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このティーチングにようこそ。このレッスンにとても興奮しています。このレッスンでは、
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神の性格について、神が誰であるかを語ります。
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私たちは、神は愛である、という聖句を何度も聞いたことがあると思います。
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もちろん神は愛ですが、しかし、神は愛以上の存在です。
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神は聖であり、新約聖書の他の箇所では、神は燃えつくす火であるとあります。
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しかし私たちはそのことを頻繁に聞くことはありません。
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今日は、神が誰であるかをあなたが理解できるように私は
助けるつもりです。これはとても重要なティーチングです。
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神を知り、神を愛し、使徒行伝の中にある人生を生きることができるようにあなたを助けます。
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神の祝福を。
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最後の改革
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使徒行伝
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違いを生む20のレッスン
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新しい始まり
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あなたの人生に、
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パイオニアスクールにようこそ
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パイオニアスクールにようこそ。
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今日のこのメッセージは私がとてもシェアしたいと願っていたものです。
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多くの皆さんにとってパイオニアスクールの中でも一番重要なメッセージになると信じます。
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神がどんな方であるか、また神と共にどのように私たちは
生きるべきかを理解するための基礎を構築するつもりです。
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これはとても重要です。
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しばしば、私たちが実をつけることについて語る時、
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私たちは間違ったこと、いかにして実をつけるのかにフォーカスします。
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神に来て神を知る代わりに、しばしばその実にフォーカスします。
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それは全て神を知ることです。もしあなたが神を知っている
ならば、もしあなたが神と共に歩むならば、
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もしあなたが聖霊で満たされているならば、あなたは実を
つけます。実をつけずにはいられません。
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実をつけることはあなたの生活の一部になります。生活のすべてが神を知ることになります。
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ヨハネ17:3は言います。
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「これが永遠のいのちです。彼らが唯一の神であるあなた
と、あなたが送ったイエスキリストを知ることです。」
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永遠のいのちとは神を知ることです。
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唯一の神と神が送ったイエスキリストを知ること、そして
もちろん聖霊に導かれることです。
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そのような人生を歩むならば、私たちは実をつけます。
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私は神を知ること、神がどんな方であるか、神の義、
聖、愛、そのようなことについて語っています。
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これはとっても重要です。これが土台です。今日私たちはこれらのことを見て行きます。
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あるものはあなたをとても刺激するでしょう。
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私があなたを刺激したいのではなく、私たちの伝統の故に、あなたを刺激するでしょう。
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私がパイオニアスクールで話してきた、私たちの宗教眼鏡のせいです。
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私たちが癒しや水のバプテスマを見た時、断食や今まで見て来た全てを見た時、
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私たちが今日聞いてきたことに反対することがたくさんあることがわかります。
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それは私たちの伝統、私たちの宗教眼鏡のせいです。
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私たちの伝統、宗教眼鏡のゆえに、私がシェアしてきた多くのことは、
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今日の教会で普通に語られることではありません。
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このレッスンで私がシェアすることは、あなた方の多くが
今まで聞いたことのなかったことです。
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それ故に、あなたをとても刺激します。
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私はあなたにチャレンジしたいです。あなたが未だかつて
聞いたことがないことを何か聞いて、
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それがあなたの物の見方にチャレンジを与えて、あなたに刺激を与えると感じるならば、
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そこで立ち止まり、考えることがとても重要です。
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「なぜ私は、トーベンが言っていることによって、
チャレンジを受けるのだろうか?」
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彼が言ってることが聖書的ではないためだろうか?
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または、宗教眼鏡のせいだろうか?
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又は、それが私にとって新しいことだからだろうか?
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私たちが聞く全ての事を私たちは吟味して、
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これは聖書が言っていることかどうかを見る必要があると私は言いたい。
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私がティーチングをしていることでも、「これは聖書が
語っていることだろうか?」と確認する必要があります。
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このレッスンの中で今日あなたが見ることは、
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聖書が言っていることだということです。とても単純です。これは神の言葉です。
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あなたはチャレンジを受けます、それが聖書的ではないからではなく、
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あなたの伝統のため、またそれがとても新しいことだからです。
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私は本当に望みます。あなたが今日受け取る準備ができていることを望みます。
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私が今日シェアする言葉を聞いて、それを通して聖霊の働きを見ることができるように。
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多くの人にとって、これはとても重要なメッセージです。
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続ける前に、私はいくつかの証しをシェアしたいと思います。
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私たちが信じる者達として集まる時、証しをシェアするのはとても重要です。
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誰もが何かシェアすることを持っています。それは私たちの
信仰を掻き立てるのに役立ちます。
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あなたが証を聞く時、私たちは全てをキリストにあって
持っていることを理解して欲しいのです。
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証しは全てイエスに関するものです。単純な信仰です。
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誰かがアメイジングな証を語る時、
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彼らを羨ましいと思ってはなりません。彼らは特別な油注ぎがある、
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彼らは特別な召しがある、と言ってうらやましく思わないでください。
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かえって、彼らと共に喜んでください、彼らの代わりにハッピーになってください。
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神が彼らをそのように用いていることを。
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そしてハッピーになってください。神はあなたにとっても
同じことができるということを知ってください。
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神はあなたを同じように用いることができます。
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それは全てイエスに関することです。全て単純な信仰に関することです。
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私は新しいビデオをアップしました。どうかそのビデオを見てください。
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「病院の中の奇跡」というビデオです。病院の中のアメイジングな奇跡のビデオです。
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その内の一人は私の友人で、アメリカのドンです。彼と
奥さんのロザンナは病院に行きました。
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彼女はあるベッドに行き、脳梗塞で半身不随になったひとりのヒンズー教徒の女性について、
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イエスに話し始めました。彼女がイエスの名前を言った時、彼女の脚が宙に舞い上がり、
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この女性は癒されました。これはとてもアメイジングな証です。
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私はこれと全く同じような証を見たことがありませんでした。
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しかしそれは、私がこのように考えることを意味しません。
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「お~、あなたは誰? あなたはそれを経験し、私はしていない」
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私はただハッピーです。なぜなら、、
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彼女がそれを経験したのなら、私もそれを経験できます。
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私が何か経験したのなら、あなたもそれを経験できます。
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なぜなら私たちは全てをイエスキリストにあって持っているからです。
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あなたが自身で望んでいる何かについて聞く時、
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あなたはそれを経験してみたいでしょう。あなたの内に
そのような思いを起こさせるのは聖霊です。
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そうしてあなたはそれを求めます。すると、それを見始めます。
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どうか、「病院の中の奇跡」のビデオを見てください。
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そのビデオの中で、私は数日前のたくさんの証しをシェアしています。
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それを読みます、とても短く、このビデオの中で。
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それは信仰、単純な信仰についての本当に強い証しです。
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数日前にある女性が私に書いてきました。
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2007年、私は彼らの家にいました。私は彼らに会い、
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彼らと話しました。彼女はその時、腹部に痛みがあり、私は何が悪いのか知りませんでした。
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私はただ彼女の上に手を置き、彼女のために祈りました。
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すると神が彼女に、彼女の心の願いに与えたい一つの言葉が私に来ました。
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私はそれが何か特別なこととして記憶していませんでした。
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何年も前の事だからです。
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しかし神はアメイジングなことをしました。彼女は書いてきました。
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「あの時あなたは、私のどこが悪いのか知りませんでした。事実は、私たちは
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一年以上も、三人目の子供を持とうとしていました。
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最後に私は医者に行き、病院で検査を受けました。
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彼らは検査から、私の卵巣の右側に嚢胞があることを知りました。
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嚢胞はとても大きくなっていて、子宮が破裂しました。
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私の左の卵巣は捻じ曲げられていたので、何もすることがありませんでした。
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医者はもう私には子供が持てないと言いました。
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二日後にあなたが私たちを訪問して、あなたが祈った時、
私はそれほど期待していませんでした。
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もう子供を持つことをあきらめていたからです。
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しかし、5週間後、病院の定期健診で、
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5週間の小さい赤ちゃんがいることがわかりました。
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医者は理解できませんでした。さらにスキャンをしましたが同じでした。
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両方の卵巣は機能していませんでしたが、そこに健康な小さな胎児がいました。
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神はアメイジングなことをします。
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神は彼女の卵巣を癒すことができます、しかしそれだけではなく、神は子供を彼女に与えました。
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これは私たちには理解できないことです。
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医者たちは彼女の卵巣が機能していなかったのに、どうして
妊娠できたのかわかりませんでした。
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しかし、私たちは理解することによって生きません。見ることによって生きません。
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可能であることによって生きません。信仰によって生きます。信仰はとても強くなります。
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信仰によって生きることだけになります。彼女は続けます。
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彼らは、それが女の赤ちゃんであることがわかりました。
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しかし後で、その子が生後5ヶ月になった時、彼女はその
小さな少女を失うのではないかと恐れました。
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バイブルキャンプで、あるミーティングがありました。彼女は祈りを求めて来ました。
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祈りの直前に、彼らは、その少女を何と呼ぶべきか話しました。
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彼女の夫は頭の中に思いがありました。サラ、アブラハムの妻です。彼女をサラと呼ぼう。
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そしてその奥さんはミーティングに行きました。
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彼女のために祈る女性が来て、彼女に預言の言葉があり、言いました。
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「神があなたに与えたものを、あなたは失うことはありません。
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そして、アブラハムの妻、サラについて何かありました」
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何かそれがあなたに語ることがありますか?」彼女はとても驚きました。
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その女性はそれについて何も知らなかったからです。
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彼女は自分が妊娠したことを知りませんでした。自分が子供を失うことを恐れていたことを知りませんでした。
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自分達がアブラハムの妻、サラがこの少女には良い名前だと話していたのを彼女は知りませんでした。
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その女性は彼女のための言葉を与えました。
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神がこの小さな子供を、多くの人々のための祝福として用いると言いました。
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彼女は終わりにこう書きました。
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「小さなサラの様に幸せな子供を私は見たことがありません。
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彼女は一日に何度も祈り、神に向って歌い、他の人達に神について語っています。
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彼女は知りえないはずのことを知っています。
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私が話したことのないことを知っています。聖書の中に書かれたことをよく知っています。
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私はあなたにこれをシェアして、当時のあなたのとりなしに感謝したかったのです。
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わかりますか? 私にとって、これはとても強烈です。
というのは、アブラハムは誰でしょう?
