WEBVTT 00:00:12.330 --> 00:00:13.525 ありがとうございます 00:00:13.525 --> 00:00:16.863 皆さんが満足してくれるか自信はないですが まあ我慢して下さい 00:00:16.863 --> 00:00:21.367 これはもしかしたら―いや たぶん あまり面白い話じゃないでしょう NOTE Paragraph 00:00:22.364 --> 00:00:23.771 「本当の自分」は存在するか? 00:00:23.771 --> 00:00:26.475 これはとても奇妙な問いに 思えるかもしれませんね 00:00:26.475 --> 00:00:28.707 なぜなら 皆さんは こんな疑問をもつでしょうから 00:00:28.707 --> 00:00:31.043 「本当の自分」をどうやって見つけるのか 00:00:31.043 --> 00:00:33.302 どうやれば「本当の自分」を 知ることができるのか? 00:00:33.302 --> 00:00:34.346 その他いろいろ 00:00:34.346 --> 00:00:37.182 しかし「本当の自分」が 存在するはずだという考えは 00:00:37.182 --> 00:00:38.742 自明のことです 00:00:38.742 --> 00:00:41.708 世界中で本物と感じられるものが あるとすれば それは自分です 00:00:42.013 --> 00:00:44.106 しかし 私にはよく分かりません 00:00:44.106 --> 00:00:46.957 少なくともその意味をもう少し 理解する必要があります 00:00:46.957 --> 00:00:49.950 確かに我々をとりまく文化には 00:00:49.950 --> 00:00:52.495 各自がある種の核 つまり本質的要素を 持つという考えを 00:00:52.495 --> 00:00:56.064 ある意味 より強固にするものが 多くあります 00:00:56.064 --> 00:00:59.388 「自分らしさを定義するための 何かが存在し 00:00:59.388 --> 00:01:01.616 それは永続的で変化しない」と するものです 00:01:01.616 --> 00:01:03.988 なかでも最も素朴なものは 00:01:03.988 --> 00:01:05.607 星占いの類です 00:01:05.607 --> 00:01:08.218 人々はこういったものに実に強く傾倒し 00:01:08.218 --> 00:01:10.611 Facebookのプロフィール欄に 意味ありげに載せたりします 00:01:10.611 --> 00:01:12.094 Facebookのプロフィール欄に 意味ありげに載せたりします 00:01:12.094 --> 00:01:14.239 中国式占星術に詳しい人だって いるかもしれません 00:01:14.239 --> 00:01:16.674 これをもっと科学的にした バージョンもあります 00:01:16.674 --> 00:01:19.695 性格タイプを描き出す あらゆる類のもののことです 00:01:19.695 --> 00:01:22.523 例えば MBTI (性格検査) とかですね 00:01:22.523 --> 00:01:24.158 やってみたことがあるでしょうか 00:01:24.158 --> 00:01:26.239 多くの企業が雇用の時にこれを用います 00:01:26.239 --> 00:01:28.758 皆さんが多くの質問項目に答えると 00:01:28.758 --> 00:01:33.292 これはあなたの中核的な人格を あらわにするとされています 00:01:33.292 --> 00:01:36.478 そしてもちろん世間の人々には 非常に魅力的に映ります 00:01:36.478 --> 00:01:38.261 このような雑誌には 00:01:38.261 --> 00:01:41.723 左下の隅に 性格云々という広告が 00:01:41.723 --> 00:01:43.833 毎号のように掲載されています 00:01:43.833 --> 00:01:45.903 こういった雑誌を手に取った時 00:01:45.903 --> 00:01:47.391 抗うのは難しくないですか? 00:01:47.391 --> 00:01:49.826 テストに回答して自分の学習スタイルや 00:01:49.826 --> 00:01:52.854 恋愛パターン 働き方のスタイルを 探ることをです 00:01:52.854 --> 00:01:55.107 あなたはこういうタイプの人ですか? 