気難しい父親の息子として
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0:01 - 0:03この写真には
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0:03 - 0:05私が何年も暗殺を企てた男が
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0:05 - 0:09写っています
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0:09 - 0:12私の父―
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0:12 - 0:16クリントン・ジョージ “バガイ” グラントです
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0:16 - 0:18父が “バガイ (袋)” と呼ばれたのは
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0:18 - 0:22常に目元の涙袋がたるんでいたからです
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0:22 - 0:2510歳だった私は 兄妹と一緒に
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0:25 - 0:29ハエ取り紙から毒をこそげ取って
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0:29 - 0:33父のコーヒーに混ぜたり
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0:33 - 0:35ガラスを砕いて
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0:35 - 0:38父の朝食にかけたり
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0:38 - 0:40階段のカーペットを緩めておいて
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0:40 - 0:43父が滑って首を折らないかと
思い巡らしていました -
0:43 - 0:45しかし そうはうまくいかず
父はいつでも -
0:45 - 0:47カーペットの緩んだ段をとばして歩き
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0:47 - 0:49コーヒーも朝食も満足にとらずに
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0:49 - 0:51背中を丸めて
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0:51 - 0:54出かけて行くのでした
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0:54 - 0:55何年もの間
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0:55 - 0:57私は自分が殺す機会を逸しているうちに
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0:57 - 0:59父が死ぬのではないかと恐れたものです
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0:59 - 1:04(笑)
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1:04 - 1:07母が父に家から出ていってほしいと
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1:07 - 1:08告げるまで
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1:08 - 1:13バガイは恐ろしい怪物でした
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1:13 - 1:16父は常に怒りを爆発させる寸前の状態でした
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1:16 - 1:20ご覧のとおり 私のような感じです
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1:20 - 1:23父はルートンのヴォクソール・モータースで
夜間勤務をしていたので -
1:23 - 1:26家の中が完全に静かであることを求めました
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1:26 - 1:29ですから 私たちは午後3時半に
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1:29 - 1:31学校から帰ると テレビのそばに
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1:31 - 1:34寄り合って さながら金庫破りのように
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1:34 - 1:37テレビのボリュームを回して
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1:37 - 1:40ほとんど聞こえないくらいの
音量に合わせたものです -
1:40 - 1:42時には 家の中で
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1:42 - 1:44「シーッ」と声を潜めてばかりいたので
-
1:44 - 1:46「シーッ」と声を潜めてばかりいたので
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1:46 - 1:48その様子は まるで
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1:48 - 1:52ドイツ軍兵士がUボートで
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1:52 - 1:54こっそりと海面に近づいていくようだと
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1:54 - 1:56思っていました
一方 その上の水面には -
1:56 - 2:00英国海軍軍艦のバガイ号が
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2:00 - 2:02静寂を乱す者に
