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Book of Revelation (2002) Part 7

  • 0:16 - 0:26
    午後は、黙示録に関係する物議をかもす点に
    取り組んできましたが、この午後もそうします。
  • 0:26 - 0:36
    二大争点、議論されているのは、
    一つは、携挙と呼ばれているもので、
  • 0:36 - 0:39
    二つ目はミレニアムです。
  • 0:39 - 0:43
    これらがこの午後に取り上げたい二つの論点です。
  • 0:44 - 0:49
    午後は頭を使うには最善の時ではありませんね。
    特においしいランチを取ったならば。
  • 0:49 - 0:54
    皆さんの中には昨日断食をして、
    今日は美味しいランチを取ったでしょう。
  • 0:54 - 1:00
    にもかかわらず、それは正しいと思うので、
    今晩までに栄光の内に終えてしまいましょう。
  • 1:01 - 1:07
    先週と今週の私の講義の中で、皆さんに明らかですが、
  • 1:07 - 1:14
    私はクリスチャンが大きな困難、
    大患難を通過すると信じています。
  • 1:14 - 1:20
    この時代の終わりのその苦しみは、選ばれた者達のために
    神が短くはしますが、
  • 1:20 - 1:28
    しかし、如何に短いとしても、それは極めて難しい時、
    クリスチャンにとってはとても難しい時です。
  • 1:28 - 1:35
    にもかかわらず、多くのクリスチャンは今日、それは
    間違った教えだと信じて、
  • 1:35 - 1:38
    私が皆さんを迷わしている、
  • 1:38 - 1:45
    クリスチャンは全員大きな困難から逃れて、
    それが起こる前に天に挙げられる、
  • 1:45 - 1:49
    従って、そのために心と思いの準備をする必要はないと
    信じています。
  • 1:50 - 1:57
    黙示録を他のクリスチャンよりもよく学んでいる
    クリスチャンがそのような見解を採ります。
  • 1:58 - 2:02
    多くの主流派の教会では、黙示録について
    語ることは殆どありません。
  • 2:02 - 2:05
    殆ど教えることはありませんが、
  • 2:05 - 2:10
    他の教会、例えばペンテコステ、
  • 2:10 - 2:15
    特にブラザレンと呼ばれているグループは、
    再臨をよく研究しています。
  • 2:15 - 2:24
    それは良いです。再臨について定期的に頻繁に説教し、
    賛美をしているのは大いに褒められていいです
  • 2:24 - 2:31
    しかしながら、多くの人達、たぶんその大半の人達は、
    私が皆さんにお話したことと違う見解を持っています。
  • 2:31 - 2:39
    彼らは言います。教会は携挙でこの世界から取り去られる。
  • 2:39 - 2:42
    この言い回しは少し誤解を生みます。
  • 2:42 - 2:48
    それはラテン語の聖書(Vulgate版)の
    第一テサロニケ書の四章で、
  • 2:48 - 2:53
    私たちが空中で主と会うことについて、から来ています。
  • 2:53 - 2:55
    実のところ、それはこう言っています。
  • 2:55 - 2:59
    私達は、空中で主に「引き上げられる」、「掴まえられる」
  • 2:59 - 3:12
    その特別な句を訳すラテン語は、rapto rapterie 又は
    英語の翻訳の「rapture」で、そこから取られています。
  • 3:12 - 3:17
    「rapture]という単語は、空中でキリストと会うために
    引き上げられることを言っています。
  • 3:18 - 3:22
    私は「rapture]を信じます。聖書的です。
  • 3:22 - 3:26
    聖書は言います。私達は彼に空中で会うために
    引き上げられるでしょう。
  • 3:26 - 3:30
    それは問題ではありません。多くの人が私に訊ねます。
  • 3:30 - 3:32
    「デイビッドさん、あなたはrapture を信じますか?」
  • 3:32 - 3:36
    私は言います。「もちろん信じます。私達は
    全員空中に引き上げられます」
  • 3:36 - 3:40
    意見の本当の違いは、その携挙がいつ起こるのか、
    ということです。
  • 3:40 - 3:43
    それが起こるか起こらないかではありません。
  • 3:43 - 3:46
    それは大きな困難の前に起こりますか、
  • 3:46 - 3:50
    その困難の最中でしょうか、
    それとも困難の後でしょうか?
  • 3:50 - 3:59
    もちろん、これに関することは、私たちが
    クリスチャンとして生きる生き方や、
  • 3:59 - 4:04
    キリストの再臨について他の人達への話し方など
    多岐にわたる影響を与えます。
  • 4:04 - 4:08
    この歴史について学ぶことから始めたいと思います。
  • 4:08 - 4:14
    黙示録の解釈に対する、このアプローチには
    特別な名前があります。
  • 4:14 - 4:17
    これをディスペンセーション主義と呼んでいます。
  • 4:17 - 4:20
    これは恐ろしく長い単語ですが、
    皆さんはこれに出会うでしょう。
  • 4:21 - 4:25
    ですから、それを説明しておきます。
    それが実際何を指しているのか。
  • 4:25 - 4:29
    これは黙示録のディスペンセーション的な解釈です。
  • 4:29 - 4:36
    おそらく、アメリカの福音的な大多数の
    クリスチャン達に浸透しています。
  • 4:36 - 4:40
    しかしその起源はイギリスにあります。
    これは後で見て行きます。
  • 4:40 - 4:47
    実際、イギリス、スコットランド、アイルランドの全てが
    この特別なアプローチに貢献しました。
  • 4:47 - 4:52
    昨日の午後に、異なる四つの解釈の学派を見ました。
  • 4:52 - 5:01
    黙示録の預言、予測が成就する、実際に起こるかという時期によって学派が異なります。
  • 5:01 - 5:05
    しかし今日の午後は、黙示録の異なる解釈を見て行きます。
  • 5:05 - 5:08
    ディスペンセーション主義です。
  • 5:09 - 5:13
    それはいくつもの区分から構成されています。
  • 5:15 - 5:19
    皆さんのために掲げてみましょう。
  • 5:19 - 5:24
    それは、キングジェームズ版の
    第二テモテの一節から始まります。
  • 5:24 - 5:30
    真理の言葉を正しく区分けすることに
    ついて語っています。
  • 5:31 - 5:38
    その節から、聖書を正しい方法で
    区分けしなければならないと思われました。
  • 5:38 - 5:40
    正しく真理の言葉を分けなさい。
  • 5:40 - 5:48
    実際は、キングジェームズ版の「分ける」と訳された単語は、実は「耕す」という単語です。
  • 5:48 - 5:53
    真理の言葉を正しく「耕す」。
  • 5:53 - 5:56
    その意味は、み言葉を正しく開ける、開ける、です。
  • 5:56 - 5:57
    分けるではなく、
  • 5:57 - 5:59
    開けるです。
  • 6:00 - 6:05
    しかし、キングジェームズ版は多くの人に、
    それは切り分ける意味だと思わせました。
  • 6:06 - 6:12
    それが本質的に、ディスペンセーション主義が
    したことです。
  • 6:12 - 6:19
    神の言葉は私たちが注目する必要のある、
    大きな三つにわけられます。
  • 6:19 - 6:27
    これが、聖書全体と特に黙示録を解釈するための
    ディスペンセーション的なシステムです。
  • 6:27 - 6:35
    最初の大きな聖書の区分けは、
    七つのディスペンセーション、
  • 6:35 - 6:39
    七つの期間に分けることです。
  • 6:39 - 6:42
    なぜ彼らは、これらの七つの各時代に、
  • 6:42 - 6:45
    「ディスペンセーション」という言葉を使ったのでしょうか?
  • 6:45 - 6:56
    単純に、神は七つの各時代ごとに、異なった基礎に
    基づいて、救いを与えた(dispense)と考えたからです。
  • 6:56 - 7:00
    最初のディスペンセーションでは
    神はある方法で人々を救い、
  • 7:00 - 7:09
    二番目の時代には、違う方法で、三番目は、また
    違う方法で、四番目、五番目、六番目、七番目と
  • 7:09 - 7:14
    神は常に人々を救いますが、七つの違った方法で救います。
  • 7:14 - 7:18
    これはとても驚異的な提案です。
  • 7:18 - 7:22
    しかしこれがディスペンセーション主義の中心です。
  • 7:22 - 7:30
    神が恵みを異なった方法で与えた七つの
    ディスペンセーションとは次の様なものです。
  • 7:30 - 7:37
    最初は「無垢」のディスペンセーションです。
    アダムを指します。
  • 7:37 - 7:47
    もし皆さんがノートを取っているようでしたら、今まで
    取っていたノートとは全く別なページに取ってください。
  • 7:47 - 7:49
    理由は明らかでしょう。
  • 7:49 - 7:55
    二番目のディスペンセイションはカインからエノクまでです。
  • 7:55 - 8:04
    自己決定のディスペンセイションで、その間、
    神は自己決定な人々を救いました。
  • 8:04 - 8:10
    三番目は、人の政府の時代でした。
  • 8:10 - 8:15
    ついでながら、二番目を三番目から分けたのは洪水でした。
  • 8:15 - 8:20
    洪水の後に、人の政府のディスペンセーションです。
  • 8:20 - 8:27
    それから、アブラハムと共に、首長のディスペンセーションが始まりました。
  • 8:27 - 8:36
    それから神は異なった方法で、アブラハム、イサク、
    ヤコブ、ヨセフに救いを与えるようになりました。
  • 8:36 - 8:40
    モーセと共に、律法のディスペンセイションに入ります。
  • 8:40 - 8:46
    モーセに十戒が与えられて、それ以後は、律法を守ることにより救われます。
  • 8:47 - 8:54
    新しいディスペンセーション、神の恵みは十戒を守ることを
    通して来るという新しいディスペンセーションです。
  • 8:54 - 8:58
    それはキリストが来るまで続きました。
  • 8:58 - 9:04
    恵みのディスペンセーションにキリストが一回目、来たことにより変わりました。
  • 9:04 - 9:10
    ディスペンセーション主義者によると、今、私たちは
    信仰により恵みによって救われます。
  • 9:10 - 9:14
    今私が皆さんに話していることは、私が信じているものではありません。
  • 9:14 - 9:18
    どうか、私のティーチングとして取らないでください。
  • 9:18 - 9:22
    他の人が教えていることについての私のティーチングです。
  • 9:22 - 9:27
    再臨は恵みのディスペンセーションを終わらせ、
    ミレニア(千年王国)に入ります。
  • 9:27 - 9:33
    人々は異なった基礎を元に救われます。
  • 9:33 - 9:38
    これが聖書を七つに分けるディスペンセーションで、
  • 9:38 - 9:43
    救いはこれらの時期によって全く異なります。
  • 9:44 - 9:49
    さて、この真理は何でしょうか?