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サラは誰でしょう。アブラハムは信仰の父です。彼は神を信じました。今日でも同じです。
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私たちは神を信じなければなりません。私たちは可能なことによって生きません。
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私は医者が何というか知りません。しかし神にはすべてが可能です。
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私は、銀行口座が何というか知りません。しかし神にとっては全てが可能です。
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もし私たちが神と共に歩むならば、もし私たちがすべては
可能であると信じるならば。 私はこの証が好きです。
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これをあなたにシェアしたく思います。どうか「病院の奇跡」というビデオを見てください。
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あなたの信仰を燃え立たせるためにそれを用いてください。
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私は神を知るということについて語ります。これは重要です、
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なぜなら信仰は、ランダムな信仰ではないからです。
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私は信じます、私が車に手を置くと、その車を得る、と信じます。
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いいえ。それは神に関することであり、神の意志を知ること、
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神が私たちのために持っているものを知ることです。
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もし私たちがそれを知るならば、もし私たちが神と共に
歩むならば、そして神の意志を知るならば、
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私たちはそれに対する信仰を持つことができます。
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私たちが入って神を知るようになることはとても重要です。
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このティーチングで私が話すことの多くは、40日の断食を
した時に神が与えてくれたものです。
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私は「健全な教義」という本を著しました。アマゾンで購入できます。
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その本を入手することをお勧めします。このティーチングではその本の中のいくつかを話します。
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多くのことはその本の中にはありませんが、あるものはその本にあります。
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次回もその本の中にあることを続けます。
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その本を入手できるなら、このティーチングの間に、その本を読み通すことをお勧めします。
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前回、断食について話しました。そこでは沢山の証しがあります。
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そのティーチングのために、人々が40日断食を始めています。
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又は、20日断食、数日の断食を始めています。
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断食が如何に強力かという証を私は受け取り始めています。
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ある女性が昨日書いてよこしました。彼女は先週の水曜日に断食を始めました。
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彼女はもっと神を知りたいと願って断食を始めました。
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彼女はたばこがやめられませんでした。何年間も彼女はたばこを吸っていました。
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しかし、たばこをやめることができませんでした。
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しかし彼女は水曜日、木曜日、金曜日、三日間断食しました。
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3日目に彼女は突然何かが自分から離れて行ったのを経験しました。
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彼女の身体から何か出て来て、そして彼女から出て行ったように感じました。
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彼女は熱が身体の中に来たように感じました。
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そして娘に大声で言いました。「今、私はたばこをやめた、
もうこれからはたばこを吸わない」
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その瞬間から、彼女はたばこから自由になり、それ以来吸っていません。
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彼女は今たばこを吸いたいと思いません。これはまだ一つの証しです。
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彼女は断食に入りました。それはそこに壁があったからです。
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その壁を突き破ることができませんでした。
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彼女はブレークスルーを求めました。断食している間、神を求めました。
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突然神が聖霊と共に来て、彼女を自由にしました。
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私はあなたに断食を勧めます。
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断食があなたの生活の一部になりますように。
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神にどのくらいすべきか尋ねて、それからやってください。
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この重要なティーチングを続ける前に、祈ります。
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神よ、あなたがなさっている全てに感謝します。
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神よ、病院のアメリカ人からの全ての証しのゆえにあなたに感謝します。
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神よ、あなたがこの女性のためになされたことのゆえにあなたに感謝します。
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あなたはこの女性を小さなサラを与えて祝福しました。
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神よ、私たちは彼女の上にあなたの祝福を祈ります。
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神よ、断食のティーチングを通してあなたがなさることのゆえにあなたに感謝します。
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神よ、今日、このメッセージのために祈ります。これはとても重要です。
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神よ、あなたが私の上にあなたの聖霊と共に来てください。
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そして私がこれを上手に、正しく伝えることができ、
人々が理解することができるように助けてください。
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あなたが聖霊と共に来て、
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人々の目を開けてください。人々の耳を開けてください。
神よ、人々の心を開いてください、
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そうして彼らが、このメッセージを通してあなたが彼らに
与えたい全ての事を受け取ることができますように。
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これがあなたの身体である世界中の教会に行き渡り、違いを生みますように。
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神よ、聖霊と共に来てください。イエスの名前によって。アーメン。
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これから神について、神がどんな方なのかを語っていきます。
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始める前に言っておきたい。私は断食をした時に聖い神である神の啓示を得ました。
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私の人生の中で神への恐れを持ちました。それは私の人生をラディカルに変えました。
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私は他の人々が啓示を多くの方法で受け取ったことを聞きました。
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しかし彼らが父としての神の啓示を受けた時、彼らの人生が
とてもラディカルに変化しました。
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両方とも真実です。
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私たちは両方の啓示が必要です。
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ある人々は父としての神の啓示を得て、
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そしてそれが彼らの人生を変えました。彼らの持つ背景の
ゆえに、それは彼らが必要としたものでした。
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私はそれに問題はありません。私は既にそれを持っていました。
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そのゆえに、聖い神である神の啓示を受けた時に、私の人生は変えられました。
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私の証しとは異なる証を、あなたは持っているかもしれません。
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このティーチングでは、全体、神がどんな方であるのかその全体像を網羅したく思います。
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これはあなたを助けます、あなたを自由にします。
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神の義 から始めましょう。
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神は義です。神の義。
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私はデンマークの者です。
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私はデンマーク語を話します。デンマーク語を話すので、
英語の単語を使うのに慣れていません。
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私は、み言葉をあなたとは違う理解をしているかもしれません。
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デンマークでは、ある教会では、あるみ言葉についてある理解をしていて、他の教会、
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他の教派、他の背景では、そのみ言葉の意味することの理解が違うことを知っています。
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ですから、私は、神の義とは何を意味するのか先ず説明したいのです。
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私は神は聖い神であると思います。
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神は聖い審判者です。神は世界を裁くでしょう。その中には神への大いなる恐れがあります。
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私たちは神を恐れる必要があります。
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神は義であり、世を裁くということを私たちは知る必要があります。
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また私たちは、神の愛を持っています。ここに置きましょう。
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神の愛とはどういう意味でしょう。
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神が愛であること。神は聖霊によって神の愛を私たちの内に注ぎました。
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私たちは神を父として持っています。神は私たちの父です。私たちのアバ、父です。
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私が神の愛として意味するものは、愛である神の一部です。神は私たちの父です。
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神の義、神は聖い神です。神は世を裁きます。私たちは神を恐れる必要があります。
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ですから、私たちは神の愛を持ち、神の義を持ちます。
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神の義です。私たちが神がどんな方か理解する時、罪の中に生きるようなことはしません。
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私たちは神が聖いように、自分達も聖くなければならないことがわかります。
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私たちは自分の罪を悔い改めて、聖い生活を送るでしょう。
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神の義は、私たちが罪の生活をしないようにします。
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わたしが罪について語る時、ガラテヤの5:19、肉の行いです。
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神の義を理解すると、それはあなたが罪の生活をしないように、あなたを助けます。
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罪を犯してもよいというライセンスをもつような生活をしないようにあなたを助けます。
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ライセンスとは何でしょうか?