-
2:02 - 2:06爆雷を落とすべく
待ち構えているのです -
2:06 - 2:09これが教えてくれた教訓は
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2:09 - 2:10「家でも外でも
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2:10 - 2:12人目を引くようなことをするな」
というものでした -
2:12 - 2:15これは あるいは移民であるがゆえの
教訓であったかもしれません -
2:15 - 2:18私たちはレーダーの監視下に置かれており
-
2:18 - 2:20コミュニケーションらしいものは
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2:20 - 2:23バガイと私たちの間に
まるでありませんでした -
2:23 - 2:26私たちが心待ちにしていた音はというと―
-
2:26 - 2:27あなた方が子供の頃は
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2:27 - 2:31父親が帰ってくるのが嬉しくて
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2:31 - 2:32ドアが開く音を待ちかねていたことでしょう
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2:32 - 2:34私たちが楽しみにしていた音は
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2:34 - 2:36ドアがかちっと閉まる音でした
-
2:36 - 2:40バガイは出て行って
もう帰ってこないのだとわかる音です -
2:40 - 2:4430年の間
-
2:44 - 2:47私と父が互いを目にすることは
ありませんでした -
2:47 - 2:4930年間 互いに話すことも
ありませんでしたが -
2:49 - 2:50数年前 私は
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2:50 - 2:55彼に目を向けることを決めました
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2:55 - 2:57「お前は見られているんだ
-
2:57 - 2:58本当に
-
2:58 - 3:00見られているんだぞ」
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3:00 - 3:03これは父が 私たち子供に
言い聞かせていた呪文でした -
3:03 - 3:05何度も何度も聞かされました
-
3:05 - 3:08これは時代が1970年代で
場所がルートンという -
3:08 - 3:10彼がヴォクソール・モータースに
勤めていた街であり -
3:10 - 3:11彼がジャマイカ人だったからです
-
3:11 - 3:12父が言いたかったのは
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3:12 - 3:15「ジャマイカ系移民の子供として
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3:15 - 3:16お前たちは その振る舞いと
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3:16 - 3:18ステレオタイプに当てはまるかどうかが
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3:18 - 3:22見られているんだ」ということでした
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3:22 - 3:25無責任で 仕事嫌いで
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3:25 - 3:27そのうち犯罪を犯すに違いない
というものです -
3:27 - 3:29「お前たちは見られているんだから
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3:29 - 3:33彼らの期待を裏切ってやれ」というのです
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3:33 - 3:38その意味においては
バガイとその友人は― -
3:38 - 3:39ほとんどがジャマイカ人でしたが―
-
3:39 - 3:43ジャマイカ人として立派な印象を残しました
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3:43 - 3:46世間には自分の最も良い側面と
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3:46 - 3:48良い顔を見せろ というものです
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3:48 - 3:5040年代や50年代にやってきた
-
3:50 - 3:52カリブ系の人々の
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3:52 - 3:54写真を見たことがあれば
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3:54 - 3:55多くの男性がトリルビー帽を
かぶっていることに -
3:55 - 3:57気付いたでしょう
-
3:57 - 4:01ジャマイカにはトリルビー帽をかぶる
習慣はありません -
4:01 - 4:03この国にやってくる際に
伝統を作り出したのです -
4:03 - 4:05彼らは自分たちが
このように見られたいという姿を -
4:05 - 4:08投影したかったのです
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4:08 - 4:09そのために 彼らの見た目と
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4:09 - 4:12自ら名乗る名前が
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4:12 - 4:14彼らを定義づけました
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4:14 - 4:19バガイは髪がなく 目には涙袋がありました
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4:19 - 4:23“Tidy boots (きれいなブーツ)” は
靴に気をつかいました -