  • 9:49 - 9:54
    その目盛りの反対側には、契約の神学があります。
  • 9:54 - 9:59
    プレスビテリアン、ルーテル派がそれを支持します。
  • 9:59 - 10:05
    契約の神学は、「いいえ、ただ一つのディスペンセーションが聖書全体を覆っています。
  • 10:05 - 10:10
    それは全て恵みのディスペンセーションです。
  • 10:10 - 10:16
    全ての時代の誰に対しても、唯一の恵みの契約が
    優先しています。」
  • 10:16 - 10:22
    古い契約と新しい契約の間には何の違いもありません。
  • 10:22 - 10:28
    それは全て一つです。それは単に恵みが異なった仕方で表現されているだけです。
  • 10:28 - 10:33
    神が与えた全ての契約を通して、恵みによる救いです。
  • 10:33 - 10:39
    私の見方は、聖書に二つの基本的な契約があるというものです。
  • 10:39 - 10:46
    一つは、モーセを通しての律法の契約、
    他方は、イエス・キリストを通しての恵みの契約です。
  • 10:46 - 10:51
    恵みの契約は今、律法の契約を無効にします。
  • 10:51 - 10:56
    私達はキリストにあって、モーセから自由にされています。
  • 10:57 - 11:02
    私はこれらの見解、立ち位置に言及していますが、
  • 11:02 - 11:05
    それは、クリスチャンの教会には、
  • 11:05 - 11:09
    契約という言葉とディスペンセーションという言葉には
    広く異なった見方があることを示すためです。
  • 11:09 - 11:15
    しかし、七つに区分けできると言ったことから、
    他の考えが出ました。
  • 11:15 - 11:19
    次の大きな区分けが、このように考えた人たちの間に
    起こされました。
  • 11:19 - 11:23
    それはキリスト教の教会の中では、比較的最近の事です。
  • 11:23 - 11:27
    これらすべてが出てきたのは過去二世紀の事です。
  • 11:27 - 11:31
    二つ目の区分けは神の人々を二つに分けることでした。
  • 11:31 - 11:36
    現在の地上だけではなく、永遠に、永遠にアーメン。
  • 11:37 - 11:48
    ユダヤ人は神の地上の人々と言われ、クリスチャンは
    神の天の人々で、二つは決して一つにはならない。
  • 11:48 - 11:57
    ユダヤ人には未来の運命があり、クリスチャンには
    未来の運命があるが、それは同じではない。
  • 11:57 - 12:01
    永遠に続いていくと、新しい天と新しい地がある時に、
  • 12:01 - 12:08
    クリスチャンは新しい天にいて、
    ユダヤ人は新しい地上にいます。
  • 12:08 - 12:12
    私達は天の神の人々であり、
    ユダヤ人は神の地上の人々です。
  • 12:13 - 12:19
    ユダヤ人とクリスチャンはまったく別々で、
    永遠にそのようになるというものです。
  • 12:19 - 12:29
    これらの教師達に導入された三番目の区分けは、キリストは二回戻って来るというものです。
  • 12:29 - 12:40
    彼は二回戻って来る。一回目はお忍びで、もう一回は公に。
  • 12:40 - 12:44
    彼は最初はお忍びで来て、世界は彼が来たのを
    知ることはありません。
  • 12:44 - 12:49
    彼らは、クリスチャン全員がいなくなったことを知ります。
    しかし、キリストが来たことは知りません。
  • 12:49 - 12:55
    突然クリスチャン全員がいなくなった、
    そして数年後に彼が地上に戻って来ます。
  • 12:55 - 13:04
    二回目ですが、実際には三回目です。
    彼の聖徒達、天使達と一緒です。
  • 13:04 - 13:09
    これがディスペンセーション主義の図式です。
  • 13:10 - 13:16
    ですから、聖徒のためにお忍びで来ることと、
    聖徒達と一緒に公けに来ることがあります。
  • 13:16 - 13:21
    これは深く、深い違い:結果を
  • 13:21 - 13:26
    私達が再臨を見る見方の上にもたらしました。
  • 13:26 - 13:32
    なぜなら、もし彼が大きな困難の前に
    ご自分の人々のためにひそかに来るならば、
  • 13:32 - 13:39
    それは今すぐにも起こり得ます。
  • 13:39 - 13:42
    言葉を変えて言うと、彼が来る徴候はありません。
  • 13:43 - 13:50
    預言のカレンダー上の次の出来事ですから、
    彼は今晩、あるいは明日来るかもしれません。
  • 13:50 - 13:55
    彼がひそかに来る警告を私たちは全く持っていません。
  • 13:55 - 14:00
    聖書が与える彼の再臨に関する全てのしるしは、
  • 14:00 - 14:04
    大きな困難と反キリストと私たちが話したことすべてに
    関係しているからです。
  • 14:04 - 14:10
    しかし私たちが、これらすべてのしるしの前に
    いなくなるのであれば、私たちはそれらを見ないでしょう。
  • 14:10 - 14:13
    従ってこの図式を持つ者達は、人々に言います。
  • 14:13 - 14:17
    「あなた方はイエスが来るための準備を
    しなければならない。
  • 14:17 - 14:22
    今晩、この午後、私がこの話を終える前に」
  • 14:22 - 14:25
    どんな警告もないでしょう。見るべきしるしはありません。
  • 14:25 - 14:29
    彼はひそかにやってきて、クリスチャン全員を
    取って行きます。
  • 14:29 - 14:33
    私は多くのアメリカの車に乗ったことがあります。
  • 14:33 - 14:36
    それらの車の助手席の前に、小さな注意書きがありました。
  • 14:36 - 14:40
    「もしあなたがラッパの音を聞いたなら、すばやくハンドルをつかんでください」
  • 14:40 - 14:43
    私はそれがどういう意味か知っています。
  • 14:43 - 14:47
    これらの車を運転している人たちはこれを信じています。
  • 14:47 - 14:50
    彼らはキリストがいつでも戻ってくることがあり得ると
    信じています。
  • 14:50 - 14:53
    あなたが彼らの車に乗っている時に、彼らは
    居なくなってしまうかもしれないので、
  • 14:53 - 14:56
    巨大なトラックが迫ってくるのを避けるため、
    あなたはすぐにハンドルをつかみなさい
  • 14:56 - 15:01
    これがディスペンセーション的な未来の解釈です。
  • 15:01 - 15:09
    私は公平であろうとして、それがどんなものであるかを
    皆さんにお話ししました。
  • 15:09 - 15:14
    その歴史をお話しするかどうか迷っています。
    そうしなければならないと考えます。
  • 15:14 - 15:22
    しかし、最初に概要から行きましょう。
    教会が大きな困難を逃れて、
  • 15:22 - 15:29
    いわゆる携挙は、クリスチャンのカレンダー、
    神の預言のカレンダーの中の次の出来事であって、
  • 15:29 - 15:39
    従って、全く予期だにされず、差し迫っていて、ある意味、
    もういつでも起こり得る、いつでも。
  • 15:39 - 15:45
    それが基本的な図式です。このティーチングが何故アピールするのか、私は理解できます。
  • 15:45 - 15:48
    とても深いアピールです。
  • 15:48 - 15:54
    不快感よりも慰めを欲しい人、
    落ち込むよりも、励まして欲しい人達にとっては。
  • 15:54 - 15:58
    「大きな困難に関しては心配しないで、あなたは
    その中にいないでしょう」と言われるのは、
  • 15:58 - 16:00
    よい知らせです。間違いありません。
  • 16:00 - 16:06
    従って、ある意味、人間の心はそれを
    信じるように片寄っています。
  • 16:06 - 16:12
    私達は信じたいのです。私たちが話していたこと
    すべてから逃げられることを。
  • 16:12 - 16:14
    そこにはある種のバイアスがあります。
  • 16:14 - 16:18
    慰めだけではなく、それはチャレンジとしても
    用いられます。
  • 16:18 - 16:24
    これを信じ、キリストがいつでも戻ってくると信じている
    多くの教会や交わりの中では、
  • 16:24 - 16:29
    これが福音のアピールの中でしばしば用いられました。
  • 16:30 - 16:34
    特に、申し訳ないですが、
    これらの交わりの中の子供たちです。
  • 16:34 - 16:39
    私はとても多くのクリスチャン達に会いました。
    彼らは言いました。
  • 16:39 - 16:48
    「子供の時に、朝起きたら、親がいなくなってしまうのでは
    ないかととても恐れて、最初の信仰告白をした」と。
  • 16:48 - 16:54
    これが子供たちに伝道するために使われました。
  • 16:54 - 16:56
    あなたのお父さんとお母さんはクリスチャンです。
  • 16:56 - 17:02
    もしイエスが今晩来たら、彼らはいなくなるでしょう。
    あなたが朝起きたら、あなたはひとりですよ。
  • 17:02 - 17:08
    それは子供たちに使うには強力な動機です。
    私は悪い動機だと信じます。
  • 17:08 - 17:12
    使徒たちはそんなことを子供たちに
    決して言わなかったでしょう。
  • 17:12 - 17:15
    イエスは決して言わなかったであろうことを
    私は確信します。
  • 17:15 - 17:20
    それを子どもたちの前に出すのは、
    とても間違った動機です。
  • 17:20 - 17:24
    それにも関わらず、人々がキリストに来て、
  • 17:24 - 17:30
    その残りの生涯、彼の忠実なしもべであり続けることを
    私はとてもうれしく思いますが、
  • 17:30 - 17:34
    それでもそれを人々の前に出すのは間違った動機であると、
    私は信じます。
  • 17:35 - 17:38
    ですから、それはクリスチャンにとって
    慰めとして用いられてきました。
  • 17:38 - 17:41
    「困難の前に天に取り上げられたくないですか?」、
  • 17:41 - 17:45
    これはクリスチャンではない人達にも
    チャレンジとして用いられました。
  • 17:45 - 17:49
    「もしイエスが今晩戻ってきたら、
    あなたは準備ができていませんよ」
  • 17:49 - 17:53
    これは説教を聞いている人たちの上に、
    時間の圧力をかけます。
  • 17:53 - 17:57
    しかし、これだけでは、これが正しいのか
    間違っているのか決定することができません。
  • 17:57 - 18:01
    この考え方の歴史もそうすることはできません。
  • 18:01 - 18:07
    皆さんにこの歴史についてお話ししたく思います。
    なぜなら、ある教義の系図は重要だからです。
  • 18:07 - 18:18
    十九世紀以前、誰もこれを教えず、聞かず、特に、
    誰もそれを聖書に見つけていませんでした。
  • 18:19 - 18:22
    これは私にとっては、ある重みがあります。
  • 18:22 - 18:26
    神はみ言葉を通して、私たちに示したい真理と光を
    もっと持っていることを私は知っています。
  • 18:26 - 18:32
    それにもかかわらず、もし千八百年間、
    誰もそれを聖書の中に見つけなかったのであれば、
  • 18:32 - 18:35
    私の思いの中に、一つの疑問が生じます。
  • 18:35 - 18:39
    「何故彼らはそれを見つけなかったのか、
    もし、そこにあったのであれば?」
  • 18:39 - 18:41
    その質問には、これからすぐに答えます。
  • 18:41 - 18:45
    三本の糸が1830年に一本になりました。
  • 18:46 - 18:50
    一本はスコットランド、一本はアイルランド、