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罪を犯すライセンスです。
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今、あなたは罪を犯すことが許されています。
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人々は思います。「私は罪を犯すことが許されている」
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彼らはそう思います。なぜなら彼らは神の義を知らないからです。
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神の義は私たちを助けて、罪をおかしてもよいという
ライセンスをもつ生活をしないようにします。
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神の愛は重要です。なぜなら、それによって、私たちは律法的な生活をしなくなります。
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律法的な生活とは、律法によって生きることです。
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生活に特別なものを入れることです。例えば、あなたは、、、をしてはいけない
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女性はドレスを着るべきだ、あなたはカードゲームを
してはいけない、あなたは、、、をしてはいけない。
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もし私が今日祈らなければ、神は私を愛さない。
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もし聖書を今日読まなければ、神は私を愛さない。
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神の愛を理解すると、私たちは律法的な生活をしないようになります。
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この二つを理解することはとても重要です。
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これについては、多くの誤解がありました。
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一つの誤解は、それはどちらか一方であるということでした。
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もし私がなにか過ちを犯し、もし私がここにいるならば、神の愛か、神の義を持っています。
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もし神の愛が最初に来るならば、
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「お~、神は私を愛している、なんでもOKだ。神は私を裁かないでしょう」
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または、神の義ならば、「お~、だめだ、神は私を裁くでしょう、お~、だめ、
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神はもう私を愛していない。」
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しかしそのどちらかであるということではありません。神は愛、神は私たちを愛します。
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しかし神は聖いのです。
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その事を私たちは知る必要があります。私たちは両方を理解する必要があります。
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なぜなら、もしあなたが神の愛だけを理解するなら、
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私はそこで言っておきたいのですが、神の愛を間違って理解するならば、
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あなたはその理解によって飛び出してしまい、罪の生活を始めてしまいます。
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あなたはそれでもOKだと思いこみます。
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神は私を愛している、神が私を愛してくれるので問題ない、
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そしてあなたはこの外にでて、罪を犯してもよいという
ライセンスをもって生活し始めます、
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しかし、もしあなたが神の愛ではなく、神の義だけを理解するならば、
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そこに簡単に、はまってしまい、律法的な生活を始めます。
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あなたは間違いを恐れ、何もすることが許されず、律法的になり
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人々に対する心は固くなります。
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聖書の中のパリサイ人は神の愛を理解していませんでした。
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彼らは聖霊を受けませんでした。
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彼らは神の愛を理解せず、とても律法的に生きていました。
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これがわかると、あなたは、人々がなぜそのような生き方をしているのかを理解します。
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ある教会の教派は、聖霊による神の愛無しに、神の義に注目しすぎます。
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彼らは律法的な生活をする傾向があります。
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同時に、ある教会では、神の愛に注目しすぎて
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神の義を持っていません。
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これらの教会は神の愛から出てしまい、
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罪の生活、罪を犯してもよいというライセンスを持って生活し始めます。
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私はあなたの背景を知りませんが、私たちには両方の理解が必要です。
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神の義、神の愛。なぜなら、神はそのどちらかではないからです。
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もし神が愛であるなら、義ではない。または、
神が義であるならば愛ではない。そうではなく、
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神は全てである、私たちがそう理解すると、それが、私たちを自由にする助けになります。
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面白いことに、もし愛、愛、愛だけという背景を持った人々がいると、
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彼らは罪を犯してもよいというライセンスをもって生活し始めます。
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彼らが、道の真中を歩いている人たちを、自分達の生き方から、見ると、
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彼らはその人たちを見て言います。「あなたは律法的だ」
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しかし彼らはそうではありません。彼らは道の中央を歩いているのです。
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同様に、神の義だけを理解しているならば、律法的な生活をし始めます。
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律法的な生活をすると、それは持ってはいけない、女性はドレスを着なければいけない、
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頭の上に何もかぶってはいけない、カードゲームをしてはいけない、
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もし人々が彼らと全く同じことをしないと、
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その人たちはここを歩いています(道の中央)
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彼らの生き方の観点から、
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彼らは「この人たちは罪を犯してもよいという生活をしている」と考えます。
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私たちは律法的な生活をするのではなく、罪を犯してもよいという生活をするのではなく、
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私たちはここ(真ん中)に生きるべきなのです。
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愛と義との中央に生きるためには、両方を理解する必要があります。
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次のレッスンでは、新しい契約の内に生きることついて語ります。
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イエスはいかにして、その標準を下げずに、むしろ上げたかということについて語ります。
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私たちは、道の中央、ここを歩くのがどのようなものかを知っています。
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もしあなたがあなたの人生でこれらのことを持ち合わせていないならば、
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それを理解する必要があります。
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多くの人達が立ち止まり、神が実際どんな方なのかを理解し始める必要があります。
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もしあなたが聞いたことが、ただ神の愛だけならば、あなたが必要なのは、
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神の愛の中にとどまり続けるだけでなく、それについて本を読むこと、、ではなく
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いいえ、そうではなく、この部分、神の義を学ぶ必要があります。
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何故かと言うと、その啓示をあなたは受けるからです。
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もしあなたが神は厳しい神であると理解しているなら、神の愛の側面を見る必要があります。
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何故? 私達がそれを理解するためです。
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しかし、しばしば私たちはこのティーチングの中の一方の側だけを聞きたがります。
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又はもう一方の方ならば、その方だけを聞きたがります。
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ですから、全ての事に正しい理解を得ることはとても大切です。
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神の愛
これから神の愛を見て行きます。
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神の愛については大きな誤解がありました。ここに置きましょう。
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私たちは神の愛を持っています。
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ロマ書5:8 「神はご自分の愛を私たちに表わしました、
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私たちが未だ罪人であった時に、キリストは私たちのために死にました」
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神はあなたと私に対してご自分の愛を表しました。
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まだ私たちが罪人だった時に、
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神はご自分の御子イエスを私たちの代わりに死ぬために送りました、、
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しかし私はあなたにお尋ねしたいのです。
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私たちが罪人だった時に神は私たちに対するご自身の愛を表しました。
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これは罪人として、私たちが死んだならば、OKでしょうか?
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いいえ、罪人として私たちは失われます。
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私たちは罪人として地獄に行くでしょう。
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また、神が私たちに対するご自身の愛を表したということは、
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全てがOKであることを意味しません。
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しかし今日、愛について私たちが語る時、
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未信者に向って、「神はあなたを愛していますよ」という時、
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彼の思いの中で、彼はこのように聞くでしょう。
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「わ~、神が私を愛している。私も自分を愛している。そうであれば全てOKだ」
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いいえ、全てがOKではありません。彼は罪の生活をしています。
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もし彼が悔い改めなければ、死んで地獄に行きます。
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なぜなら、神は愛だけではなく、義であり、
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罪人を裁くからです。
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私は言っておきたい。とても面白いことに、神の愛を見ると、
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神が愛であり、神が私たちに対する愛を表してくださった、
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それは私たちが未だ罪人だった時に私たちに代わって
イエスが死ぬことによってその愛を表された。
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しかし、神がその愛を私たちのために表わしたその方法は、
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神が私たちに対してただ夢中になって私たちを愛したと同じではありません。
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私は妻を愛しています。私たちがお互いに愛する愛し方、
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また誰かを私たちが本当に愛するその愛し方と神の愛し方は同じではありません。
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神が人々に対して夢中であると、私たちは考えますが、そうではありません。
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ですから使徒行伝に行って、最初のクリスチャン達がどのように説教をしているかを学ぶと、
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彼らは決して、神の愛、人々に対する神の愛、を説きませんでした。
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彼らは立ち上がって、人々のところに行って、
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「神はあなたを愛していますよ」というのではなく、
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彼らはそうしないで、代わりに、神の愛を説く代わりに、彼らは神の義を説きました。
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なぜなら、神の愛を理解する前にあなたは神の義を理解しなければならないからです。
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それを正しく理解しなければなりません。
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もし、神はあなたを愛します、とあなたが罪人に説くならば、
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その人は聖書が語るようには、それ(言われたこと)を理解しないでしょう。
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彼はこうは思いません。
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「お~、私は悔い改める必要がある、なぜならもし死んだら地獄に行くであろうから」
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いいえ彼はこのように聞きます。
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「お~、神が私を愛するって、アメージングだ。私も
自分を愛している、ではすべてがOKだ」
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いいえ、罪人として、私たちは地獄に行きます。
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なぜなら神は義だからです。
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ええ、神は愛でもあります。キリストを下さることによりご自身の愛を表しました。
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しかしこれは神が全く夢中で、彼らがやっていること
すべてを大切にすることと同じではありません。
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聖書はそれとは反対のことを言いました。聖書は神の怒りが
この人々の上にあると言いました。
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聖書の中には、彼らが罪人に向って愛を説いたという箇所はありません。
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聖書を通読してみてください。見つけません。
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私には、誰もがこう言ってくるのがわかります。「トーベン、ヨハネの3:16、ヨハネの3:16」
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これはとても面白いです。ヨハネの3:16は、聖書の中でも最も頻繁に引用される節です。
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Tシャツ、車、ポスター、張り紙、あらゆるところにそれを見ることができます。
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家々に行くとそのような絵もあります。しかし、どこでも引用されるからと言って、
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ヨハネ3:16を私たちが理解していることを意味しません。
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それは聖書の中で一番引用される節でもあり、また最も誤用され誤解された節でもあります。
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私たちはそれをこれから見て行きます。ヨハネの3:16、「神は世をとても愛したので、
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神はそのひとり子を与えた。それは誰でも彼を信じる者は
失われることなく、永遠の命を持つためである。
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聖書はこう言いません。しばしば私たちはこう読みます。
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「神はそのようにこの世を愛した、」と言う代わりに、
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「神はこの世をとても、とても愛した」と私たちは読みます。
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私たちは別な読み方をします。神は私たちを愛した。と~ても愛したので、神はそのひとり子を与えた。
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いいえ、それはみ言葉が言っていることではありません。
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聖書は言います。神はそのようにこの世を愛した。その意味はこうです。
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今私たちが聞いたように。という意味です。その前の節に書かれているように。
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そのように、神はこの世を愛している。
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ヨハネ3:16を理解するためには、文脈を理解しなければなりません。
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ヨハネの3:14と3:15を読まなければなりません。
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3:16のすぐ前に聖書が語っていることを読まなければなりません。
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これは今日聖書の一番大きな問題です。私たちは章と節を加えました。
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しかし聖書は一節がここ、あそこに一節、あちらに一節以上のものです。
-
例があります。黙示録の14:7は、
-
「神を恐れなさい、そして神に栄光を与えなさい。
というのは神の裁きの時が来た からです」
-
黙示録14:7です。
-
もし今日あなたがある家に行って、一つの絵を見ると、または他の場所に行くと、
-
頻繁にこの節、ヨハネ3:16をあなたは耳にします。これは誰もが知っている節です。
-
もし私が教会の人々に、ヨハネ3:16を何人が知っているかと
訊くとすると、全員が手を挙げるでしょう。
-
彼らにヨハネの3:14,3:15はどうですかと聞くと、
それほど手は上がらないでしょう。
-
黙示録14:7はどうでしょう。
-
「神を恐れ、神に栄光を返しなさい、神の裁きの時が来たから」
-
人々はこれを知りません、
-
しかしヨハネ3:16は、何度も何度も聞くからという理由で、
-
その他の節よりもより重要であることを意味しません。
-
しかし私たちは頻繁に聞くと、
-
私たちが聞く他の事よりも、より価値があり、より真理であると私たちは考えます。
-
全ての事がそのようです。
-
私が何年も前に救われた時、18年前ですが、誰かが私のところに来て言いました。
-
「トーベン、ヨハネ3:16は小さな聖書です。私はその節を最初に学びました。
-
サンデースクールでそれを学びます。今日あなたが学ぶことです。
-
ええ、それは神のみ言葉です。
-
しかし、他にもたくさんのみ言葉があります。
-
もし私たちが道の中央を歩きたいのであれば、
-
私たちは神の愛だけではなく、神の義の啓示を必要としています。
-
私たちは全てを知る必要があります。
-
特にヨハネ3:16が本当は何を言っているのかを知る必要があります。
-
ヨハネ3:16は何を言っているのでしょう?
