らなければなりません。
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ソロモンの雅歌について、私は何年も説教をしたことがありません。
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あえてできなかったのです。
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私が読んだいくつかの注釈書では、全てが秘密の暗号とされていました。
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それが語っていることを額面通りに取りませんでした。
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全ての注釈書を読むと、その詳細について、暗号の解釈が全て異なっていました。
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一つの注釈書によって、強い罪意識が私に残りました。
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一章の節で、乙女が言います。
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「私の愛する人が私の乳房の間に心地よく休む時」
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注釈者は言います。「二つの乳房とは旧約聖書と新約聖書です」
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私は言いました。「主よ、助けてください。助けてください。私は肉の人です。
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この節を読んでも、私は新約聖書と旧約聖書だと思いません」
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それから、神が言っている意味を理解した時に、私は自由になりました。
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乳房は乳房を意味し、ざくろはざくろを意味します。
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私はその書物を額面通りに受け取りました。
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それは人間の愛の素晴らしい話です。私に対する神聖な愛の
アナロジー(類比)を示すものです。
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寓話ではなく、アナロジーです。
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私は私の主に向かって、「私の愛する方、私は彼のもの」ということができました。
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「わかりますか?」
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聖書をこのように寓話化して、違う意味に読み取り、霊的な問題に適用することは、
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ギリシャの大学の都市、アレキサンドリアで始まりました。
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それを始めた教父達の名前を挙げませんが、
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彼らはあらゆる種類の深い霊的な意味を見つけたようで、
聖書を文字通り取ることに困難を覚えました。
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私の聖書に対するアプローチの原則は、一番単純に、シンプルな感覚でとらえることです。
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そうではないと明らかに示されていない限りは。
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そのまま受け取ってください。
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神に語ってもらってください、簡単な言語で。
あなたのコモンセンスを使ってください。
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霊的に非常に深遠な意味を見つけようとしないでください。
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理想主義者はそうしていると、私は感じます。
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この評価から私たちは何を学ぶのでしょうか?
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まず一番目に、これらの四つの学派の誰も全体を解き明かすカギを持ち合わせていません。
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書物全体をストレートジャケット(拘束衣)に無理やり
押し込もうとしています。
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一つのカギが書物全体を解き明かすと言います。
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二番目に、解釈のために一つ以上のアプローチを何故使うことができないのか?
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その聖句には異なった意味があり異なった応用があります。
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そのためにはさらに大きな柔軟性が必要です。
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三番目に、書物を読んでいくと、強調点は一つの解釈から他の解釈に切り変わります。
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従って、最後(四番目)に、全ての解釈が部分的に役に立ちます。
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私が言わんとしていることを、スクリーンで説明しましょう。
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なぜもっと柔軟性をもって、これら四つのアプローチを
適切な個所で適切に用いないのでしょうか?
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これが四つの学派です。
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これは、黙示録の異なる部分です。三つの主要な部分です。
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一章から三章、四章から十九章、二十章から二十二章。
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これらは明らかに黙示録の中で、私たちにとって、
異なるセクションであり、異なる段階です。
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過去主義を取ってみましょう。すでに全てが遠い過去に成就していると、彼らは言います。
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ローマ帝国の一世紀の教会に書かれたものであり、その時に既に全てが起こったのだと。
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一章から三章に関しては、それは良いアプローチです。
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なぜなら、その時にこの手紙が書かれ、それらの教会が存在していました。
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しかし四章から十九章までを無理やりこれにあてはめることは、
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彼らは、それらは全て過去に起こった事だと言いますが、それはうまく当てはまりません。
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二十章から二十二章には、誰もそのアプローチを適用しようとしません、
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なぜなら明らかに、新しい天と地は未来だからです。
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ですからこれは最初は助けになりますが、二番目、三番目にはそうではありません。
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歴史主義に関しては、私は言わなければなりません、その理由がお分かりだと思いますが、
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ここと、ここと、間違いなくここでは私は役に立つと思いません。
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それは適用されません、歴史が終わった後の事だからです。
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未来主義は、これらの教会が教会史の未来を表していると言いますが、
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そうは言えないので、そこでは未来主義を私は使いません。
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しかし中央のセクションには明らかに関連があります。
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この学びでそこに戻る時、描かれている事象については、私は未来主義の見解を取ります。
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解かれた封印から、吹き鳴らされるラッパ、
吐き出される鉢までは、その見解が明らかに適用されます。
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理想主義、これはいつにでも適用されうるという考えはある真理を含んでいます。
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私たちが七つの教会への手紙を読んだ時、私はそのアプローチを部分的に使いました。