    もう一本はイギリスから。
  • 18:50 - 18:53
    その三本とはこれです。
  • 18:53 - 19:03
    スコットランドのクライド川沿のポート・グラスゴーと
    呼ばれるところに、スコットランド人の女の子がいました。
  • 19:03 - 19:08
    彼女は重い病気でしたが、主が彼女の身体に
    癒しの力で触れました。
  • 19:08 - 19:13
    彼女は預言者となり、主からの言葉を伝えました。
  • 19:13 - 19:16
    彼女の名前は、マーガレット・マクドナルドです。
  • 19:17 - 19:23
    彼女の預言の一つは、それほど明らかではありませんが、
    彼女の預言の一つは、
  • 19:23 - 19:31
    主からの約束で、主がご自分の民を大きな困難、
    大患難から守る、というようなものでした。
  • 19:31 - 19:34
    それが蒔かれた種のようです。
  • 19:34 - 19:40
    スコットランドの教会にヘンリー・アービングという
    著名な牧師がいました。
  • 19:40 - 19:44
    彼はそれを取り上げて、それと共に走りました。
  • 19:44 - 19:48
    彼は注目に値する人でした。彼はカトリックの
    使徒的教会を始めました。
  • 19:48 - 19:52
    彼はある意味、英国の最初のカリスマ派、
    ペンテコステ派でした。
  • 19:53 - 19:58
    彼は異言と聖霊の賜物を経験して、
    それらについて語ったからです。
  • 19:58 - 20:03
    それはペンテコステ派が出てきた時より、
    はるか以前の事です。
  • 20:03 - 20:06
    彼はスコットランドからロンドンに転居し
  • 20:06 - 20:11
    カトリックの使徒的教会を創設し、
    巨大なカテドラルを建てました。
  • 20:11 - 20:14
    そこは私が以前住んだことのあるところから
    約2マイルのところです。
  • 20:14 - 20:19
    サリーのギルフォードのオーバリー・パークと
    呼ばれるところです。
  • 20:19 - 20:23
    そのカテドラルは未だにそこにありますが、
    空っぽで使われていません。
  • 20:23 - 20:29
    しかしそれは、広い公園の敷地内にあり、
    邸宅です。オーバリー・パークです。
  • 20:29 - 20:33
    そこにはDr .ヘンリー・ドラモンドと呼ばれる人が
    住んでいました。
  • 20:33 - 20:40
    Dr ヘンリー・ドラモンドは聖書の預言に魅せられて、
    預言を特別に研究しました。
  • 20:40 - 20:47
    そして聖書の中にある予測を解釈することに
    興味のある人々を集めて大会を開きました。
  • 20:48 - 20:55
    オールバリー・コートの大会に、ヘンリー・アービングが
    スコットランドから参加し、
  • 20:55 - 21:02
    アイルランドのダブリンから英国国教会副牧師の
    J ネルソン・ダービーが参加しました。
  • 21:02 - 21:06
    もし皆さんがブラザレンに属していないなら、
    彼の名前を聞いたことが無いかもしれません。
  • 21:06 - 21:08
    しかし皆さんがブラザレンに属しているなら、
    確かに聞いたことがあることでしょう。
  • 21:08 - 21:12
    彼はムーブメントを始めた人です。
  • 21:12 - 21:19
    彼は来て 大きな困難が始まる前に逃げ出す話 
    を聞きました。
  • 21:19 - 21:26
    彼は聖書に戻って、それを多くの箇所に
    見つけることができると思いました。
  • 21:26 - 21:32
    そして彼はそれをブラザレンのムーブメントの
    土台となるティーチングとしました。
  • 21:32 - 21:36
    ブラザレンの中には二十八もの種類がありますが、
  • 21:36 - 21:39
    私の叔父はイギリスのブラザレンの
    指導者達のひとりでした。
  • 21:39 - 21:43
    彼らはあちこちに広がりました。私の親戚のひとりは
  • 21:43 - 21:49
    南アメリカの海岸、ブラジルを上り下りして、
    そこでブラザレンの集まりをあちこちに開拓しました。
  • 21:49 - 21:53
    それですから、私の家系には、ブラザレンがいます。
  • 21:53 - 21:58
    しかし、ブラザレンの中でも、これについては
    完全な同意を得ることがありませんでした。
  • 21:59 - 22:10
    特にある一人の人はダービーは間違っていると信じて、
    この教えからブラザレンを救い出そうとしました。
  • 22:10 - 22:12
    彼の名前を、皆さんのある方々は
    聞いたことがあると思います。
  • 22:12 - 22:15
    彼の名前はジョージ・ムーラーです。
  • 22:15 - 22:20
    ジョージ・ムーラーはネルソン・ダービーより
    広く知られています。
  • 22:20 - 22:27
    彼は孤児院をもっていました。信仰によって建てた
    大きな孤児院です。
  • 22:27 - 22:34
    信仰によって、と言うのは、彼は決して、一度も
    お金を求めなかったからです。
  • 22:34 - 22:39
    彼は彼らの必要を決してどんな人にも
    話すことをしませんでした。
  • 22:39 - 22:46
    何百人の子供たちと、彼らに何も与えることが無いのに、
    朝食に着いて座ります。
  • 22:46 - 22:54
    彼は食前の祈りをし、子供たちのために
    主が備えた食事のために感謝します。
  • 22:54 - 22:58
    彼が食卓の上に食事が全く無いことに感謝した時、
  • 22:58 - 23:02
    彼らに、孤児院の外での騒ぎが聞こえました。
  • 23:02 - 23:08
    丁度外で、パン屋の車の車輪が脱輪し、
    パン全部を通りにぶちまけました。
  • 23:08 - 23:15
    そして彼らは単に主に感謝して、パンを拾い上げて、
    子供たちに持って行き、朝食をとりました。
  • 23:15 - 23:19
    これがジョージ・ムーラーという人でした。
    何という人でしょう。
  • 23:19 - 23:23
    彼は信仰の人達のひとりとして知られていますが、
  • 23:23 - 23:27
    ネルソン・ダービーのティーチングに反対したことは
    あまり知られていません。
  • 23:27 - 23:33
    しかしながら、ダービーが勝ち抜き、ブラザレンの
    ムーブメント全体としては、このアプローチを信じており、
  • 23:33 - 23:37
    イエスがいつでもやって来るということを信じています。
  • 23:37 - 23:42
    ダービーはアメリカに来ました。
    彼はひとりの弁護士に会いました。
  • 23:42 - 23:49
    Dr.C・I・スコフィールドと呼ばれている賢い人です。
  • 23:49 - 23:56
    彼はこの見解をその弁護士と分かちました。この弁護士は
    素晴らしいアイデアを思いつきました。
  • 23:56 - 24:03
    これを中に記述した聖書を作ろう。付記という形をとって、人間の付記です。
  • 24:03 - 24:10
    そうして、スコフィールド・バイブルはページの上に
    神の言葉があり、下に付記があります。
  • 24:10 - 24:15
    それはネルソン・ダービーから取ったものです。
  • 24:16 - 24:21
    それは十九世紀のアメリカで、
    聖書のベストセラーになりました。
  • 24:22 - 24:25
    先週言ったことをまた言わせてください。
  • 24:25 - 24:32
    決して、決して人間の付記が中に入っている聖書を
    どうか買わないでください。
  • 24:33 - 24:38
    沢山の注釈書を買ってください。聖書に関する本を
    買ってください。より多く買う方が、より良いです。
  • 24:39 - 24:47
    問題はあなたの脳は、スコフィールド・バイブルの様な
    聖書を読んだ後には、
  • 24:47 - 24:52
    それがページの上にあったのか、下にあったのかを
    憶えているほど賢くはありません。
  • 24:52 - 24:57
    読んでいたことが神の言葉なのか、それとも
    人の注釈なのかがわからなくなります。
  • 24:57 - 25:01
    その聖書を買った多くの人が、完全に混乱してしまい、
    ただ言いました。
  • 25:01 - 25:04
    「ええ、それは、私の聖書の中で読んだので、
    真実に違いない。」
  • 25:04 - 25:08
    しかしそれは、ページの下半分にありました。
    問題がわかりますね。
  • 25:09 - 25:12
    読んだものがページのどの部分なのかを記憶するのは
    とても難しいのです。
  • 25:12 - 25:21
    もしあなたが人の憶測や、神の言葉を説明する試みが
    一緒に入っている聖書を持っているならば。
  • 25:21 - 25:27
    ですから私は注釈書や本は自分の聖書から
    かなり離して置き、
  • 25:27 - 25:31
    準備する時には、ランチの時に若い人達に言いましたが、
  • 25:31 - 25:34
    バイブルスタディの準備をする時には、
  • 25:34 - 25:40
    聖書と自分にやって来ることすべてを書き留めるための
    紙の山だけで、何時間も過ごします。
  • 25:41 - 25:44
    聖書から得られるものすべてを得た後で、
  • 25:44 - 25:48
    見つけたことを他の人が発見したことと確認し始めます。
  • 25:48 - 25:52
    そのようにして、私は聖書の準備をします。
  • 25:52 - 25:57
    私は他の人のコメントによって、自分が見つけたことに
    関して影響を受けたくありません。
  • 25:57 - 26:01
    自分自身で見つけることができることを
    全て見つける前には。
  • 26:01 - 26:04
    ただ聖書を開いて、聖霊に導いてくれるように頼みます。
  • 26:05 - 26:07
    これがとても大切だと思います。
  • 26:07 - 26:11
    もし皆さんがバイブルスタディの注釈を使用するならば、
  • 26:11 - 26:15
    毎日読むためのノート付きのバイブル・リーディングが
    多数あるので、
  • 26:15 - 26:20
    神の言葉よりも、人間のノートにより多くの時間を
    費やさないように注意してください。
  • 26:20 - 26:22
    しばしば、このようなものを使うと、
  • 26:22 - 26:26
    節の間を飛ばしてしまい、人間のノートを
    学ぶことになってしまいます。
  • 26:26 - 26:30
    本来は、聖書を学ぶことが要求されているのですが。
  • 26:30 - 26:34
    しかし聖書に関する人間のコメントは役には立ちます。
    他の人達が見つけたということは、
  • 26:34 - 26:38
    あなたが自分で見つけたことと
    比較することができることを意味します。
  • 26:38 - 26:41
    ですから他の人達のコメントを使わないようにと
    言っているのではありません。
  • 26:41 - 26:45
    私が言っているのは、それらのコメントをあなたの聖書の
    中に持たないでください、ということです。そうすれば、
  • 26:45 - 26:49
    それら(注釈)が神の言葉であるとは思わないでしょう。
    まあ、そういううことが起こりました。
  • 26:49 - 26:53
    スコフィールド・バイブルは英国でよりも
    アメリカでよく売れました。
  • 26:53 - 26:55
    しかしそういうことは、そこ(英国)にもありました。
  • 26:55 - 27:01
    私はかつて、英国の休暇キャンプのとても
    大きなクリスチャンの集まりで、このことを言いました。
  • 27:02 - 27:08
    その日遅く誰かが、ごみ箱にあふれるほどの
    スコフィールド・バイブルを見つけました。
  • 27:08 - 27:11
    私の名前は泥まみれになりました。
  • 27:11 - 27:15
    私について言われたことは、ひどいものでした。