4:23 - 4:26“Anxious (心配性)” は心配性でした
-
4:26 - 4:29“Clock (時計)” は片方の腕が
もう片方より長かったのです -
4:29 - 4:32(笑)
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4:32 - 4:36私の1番のお気に入りは
“Summerwear (夏服)” と呼ばれた男です -
4:36 - 4:37“夏服” は60年代初頭に
-
4:37 - 4:40ジャマイカからイングランドにやってくると
-
4:40 - 4:42どんな天気であっても
夏用の薄手のスーツを -
4:42 - 4:44着るといってきかなかったのです
-
4:44 - 4:45彼らの人生を調査する間に
-
4:45 - 4:48私は母に「“夏服” はどうなったの?」
と尋ねました -
4:48 - 4:53母は「風邪をひいて死んでしまったわ」
と言いました (笑) -
4:53 - 4:55しかし “夏服” のような男たちは
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4:55 - 4:56スタイルの重要性を教えてくれます
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4:56 - 4:58彼らはスタイルを強調したかもしれません
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4:58 - 5:01自分たちがあまり洗練されていないと
思われていると -
5:01 - 5:03考えたためです
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5:03 - 5:06そして彼らはその世代の態度や不安を
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5:06 - 5:09私たち 次の世代に引き継ぎました
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5:09 - 5:11ですから 私が育った時代には
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5:11 - 5:13テレビのニュースやラジオで
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5:13 - 5:15黒人が犯罪を犯したという
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5:15 - 5:17ニュースがあれば―
-
5:17 - 5:20ひったくり 殺人 強盗など―
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5:20 - 5:24私たちは両親と共にたじろいだのです
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5:24 - 5:27なぜなら 彼らが
世間体を傷つけているからです -
5:27 - 5:28皆 自分を代表しているだけでなく
-
5:28 - 5:30グループを代表しているのです
-
5:30 - 5:34自分も もしかしたら同じような目で
-
5:34 - 5:37見られるかもしれないということは
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5:37 - 5:41ある意味で 受け入れるのが恐ろしいことでした
-
5:41 - 5:44ですから そのことに
立ち向かわねばならなかったのです -
5:44 - 5:49私たちの父やその同僚の多くは
-
5:49 - 5:52発信はしていても 受信することは
ありませんでした -
5:52 - 5:54彼らは発信する能力はあっても
受信はできなかったのです -
5:54 - 5:57私たちは沈黙するほかありませんでした
-
5:57 - 5:59父が私たちに話して来るときは
-
5:59 - 6:01説教であることが常でした
-
6:01 - 6:03確かな信念にしがみついていたため
-
6:03 - 6:07疑いが生まれれば
台無しになってしまいます -
6:07 - 6:11私が家で仕事をして
-
6:11 - 6:151日中 書き物をしたあとに
下の階に降りて行き -
6:15 - 6:18興奮して マーカス・ガーヴィーや
ボブ・マーリーの話をすると -
6:18 - 6:21言葉が蝶のように次々と出てきます
-
6:21 - 6:23私があまりにも興奮しているので
子供たちは私を止めて -
6:23 - 6:27「お父さん 誰も興味ないよ」と言います
-
6:27 - 6:31(笑)
-
6:31 - 6:33でも 子供たちは
本当は興味があるのです -
6:33 - 6:34行き会う時がくるのです
-
6:34 - 6:37どうにかして 父親のもとに
やってくる時がくるのです -
6:37 - 6:41子供たちはあなたが語る人生を通して
自分たちの人生を形作ります -
6:41 - 6:45私が父や母の人生から学んだように
-
6:45 - 6:47そしてバガイが その父親から学んだように
-
6:47 - 6:49このことは 私が
-
6:49 - 6:52父の人生を振り返るうちに
はっきりとしてきました -
6:52 - 6:55そして ネイティブアメリカンが
-
6:55 - 6:56よく言うように
-
6:56 - 6:58「相手のモカシンを履いて歩かずに
-
6:58 - 7:00相手を批判してはならない」のだと
わかったのです -
7:00 - 7:03父の人生を掘り起こす中で
-
7:03 - 7:061970年代のイングランドにおける
-
7:06 - 7:09カリブ系移民の生活を描くのは
実に簡単でした -
7:09 - 7:14ボウルに入ったプラスチックの果物
-
7:14 - 7:17ポリスチレンの天井
-
7:17 - 7:20配達されたときについてきた
-
7:20 - 7:23透明な覆いがかかったままのソファ
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7:23 - 7:25ですが もっと理解しがたいのは
-
7:25 - 7:26異なる世代間の
-
7:26 - 7:28感情のひだであり
-
7:28 - 7:33老齢と共に知恵がつくという古いことわざは
-
7:33 - 7:35真実ではないのです
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7:35 - 7:39老齢と共に訪れるのは
世間体といううわべと -
7:39 - 7:42不快な真実といううわべです
-
7:42 - 7:45真実であったのは 私の両親―
-
7:45 - 7:47私の母と父はそのうわべと共にあり
-
7:47 - 7:50国が私に授ける教育を
信頼しなかったということです -
7:50 - 7:52私の発音をよく聞いてください
-
7:52 - 7:57両親は私を私立の学校に入れると