00:01:55.107 --> 00:01:58.273 自分自身の核あるいは本質的要素が存在し 00:01:58.273 --> 00:02:01.647 それは発見できるのだという常識を 00:02:01.647 --> 00:02:03.198 我々は持っているように思います 00:02:03.198 --> 00:02:06.315 さらにこれは自分自身に関する 永遠の真実であり 00:02:06.315 --> 00:02:09.006 生涯を通じて同一であるものだとも 考えているようです 00:02:09.006 --> 00:02:12.222 実は それこそが私が挑戦したい考えなのです 00:02:12.222 --> 00:02:14.813 今言っておくと― 後にも少し触れますが 00:02:14.813 --> 00:02:17.510 これに挑むからといって 私は別に変人ではありません 00:02:17.510 --> 00:02:20.993 この挑戦は実のところ 極めて由緒のあるものです 00:02:20.993 --> 00:02:22.999 常識的な考えではこうです 00:02:22.999 --> 00:02:24.186 あなたがいます 00:02:24.186 --> 00:02:28.095 あなたは個人としてのあなたであり こんな核を持っています 00:02:28.095 --> 00:02:31.921 そしてもちろん人生で起きる 00:02:31.921 --> 00:02:34.721 様々な経験などを蓄積していきます 00:02:34.721 --> 00:02:36.573 これがあなたの記憶になります 00:02:36.573 --> 00:02:39.466 これらの記憶はあなたらしさを生む 手助けをします 00:02:39.466 --> 00:02:41.976 あなたには願望があります それはクッキーかもしれないし 00:02:41.976 --> 00:02:44.276 午前11時の学校で話すのが はばかられるようなことかもしれません 00:02:44.276 --> 00:02:46.447 午前11時の学校で話すのが はばかられるようなことかもしれません 00:02:46.447 --> 00:02:47.740 あなたには信念もあるでしょう 00:02:47.740 --> 00:02:49.967 これはある人の ナンバープレートです 00:02:49.967 --> 00:02:52.894 この「メシア1」という ナンバープレートが 00:02:52.894 --> 00:02:55.381 運転手がメシアを信仰していることを 指すのか 00:02:55.381 --> 00:02:57.678 自分がメシアだという意味なのかは 分かりませんが 00:02:57.678 --> 00:03:00.658 どちらにしろ 彼らはメシアに関する 信念を持っている訳です 00:03:00.658 --> 00:03:02.120 我々は知識を持っています 00:03:02.120 --> 00:03:04.378 同様に 感覚や経験も持っています 00:03:04.378 --> 00:03:06.895 単に理知的なものだけでは ありません 00:03:06.895 --> 00:03:09.421 今紹介したのは その人らしさを考える際の 00:03:09.421 --> 00:03:10.650 常識的なモデルだと思います 00:03:10.650 --> 00:03:16.193 つまり人生経験を全て抱えた 1人の人がいるという考えです 00:03:16.193 --> 00:03:19.076 しかし今日私が皆さんに 提起したいのは 00:03:19.076 --> 00:03:22.347 このモデルには根本的に 誤りがあるということです 00:03:22.347 --> 00:03:24.927 何が誤りなのか 1クリックで お見せしましょう 00:03:24.927 --> 00:03:30.774 この全経験の中心に 「あなた」は 実際にはいないのです 00:03:31.763 --> 00:03:33.249 奇妙な考えでしょうか?  いいえ 00:03:33.249 --> 00:03:35.254 ではそこに 何があると言うのでしょう? 00:03:35.254 --> 00:03:38.190 記憶や願望 意図 感覚 その他諸々は 00:03:38.190 --> 00:03:39.682 明らかに存在します 00:03:39.682 --> 00:03:42.397 しかし実際には これらのものは存在し 00:03:42.397 --> 00:03:44.601 何らかの形で全てが統合され 00:03:44.601 --> 00:03:47.948 重なり合ったり  様々な形で結びついたりしています 00:03:47.948 --> 00:03:50.781 結びつきは一部だけの場合も 大部分の場合もあるでしょう 00:03:50.781 --> 00:03:54.288 なぜならそれらは全て 1つの身体 1つの脳に属しているからです 00:03:54.288 --> 00:03:57.187 しかし我々は自分について物語を形づくります 00:03:57.187 --> 00:04:00.131 それは我々が過去の事柄を思い出す時に 行うことです 00:04:00.131 --> 00:04:02.538 我々がある事をするのは 