-
荒野でのイスラエルとモーセについて読みます。イスラエル人たちは荒野に住んでいました。
-
彼らは言いました。「神よ、なぜあなたは私たちをここに連れて来たのですか?
-
モーセよ、なぜあなたはこんなことをするのか? 今、
私たちは飢えている、今、私たちはのどが渇く」
-
彼らは常に苦情を言いました。
-
神は彼らを見て、「私はあなたを愛する」と言いませんでした。
-
いいえ、神は彼らを見て、
-
彼らに疲れてしまいました。神は、彼らが
いつも苦情を言うことに対して怒りました。
-
彼らは反抗的な人々でした。神は彼らに対して怒りを感じました。
-
それゆえに神はヘビを送りました。
-
ヘビはイスラエル人を噛みました。多数の人が死にました。
-
多数の人が死んだ時、彼らは自分達が罪を犯したことに気付きました。
-
彼らはモーセに頼みました。「私たちは罪を犯しました。」モーセは神に頼みました。
-
神はモーセに言いました。「私はヘビを取り除かないが、
行ってヘビを作り、棒の上に取り付けなさい。
-
彼らがヘビにかまれた時に、彼らはそのヘビを見ることができます。
-
彼らは死なないでしょう。彼らは生き延びるでしょう。」
-
モーセはヘビを作り、棒の上に取り付けました。
-
ヘビがイスラエル人を噛んだ時、彼らがそのヘビを見ると、
彼らは死にませんでした。
-
これと同じように、神がそこでイスラエル人を愛したように
-
神は世を愛しました。神はご自分の御子を送り、誰でも彼を見て、
-
彼を信じる者は失われることなく、永遠の命を持ちます。
-
同じように。神が彼らに夢中になったのではなく、
-
あなたはこれを理解しなければなりません。私はデンマークを愛しています。
-
私は、デンマークを愛していると言うことができます。
-
私はデンマーク人です。デンマークに住んでいます。デンマークを愛しています。
-
しかし、私がデンマークを愛していることは
-
私がデンマークの全ての人、彼らがやっている全ての事に夢中になることを意味しません。
-
なぜならデンマークの人達でもおかしなことをしている悪い人達はいるからです。
-
彼らは罰を受ける必要があり、
-
監獄に行く必要があります。なぜなら彼らは悪いからです。
-
彼らは悪いことをしていて、私をそれをみることができます。
-
私は神が聖いほど、聖くありません。聖い神が世を見る時、
-
「私は世とそこにいるすべての人を愛する、あなたがやって
いることすべてを愛する」ことにはなりません。
-
いいえ、神の怒りは人々の上にあります。
-
しかし私たちはこれをとても誤解してしまいました、そして
-
ヨハネ3:16を取り出して、今日の世に向って言いました。「神はあなたをとても愛している」
-
すると彼らはそれを誤解します。
-
神の純粋で聖い愛は、聖霊によってのみ理解可能です。
-
もしあなたが聖霊によって神の愛を知らなければ、それは人間的な愛になります。
-
そこでは神の代わりに人が中心になります。
-
しかし神の愛はクリーンで、純粋で、そして聖いのです。聖書はここで言います。
-
「神の愛は私たちに与えられた聖霊によって私たちの心に注がれている」ロマ書5:5
-
どの様にして神の愛は聖霊によって注がれたのでしょうか。
-
聖霊を持っていなければ、あなたは本当の神の愛を理解できません。
-
何故?
-
なぜなら愛は純粋で、愛は聖く、愛は真珠の様です。
-
聖なるものについてイエスは何と言っているでしょうか?
-
真珠についてイエスは何と言っていますか?
-
マタイ7:6に一か所あります。
-
そのタイトルは、真珠を豚に投げてはいけない です。
-
イエスは言いました。「聖なるものを犬に投げてはいけない、
-
あなたの真珠を豚に投げてはいけない。
-
何故? そうしないと、彼らはそれらを踏みにじり、あなたをばらばらに引き裂くでしょう・
-
イエスがここで言っていることを理解するのは、本当に、本当に重要です。
-
聖なるものを取って、真珠のような神の純粋な愛を取って、
-
豚や犬に投げてはいけません。
-
何故? なぜなら彼らはそれを誤解するからです。
-
彼らはそれを足で踏みにじり、私たちに向き直って、私たちをばらばらに引き裂くでしょう。
-
私たちは今日の教会で、全く間違ったことをしました。何年も何年もそうしてきました。
-
その故に、この世は私たちに反対して向き直りました。
-
私たちに反対するためにこれを用いました。
-
私たちはどんな間違いを犯したのでしょう?
-
私たちは神の愛を死んでいく世に説きました。
-
神の怒りの下にある罪深い世に対して。
-
この世は神の聖さを知りません。
-
私たちは、神の義の代わりに神の愛を説きました。
-
使徒行伝を読むと、
-
最初の弟子たちがどのように説いたかを見ることができます。
-
彼らが、「神はあなたを愛しています」と説くようなところは、一度も見あたりません。
-
彼らは神の愛を人々に説きませんでした。彼らは神の義を説いていました。
-
彼らは、「あなたはアメージングだ、あなたは素晴らしい、
神はあなたを愛しています」と説きませんでした。
-
なぜなら、彼ら(聞いた人達)はそれを誤解したであろうからです。
-
彼らは神を恐れなかったでしょうし、悔い改めの必要もわからなかったでしょう。
-
悔い改めの必要を理解せず、福音のすべてを知らないので、
-
彼らは来て、聖霊を経験することはないでしょう。
-
また、彼らは神の愛を理解することができないでしょう。
-
では、最初の弟子たちはどのように説いたのでしょうか?
-
彼らは神の義を説きました。
-
イエス、イエスは死にました。イエスは埋葬されました。そしてよみがえりました。
-
彼は審判者です。彼は世を裁きます。
-
あなたは罪を悔い改めなければなりません。
-
悔い改めて、彼につくバプテスマを受けて、
-
聖霊を受けます。そうすれば、永遠の命をもつでしょう。
-
彼らはイエスを説きました。神の義、神が聖なる神であることを説きました。
-
彼らが神に対して罪を犯したこと。
-
そう彼らは説いていました。
-
聖書の中に彼らが、私たちが罪人に説くように、神の愛を説いているところは見られません。
-
私たちがここで読む神の愛はヨハネの福音書にあります。
-
ヨハネの福音書とマタイの福音書、これらの二つの
福音書は、信ずる者達のために書かれました。
-
ルカの福音書とマルコの福音書は未信者のためです。
-
私たちは大きな過ちを犯すことになります。
-
もし私たちがヨハネの福音書とマタイの福音書を未信者に届けるならば。
-
なぜなら、そこにあるいくつかの事を彼ら(未信者)は誤解するからです。
-
聖なるものを豚や犬に与えるようなものだからです。
-
あなたが良く見ると、ヨハネの中にある愛についてのことと、
-
マタイの中にある愛についての事は、マルコとルカにはありません。
-
聖書は、神の愛は私達信じる者達のためであることを
とても明確にしています。第一コリント2:12
-
「私たちは、この世の霊ではなく、神からの霊を受けたのです。
-
それは、神から私たちに無償で(恵みによって)与えられたことを私たちが知るためです。
-
私たちは神の霊を受け取りました。それは神の霊によって、
神から与えられたものを知ることができるためです。
-
私たちは聖霊により、それを知ることができます。
-
他の箇所では、「あなた方は息子たちなので」
-
私たちは神の息子たち、娘たちとして生まるので、
-
神は「アバ、父よ」と叫ぶ神の御子の神の霊をあなたの心の中に送りました。
-
誰がアバ、父よと叫ぶのでしょうか? 私たちの内の聖霊です。
-
あなたは聖霊をあなたの内に持たなければ、神の愛を知ることができません。
-
聖霊はそれを表し、そして「アバ、父よ」と叫びます。
-
しかし、私たちは愛を説いてきたので、
-
人々に「神は義です、神は聖なる方です」という代わりに、
「神は愛です」と説いてきたので、
-
私たちが間違った福音を与えたので、今日誤解をした人達がいます。
-
それは真珠を豚に投げるようなものです。
-
彼らはそれを踏みつけて、私たちに反対するためにそれを用います。
-
これが今、常に私が見ていることです。
-
私が神の聖さを説くならば、また、福音を誤解してしまった教会の人々に私が語ると、
-
罪について語り、「あなたは聖い生活を送らなければならない」と言うと、
-
「しかし神は愛です」と頻繁に言われました。
-
教会の多くの人々が今日、常に結婚して離婚し、結婚して離婚します。
-
もし私が彼らに「み言葉が何と言っているか」について話す時、
-
彼らは言います「しかし神は愛です。神は理解します。神は愛です」
-
彼らは、み言葉の中で神が語っている聖なることに反対して、「神は愛です」を用います。
-
これは全てに関するものです。
-
人々は結婚する前にベッドを共にして、「神は愛です」
-
教会でそのような人たちに会います。
-
教会の外で、世でもあなたはそれを見ます。
-
私は多数のテレビの番組と
-
討論の番組に出ました。そこで私は神がどんな方であるかを話しました。またある番組では、
-
ユダヤ人とイスラム教徒と私が出演しました。私たちはホモについて語りました。
-
いつもこんな具合です。「、、しかし、神は愛です。神は愛ではないですか?