決めていましたが -
7:57 - 7:58父が働いていたのは
ヴォクソール・モータースです -
7:58 - 8:02私立校の学費を払い
-
8:02 - 8:05何人もの子供たちを食べさせるのは
困難でした -
8:05 - 8:07私は学校の入学試験を受けに行き
-
8:07 - 8:09父が神父さんに―
-
8:09 - 8:13カトリック系の学校でした―
こう言ったのを覚えています -
8:13 - 8:17息子には良い「ちょういく(教育)」を
受けさせたいと -
8:17 - 8:20ですが 父は
-
8:20 - 8:22蟯虫検査もパスしたことがなかったので
-
8:22 - 8:25入学試験のことは気にも留めませんでした
-
8:25 - 8:27私の学費を捻出するため
-
8:27 - 8:30父は危ない仕事にも
手を出さねばならず -
8:30 - 8:33父は私の学費のために
-
8:33 - 8:36車のトランクから
非合法な商品を売ったのです -
8:36 - 8:38これはさらに厄介な状況になりました
-
8:38 - 8:40ちなみに これは父の車ではありません
-
8:40 - 8:42父はそのような車を
手に入れたいと望んでいましたが -
8:42 - 8:44父の車はボロボロのミニで
-
8:44 - 8:48移民としてこの国にやってきた
ジャマイカ人である父は -
8:48 - 8:51運転免許証がなく
-
8:51 - 8:54車両保険や道路税や
車検などもありませんでした -
8:54 - 8:56父は「運転の仕方を知っているのに
-
8:56 - 8:59どうして国の認可が要ると言うのか?」
と考えていたのです -
8:59 - 9:02しかし 警察に車を止められた時などは
厄介なことになりました -
9:02 - 9:04そして実際私たちは
よく警察に止められました -
9:04 - 9:05ところで 私も父の警官への対応には
-
9:05 - 9:07感心していました
-
9:07 - 9:10父はその警官をすぐさま昇進させたのです
-
9:10 - 9:14つまり会話の中でブロッグス巡査を
-
9:14 - 9:15警部補と呼び
-
9:15 - 9:17そうすると 陽気に見逃してくれるのです
-
9:17 - 9:19父はジャマイカで言うところの
-
9:19 - 9:23「賢くやるためにバカなふりをする」というのを
実践していたのです -
9:23 - 9:26しかし これは同時に
-
9:26 - 9:28警官から父が軽く見られたり
-
9:28 - 9:30見くびられるということでもあり
-
9:30 - 9:3210歳の私にも それはわかりました
-
9:32 - 9:35しかし 権威に対する
相反する感情もあったのです -
9:35 - 9:36一方では
-
9:36 - 9:38権威をばかにしていながら
-
9:38 - 9:40もう一方では 権威に
-
9:40 - 9:42従ってもいました
-
9:42 - 9:44そして こうしたカリブ系の人々は
-
9:44 - 9:48大仰なまでに権威に服従しており
-
9:48 - 9:51これはある意味で とても目立ち
とても奇妙でした -
9:51 - 9:54なぜなら移民というのはとても
勇気のある人々だからです -
9:54 - 9:56彼らは祖国を離れるのですから
私の両親は -
9:56 - 10:00ジャマイカを離れて 4千マイルも旅をして
-
10:00 - 10:04その移動によって 子供じみてしまいました
-
10:04 - 10:06引っ込み思案になり
-
10:06 - 10:07そのせいか どういうわけか
-
10:07 - 10:09自然の順序が反対になってしまいました
-
10:09 - 10:13子供たちが両親の親のようになったのです
-
10:15 - 10:17カリブ系の人々は5年計画で
この国にやってきました -
10:17 - 10:19仕事をして お金を貯めたら
戻るつもりでいたのです -
10:19 - 10:22しかし 5年のつもりが10年になり
10年が15年になりました -
10:22 - 10:24そして気づかぬうちに
壁紙を変えるようになり -
10:24 - 10:28ある時点で もうここに留まるのだと
思うようになるのです -
10:28 - 10:30それでも 私の両親はどこかしら
-
10:30 - 10:33一時的に滞在しているだけだ
といったところがありましたが -
10:33 - 10:37私たち子供はそんな遊びは
もう終わったと知っていました -
10:37 - 10:40私が思うに 両親が
-
10:40 - 10:45思い描いていた人生の理想を
-
10:45 - 10:47抱き続けるわけにはいかないだろうと
感じていたのです -
10:47 - 10:49現実は ずっと異なっていました
-
10:49 - 10:51そして それは私の教育という試みにおける
-
10:51 - 10:53現実についてもそうでした
-
10:53 - 10:57自ら始めておきながら
父は途中で投げ出してしまいました -
10:57 - 10:59私の教育は母の手にゆだねられ
-
10:59 - 11:02ジョージ・ラミングならこう言うでしょう
-
11:02 - 11:06「私の父親役を務めたのは母であった」と
-
11:06 - 11:08父が不在であっても
例の呪文は健在でした -
11:08 - 11:10「お前は見られているんだぞ」と
-
11:10 - 11:13しかし そこまでの用心深さは
不安感へつながりかねません -
11:13 - 11:15実際に 何年も後になって
-
11:15 - 11:17多くの若い黒人男性たちが
-
11:17 - 11:19統合失調症の診断を受けている理由を
調査していたときに― -
11:19 - 11:21実に平均の6倍もの多さなのですが―
-
11:21 - 11:25精神科医の言葉を聞いても驚きませんでした
-
11:25 - 11:29「黒人はパラノイアを刷り込まれている」
と言うのです -
11:29 - 11:33父 バガイならこれを聞いて
何と言うだろうかと思います -
11:33 - 11:35私にも10歳の息子がいたので
-
11:35 - 11:38バガイに関心がわき
-
11:38 - 11:40父を探すことにしました
-
11:40 - 11:43父はルートンに戻っており
82歳になっていました -
11:43 - 11:47私は30数年間 会っていませんでした
-
11:47 - 11:49父がドアを開けると
-
11:49 - 11:52そこにいたのは この背の小さな
目に柔らかい笑みを浮かべた男性でした -
11:52 - 11:55父が微笑むのを見たことが
それまでありませんでした -
11:55 - 11:58私は父の笑みにうろたえました
-
11:58 - 12:01しかし 一緒に腰をかけて
父はカリブ系の友人と一緒に -
12:01 - 12:03昔話をしていたところでした
-
12:03 - 12:06父は私に目を向けました
-
12:06 - 12:08父が私を見る目は まるで私が
-
12:08 - 12:11現れたとき同様に 今にも
消えてしまうんじゃないかといったようでした -