  • 27:16 - 27:21
    どうして敢えて人々に彼らの聖書をゴミ箱に
    投げ入れるように言うなんて。
  • 27:21 - 27:23
    私はそのようなことは一切言いませんでした。
  • 27:23 - 27:30
    何が起こったかと言うと。青天井のキャンプ場に、
    本の売店がありました。
  • 27:30 - 27:36
    突然雷雨が来て、全てのスコフィールド・バイブルに
    雨を降らせました。
  • 27:36 - 27:39
    それは神がやったことで、私ではありません。
  • 27:39 - 27:47
    その本は売るには売れず、彼らはそのすべてをゴミ箱に
    入れました。それが実際に起こった事でした。
  • 27:47 - 27:55
    しかし私は国全体で、人々に聖書をゴミ箱に投げ入れるよう
    言ったと責められました。そんなことはありません。
  • 27:55 - 27:59
    ただ私は、それらが最初に、買われなかったらと
    願うものです。
  • 27:59 - 28:05
    今では、もちろん皆さんの国には神学校があります。
    私の国には未だありません。
  • 28:05 - 28:09
    ここ米国では、これだけを教える神学校があります。
  • 28:09 - 28:13
    そしてこれを受け入れる生徒だけを受け入れる
    神学校があります。
  • 28:13 - 28:19
    その主なものはテキサスのダラス神学校です。
    その他に一、二校あります。
  • 28:19 - 28:23
    その神学校の最も有名な生徒は、
    ハル・リンゼイという人です。
  • 28:23 - 28:28
    彼の本は世界中で数百万冊売れています。
  • 28:28 - 28:32
    最初の本は「the late great planet earth] でした。
    さらに多くの本があります。
  • 28:32 - 28:37
    これらの本の中には良いことがたくさん入っていますが、
    しかし注意する必要があります。
  • 28:37 - 28:42
    これらの本はこの図式にその基礎を置いています。
  • 28:42 - 28:46
    私は意見の合わない本を必ず読みます。
  • 28:46 - 28:55
    実際、ある主題について本を書く前に、私は同じ主題の
    本で、反対の見解を採る本をできるだけ多く買います。
  • 28:55 - 29:02
    私は全ての見解を聞きたいからです。彼らの質問と
    その答えとその批判とを聞きたいのです。
  • 29:02 - 29:05
    そうして、自分自身で考え抜くことができます。
  • 29:05 - 29:09
    私は他の人々には、たくさんの教師に
    耳を傾けることを促します。
  • 29:09 - 29:12
    ただ一人の教師のファンになってはいけません。
  • 29:12 - 29:16
    もしそうするならば、あなたは間違いやすい人間に
    ついて行っているのです。
  • 29:16 - 29:20
    沢山の教師の話を聞いて、それらを神の言葉と
    比較してください。
  • 29:20 - 29:23
    そしてそのような教師の話を聞いた後で、
  • 29:23 - 29:27
    自分で聖書の中に見つけることができたことだけを
    信じてください。これが私のアドバイスです。
  • 29:27 - 29:30
    ですから、昨日言ったように、ここを出てから、
  • 29:30 - 29:32
    「デイビッド・ポーソンがこう教えている」と
    言わないでください。
  • 29:32 - 29:35
    彼が教えていることが、あなたの聖書の中に
    あるかどうか調べて、
  • 29:35 - 29:38
    ご自分でそこにあることを見つけるなら、
  • 29:38 - 29:41
    それを教えているのは私ではなく、
    私にそれを語った主です。
  • 29:41 - 29:45
    もしあなたがそこに見つけられないならば、
    それを忘れてください。とても重要です。
  • 29:45 - 29:48
    ではこの見解の聖書的基盤を見て行きましょう。
  • 29:48 - 29:57
    その見解を持っている人達は、聖書がそれを
    支持していると、真剣に信じているからです。
  • 29:57 - 30:01
    私はスライドを持っていますが、、、
    はい、ここにありました。
  • 30:03 - 30:06
    最初に言うことはこれです。
  • 30:06 - 30:16
    聖書の全体を見ても、「私の民は大きな困難を体験しないで
    あろう」と明確に述べている節は一節もありません。
  • 30:17 - 30:21
    もし、どこかにそのような一節があれば、
  • 30:21 - 30:25
    私は自分の考え方をかなり革新的に
    訂正しなければならないでしょう。
  • 30:25 - 30:31
    しかし、一つも見つけることができません。
    また他の誰もできません。
  • 30:31 - 30:38
    なぜなら、この見方は聖書に明確に
    表記されているのではなく、
  • 30:38 - 30:44
    聖書からの論理的な推論に基づいているからです。
  • 30:44 - 30:52
    その聖句はこれを推論する、
    それはこれを示唆するようだと信じます。
  • 30:52 - 30:57
    その聖句はそう言ってはいないかもしれないが、
    そう示唆しているようだ。
  • 30:57 - 31:04
    それが推論です。教義を推論の上に建てるのは
    とても危険だと私は思います。
  • 31:04 - 31:08
    私は人間の論理を完全には信頼しないという
    こともありますが。
  • 31:08 - 31:13
    私にとって、完全に論理的だと聞こえることが、
    神にとっては全く間違っているかもしれません。
  • 31:13 - 31:19
    推論はグラグラした土台です。
    しかしそれがそのアプローチです。
  • 31:19 - 31:21
    私はここで他の事も追加しておきたい。
  • 31:21 - 31:24
    これを愛を持って言いますが、
  • 31:24 - 31:33
    自身自分で聖書を読んでその見解に到達した人に
    私は会ったことがありません。
  • 31:33 - 31:42
    まったくありません。彼らは全員、それを誰かから
    聖書からの推論として教えられました。
  • 31:42 - 31:45
    それは私に重くのしかかります。
  • 31:45 - 31:52
    なぜならキリストに来た多くの人達がいますが、
    彼らは聖書だけを持つようにと教えられませんでした。
  • 31:52 - 31:56
    特に宣教の現場ではこれが起こります。
  • 31:56 - 32:01
    しかし、私はこれらすべてを信じるような人たちには
    会ったことがありません。
  • 32:03 - 32:09
    私は人々が私に「これが私が信じることです。それは
    ディスペンセーションの図式です。」という時、
  • 32:09 - 32:10
    私は単純に訊きます。
  • 32:10 - 32:13
    「あなたはそれをどこから得ましたか? 
    あなたの先生は誰ですか?
  • 32:13 - 32:16
    あなたの読んだ本の著者は誰ですか?」
  • 32:17 - 32:24
    なぜなら、それはひとりの人から他の人へと、聖書の一つの
    可能な解釈として引き継がれているように見えるからです」
  • 32:24 - 32:27
    導き出される推論とは何でしょうか? それはこちらです。
  • 32:28 - 32:34
    先ず最初に、新約聖書に、彼は「すぐに」やって来るという
    記述があります。
  • 32:34 - 32:39
    彼が戻って来るスピードに関する記述があります。
  • 32:39 - 32:41
    そこから次のことが推論されます。
  • 32:41 - 32:49
    全ての世代は、彼が「直ぐに、素早く、何時でも」
    来るために準備していなければならない。
  • 32:49 - 32:55
    従って彼が戻るのは、もうすぐである、それは、
    すぐに起こるという意味です。
  • 32:55 - 33:00
    「私はすぐに来る」「私は早く来ます」という記述は、
  • 33:00 - 33:04
    「私はいつでもやって来ます」という意味であると
    推論されます。
  • 33:05 - 33:11
    二番目の推論は、「驚き」の記述によって作られます。
  • 33:11 - 33:18
    「彼は夜に泥棒のように来るでしょう」
    「彼は誰も期待していない時に来るでしょう」
  • 33:18 - 33:26
    これらの記述から、「いつでも」と推論されますが、
    これもまた論理的に見えます。
  • 33:26 - 33:33
    実際には、「いつでも」と言ってはいませんが、
    「いつでも」と意味するように推論されています。
  • 33:33 - 33:40
    三番目です。キリストが戻ることについて、
    異なる言葉遣いがあって、
  • 33:40 - 33:47
    その違いから、二回戻ることが推論されると
    主張されています。
  • 33:47 - 33:52
    キリストが戻ることについて、確かに
    言葉の違いはあります。
  • 33:52 - 33:59
    時々、「主の日」と呼ばれ、また時々「キリストの日」と
    呼ばれ、時々「彼の到着」パルージア、と呼ばれます。
  • 33:59 - 34:03
    時々、「彼の現れる」apocalupsis,
  • 34:03 - 34:07
    時々は「彼が聖徒達のために来る」
  • 34:07 - 34:10
    時々「聖徒達と共に来る」
  • 34:11 - 34:16
    これらの異なる表現の間で一つの分割が推進されて、
  • 34:16 - 34:21
    二回、帰ってくることだと、仮定され、
    推論されるようになりました。
  • 34:22 - 34:26
    主の日が一つで、キリストの日がもう一つ。
  • 34:26 - 34:30
    彼の到着が一つで、彼の出現がもう一つ
  • 34:30 - 34:34
    聖徒達のために帰る、が一つで、
    聖徒達と共に帰るがもうひとつ。
  • 34:34 - 34:40
    新約聖書の言葉は、二つの欄にきれいに分けて入れられて、
  • 34:40 - 34:46
    そこから、彼らは数年間離れた二回の別々な
    事柄に言及していると推論しました。
  • 34:46 - 34:53
    次の推論は初期の教会の期待から作られています。
  • 34:53 - 35:01
    「この世代は死なない、これらすべてが成就するまでは」
  • 35:01 - 35:06
    「彼はドアのところにいます」の様な節から、
  • 35:06 - 35:10
    初期の教会は、彼が今すぐにでも来ることを期待したと
    推論します。
  • 35:10 - 35:12
    そしてそれは彼らの信仰でした。
  • 35:12 - 35:17
    キリストが戻って来ることに対する彼らの信仰でした。
    彼らは彼が直ぐにも来るのを期待して生きました。
  • 35:17 - 35:26
    次は、大患難を描写しているどこの箇所にも、
    「教会」という言葉が無いことです。
  • 35:26 - 35:36
    それは確かに真実です。黙示録の四章から十六章、または、
    十九章まで、「教会」という言葉は出てきません。
  • 35:36 - 35:45
    新約聖書の他の箇所で、大きな困難の時を描いていますが、
    そこには、「教会」という単語は出てきません。
  • 35:45 - 35:51
    従って、「教会」という単語が出てこないのは、
    教会が無いことを意味すると想定されました。
  • 35:51 - 35:55
    その言葉が使用されていないのであれば、
    教会はそこにはありえない。
  • 35:56 - 36:00
    それから、慰めを強調する議論があります。
  • 36:00 - 36:04
    パウロがキリストが戻ってくることを描いた時、
    彼は言いました。
  • 36:04 - 36:07
    「これを用いなさい、お互いを慰めるために」
  • 36:07 - 36:09
    彼らは言いました。
  • 36:09 - 36:13
    彼が戻ってくる前に、私たちが大きな困難を通過しなければ
    ならないことを私達に言って、どんな慰めになるのか?