-
どうしてあなたはそんなことを言えるのですか? 神は愛です」
-
これがホモの生活を送っている人々の生き方です。
-
彼らは、「ええ、しかし神は愛です、神は愛です」を使います。
-
私の友人であるイギリスのデイビッド・ポーソンは、
-
私は彼のティーチングが大好きです。アメイジングなティーチングです、
-
彼は地獄についての本を著しました。
-
また彼はたくさんのインタビューを受けています。
-
彼はとても閉口していました、というのはインタビュー
する人がいつも同じように始めたからです。
-
インタビューする人はいつも初めに訊きました。
-
「どうして、愛する神が人々を地獄に送ることができますか?」
-
いつもそのように始めました。
-
彼らは、「義なる神が人々をどうして地獄に送ることが
できますか?」とは決して始めませんでした。
-
「聖なる神が人々を地獄にどうして送ることができますか?」とは聞きませんでした。
-
いつもこのように始めます。「愛する神はどうして人々を地獄に送ることができますか」
-
彼はとてもその質問に閉口してしまい、
-
おしまいには「誰が『神は愛だ』とあなたに言ったのですか?」と答えました。
-
「しかし神は愛ではないのですか?」 彼は言いました
「ええ、そうですが、しかし、、」
-
そして彼は神の愛が何であるか説明しました。神の義と神の聖なることを説明しました。
-
これが今日の教会の問題です。
-
私たちは神を恐れない教会を持っています。
-
神を恐れません、なぜなら私たちが神の義を説くことをしないからです。
-
マタイの5,6,7章へ行ってみましょう。
-
イエスの山上の垂訓があります。彼は何について説いたのでしょうか?
-
これはクリスチャンのためのものですが、彼は愛、愛、愛、愛を説いていません
-
彼は神の義を説いています。どのようにして聖い生活をするか、について説いています。
-
しかし、私たちはそれを誤解してしまいました。
-
なぜなら今日の教会の中では、あまりに間違ったフォーカスが神の愛に置かれているからです。
-
私たちは出て行き、神の愛を世に説いています。
-
今日、世は神を恐れなくなっています。
-
彼らは神を恐れません。悔い改めの必要を感じません。何故?
-
神は愛だからです。それについて何年も前に私は考えました。
-
私は救われる前にそれについて考えました。「OK、神は私の味方、神は私の味方です」
-
はい、もちろん、神は誰の味方でもある、神は誰をも愛する、
-
そうならば神は私の味方です。私は悔い改めの必要がわかりませんでした。
-
なぜなら神は私の味方だからです。
-
今日、世はこのように考えています。何故でしょう?
-
私たちは最も聖なる神を真珠の様に取って、豚に向って投げてしまいました。
-
彼らは今それを踏みにじり、誤解して、私たちに反対するためにそれを用いています。
-
私たちは神の愛を聖霊によって理解する必要があります。
-
それが、多くの教会が今日、神の義から始めますが、福音の全体を説かない理由です。
-
悔い改めがあり、新しい人生があり、聖霊があります。
-
彼らはそれを経験しないので、神の愛に入り、経験することがありません。
-
特にアメリカでは、「神はあなたを憎んでいる」
-
「神はあなたに反対する」という大きな看板を持って立っている人々の絵を見ます。
-
その内のあるものは聖書的です。み言葉はこのように言っています。
-
これらの人々の多くはそこから始めますが、
-
彼らは、私たちが説かなければならないのは(神の)王国であることを理解していません。
-
新しい人生、聖霊、そこで私たちは神の愛を経験します。
-
もしあなたが神の愛を持つならば、ええ、あなたは正しい福音を説くことができます。
-
しかし今日多くの人のやり方はそうではありません。
「あなたは地獄に行きます、神はあなたを嫌っています」
-
いいえ、神の義を彼らが理解するような方法で説くことは可能です。
-
彼らが、自分が罪人であることを理解し、神の怒りを理解するように説くことは可能です。
-
彼らが、もし悔い改めて神の愛の下に来ないならば、
-
地獄に行くということを理解するように説くことができます。
-
同時に彼らは私たちをハグします。何故?
彼らは私たちの心を感じるからです。
-
それは全て私たちの心です。
-
それが最初の弟子たちが、聖霊を受ける前に出て行って
説教することを許されなかった理由です。
-
なぜなら、あなたは心の中に神の愛を持たなければならないからです。
-
ラディカルな神の言葉を説くことができるためには、あなたの内に神の愛が必要です。
-
しかし、私たちはそのように説く必要があります。
-
私たちは神の愛にフォーカスしている時代に生きています。
-
聖書はマタイ24章で終わりの時について語っています。
-
多くの偽預言者が出て、多くの人々を惑わします。そして不法がはびこります。
-
多くの人々の愛は冷たくなりますが、最後まで耐え忍ぶものは救われるでしょう。
-
多くの偽預言者が出てくる、「これは教会の中」のことを彼は語っています。
-
なぜ? 「最後まで耐え忍ぶものは救われる」 耐え忍んで
救われるのは教会の外の世の人達ではありません。
-
それは私たちです、最後まで耐え忍ぶ者、私たちは救われます。
-
「多くの偽預言者が終わりの時に現われます」そして、
「不法がはびこるので」と続きます。
-
不法とは何でしょうか?
-
不法とは、言葉を変えて言うと、罪を犯してもよいという
ライセンスです。そのライセンスがはびこります。
-
不法とは律法無しに生きることです。ええ、私たちはモーセの律法の下にはいませんが、
-
キリストの律法の下にあります。イエスはその標準を
下げませんでした、彼は標準を上げたのです。
-
次回のティーチングで取り上げます。
-
モーセの律法は言います。あなたは離縁状を書いて離婚することができる。
-
モーセの律法は言います。姦淫を犯すものは、出て行ってその行動をとり、実行します。
-
しかしイエスは違うことを言いました。
-
イエスはもっとラディカルです。
-
あなたが情欲をいだいて女性を見るならば、心の中で既に姦淫をしたのである。
-
イエスはあることを変えました。しかし、イエスは標準を下げたのではなく、上げたのです。
-
彼はそうすることができました、なぜかと言うと、私たちは今聖霊を持っているからです。
-
私はこれについて次の時に語るつもりです。
-
しかし終わりの時には、偽預言者達が教会にやってきます。
-
彼らの不法(罪を犯しても良いというライセンス)の教えがはびこります。
-
終わりの時代にはびこるのは律法主義ではありません。
-
もちろん、律法主義的に生きる人たちはいます。
-
しかし今日、私たちは律法的な生き方をするのを恐れて、
-
殆どの人は罪の生活をしています。ここに生きています。
-
不法の生活にはまっています。罪を犯してもよいというライセンスを持って。
-
終りの時には、人々は間違った愛を説きます。
-
彼らは神の義を説きません。彼らは、神は愛、愛、愛 であると説きます。
-
彼らは偽預言者達です。彼らは間違って神の愛を説いているだけです。
-
ですからその神の愛は不法の内に生きる人達、罪の生活を始める人達を作り出します。
-
なぜなら彼らには神への恐れがないからです。
-
もしあなたが神を恐れるならば、あなたは罪の生活をしません。
-
終りの時に、これらの偽預言者のゆえに、
-
私たちは今日どこにでも、クリスチャンテレビ、クリスチャンの書籍に、
-
愛、愛、愛 とあるのを見ます。
-
そのために、今日の教会の中では、神への恐れがありません。
-
不法のライセンス - 不法がはびこっています。
-
これが今日の教会です。
-
教会の中でも不法ははびこっていきます。
-
そして、その故に、多くの人の愛は冷たくなります。
-
多くの人の愛。愛とは何でしょうか? 神に対する愛です。
-
私は多くの人達が救われ、そして聖霊が彼らの内に働き始めるのを見ました。
-
彼らはラディカルな生き方をし、非キリスト教の音楽をとって捨てます。
-
テレビの多くの悪いものを見たくなくなります。
-
彼らはただ神を愛し、神の言葉を読み、汚れていないもので自分たちを満たします。
-
彼らが教会に来ると、他のそれほどラディカルではない人達が、「それはOK」と言います。
-
すると彼らは自分が以前やっていなかったことをし始めます。
-
彼らは罪の領域に入っていることをし始めるので、
-
神に対する愛は冷たくなります。
-
もしあなたが神に対する愛を持ち続けたいなら、
-
あなたはラディカルな生活をする必要があります。
-
あなたは罪の生活をしない必要があります。
-
もしあなたが罪を自分の生活に入れてしまうならば、
-
あなたの内の神の愛は冷たくなるでしょう。
-
しかしもしあなたがあなたの生活から罪を取り除いて、
あなたの心の奥底から悔い改め始めるならば、
-
神の愛は熱く燃え上がり、あなたに火が付くでしょう。
-
私たちはいつもそのような生活をする必要があります。
-
そこでは、私たちはいつも聖く生きる努力をし、
-
聖く生きようとし、私たち達の内に聖霊に働いてもらうようにします。
-
聖書は「これが偽預言者です」の後に言います。
-
「そしてこの福音」どういう福音でしょうか? この福音、純粋な福音、
-
この王国の神の義の福音が全世界で宣べ伝えらるでしょう。全ての国民に証しされて、
-