12:11 - 12:13それから友人の方を向き
父はこう言いました -
12:13 - 12:16「この子と私は深い深い絆で結ばれているんだ―
-
12:16 - 12:19それは深い絆でね」
-
12:19 - 12:21でも私はそんな絆を
感じたことはありませんでした -
12:21 - 12:24鼓動のようなものがあったにしても
とても弱いか― -
12:24 - 12:26ほとんどなかったも同然でした
-
12:26 - 12:28この再会の間中 私は
-
12:28 - 12:33父の息子になるためのオーディションを
受けているような気分でした -
12:33 - 12:35本が出版されると
-
12:35 - 12:37全国各紙でいい書評をもらいましたが
-
12:37 - 12:40ルートンで新聞と言えば
ガーディアン紙ではありません -
12:40 - 12:42ルートン・ニューズ紙です
-
12:42 - 12:46そして この本について
ルートン・ニューズ紙が選んだ見出しは -
12:46 - 12:51「32年に及ぶ不和を癒やす一冊」でした
-
12:51 - 12:54これは世代間の不和をも意味するのだと
-
12:54 - 12:56私は理解しました
-
12:56 - 13:00私のような人々と
父の世代の人々との不和です -
13:00 - 13:03しかしカリブ系の生活には
-
13:03 - 13:05回顧録や伝記といった伝統はありません
-
13:05 - 13:09自らの私生活については
公に語らないのが伝統なのです -
13:09 - 13:13しかし 私はこの見出しを
喜んで受け入れましたし -
13:13 - 13:15実際に この本が
かつては語られなかったようなことを -
13:15 - 13:20語るきっかけを生み出す
可能性があると思いました -
13:20 - 13:24この本が世代間の差を
埋めてくれるかもしれない― -
13:24 - 13:26この本が修理道具となってくるかもしれないと
思ったのです -
13:26 - 13:29そして この本は私の父にとっては
-
13:29 - 13:32子としての深い愛情を示す行為だと
-
13:32 - 13:36受け取られるかもしれないと
感じ始めました -
13:36 - 13:39なんと哀れな浅はかな考えでしょうか
-
13:39 - 13:43バガイは自らの短所が公にさらされたことに
-
13:43 - 13:46ひどく傷つきました
-
13:46 - 13:49父は私の裏切りに傷つき
-
13:49 - 13:51翌日 新聞社を訪れて
-
13:51 - 13:53応酬する権利を要求しました
-
13:53 - 13:55そして 見出しにこう出たのです
-
13:55 - 13:58「バガイ反撃に出る」と
-
13:58 - 14:01そして その記事は私の裏切りを
鮮やかに切り捨てました -
14:01 - 14:04私は彼の息子などではなく
-
14:04 - 14:05父は自らの肌の色によって
-
14:05 - 14:08地を這うような生活を強いられたと考えており
それを許すことができなかったのだといいます -
14:08 - 14:11彼は尊厳を取り戻さなければならず
実際に取り戻しました -
14:11 - 14:13私は始めこそ がっかりしましたが
-
14:13 - 14:15その立場を敬うようになりました
-
14:15 - 14:18もう82歳でありながら 父の身体にはまだ
-
14:18 - 14:22炎に沸き立つような血が流れていたのです
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14:22 - 14:24そして これが再び30年の沈黙へと
-
14:24 - 14:28戻ることを意味しているのであれば
-
14:28 - 14:34父ならこう言うでしょう
「そういうものなら そうなんだろう」と -
14:34 - 14:37ジャマイカ人は 事実などというものはなく
-
14:37 - 14:39様々な見解があるだけだと言うでしょう
-
14:39 - 14:41私たちは自分が
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14:41 - 14:44一番信じたい見解に基づいた話を
するだけのことなのです -
14:44 - 14:47各世代の生み出す体系は
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14:47 - 14:49自ら解体したがらなかったり
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14:49 - 14:51時に解体不可能であるものですが
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14:51 - 14:55本の中で 私の見解から語った物語は
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14:55 - 14:57変化し始め
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14:57 - 15:01私の手から離れていきました
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15:01 - 15:04私の父に対する憎しみは消えました
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15:04 - 15:08父が死ねばいいとか
殺したいと思わなくなり -
15:08 - 15:12自由になったように感じました
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15:12 - 15:17以前よりずっと自由になったのです
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15:17 - 15:19私は この自由な感覚が父にも
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15:19 - 15:22伝わらないだろうかと考えました
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15:24 - 15:29初めての再会で
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15:29 - 15:31私は自分が幼い頃の写真を
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15:31 - 15:34ほとんど持っていないことに
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15:34 - 15:37衝撃を受けました
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15:37 - 15:39これは私が