  • 36:13 - 36:17
    私達はお互いに慰め励まさなければならない。
  • 36:17 - 36:22
    クリスチャンが大きな困難を通り抜ける教えとは、
    慰めでも励ましでもない。
  • 36:23 - 36:29
    再び、これは聖書には語られていません。
    聖書から推論されるものです。
  • 36:29 - 36:33
    最後の推論はこれです。
  • 36:33 - 36:37
    患難は怒りです。注ぎだされた神の怒り。
  • 36:38 - 36:44
    特に七つの怒りの鉢は大きな困難の
    クライマックスで注ぎ出されます。
  • 36:44 - 36:52
    第一テサロニケの五章から節が引用されます。
    「私たちは怒りの子供たちではありません」
  • 36:53 - 36:57
    そこから推論して、私たちは怒りから救われている、
  • 36:57 - 37:01
    従って、神が怒りを注ぐ時には、
    私たちはこの世にはいない。
  • 37:02 - 37:04
    従って、私達は、いなくなっているに違いない。
  • 37:04 - 37:08
    再び、そう聖書には書いてありません。それは推論です。
  • 37:08 - 37:12
    推論とはどんなものか、もう、わかりますか?
  • 37:12 - 37:20
    聖書が語っているあることから、
    聖書は語っていないけれども、
  • 37:20 - 37:27
    聖書に語られていることと矛盾せず、一貫性があると
    信じられることを導き出すことです。
  • 37:28 - 37:32
    これらが提供されている、聖書の七つの基礎です。
  • 37:32 - 37:40
    再度、強調しますが、「私たちは大きな困難の中に
    いないであろう」と語っている聖書の一節はありません。
  • 37:40 - 37:44
    もしひとつでもあれば、議論は終わるでしょう。
  • 37:44 - 37:51
    しかし問題は、推論と論理的な演繹の領域に入ると、
    とても論議の余地のある領域に入ってしまい、
  • 37:51 - 37:57
    他の人達が他の推論を導き出し、議論が始まります。
  • 37:57 - 38:03
    真実に忠実なクリスチャン達が、互いに同意できません、
    聖書についてではなく、
  • 38:03 - 38:09
    聖書からの異なった推論と演繹について意見が合いません。
  • 38:09 - 38:12
    そのようにして、こういうことが起こりました。
  • 38:12 - 38:17
    私はこれらを再度見直して、二回目それらを見て行きます。
  • 38:17 - 38:22
    それらから憶測されたものが、本当に耐えうるかどうかを
    見て行きます。
  • 38:22 - 38:25
    スピードに関する記述:
  • 38:25 - 38:31
    彼が「私はすぐに来ます」と言った時から、
    今は既に二千年経っています。
  • 38:32 - 38:35
    「私はすばやくやって来る」と彼は言っています。
  • 38:35 - 38:39
    私達はそれを二千年と合わせなければなりません。
  • 38:39 - 38:43
    一つの可能な方法はもちろん、
    神にとっての時間は(人間にとっての時間と)違います。
  • 38:43 - 38:50
    時間の相対性はアインシュタインの理論だけではなく、
    皆さんの聖書の中にもあります。
  • 38:50 - 38:54
    時間は異なった人々に異なったスピードで進みます。
  • 38:54 - 38:59
    私はアインシュタインの話が気にいっています。
    彼は尋ねられました。
  • 38:59 - 39:06
    「あなたの時間の相対性理論を普通の人が理解できるように
    簡単に説明してもらえませんか?」
  • 39:06 - 39:09
    偉大な頭脳の人なので、彼は答えることができました。
  • 39:09 - 39:15
    実際、物事を複雑にするのは、必ずしも偉大な
    思想家ではありません。
  • 39:16 - 39:18
    偉大な思想家は通常とてもシンプルです。
  • 39:18 - 39:21
    アインシュタインはこう言いました。
  • 39:21 - 39:30
    「一分間熱いストーブの上に座っているのは、一時間
    きれいな女性と話をしているよりずっと長く思える」
  • 39:32 - 39:36
    これで皆さんは時間の相対性原理について分かりましたね。
  • 39:36 - 39:38
    では、わかりましたか?
  • 39:38 - 39:42
    それより、より以上のものがあると思いますが、
    とても良い答えだと思いました。
  • 39:42 - 39:51
    主にとっては、一日は千年のようで、
    千年は一日の様であり得ます。
  • 39:51 - 39:54
    それは、神にとって時間は意味がないと言っていません。
  • 39:54 - 39:59
    神にとっては、時間は違う速度で過ぎて
    行くことができることを意味します。
  • 39:59 - 40:03
    神にとって一日が千年のように思われたに違いない日のこと
    を私は考えることができます。
  • 40:03 - 40:05
    皆さんはどうですか?
  • 40:05 - 40:07
    自分の息子が死ぬのを見た日です。
  • 40:08 - 40:11
    それはひどいことだったに違いありません。
  • 40:12 - 40:16
    十字架での、父なる神の苦しみについて
    考えたことがありますか?
  • 40:16 - 40:21
    千年間が神にとっては一日の様だ、ということを考えると、
  • 40:21 - 40:25
    イエスが天に戻ってからたったの二日しか
    経っていないということです。
  • 40:26 - 40:32
    私達は、「すぐに」「早く」を私達の視点からも、
    神の視点からも、とらえなければなりません。
  • 40:32 - 40:34
    時間は相対的です。
  • 40:34 - 40:36
    しかし私は思います。
  • 40:36 - 40:42
    イエスがこれらの言葉を使ったのは、全ての世代に
    自分が戻って来ることを考えて欲しいからだと。
  • 40:42 - 40:47
    しかし、使徒ヤコブは手紙の中で、再臨について語る時、
  • 40:47 - 40:53
    農夫から忍耐を学びなさいと言います。
    遅いけれども確実です。
  • 40:53 - 40:57
    農夫は収穫が来るのを待たなければなりません。
  • 40:57 - 41:02
    全ての農夫はことが直ぐに起こらないとき、
    忍耐を学びます。
  • 41:02 - 41:06
    セント・バーナード・クレルボーは中世の聖徒でした。
  • 41:06 - 41:09
    彼は神にかつて祈りの中でこのようなことを言いました。
  • 41:09 - 41:11
    私はとてもおもしろく思います。
  • 41:12 - 41:20
    「あなたを見ることのない時を
    あなたは短いというのですか?
  • 41:20 - 41:24
    お~、主よ、この少しの間は、長い少しの間です」
  • 41:24 - 41:26
    これは素晴らしくないですか?
  • 41:26 - 41:28
    彼はイエスが言ったことについて言っています。
  • 41:28 - 41:31
    「あなた方はしばらくすると、私を見なくなります。
    しかし、またしばらくすると私を見ます。」
  • 41:31 - 41:35
    この「しばらくの間」は、とてつもなく長く見えます。
  • 41:35 - 41:39
    実際、新約聖書の時代にも問題となりました。
  • 41:39 - 41:42
    人々は、第二ペテロの三章で、人々は言います。
  • 41:42 - 41:46
    「彼はどこにいるのか、彼の来臨はどこにあるのか。
  • 41:46 - 41:49
    全てが創造の初めからのままではないか。
    彼は戻ってこない」
  • 41:49 - 41:54
    この時にペテロは言いました。
    「神にとっては千年は一日のようです。」
  • 41:54 - 41:59
    彼はその文脈の中で私達に言いました。
  • 41:59 - 42:03
    「神と私達にとっての時間の相対性を憶えなさい」
  • 42:03 - 42:07
    次の火曜日までに物事が起きないと
    私達はとても我慢ができません。
  • 42:07 - 42:10
    神はとても忍耐強いです。そうであることを
    神に感謝します。
  • 42:10 - 42:17
    これは 今すぐにでも戻ってくることをサポートしません。
  • 42:18 - 42:21
    「驚き」に関しての記述を取ってみましょう。
  • 42:21 - 42:23
    確かに、新約聖書は言います。
  • 42:23 - 42:27
    彼はあなた方の知らない時にやって来る、
  • 42:27 - 42:30
    彼は夜の盗人のように、期待していない時にやって来る。
  • 42:30 - 42:33
    しかしそれは聖書全体の教えではありません。
  • 42:33 - 42:38
    第一テサロニケ五章は、再臨に関する
    第一テサロニケ四章の続きです。
  • 42:38 - 42:41
    第一テサロニケ五章は明言します。
  • 42:41 - 42:48
    起きていて、警戒し、酔っていないクリスチャン達には、
    彼が帰ってくるのは驚きではない。
  • 42:49 - 42:53
    彼が戻ってくるのを待ち望んでいる人たちにとっては、
    それは驚きではありません。
  • 42:53 - 42:56
    彼らは彼が戻って来るのがわかります。
  • 42:56 - 42:58
    それ故にイエスは言いました。
  • 42:58 - 43:04
    もし家主が盗人がいつ来るのかを知っていたら、
    彼は起きていて、盗人がやって来るのを見るでしょう。
  • 43:04 - 43:08
    クリスチャン達、全てのクリスチャン達ではなく、
  • 43:08 - 43:11
    眠くて、彼が戻って来るのを待ち望んでいない
    クリスチャン達は驚くかもしれません。
  • 43:12 - 43:15
    未信者は誰もが驚くでしょう。
  • 43:15 - 43:20
    彼が夜の盗人のように来るのは、私達から何かを
    取りに来るためではありません。
  • 43:20 - 43:26
    警戒して起きていて、彼が来るのを注意して見ている人達は
    驚かないでしょう。
  • 43:27 - 43:33
    ディスペンセーションの図式は、気を付けて
    注意して見る対象が何も無いことを意味します。
  • 43:35 - 43:37
    わかりますか?