そして終わりが来ます。 私たちは来て、正しい福音を宣べ伝える必要があります。
-
そして神がどんな方であるかを正しく理解する必要があります。
-
真理は、、、神の愛はそこにあります。
-
神は世を愛したのでそのひとり子を送りました。
-
それは神が人々に夢中になっているのではなく、彼らは
神の怒りの下にあり、彼らが悪いからです。
-
彼らは自分達の罪を悔い改める必要があります。
-
もしそうしなければ、彼らは地獄に行くでしょう。
-
なぜなら神は義なる神だからです。神は愛する神です。
-
神は人々を愛していますが、
-
それは彼らが、私たちが「愛する」というのを聞くように、愛するのではありません。
-
しかしもし彼らが神はあなたを愛しているということを伝えたいのであれば、
-
私たちは、もしあなたが罪を悔い改めて、(神の国に)入る
ならば、そこに愛があるのです、と説くことができます。
-
これは本当の福音です。人々を悔い改めに導きます。
-
罪人は神の国に入りたいのです。もし彼らが本当の福音を聞くならば。
-
ビデオの一つで、私は病人を癒すことと、福音を説くことについて語っています。
-
私がどのように罪について話し始めるのかをあなたは見ます。神の聖さについて語り始め、
-
私たちはこれについて語り始め、人々が、彼らが罪人であり神の怒りの下にあることを理解する時、
-
私たちは、「しかし神はこの世をとても愛したので、
-
そのひとり子を送った」と言うことができます。
-
そしてもしあなたが悔い改めるならば、あなたは救われ、神の愛の下に入ることができる。
-
私たちはこのように伝えなければなりません。そして、神の国を説き、神の国を見せます。
-
病人を癒し、悪霊を追い出し、神の義を説きます。そして
彼らはどのようにしてそこに入れるのか、
-
自分の罪を悔い改めて、水のバプテスマ、聖霊を受けて、
神の王国の一部となることができることを示します。
-
再度言いたいのですが、多くの人がこう言います。
-
「しかし神は罪人を愛しますが、罪を憎みます」
-
私は言いたい。それを言ったのはイエスではありません。
-
イエスは神は罪人を愛するが罪を憎むとは決して言いませんでした。
-
モーセはそう言いませんでした。
-
それは聖書に見あたりません。なぜならそれは聖書的ではないからです。
-
それに似たことをオーガスティンが何年も前に言いました。
-
しかし、この言葉を言ったのはガンジーです。
-
インドのヒンズーの指導者が何年か前に言ったことばです。
-
ヒンズーの指導者が「神は罪人を愛するが、罪を憎む」と言いました。
-
もしこれが本当ならば、神は人々を罰する必要がなくなります。
-
神は人々を地獄に投げ入れる必要がありません。
-
神はただその罪だけを取って、その人の代わりに罪を
地獄に投げ入れればいいことになります。
-
そうであれば、神はそのひとり子のイエスキリストを送る必要もありませんでした。
-
もし問題になるのが罪であって、罪人でないのであれば。
-
しかし聖書は人がすることと、それを行った人とを区別しません。
-
あなたはあなたがすることであり、あなたはあなたであることをします。
-
もしあなたが罪の内に生活しているならば、あなたは罪人です。
-
神はあなたの人生の中の罪に対して怒るだけでなく、
-
あなたに対しても怒っています。神はあなたが悔い改めて、神の愛の下に来て欲しいのです。
-
ですから、ヒンズーの節を引用しないでください。
-
ヒンズーの指導者は神は罪人を愛するが、罪を憎むと言いました。そうではなく、
-
聖書が言っていることを引用しましょう。
-
私たちは、みことばが何と言っているのかを理解する必要があります。
-
私は今続けます。どこから始めるべきでしょうか?
-
私たちの始まりは、、、私達クリスチャンは、神の義から始めることが重要です。
-
神への恐れから始めることが重要です。
-
神への恐れ。神の愛はここにあります。神への恐れをここに貼りましょう。
-
私が神への恐れを語る時、箴言は言います。
-
「主への恐れは悪を憎むことである。プライド、高慢、悪い道を憎むこと。」箴言8
-
私たちはそのような神への恐れを持つ必要があります。
-
そして私たちは悪を憎み、神が憎むものを憎み、神が愛するものを愛します。
-
私たちは神のようになるべきです。
-
私たちは同じ性質を持つべきです。神は聖く、罪を憎みます。
-
神の愛は、神が彼らに近づこうとしているそこに愛があります。
-
しかし愛はこのようにあるのではありません:
-
「お~、私はあなたを愛している、私はあなたを愛する、私はあなたを愛する」
-
そうすると彼らは「神は彼らを愛しているので、彼らが
する事すべてが正しい」と思ってしまう。それは違います。
-
もし彼らが何でもOKであると思うならば、
-
彼らは決して悔い改めることはありません。
-
彼らは来て、神の愛を経験することは決してないでしょう。
-
神は彼らにそれを経験して欲しいのです。
-
神は誰もが救われて欲しいのです。
-
箴言は言います。「主への恐れは知識の始まりです」
-
しかし愚かなものは知恵と指導を見下します。」
-
主への恐れは知恵の始まりです。箴言を読むならば、聖書を読むならば、詩編を読むならば、
-
多くの箇所に主への恐れが初めにあることを見つけるでしょう。例えば、
-
「神への恐れは知識の始まりです。ここで、神への恐れは知恵の始まり、
-
神の命令を行う人は良き明察を得る。詩篇111
-
主への恐れは知恵の始まりです。私たちは正しい理解を持つ必要があります。
-
神への恐れを私たちは神の啓示によって得ます。
-
「いのちと敬虔、神への恐れに関する神聖なパワーが私達
全員に、彼を知ることにより、与えられている」2ペテロ1
-
もしあなたが本当に神を知っているならば、あなたは神を恐れるでしょう。
-
私は次のレッスンでも神への恐れについて語ります。
-
しかしもしあなたが本当に神を知っているならば、
神が義であるゆえに、あなたは神を恐れるでしょう。
-
神は聖く、燃えつくす火です。
-
神は愛以上の方です。神は愛でもありますが、私たちは正しい理解をする必要があります。
-
そうでなければ、私たちは間違った方向に進み、他の人達をも間違った方向に導きます。
-
これが今日の教会です。間違った方向に導いています。
彼らは多くの人達を間違った方向に導いています。
-
再び、神への恐れがありません。私たちには神への恐れが必要です。
-
それは神を神として私たちが愛することができるようになるためです。
-
カトリック教会の聖書の中には特別な書物がいくつか入っています。
-
アポクリファ(外典)という書物です。アポクリファには
シラクの書と呼ばれる書物が入っています。
-
シラクは、神の言葉の一部ではありません。
-
私たちの聖書には入っていませんが、人々はこれらの書物から引用します。
-
それは歴史でありまた興味深いものです。
-
シラクの書には、とても面白い節があります。25:12です。
-
主への恐れは彼を愛する初めである。主への恐れは知識の初めである。
-
主への恐れは知恵の初めである。主への恐れは、主を愛する初めである。
-
なぜなら知らない人をどうして愛することができるでしょうか?
-
神を本当に愛することができるためには、神を知らなければなりません。
-
私は何年も神の義を知らないで生きてきました。
-
私の人生には神への恐れがありませんでした。
-
ですから、私の神に対する愛はそれほど深くありませんでした。
-
なぜなら、当時私は神がどんな方であるかを理解していませんでした。
-
しかし私は自分の人生の中で神への恐れを持ちました。
-
そして、知識を得て、知恵を得て、私は神を愛し始めました。
-
しかし私は、神の愛を説くだけの教会の一部でした。
-
私が当時知っていた多くの人達は今日神と共に生きていません。
-
彼らは罪の中に生活しています。なぜなら、彼らは神の義を理解しなかったからです。
-
今日の教会の数百万人の人達の様に、彼らはそこに立ち、
彼らの手を挙げて、神を礼拝しています。
-
しかし彼らは神を知りません。彼らは罪を犯しても
よいというライセンスを持って生活しています。
-
彼らは罪の中に生活しています。彼らは神を知りません。
なぜなら神の義を知らないからです。
-
彼らは神の愛についてしか聞いたことがありません。
-
そしてこのようなことを聞くと、彼らは、「お~、、」となります。
-
彼らにとって、これがとても新しいからです。彼らは簡単にいのちから出てしまい、
-
揺すぶられてしまいます。なぜなら彼らは深い根を持っていないからです。
-
彼らは当然持つべき聖霊を持っていません。
-
彼らは聖霊の愛を持っていません。
-
もしあなたが本当に聖霊の愛を持っているならば、
-
どんなにラディカルになっても、あなたはそれを愛するでしょう。
-
なぜなら、それが真実であると知っているからです。それによってあなたはゆすぶられることはないでしょう。
-
なぜならあなたは内側に聖霊を持っているからです。
-
あなたはゆすぶられることができません。なぜなら聖霊が
あなたに示すからです。神の愛が聖いことをも。
-
OK, 私たちは続けます。このティーチングをする時にしばしば、私は言います。
-
私たちはイエスを見ることから始めます、と。しかし今日は、神を見ています。
-
ここにイエスを持ってくる代わりに、今神を持っています。神はどんな方でしょうか?