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15:39 - 15:419ヶ月の頃の写真です
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15:41 - 15:43元の写真では
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15:43 - 15:46私は父 バガイに抱き上げられていますが
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15:46 - 15:48両親が離婚したときに
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15:48 - 15:51母はあらゆる生活の側面から父を除外しました
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15:51 - 15:55母はハサミですべての写真から
父を切り取り -
15:55 - 15:59何年もの間 この写真は
私がひとりぼっちで -
15:59 - 16:02誰にも支えられていないのだと
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16:02 - 16:05語っているのだと
自分に言い聞かせていました -
16:05 - 16:07ですが この写真には別の見方もあったのです
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16:07 - 16:09これは再会する可能性を
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16:09 - 16:12持っている写真―
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16:12 - 16:15父と再び出会う可能性を持った写真なのです
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16:15 - 16:19そして父に抱き上げられたいという思いから
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16:19 - 16:21私は父を白日のもとにさらしたのでした
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16:21 - 16:24最初の再会では
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16:24 - 16:27とてもぎこちなく緊張する瞬間ばかりで
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16:27 - 16:28緊張を和らげるために
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16:28 - 16:31散歩に行くことにしました
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16:31 - 16:33一緒に歩くうちに 私は
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16:33 - 16:35今や父よりずっと背が高いにもかかわらず
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16:35 - 16:39自分が子どもに戻ったように感じました
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16:39 - 16:41私は父より30センチくらい背が高いのです
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16:41 - 16:44父はいまだに大きい人なので
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16:44 - 16:49父の足取りに遅れまいとしました
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16:49 - 16:50そして私は父がいまだに
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16:50 - 16:53誰かに見られているような歩き方を
することに気づきましたが -
16:53 - 16:56父の足取りに感心しました
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16:56 - 16:58父の足取りはまるで
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16:58 - 17:01F.A. カップファイナルで
2位に甘んじたチームが -
17:01 - 17:05壇上へ2位のメダルを
取りに上がるかのようでした -
17:05 - 17:09敗北の中にも威厳があったのです
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17:09 - 17:11ありがとうございました
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17:11 - 17:12(拍手)
- Title:
- 気難しい父親の息子として
- Speaker:
- コリン・グラント
- Description:
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コリン・グラントは、これまでの人生で、父親の世界と自分の世界のはざまで、感情の波間を漂ってきました。ジャマイカ出身の両親のもとでイングランドに生まれたグラントが、彼が育った移民コミュニティの中で共有された物語に目を向け、自分を拒んだ父親を許そうと思えるに至った過程を振り返ります。
- Video Language:
- English
- Team:
- closed TED
- Project:
- TEDTalks
- Duration:
- 17:25
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Yuko Yoshida approved Japanese subtitles for How our stories cross over | ||
Misaki Sato accepted Japanese subtitles for How our stories cross over | ||
Moe Shoji edited Japanese subtitles for How our stories cross over | ||
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