  • 43:37 - 43:40
    何も見えるしるしがありません。
  • 43:40 - 43:44
    イエスはご自分の再臨について何度も言いました。
  • 43:44 - 43:48
    「見なさい、そして祈りなさい」
    私達は何を見るべきでしょう?
  • 43:49 - 43:53
    いつも空の雲を見上げていることはできません。
  • 43:53 - 43:56
    いずれにしても、彼は中東で雲に乗って来ます。
  • 43:56 - 43:58
    私はそこで見ることができません。
  • 43:58 - 44:00
    もし何の警報が無いならば、
  • 44:00 - 44:02
    私はどうやって彼が来るのを見るのでしょうか?
  • 44:03 - 44:07
    イエスが「見て、祈りなさい」と言った時、
    彼は彼らに何に注目するかを言いました。
  • 44:08 - 44:10
    彼は彼らに自らが来るしるしを与えました。
  • 44:10 - 44:16
    「これらのことが起こる時には、
    私が戸口にいることを知りなさい」
  • 44:16 - 44:21
    これらのことがすべて起こる時には、立ち上がって
    頭を上げなさい、あなたの贖いが近いからです。」
  • 44:21 - 44:25
    それは私の顔と同じように明らかではありませんか?
  • 44:26 - 44:29
    私達は彼が来るしるしに注意しなければなりません。
  • 44:29 - 44:32
    それは彼が今日来ないことを意味します。
  • 44:33 - 44:37
    しるしが無いからです。ともかく、
    全てのしるしはありません。
  • 44:37 - 44:43
    私達は見て、警戒し、しらふでいなければなりません。
    そうすれば、驚くことはありません。
  • 44:43 - 44:48
    彼は、パウロは言います、彼は夜の盗人のように
    あなたのところには来ません。
  • 44:48 - 44:52
    なぜならあなたは起きていて、準備ができているからです。
  • 44:52 - 44:54
    言葉の違いについてはどうでしょうか。
  • 44:54 - 44:58
    これに関しては、これだけ言うことができます。 
    私はとても注意深く学びました。
  • 44:58 - 45:07
    言葉の違いとは、二つの異なる出来事についてではなく、
    一つの出来事の豊かな側面です。
  • 45:07 - 45:14
    それらは同じ出来事について
    何度も繰り返し用いられています。
  • 45:14 - 45:19
    その言葉を注意深く研究すると、全ての語句が
    ただ一回の来臨に言及していて
  • 45:19 - 45:24
    二つの異なった来臨ではないことがわかります。
  • 45:25 - 45:30
    言葉からの議論、または言葉からの推論は崩れます。
  • 45:32 - 45:37
    初期の教会が、彼がいつにでも戻ってくることを
    期待していたという事実についてはどうですか?
  • 45:37 - 45:40
    彼らは期待していましたか? 
    いいえ彼らは期待していませんでした。
  • 45:40 - 45:43
    疑いの余地がありません。
  • 45:43 - 45:48
    例えば、イエスは言いました。
    「福音を地の果てにまで届けなさい」
  • 45:48 - 45:52
    どうして彼らは彼がすぐにでも帰ってくることを
    期待できたでしょうか?
  • 45:52 - 45:54
    できませんでした。
  • 45:54 - 45:59
    それには少なくとも生涯、そして、
    実際、いくつもの生涯が必要でした。
  • 45:59 - 46:03
    弟子たちは、自分達がやりなさいと言われたことを
    終えてもいないのに、
  • 46:03 - 46:07
    彼がすぐに戻ることを期待していたなどと、
    どうして言えるでしょうか?
  • 46:07 - 46:16
    さらに、イエスはペテロが年を取ってから
    十字架につけられるであろうと予測しました。
  • 46:16 - 46:21
    ペテロは、主が今にも戻ってくるのを期待して
    毎日を過ごしていたと言えますか?
  • 46:21 - 46:26
    主が既に彼に、年を取ったら
    自分が行きたくないところに連れていかれる
  • 46:26 - 46:31
    すなわち、十字架に付けられると言ったのに? 
    「いいえ」
  • 46:31 - 46:38
    イエスはヨハネが年取るまで生きていて、
    死なないと暗示しました。
  • 46:39 - 46:45
    ある者達はこれを間違って理解して、イエスはヨハネが
    死ぬ前に戻ってくると決め込みました
  • 46:45 - 46:50
    しかし、イエスご自身、ヨハネ自身が自分の福音書の中で
    修正しました。
  • 46:50 - 46:54
    彼は言いました。「イエスは、私が彼が戻るまで
    生きているだろうとは言いませんでした。
  • 46:54 - 46:58
    彼はただこう言ったのです。「もしそうだとしたら?」」
  • 46:58 - 47:05
    イエスがペテロにその人生の終わりに
    どのようになるかと言った時に、
  • 47:05 - 47:08
    ペテロは言いました。「では彼はどうなんですか、主よ?」
  • 47:08 - 47:10
    とても人間的な反応です。
  • 47:10 - 47:12
    「ヨハネはどうですか?」
  • 47:12 - 47:16
    イエスは言いました。「もし私が戻るまで彼が生きると
    私が決めるとしても、
  • 47:16 - 47:21
    それはあなたには何の関係もないことだ、ペテロ」
  • 47:21 - 47:23
    私はその答えが気に入っています。
  • 47:23 - 47:30
    私達の関心事は私たち自身の運命についてであって、
    その意味では他の人達の運命であってはなりません。
  • 47:30 - 47:33
    ヨハネは自身の福音書の中にそれを引用して言います。
  • 47:33 - 47:38
    「イエスは自分が戻るまで、私は生きているだろうとは
    言いませんでした、
  • 47:38 - 47:43
    ただ、もし彼が生きていることを私が決めたとしても、
    それは、ペテロには何の関係もない、と言ったのです。
  • 47:43 - 47:48
    そのようにヨハネは初期の教会の間違った期待を
    正さなければなりませんでした。
  • 47:48 - 47:56
    これらすべてが合わさっても、彼らは自分達が
    生きている間にと期待したかもしれませんが、
  • 47:56 - 47:59
    しかし彼がすぐに戻ることを期待してはいませんでした。
  • 48:00 - 48:07
    主が来るのは差し迫っているという理論、彼は今すぐ
    戻るという理論は、聖書から生まれたのではありません。
  • 48:09 - 48:15
    パウロ自身、イエスが自分の生涯の間に戻ってくることを
    望んでいると言いました。
  • 48:15 - 48:22
    それは瞬間に、瞬きする間に、今の身体から
    別の身体に変えられるであろうからです。
  • 48:22 - 48:24
    彼はこのように書いています。
  • 48:24 - 48:29
    「私達はこの幕屋を脱ぎたいからではなく、
    かえって天からの住まいを着たいからです。
  • 48:29 - 48:36
    しかしながら、私達はむしろ肉体を離れて、主のみもとに
    いるほうがよいと思っています。(第二コリント五章)
  • 48:36 - 48:39
    彼が言っているのは、
    「私はひとつの身体から次の身体に行きたい」
  • 48:40 - 48:45
    しかし彼が帰ってこないならば、そうなった時には、
    私達は新しい身体を持つ、
  • 48:45 - 48:49
    なんとなく彼(パウロ)は不完全、
    服を脱いでいるように感じましたが、
  • 48:49 - 48:53
    しかしながら、身体が無くてもその間、
    主のみもとにいる方がよいのです。
  • 48:54 - 48:59
    これは、いつでも主が来ることを
    期待している人ではありません。
  • 48:59 - 49:04
    では全体の中では一番弱いと私が考える議論に
    進みましょう。
  • 49:04 - 49:09
    大患難の箇所のところに
    「教会」という単語が見られないことです。
  • 49:10 - 49:15
    代わりに、「選ばれた者達」「聖徒達」という
    言葉が出てきます。
  • 49:15 - 49:19
    黙示録の十四章を憶えていますか。
  • 49:19 - 49:24
    「これは聖徒達への呼びかけです。忍耐し、神の戒めを守り
    イエスに忠実であり続けるようにと。
  • 49:24 - 49:30
    彼らは言います。そこには「聖徒」と言っているが、
    「教会」とは言っていない。
  • 49:30 - 49:34
    イエスが大きな困難について語った時には、
    彼は言いました。
  • 49:34 - 49:40
    「主がその日数を短くしなかったならば、
    選ばれた者達も失われるでしょう」
  • 49:40 - 49:44
    選ばれた者達、聖徒達、しかし教会はありません。
  • 49:44 - 49:47
    これは小さなことで大騒ぎをする事です。
  • 49:47 - 49:54
    クリスチャン達は新約聖書のどこでも選ばれた者達、
    神の選んだ者達、聖徒達として言及されています。
  • 49:55 - 49:58
    全ての書簡が聖徒に宛てて書かれています。
  • 49:58 - 50:03
    皆さんの興味のために、書き出したのですが、
  • 50:03 - 50:06
    パウロの六つの書簡は「教会」という言葉を
    使っていません。
  • 50:06 - 50:10
    ただ「選ばれた者達」という言葉を使っています。
  • 50:10 - 50:15
    一つの書簡は、「聖徒達」という言葉を使用していますが、
    「教会」という言葉を使っていません、それはユダです。
  • 50:15 - 50:19
    そこから私は、第二テモテ、テトス、第一ペテロ、
    第二ペテロ、第二ヨハネ、ユダは
  • 50:19 - 50:25
    クリスチャンのためではないと仮定します。
    何と愚かなことでしょう。
  • 50:25 - 50:29
    ディスペンセーション主義者は黙示録を通して大きな困難の時に、
  • 50:29 - 50:35
    選ばれた者達と聖徒達という言葉が使われていることを
    問題としましたが、
  • 50:35 - 50:40
    彼らは「お~、それはユダヤ人を意味している」
    と言いました。
  • 50:40 - 50:43
    それはちょっと良すぎます。
  • 50:43 - 50:50
    新約聖書の中どこでも、選ばれた者達、聖徒達は
    イエスを信じるユダヤ人と異邦人です。
  • 50:51 - 50:57
    マタイの二十四章と黙示録の四章から十八章は
    クリスチャンに宛てられたものです。
  • 50:57 - 51:00
    ユダヤ人に宛てられたものではありません。
  • 51:00 - 51:03
    私達がそこを学んだ時に私が言ったように、
  • 51:03 - 51:05
    もし私達がそこにいないならば、
  • 51:05 - 51:09
    なぜイエスは大きな困難について、そのような
    すべての情報を私達に与えるでしょうか?