-
モーセの十戒にあるこの節から始めたいと思います。
-
モーセは「あなたは私の前に他の神々を持ってはならない」という節を持ってきました。
-
それに続いて、あなたは偶像を造って、それを礼拝してはならない。
-
ですから私たちは唯一の神を持ち、他に神々を持ってはなりません。
-
私たちは神の像を木々で造って、それらを礼拝してはなりません。
-
又は神の像を私たちの心の中で変えて、偶像としてはなりません。
-
これは偶像を持つことです。神を変えることです。
-
これは、多くの習わしの内でも、今日の教会の中に私が見る一番大きな偶像です。
-
人々は彼らに合わせた神の像によって自分たちの神を作りました。
-
もちろん、その神はいつも「愛の神」です。
-
ほとんどの場合、「愛の神」です。
-
教会であなたはそう聞きます。「私の神はそのようではありません。私の神は愛の神です」
-
「私の神はこのような神です」
-
これが大きな問題です。ここで私たちがやったことは、
-
違う神を造ってしまったということです。
-
その神は私たちが聖書の中に読む神ととても違います。
-
彼らは言うでしょう。
-
「しかし、旧約聖書では、神はこのようであったが、今私たちは新約に生きている」
-
しかし神は変わっていません。あなたはそれを理解しなければなりません。
-
私たちは信じています。イエスは昨日も今日も永遠に同じです。
-
聖霊は昨日も今日も永遠に同じです。
-
神は昨日も今日も永遠に同じです。
-
もしあなたが旧約聖書から違う神を信じるならば、
-
あなたは一つの偶像を造ってしまったのです。
-
あなたは造ってしまいました。
-
この節はそれひとつで成り立つことはできません。
-
何故でしょう?なぜならこの節の前に重要なものがあるからです。
-
多くの節がそれだけで成り立つことはできません。
-
そのみ言葉が何を言っているのかを理解するためには、
文脈の中で私たちは全てを読まなければなりません。
-
この節はそこから始まっていません。ここから始まります。
-
「そして神はこれらの言葉を皆語った。
-
私はあなたの神である、あなた方をエジプトの地から、束縛の家から連れ出した。
-
あなた方は私の前に他の神々を持ってはならない」
-
それを全て読んでください。
-
神はエジプトの地からあなたを連れ出した神です。
-
神はそれをどのようにして、なしたのでしょうか。
-
神は多くのしるしと奇跡をもってそうしました。
-
神はしるしと奇跡を持ってそうしました。
-
エジプトの初子を殺してそうしました。
-
紅海でエジプト人を殺してそうしました。沢山の人を殺してそうしました。
-
私たちは聖なる神を信じます。
-
私たちは愛である神を信じます。しかし義である神を信じます。神は燃えつくす火で、人々を殺します。
-
しかし多くのクリスチャン達は今日、旧約聖書を読んで言います。
-
「いいえ、そのような神を私は礼拝できません」
-
彼らは考えます。「あの神は悪い、あの神は悪い!、しかし新約の神は、ただ愛である」
-
彼らは何をしたのでしょうか? 彼らはただ彼らにとって都合の良い神を造り出したのです。
-
彼らは神のイメージを変えました。
-
彼らは十戒の最初の命令に背いてしまいました。
-
彼らの神はエジプトからイスラエル人を導き出した神と違うのです。
-
彼らの神は聖書全体に読む神とは違うのです。
-
しかし神は同じです。ええ、今も神は憐み深く、当時も憐み深かったのです。
-
次回に私はそのことについて話します。
-
ダビデ王は神に対して罪を犯しました、大きな罪です。しかし彼は憐みを見つけました。
-
新約の使徒行伝5章で、アナニヤとサッピラは神に対して罪を犯しました。
-
彼らは神の前で嘘を言いました。
-
神は、彼はそこで何をしましたか? 神は彼らを殺しました。
-
アナニヤとサッピラは新しい契約、新約の中にいました。
-
新約聖書に虫に食われたヘロデについての記事があります。使徒行伝の中にあります。
-
神は旧約聖書の中で憐み深く、神は旧約聖書の中でも愛し、
-
神は新約聖書の中で憐み深く、神は新約聖書の中で愛します。神は同じです。
-
ええ、私たちは新しい契約の中に生きています。そしてモーセの律法の下にはいません。
-
今の私たちはイエスの律法の下にいます。
-
私たちは彼と共に生きます。それについては次回話す予定です。
-
しかし教会の多くの人達が間違った神を造りました。
-
彼らの神は愛です。何故でしょう?
-
私たちは終わりの時代に生きているので、
-
人々は無法の人生、罪を犯してもよいというライセンスを持って生きたいからです。
-
私たちは愛、愛、愛を説くので、私たちがラディカルに語る
と、彼らをそれ(神は愛)を使って私たちに反対します。
-
「しかし神は愛ならば、なぜ私はこれができないのか?
もし神が愛ならば、なぜこれはいけないのか?」
-
それは私たちがこの世に対して説いた王国です。
そして世は今私たちに対して反抗しています。
-
もはや、神への恐れがありません。人々は罪を続けます。
-
彼らは神を欲しくありません。なぜなら私たちが愛を説いているからです。
-
私たちは立ち止まり、元に戻って、最初の弟子たちが
したように、神の義を説く必要があります。
-
神が私たちに命じたことです。
-
続いて神がどんな方なのかを見て行きます。
-
最初に、ここに、神は愛である、彼は愛、神は愛である、から始めます。
-
何故私は、神は愛であると言うのでしょう? それは神が愛だからです。
-
聖書は言います。神は愛である。第一ヨハネ4:8
-
「愛さない者は神を知りません、神は愛だからです」
-
そうです、これは真理です、神は愛です。
-
神は聖です。これもまたみ言葉が語っていることです。
-
聖書は言います。神は聖です。
-
第一ペテロ1:15,16 「あなた方を召した方が聖なるものであるように、
-
あなた方もあらゆる行いにおいて聖なるものでありなさい」
-
聖なるものでありなさい、私が聖なるものであるから、と書いてあるからです。
-
神は聖なる方です。彼は言います。神は愛です、しかし彼はまた言います。神は聖なる方です。
-
次に、神は義です。これもみ言葉が言っていることです。
-
神は義です。
-
詩編の7:11にラディカルな節があります。
-
「神は正しい審判者、日々怒る神です」
-
これはヨハネ3:16よりも小さなみ言葉でしょうか?
-
いいえ、ヨハネ3:16は神のみ言葉ですが、これも神のみ言葉です。
-
それは同じです。ええ、でもそれは旧い契約、旧約聖書です。
-
しかし神は変わっていません。神はいつも悪い人達に対して怒っています。たとえ今日でも。
-
あなたの聖書を読んでください。ロマ書の1:21は、誰も神を
求めない世界について語っています。
-
神は変わっていません。このみ言葉はその他の言葉より小さくありません。
-
神は義であり、正しい審判者です。
-
もう一つのことは、神が燃えつくす火であるということです。
-
神は燃えつくす火です。み言葉は言います。
-
ええ、トム、私は知っているけど、でも、神は愛です。神は聖です。
-
でも、あなたは今、旧約聖書に行こうとしている、詩編に。
-
さっきはヨハネで、今、あなたは旧約聖書に行く
-
燃えつくす火、でも旧約聖書に行かないでください、私たちは新約聖書の時代にいます。
-
神が燃えつくす火であるというのがどこにあるか知っていますか。
-
聖書のどこにあるかご存知ですか?
-
それは新約聖書の、へブル書にあります。
-
そこに新約と旧約の違いが語られています。
-
神は今何をしていて、今、神を私たちは恐れなければならない。
-
これが次に私が話そうとしていることです。
-
へブル書のみ言葉は、私たちの神は燃えつくす火であると言っています。
-
へブル書の著者はクリスチャンに宛てて書いています。
-
信じる者は神を恐れなければならない、神は燃えつくす火であるから。
-
しかし今日、私が人々に、神はどんな方かと尋ねると、
-
愛、聖、義、燃えつくす火、これらの四つの内に一つだけ
選んでもらうとすると、他にもあり得ますが、
-
もし、これの四つから選ぶとすると、今の教会では、
この四つの内のどれを選ぶと思いますか?
-
神は愛です。
-
教会の外の人達がどう言うと思いますか?
-
神は愛。
-
人々は神は愛であると言います。
-
彼らは神が義であると言いません。彼らは神は燃えつくす火であると言いません。
-
人々は、神は愛、と言います。もちろん、少数の人達は神は燃えつくす火であると言います。
-
しかし誰もが、神は愛である、そういう側面だけ、神の絵を言うでしょう。
-
デイビッド・ポーソンがテレビで、地獄について
インタビューされた時に、
-
私たちは次のような場面を決して見ることはありません。
-
インタビューする人はこのようには言いませんでした。
-
「どうして燃えつくす神は、燃えつくす火として、
人々を地獄に追いやることができるでしょうか」とか、
-
「義なる神はどうして人々を地獄に追いやることができるでしょうか?」
-
人々は今日このようなことを言うことがありません。
-
いつも人々は罪を犯してもよいライセンスが欲しいのです。
-
いつも彼らは彼ら自身の人生を生きることを望みます。
-
いつも彼らは地獄について聞きたくありません。彼らは、「神は愛である」を用います。
-
しかし聖書が「神は愛」であると際立って大きく書かれているわけではありません。
-
聖書の他の箇所よりもはるかに大きいのではありません。
-
これ(愛)はこれ(聖)以上ではありません。
-
聖書の中には見つかりません。神は愛であり、それから
少し聖であり、少し義であり、少し燃えつくす火である。
-
神は愛だけである、ということは(聖書の中に)見られません。
-
もし私が「神とはどんな方ですか?」と訊かれたら、私は、「神は全てです」と言います。
-
しかしもし一つしか選ぶことが許されていないなら、
-
私は、「神は聖なる方」と言います。
-
なぜ、私は神は聖なる方を選ぶのでしょうか?