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これらの手紙はその当時の教会にも当てはまるが、どの世紀
にも関連し、当てはまると私は言いました。
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四章から十九章までの事象の殆どが、その全てではないとしても、未来であり、
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これらの事象の予兆は、その予測が今日の私たちの生活と
過去の二千年間に関連していることを意味します。
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もちろん、新しい天と地には適用されません。それは
純粋に未来であって、未だここに来ていません。
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そこで私たちに語られている理由はただ一つ、私たちが
エキサイトして、それが起こるのを待ち望むためです。
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これが私が用いるアプローチです。私はこれら四つの全ての学派の注釈書を持っています。
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しかしその内、誰も全体の真理を持っていません。
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また誰も常識的なわかりやすい方法で、書物全体のカギを私のために開けてくれません。
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これはとてもテクニカルなアプローチです。
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皆さんを考えこませるようなものであったとすれば申し訳ありませんが、
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私のアドバイスは、それらを忘れてください です。
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ご自分で、黙示録に常識をもって、聖霊と一緒に
戻ってください。
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そして読み通してください。おそらくあたかも初めて読むように、
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悪いことも、それを超えて良いことも、私たちが楽しみに
していることの覆いを除く、黙示録的な啓示に、
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畏敬の念と驚きをもって、読み通してください。
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イエスは長期的な見解を取りました。だからこそ彼は十字架を耐え忍ぶことができました。
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彼の長期的見解はへブル書の十二章にまとめられています。
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彼の前に置かれている喜び、間近の喜びではなく、
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彼の前におかれてある喜びのゆえに、恥をもいとわず、十字架を忍びました。
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それは通過するにはひどい経験でした。彼は三時間、地獄を体験しました。
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昼から三時迄、彼は地獄を経験しました。
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それまで彼の関心はまったく他の人達に向けられていました。
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十字架上の最初の三時間は、彼を十字架に付けた人たちのために祈り、
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自分の母親のために手配をし、脇にいた死んでいく強盗を気にかけていました。
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三時間、苦しみが後ほどひどくなかった時、彼は他の人達の事を気にかけていました。
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しかし最後の三時間は、彼は自分自身の経験に集中していました。
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最初に言ったことは、「私は渇く」でした。地獄はとても
のどが渇く所です。
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二番目の関心は、「私は孤独だ。我が神、我が神、なぜあなたは私を見捨てたのですか?
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エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」
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神さえも彼を見捨てました。
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地獄では、神はあなたを見捨てるでしょう。
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彼が地獄に行ったことがわかります。地獄はとても暗いところです。
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自然の光はありません。神が光だからです。
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その三時間の間、彼は完全な暗闇の中で、神に泣き叫んでいました。
-
しかし彼はあなたの代わりに地獄に行きました。あなたが
それを決して経験することが無いように。
-
それ故に、神は最後に言いました。「もう十分だ」
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ご存知ですか、六時間の十字架刑では誰も死にませんでした。
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最短で二日、最長で約七日かかります。
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フィリピンでは、今日まで、教会の会員を十字架に付けてイースターを祝います。
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それから、その日の内に釘を抜いて、彼らは名誉ある教会員となります。
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十字架刑では、六時間で死ぬことはありません。
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いいえ、いいえ、イエスは言いました。
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「誰も私から命を取る者はいない。私は自分から命を差し出します。」
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六時間後、三時間の地獄のような経験の後、神は彼に言いました。「もう十分だ」
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彼は安心して、「完了した」と叫びました。終わりました。
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そして彼は祈りました。マリアの膝の上で子供の時に教えられた祈りを。
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それは、詩篇三十篇の六節、あたりだと思いますが、
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ユダヤ人の全ての男の子は、夜寝る前にこの祈りを祈るように教えられます。
-
「あなたのみ手に、私の霊を委ねます」
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彼が死ぬとき、母の膝の上で学んだ祈りが戻って来ました。
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彼は眠る時に、その祈りを祈りました。一つの言葉を追加して。
-
「父よ、あなたのみ手に、私の霊を委ねます」
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彼は、このすべてをどうやって通過することができたのでしょうか?
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彼は怖気づきました。彼は緊張とストレスの下にありました。
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血が額の汗腺から滴り落ちました。ストレスがあまりにひどい時にはそうなります。
-
彼はどうやってそこを通過したのでしょうか?
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彼はその全てを通過しました。自分の前に喜びが置かれていたからです。
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彼は現在の苦しみの先を見ることができました。
-
神が彼のために用意したものを見ることができました。
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それゆえに彼は全てを通過することができました。
-
大きな困難を後で学ぶ時に、
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大きな困難、それは恐ろしいリストです。悪い、悪いニュースです。
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クリスチャン達がそこを通過する唯一の方法は、イエスがそこを通過した方法と同じです。
-
先を見て、その全てが終わった時に、神が私たちのために用意しているものを見ることです。
-
そこにとどまってください。
-
私はここで止めておきます。とても頭を使うセッションでした。
-
次のセッションの前に休みを取りましょう。
-
私は十五分以上も取れるでしょう。それではいいですか。休みましょう。
-
何時に集まりますか? 三時半に戻ってきてください。そして続けます。グッド。