  • 51:09 - 51:12
    それは最悪の効果をもたらすかもしれません。
  • 51:12 - 51:16
    私達はそこにはいません、「ジャック、私は大丈夫」 と、
    人の不幸を小気味よく眺めてしまうかもしれません。
  • 51:16 - 51:18
    その感じがわかりますよね。
  • 51:18 - 51:24
    私達が知る必要が無い未来について、なぜイエスは
    それほど私達に伝えたいのでしょうか。
  • 51:24 - 51:26
    それが私にとっては一番大きな問題です。
  • 51:26 - 51:31
    選ばれた者達、聖徒達にこれらの章が宛てられていますが、
  • 51:31 - 51:35
    私は、彼らが私達、イエスを信じる者達だと信じます。
  • 51:36 - 51:42
    慰めに強調が置かれています。これを見て行きましょう。
  • 51:43 - 51:46
    「慰め(comfort)」という単語はどういう意味でしょうか?
  • 51:46 - 51:53
    私達の問題は、それが「心地よい、痛みが無い」ことを
    意味することです。
  • 51:53 - 51:56
    聖書ではそういう意味ではありません。
  • 51:56 - 51:59
    実際、英語でもそう意味ではありません。
  • 51:59 - 52:04
    「fort」がカギです。fortとは何でしょう?
  • 52:04 - 52:07
    それは困難にある防衛です。
  • 52:07 - 52:12
    Comfortするとは、反対に立ち向う力を
    人々に与えることです。
  • 52:15 - 52:19
    フランスに、北フランスに有名なタペストリーがあります。
  • 52:19 - 52:25
    征服王ウィリアムが1066年に来て、
    イギリスを征服しました。
  • 52:25 - 52:29
    だれもがイギリスの歴史は1066年に始まったと考えます。
  • 52:30 - 52:34
    征服王ウィリアムがやって来ました。
  • 52:34 - 52:37
    彼の故郷の北フランスのバイユウのある婦人たちが
    有名なタペストリーを作りました。
  • 52:37 - 52:41
    その長さは、約二百メートルで、今もそこにあり、
    見ることができます。
  • 52:41 - 52:44
    それはガラスのケースの中にとても注意深く
    保存されています。
  • 52:44 - 52:47
    皆さんの内何人がバイユウのタペストリーのことを
    聞いたことがありますか?
  • 52:47 - 52:49
    ハイ、誰か見た人はいますか? 見ましたか?
  • 52:49 - 52:51
    いいえ、でも聞いたことがありますね。
  • 52:51 - 52:57
    そのタペストリーの中には、征服王ウィリアムによる
    イギリスの征服の歴史が入っています。
  • 52:57 - 53:01
    イギリス人はそれほど興味を持っていません。
  • 53:01 - 53:05
    私はそれを見に行きました。そこをまわって来ました。
  • 53:05 - 53:09
    彼(ウィリアム)は自分の軍隊を率いるのに
    フランスの司教達を登用しました。
  • 53:09 - 53:16
    フランスの司教が長い槍を持って馬に乗っている
    美しい絵があります。
  • 53:16 - 53:25
    彼の前には馬に乗っている、明らかに臆病風を
    のぞかせているフランスの兵隊がいます。
  • 53:25 - 53:30
    オディン司教はその槍の先を兵士の背中に押し付けて、
  • 53:30 - 53:35
    兵士がイギリス人を攻撃し続けるようにしています。
  • 53:35 - 53:42
    その絵の下には、
    「オディン司教は彼の軍隊を慰めています。(comfort)」
  • 53:42 - 53:46
    素晴らしくないですか? これが「comfort」です。
  • 53:46 - 53:50
    戦い続けるために、槍の先を背中に
    突き付けられることです。
  • 53:50 - 53:56
    実際、「fortify (要塞化する)」という言葉は、
    古い英語の「comfort」という言葉と同じです。
  • 53:56 - 54:00
    同じ言葉「fort」一人の人を砦にすることと同じで、
  • 54:00 - 54:06
    彼らに電気毛布や、お湯のビン、座るためのクッションを
    与えることではありません。(慰めるという意味から)
  • 54:06 - 54:10
    それが私達にとって「comfort」の意味ですが、
    comfortは強さを意味します。
  • 54:10 - 54:14
    そしてついでながら、それは聖霊の名前です。
    彼は、Comforter です。
  • 54:14 - 54:19
    彼は、私達が攻撃を受けた時に、
    私達を砦 (fortress) にする方です。
  • 54:19 - 54:25
    この議論の背後にあるのは、comfort の
    感情的な意味であることがわかりますね。
  • 54:25 - 54:28
    私達はお互いに、comfort する必要があります。
  • 54:28 - 54:31
    お互いに力づける、お互いに強くし合うことが必要です。
  • 54:31 - 54:34
    主が帰って来るからです。
  • 54:35 - 54:40
    私達は最後に来ます。これは推論の中でも
    最も荘重なものだと私は思います。
  • 54:41 - 54:48
    特に大患難の最後のところで、
    怒りの鉢がぶちまけられます。
  • 54:48 - 54:52
    特別に「神の怒り」と呼ばれています。
  • 54:52 - 54:56
    私達が彼の世界にしたことに対する彼の怒りが
    とうとうぶちまけられます。
  • 54:56 - 55:00
    神は怒るに遅いけれども、しかし怒りが燃え上がると、
    それは特別です。
  • 55:00 - 55:02
    この人たちは言います。
  • 55:02 - 55:07
    「私達は神の怒りから救われている。
    神の怒りから解放されている。
  • 55:07 - 55:13
    そうであれば、神の怒りがこの世界にぶちまかれる時に、
    どうして私達はそこにいるのでしょうか?」
  • 55:15 - 55:19
    神の怒りは、現在世界にぶちまかれています。
  • 55:21 - 55:23
    ロマ書一章を読んでください。
  • 55:23 - 55:28
    神の怒りは既に天から人間の罪に対して掲示されている。
  • 55:28 - 55:36
    それから、暴力的な社会、崩壊家庭、
    ホモの活動が描かれます。
  • 55:36 - 55:41
    神の怒りのしるしは西洋の世界の全てにあります。
  • 55:41 - 55:45
    クリスチャンの家族もそれから逃れられないと、
    私は皆さんに言わなければなりません。
  • 55:46 - 55:49
    それはクリスチャン達に影響を与えます。
  • 55:49 - 55:55
    私の友人はドラッグの常習者に襲われました。
    良いクリスチャンです。
  • 55:55 - 56:02
    しかし、神の怒りの暴力が彼に臨みました。
    私の言うことがわかりますか?
  • 56:03 - 56:07
    私達は必ずしも神の現在の怒りから免れていません。
  • 56:07 - 56:14
    私達が何から救われているかというと、神の怒りの日と
    それに続く地獄です。それは確かです。
  • 56:14 - 56:22
    大患難の最後に私たちが経験する怒りは
    異なるものでしょうか?
  • 56:22 - 56:24
    もちろん、違うでしょう。
  • 56:24 - 56:27
    一つに、それが短いことを知っています、
  • 56:27 - 56:31
    もう一つは、イエスの来るのがとても近いことを
    知っています。
  • 56:31 - 56:33
    しかしもう一つのことは、
  • 56:33 - 56:36
    もし私達を神の怒りから守ることが神の意志であれば、
  • 56:36 - 56:39
    神はそうするであろうことを私達は知っています。
  • 56:39 - 56:41
    エジプトで神はそうしました。
  • 56:41 - 56:44
    怒りをエジプトの災いにぶちまけましたが
  • 56:44 - 56:48
    そのどれも神の人々に触れませんでした。
  • 56:48 - 56:50
    神が彼らの上にシールドを置いたので、
  • 56:50 - 56:54
    神がエジプトの上に、ご自身の怒りを注がれた時に、
    彼らは守られました。
  • 56:55 - 56:58
    しかし私が黙示録を読んでみると、
  • 56:58 - 57:02
    神はあるクリスチャン達を守りますが、
    他の人を守りません。
  • 57:02 - 57:04
    ある人達は死にます。殉教者たちが出ます。
  • 57:04 - 57:10
    それが、彼らを困難から解放して
    天国にすばやく送る神の方法です。
  • 57:10 - 57:13
    他の人達は荒野に逃げているでしょう。母親が逃げる時に。
  • 57:13 - 57:15
    憶えていますか?