-
その理由を説明しましょう。
-
今日もし私が誰かにEメールを書くとすると、最初に一つの言葉を入れたいとすると、
-
そこに私はその言葉の裏にパワーを入れたい(強調したい)
-
私はそれを太文字で書くか、下線を引きます。
-
あなたが聖書を取って見ると、そこには太文字や、下線を引いた文字はありません。
-
聖書ではそうしませんでした。
-
彼らが当時やったことは、書いた時に、ハイライトするために同じ言葉を二度言いました
-
例えば、イエスは、「まことに、まことに私はあなたに言います。」
-
彼は「まことに、まことに」と二回言ったわけではなく、
彼は一回言いましたが、下線を引いたようなものです。
-
他の箇所では、マタイに、「多くの人がある日、主よ、
主よと彼に言うでしょう」とあります。
-
彼らが、「主よ、主よ」とか二回言うのではありません。彼らは、「主よ」と一回言います。
-
2回書かれているのは、そこに下線を引き、その裏に力があることを示すためです。
-
彼らは、主よ、主よ、と言っているのではありません。
-
彼らは、主よ!と言っています。
-
もしあなたが聖書を調べるなら、いくつかの言葉はそのように2回書かれています。
-
私は一つの言葉が三回書かれているのを見つけました。
-
2回ではありません。1回ではありません。一つの言葉が3回です。
-
天上の天使たちが昼も夜も言っています。
-
「聖なる、聖なる、聖なる、主なる全能の神、過去にいまし、今いまし、やがて来る方」
-
彼らは「聖なる、聖なる、聖なる主、全能の神」と言っています。
-
私は、彼らが、聖なる、聖なる、聖なる、とくり返して、
それから主、全能の神と言っているとは信じません。
-
彼らは「聖なる主、全能の神」と言っていると信じます。
-
彼らは1回、「聖なる、主、全能の神」と言っています
-
彼らは、「愛の主全能の神」とか「義なる主、全能の神」と言っていません。
-
彼らは「聖なる」と言っています、神が聖なる方だからです。
-
神の愛さえも聖です。
-
神のすべてが聖です。
-
神は燃えつくす火です。聖なる燃えつくす火です。
-
神の義は聖なる義です。
-
神の愛は聖なる愛です。
-
あなたが罪人たちのところに行って、「神はあなたを愛します」と言うなら、
-
彼らはそこに聖なる愛を見ないでしょう。
-
彼らは汚れた愛を考えます。
-
ホモセクシャル、姦淫の生活をしている人たちは言います
-
「しかし神は愛です、私たちは互いに愛し合っています」
-
いいえ、これは聖なる愛ではありません。
-
姦淫の生活をしていて、その生活を神の愛と呼ぶことはできません。
-
なぜなら、それは聖なるものではありません。
-
神からの愛は、聖なる愛です。
-
私たちの内側に神の霊によって注がれた聖なる愛です。
-
私たちはこれを理解する必要があります。
-
あなたは、私がここで言ってきたことを理解する必要があります。
-
また私が次回に続けて、今日話したことを基礎に話すことも。
-
私はあなたがあなたの人生のどこにいるのかを知りません。
-
あなたが罪を犯してもよいというライセンスを持って生活しているなら、
-
もしあなたが本当にラディカルな生活をしていないのなら、
-
それはあなたが神の義を理解する必要があるからです。
-
あなたの生活の中に、神への恐れが必要です。神は聖なる神であって、
-
燃えつくす火であることを理解する必要があります。
-
神は罪を裁きます。
-
旧約から神は変わっていません。神は同じです。罪は同じです。
-
ええ、神はご自分の御子イエスキリストを送りました。
私たちは彼によって聖い生活をすることができます。
-
神は同じです。もしあなたが無法な罪の生活をしているなら、
-
罪を犯してもよいというライセンスを持って生きていて、
-
神に対する恐れをあなたの生活の中に持たないならば、
-
あなたはその点にフォーカスする必要があります。
-
み言葉が何と言っているのかを読んで、これを理解しなければなりません。
-
もしあなたの生活が律法主義で満ちていて、神があなたを
愛していることを理解しないならば、
-
ある人々は神の愛にフォーカスする必要があります。しかし私は言っておきたい。
-
殆どの人にとって、聖霊に満たされる必要があります。
-
このことにフォーカスするだけではなく、聖霊に満たされなければなりません。
-
それを理解する必要があります。
-
私たちがティーチングについて話す時、ある教会では、彼らはここ(神の義)にフォーカスします。
-
しかし多くの教会が今日、残念なことに、
-
私たちは、無法がはびこって行く終わりの時代に生きています。
-
彼らは神の愛にフォーカスします。これが私たちが見ることです。
-
あなたの人生の中でバランスを保つために、神がどんな方であるかを理解するために、
-
私たちは聖書を必要としています。いつも違うことについて本を何冊も読むだけではなく、
-
特に文脈の外に取り出してある節だけを引用するのではなく、聖書を読んでください。
-
私は誰にも聖書の全体を初めから終わりまで、
-
創世記から黙示録まで読み始めることをお勧めします。
-
聖書を初めから終わりまで読んでください。誰でも少なくとも一回はそうすべきです。
-
しかし彼らは、神がどんな方であるかという正しい絵を
得るために、再び、再び、再びそうするべきです。
-
あなたはそうする必要があります。私はそうする必要があります。
-
そうすることによって、私たちは騙されることがなく、他の人達を騙さなくなります。
-
これが今回私が言いたかったことです。
-
もしあなたがこのティーチングについて質問があれば、
-
あなたの質問を寄せてください。次の時に私はそれを取りあげましょう。
-
次回も私はこれを続けます、それに基づいて、
-
あなたが来て、神がどんな方であるかを知ることができるように助けます。
-
私たちは終わりの時代に生きていて、多くの人達が騙されています。
-
今、ハイパー・グレースというものが流行っています。
-
しかし恵みは罪を隠すものではありません。
-
恵みは罪を犯すためのライセンスではありません。
恵みはあなたの内にあって力を与えるものです。
-
神があなたを召した人生を生きることができるためです。
-
恵みは、隠すものではありません。
-
神は聖なる神です。
-
もしあなたがティーチングを聞いて、神への恐れ以外のものがあなたの人生の内に造られるならば、
-
本当に健全な恐れ、悪を憎み、悪い道を憎み、あなたの内に聖霊を体験し、
-
聖霊による神の愛を体験するならば、
-
もしそれ(ティーチング)がそのようなものでなければ、
気を付けてください。それを聞かないでください、
-
その道を進まないようにしてください。なぜならあなたは騙されてしまうからです。
-
あなたは騙されてしまうでしょう。
-
立ち止まって、神の言葉を取って、神のみ言葉の上に基礎を建てましょう。
-
私たちは神の義から始めます。神が聖なるものであり、
-
正しい審判者であり、燃えつくす火であることを理解します。
-
私たちの生活の中で深い悔い改めをします。
-
新しい生活をするための道具を得ます。
-
水によるバプテスマと、聖霊のバプテスマを受けます。
-
そうして私たちは私たちの心の中に神の愛を受け取ります。
-
それは聖霊によって私たちの心に注がれるものです。
-
それから私たちは道の中央を歩きます。
-
私たちは律法主義に歩きません、聖霊を私たちの内に持っているからです。
-
また私たちは不法の内を歩みません、神への恐れを持っているからです。
-
これが誰もが必要としていることです。私は今あなたのために祈ります。妻が歌を歌います。
-
この言葉があなたがいるところで、あなたを自由にするように祈ります。
-
これはしばしばビデオの問題です、なぜなら人々は人生の違うところにいるからです。
-
もしあなたが激しく義を説く路傍伝道者の様であれば、
-
聖霊のバプテスマを受ける必要があります。
-
あなたは力を持って出て行くことができるように、神の力を持つ必要があります。
-
あなたにはそれが必要です。あなたの人生の中に愛を持つことができるように、
-
そうすれば、正しく宣べ伝えることができます。
-
神は人々に敵対していません。神は彼らの生き方を憎んでいます。嫌っています。
-
しかし、神の親切、神の愛は多くの方法を通して彼らに届こうとしています。
-
なぜなら神は彼らに来て救われて欲しいからです。
-
ですから私たちは人々に反対しているわけではありません。
-
あなたはそこを理解する必要があります。
-
あなたが神の愛を説くだけならば、カモン(いい加減にしてください)、あなたは人々を騙しています。
-
あなたが出て行って「神は愛、神は愛」と言うならば、あなたは人々を騙し、
-
これらの人々はそれを聞いて、あなたのメッセージを気に入るでしょう。
-
彼らは言うでしょう。「あ~私の耳にはそれが心地よい。
私たちはそれを聞くのが大好きです」
-
彼らは決して深い悔い改めに入ることはありません。
-
彼らは決して来て深い悔い改めをしません、神を理解しません。特に
-
あなたが説くようなことからは理解しません。
-
はい、もし彼らがそこで聖書を読み通すならば、
-
後になって深い悔い改めをして、理解します。それは誰もが必要です。
-
ですから、あなたはそこにいるのかもしれません。
-
或いはこちらにいるのかもしれません。
-
多分あなたはこの背景の中で成長しているのかもしれません。そしてこれを必要としているのかもしれません。
-
あなたはこちらで成長していて、これが必要かもしれません。
-
しかし、真理全体を持ちましょう、真理だけを。
-
質問をしてください。次回それを取り上げます。
-
神よ、あなたにこのティーチングのゆえに感謝します。私は祈ります。
-
これがこのティーチングを受け取る誰にとっても啓示となりますように。
-
これによって彼らの目が開けられて、神よ、彼らの耳が
開かれて、彼らの心で受け取ることができますように。
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神よ、あなたがどんな方であるかを正しく理解することができますように。
-
彼らが騙されることなく、他の人々を騙すことがないように。神よ、
-
あなたの啓示を持ってきてください。あなたの啓示を持ってきてください。
-
聖霊が彼らの目を開けてください。彼らがあなたのみ言葉を読む時に。
-
来てください。イエスの名前で祈ります。あなたが彼らに触れてください。
-
このティーチングを用いて、あなたの教会を自由にしてください。神よ。
-
そうして私たちは来て、あなたがどんな方であるかを正しく理解できるようにしてください。
-
聖霊よ来てください。
-
私はあなたに願います、これを通して働いてください。イエスの名前によって。
-
アーメン
-
次回お会いしましょう。私はこの続きのティーチングをします。あなたに神の恵みがあるように。