  • 57:15 - 57:19
    彼らは神に守られて、神が食料を調達します。
    神はそうできます。
  • 57:20 - 57:25
    私達が解放される怒りとは、火の池で終わる怒りです。
  • 57:27 - 57:32
    重圧が来る時、第二の死は勝利した者達に
    触れることはありません。
  • 57:33 - 57:37
    私はこの議論が決定的だとは思いません。
  • 57:37 - 57:41
    黙示録からのこの節を聞いてください。
  • 57:41 - 57:45
    あなた方は忍耐をもって耐えるようにとの
    私の戒めを守ったので、
  • 57:45 - 57:52
    地上に住む者達を試すために、世界を襲う試練の時から、
    あなた方を守ろう。
  • 57:54 - 57:59
    これはそこから取り出されるというのではなく、
    その中にいて守られるという約束です。
  • 58:00 - 58:02
    「私はあなた方をそれから守りましょう。」
  • 58:03 - 58:05
    神は完全にそうすることができます。
  • 58:05 - 58:07
    しかし神はそうしないかもしれません。
  • 58:07 - 58:11
    私達が彼の名によって死ぬことを許可するかもしれません。
  • 58:11 - 58:18
    さて実際には、他に少数派の二つの意見があります。
    これまでにも述べてきましたが。
  • 58:19 - 58:26
    大会の書籍部に、ある見解の一冊の本がありました。
    「患難の最中の携挙」という本です。
  • 58:26 - 58:29
    封印とラッパの後、鉢の前に
  • 58:29 - 58:35
    人々はこの世から取り去られる、クリスチャン達は
    取り去られるという見解です。
  • 58:35 - 58:41
    それはアメリカでは大きくなりつつある意見で、
    英国でも表れつつあります。
  • 58:43 - 58:50
    私は指摘しなければなりません。それは未だ、
    イエスの再臨が二回あることを主張しています。
  • 58:50 - 58:54
    患難の最中に一度、終わりに一度です。
  • 58:54 - 58:59
    私の新約聖書には、二回の訪問の跡を
    どこにも見つけることができません。
  • 58:59 - 59:03
    もう一つの見解は「部分的な携挙」と呼ばれています。
  • 59:04 - 59:08
    ある特別な聖なるクリスチャン達が
    大きな困難の前に逃げて、
  • 59:09 - 59:11
    残りの人達はそこを通過します。
  • 59:11 - 59:16
    通常、自分達は特別な聖徒達に入ると
    考える人たちによって書かれています。
  • 59:17 - 59:23
    しかしこれも、二回再臨があると言っている
    基本的な誤りがあります。
  • 59:24 - 59:27
    その核心は、皆さんが自分の新約聖書を調べて、
  • 59:27 - 59:35
    彼(イエス)が二回戻ってくるという明白な記述を
    一つでも見つけることができるかどうかです。
  • 59:36 - 59:38
    そこにはありません。
  • 59:38 - 59:41
    それ故に、私は先に述べました。
  • 59:41 - 59:47
    最初にクリスチャン達が訪問されて、取り出される、
    という視点を持つようになった人たちの中で、
  • 59:47 - 59:54
    自分で聖書を学んで、その結論に至った人に
    私は会ったことがありません。
  • 59:54 - 60:00
    彼らは、「それはそういう意味だ」と彼らに言った
    説教者や先生と一緒に聖書を学びました。
  • 60:00 - 60:05
    又は、聖書の他に、「これがその意味です」と
    言っている本を読んでいました。
  • 60:05 - 60:09
    私たちは、いつも、それを中古でもらいました。
  • 60:09 - 60:13
    しかし聖霊と共に、自分の聖書に自分自身で
    向かう人たちは、
  • 60:13 - 60:20
    彼は一回戻ってくる、そして私達は多くの患難を経て
    神の国に入るという結論に至ります。
  • 60:20 - 60:23
    それが彼らの達する結論です。
  • 60:24 - 60:31
    この二百年間に、私の国から皆さんの国に
    教えの氾濫がありました。
  • 60:31 - 60:38
    聖書の注釈と人気のある著者たちによって、
    それは遠く広く拡がりました。
  • 60:38 - 60:41
    アメリカは現在それを世界中に輸出しています。
  • 60:41 - 60:45
    親愛なるあのオランダの婦人、コリー・テン・ブームが
    中国に行った時、
  • 60:45 - 60:51
    クリスチャン達が彼女にこう言うのに
    ショックを受けました。
  • 60:51 - 60:58
    「コリー、アメリカの宣教師達が、『大きな困難が来る前に
    私達は天にいるであろう』と言いました。
  • 60:58 - 61:00
    大きな困難が来ました。
  • 61:00 - 61:03
    どう対応してよいか私達はわかりませんでした。
  • 61:03 - 61:07
    なぜ彼らは『私達はイエスのために苦しむ』と
    言わなかったのでしょう?」
  • 61:07 - 61:10
    コリーはこれを彼女の本の一冊に書きました。
  • 61:10 - 61:17
    私は聖徒達が既にひどい迫害に
    苦しんでいる国々にいました。
  • 61:18 - 61:20
    中国では、クリスチャン達はこう言われました。
  • 61:20 - 61:24
    「心配しないでください。患難が来る前に、
    あなた方は携挙されます。」
  • 61:24 - 61:30
    そして、ひどい迫害が来ました。
    数百万のクリスチャン達が拷問されて死にました。
  • 61:31 - 61:35
    後に私は、中国からの司教が悲しそうに
    話すのを聞きました。
  • 61:35 - 61:40
    「私達は失敗しました。私達は迫害に対して、
    人々を強くしておくべきだった。
  • 61:40 - 61:44
    彼らに、『最初にイエスが来るだろう』 とは言わずに。」
  • 61:44 - 61:47
    彼は私(コリー)に振り向いて言いました。
  • 61:47 - 61:51
    人々に迫害の時に、どのようにして強くあるかを
    伝えてください。
  • 61:51 - 61:57
    患難が来る時にいかにして立つか、
    気を失わずに立っていることを」
  • 61:58 - 62:02
    ついでながら、それは「comfort」の完璧な定義です。
  • 62:02 - 62:04
    コリーは続けて書きました。
  • 62:04 - 62:07
    私は神聖な命令を持っていると感じています。
  • 62:07 - 62:14
    行って、この世の人々に主イエス・キリストにあって
    強くあることは可能であると、
  • 62:14 - 62:18
    私達は患難のためにトレーニングをしている」と
  • 62:18 - 62:20
    何という句でしょう。
  • 62:20 - 62:23
    「私達は患難のためにトレーニング中です」
  • 62:24 - 62:28
    私は既にイエスのゆえに監獄に入ったことがあるので、
  • 62:28 - 62:31
    また中国からの司教に会ったことがあるので、
  • 62:31 - 62:35
    聖書の良い聖句を読むたびに、私は思います。
  • 62:35 - 62:39
    「うん、私はそれを患難の時に使うことができる」と
  • 62:39 - 62:45
    私をそれを書き出して、記憶します。」
  • 62:45 - 62:47
    その素晴らしい婦人の事を皆さんご存知ですね。
  • 62:47 - 62:52
    彼女が収容所でどんな経験をしたか、
    彼女のお姉さんがその収容所で死にました。
  • 62:52 - 62:56
    多分、皆さんの内、ある方々は彼女の話を聞いたり、
    彼女の本を読んだり、
  • 62:56 - 62:58
    または、映画「隠れ家」を見たかもしれません。
  • 62:58 - 63:00
    とても、とても感動的です。
  • 63:00 - 63:05
    先週皆さんにお話ししましたが、彼女の特別な患難は
  • 63:05 - 63:13
    彼女が大変な脳梗塞を起こして、全く麻痺してしまい、
    誰からも完全に隔離された時に来ました。
  • 63:13 - 63:18
    彼女は彼女の面倒を見る献身的な人々によって
    生かされ続けました。
  • 63:18 - 63:21
    私は何年も後になって知らされました。
  • 63:21 - 63:26
    彼女は二つの事に、ほんの小さな動作で、
    応答しただけでした。
  • 63:26 - 63:30
    その一つは、彼女の愛する甥、
    ピーター・ヴァン・ブルデン、
  • 63:30 - 63:37
    彼は映画の中で女の子の洋服を来て、自転車に乗って
    ナチから逃れました。
  • 63:37 - 63:42
    ピーター・ヴァン・ブルデンがバイオリンを弾くと、
    彼女は少しだけ反応しました。
  • 63:42 - 63:45
    ある人が私に言いました。彼らは私のテープを
    たくさん買いました。
  • 63:45 - 63:50
    それらを彼女に聞かせると、彼女はほんの少しだけ
    神の言葉に反応しました。
  • 63:50 - 63:54
    しかし彼女は彼女の大患難にいました。
    しかし彼女はそれに備えていました。
  • 63:55 - 63:59
    彼女は聖書を持つことができない場合に備えて、
    み言葉を憶えました。
  • 63:59 - 64:03
    彼女は自分自身を強くしていました、
    自分をCOMFORTしていました。
  • 64:03 - 64:08
    患難のためにトレーニングをして準備していました。
    七十代の婦人として。
  • 64:08 - 64:11
    何という聖徒だったでしょう。
  • 64:11 - 64:16
    今、彼女はそこから解放されています。
    神が彼女の目から全ての涙をぬぐい取ってくれました。
  • 64:16 - 64:18
    彼が彼女を牧しています。
  • 64:18 - 64:23
    このセッションの私の最後の言葉は、単純にこれです。
  • 64:23 - 64:29
    もし私が間違っているならば、彼らのやり方ではなく、
    私のやり方で間違っているほうがよいと思います。
  • 64:29 - 64:33
    私は皆さんに大きな困難のために
    トレーニングをしてくださいと言って、
  • 64:33 - 64:37
    私がそう言う必要が無かったこと、皆さんも
    その必要が無かったことを知る方が、
  • 64:37 - 64:41
    「大丈夫です、悩まないでください。それは決してあなたに
    来ることはありません」というよりもよいと思います。
  • 64:41 - 64:45
    「それは決して起こらない」と言うのは
    偽預言者達だという気がします。
  • 64:46 - 64:50
    「平安が無い時に、平安、平安」と言うのは、
    偽預言者です。
  • 64:50 - 64:54
    人々の傷を軽く癒すのは偽預言者です。
  • 64:55 - 65:03
    強くすることよりも、間違った意味でCOMFORTしたい、
    なぐさめたいのは偽預言者です。
  • 65:04 - 65:07
    しかし、もし私が間違っているならば、
    神が私を赦してくださるように。
  • 65:07 - 65:12
    もし彼らが間違っている場合よりも、
    私の方がより害が少ないと思います。
  • 65:12 - 65:13
    祈りましょう。
  • 65:16 - 65:20
    父よ、私達は多くの異なった見解と、
    あなたの聖なる言葉の異なった解釈を聞く時に、
  • 65:20 - 65:24
    あなたの知恵をどんなにか必要としていることでしょう。
  • 65:24 - 65:27
    主よ、私達はあなたの言葉の霊感を信じます。
  • 65:27 - 65:31
    私達はそれが真理、全真理、
    真理以外の何物でもないことを信じます。
  • 65:31 - 65:37
    しかし主よ、私達が異なった解釈を聞く時に、
    見分けることができるように助けてください。
  • 65:37 - 65:42
    私達がみ言葉を探求して、そこに見つけることに
    確信を持つまで助けてください。
  • 65:42 - 65:45
    あなたの言葉にしがみついていることが
    できるように助けてください。
  • 65:45 - 65:51
    何が起こっても、何が来たとしても、その言葉が私達を
    堅固にし、立たせ続けることができるように、
  • 65:51 - 65:54
    何にもまして、立つことができるようにしてください。
  • 65:54 - 66:01
    そして主よ、その偉大な日に、あなたの前に立ち、
    誇りをもってあなたの目を見て、
  • 66:01 - 66:07
    あなたの恵みとあなたの聖霊の力によって、
    私達がそこにたどり着いたこと、
  • 66:07 - 66:13
    そしてあなたが私たちに忠実であったように、
    私達もあなたに忠実であったことを知りたいのです。
  • 66:13 - 66:17
    主イエスよ感謝します。あなたがすぐに戻ってくることに。
  • 66:18 - 66:20
    私達の心は叫びます、早く来てください。
  • 66:20 - 66:21
    世界はあなたを絶望的に必要としています。
  • 66:21 - 66:23
    私達はあなたを必要としています。
  • 66:23 - 66:26
    お~、どうか 早く来てください。
  • 66:26 - 66:32
    私達はあなたの御顔を見ることを望んでいます。アーメン。
Title:
Book of Revelation (2002) Part 7
Description:

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Video Language:
English
Duration:
01:06:41

Japanese subtitles

Incomplete

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