別の事に影響されたからです 00:04:02.538 --> 00:04:06.237 我々の願望は信念の結果でもあり 00:04:06.237 --> 00:04:09.770 我々が想起することは 知識を反映してもいます 00:04:09.770 --> 00:04:12.071 そうであるからこそ 00:04:12.071 --> 00:04:15.002 信念、願望、感覚、経験といったもの全ては 00:04:15.002 --> 00:04:17.683 関連しあって存在しており 00:04:17.683 --> 00:04:20.220 その在り方が「あなた」に他なりません 00:04:22.290 --> 00:04:26.260 それは常識的理解と 大差ない場合もあれば 00:04:26.260 --> 00:04:28.216 大幅に違う場合もあります 00:04:28.216 --> 00:04:30.328 それは人生の全経験をもつ存在として 自分を捉えることから 00:04:30.328 --> 00:04:33.729 それは人生の全経験をもつ存在として 自分を捉えることから 00:04:33.729 --> 00:04:36.532 単に人生の全経験を寄せ集めた存在であると 捉えることへのシフトです 00:04:36.532 --> 00:04:38.674 単に人生の全経験を寄せ集めた存在であると 捉えることへのシフトです 00:04:38.674 --> 00:04:41.071 あなたはあなたを構成する部品を 合体させたものなのです 00:04:41.071 --> 00:04:43.869 もちろんこの部品とは 身体の部位も指します 00:04:43.869 --> 00:04:45.745 たとえば脳 胴体 脚などですが 00:04:45.745 --> 00:04:47.865 実は それらはあまり 重要な部品ではありません 00:04:47.865 --> 00:04:50.736 もしあなたが心臓移植を受けても あなたは依然として同一人物です 00:04:50.736 --> 00:04:53.338 もし移植されるのが記憶だとしたら? 00:04:53.338 --> 00:04:56.392 信念の移植を受けても 同一人物といえるでしょうか? 00:04:56.392 --> 00:05:00.737 この 「自分はどんな人間か」 つまり自己理解のあり方に関して 00:05:00.737 --> 00:05:05.156 自分は経験を抱えた永続的な存在であると 考えるのではなく 00:05:05.156 --> 00:05:07.994 経験の寄せ集めであると考えるのは 00:05:07.994 --> 00:05:10.662 ある種 奇妙に聞こえるかもしれません 00:05:10.662 --> 00:05:13.005 しかし私はそう思いません 00:05:13.005 --> 00:05:14.795 ある意味 これは常識的なことです 00:05:14.795 --> 00:05:17.723 私は皆さんに 00:05:17.723 --> 00:05:21.510 最も根源的な力についてではなく 00:05:21.932 --> 00:05:25.360 世界の物一般の在り方と比較して 考えてもらいたいだけです 00:05:25.532 --> 00:05:27.778 たとえば水について考えてみましょう 00:05:27.778 --> 00:05:30.192 私は理科があまり得意ではありませんけどね 00:05:30.192 --> 00:05:32.877 我々の言い方では 水は水素を2つと 00:05:32.877 --> 00:05:35.100 酸素を1つ持っていますね? 00:05:35.100 --> 00:05:36.667 我々はそれをよく知っています 00:05:36.667 --> 00:05:40.035 ここにおられる皆さんは 00:05:40.035 --> 00:05:43.894 「水」と呼ばれるものがまず存在し 00:05:43.894 --> 00:05:46.861 それに水素や酸素が 付属している とは定義しませんね 00:05:46.861 --> 00:05:48.161 それに水素や酸素が 付属している とは定義しませんね 00:05:48.161 --> 00:05:49.599 もちろんです 00:05:49.599 --> 00:05:52.666 水は 水素分子と酸素分子が  適切に配置された物にすぎず 00:05:52.666 --> 00:05:54.351 水は 水素分子と酸素分子が  適切に配置された物にすぎず 00:05:54.351 --> 00:05:58.706 それ以上の何物でもないことを 我々は当たり前のように知っています 00:05:59.083 --> 00:06:01.530 世の中の一切のものはこれと同じです 00:06:01.530 --> 00:06:04.208 例えばこの時計も全く 謎めいたものではありません 00:06:05.217 --> 00:06:08.205 私たちの言い方では 時計は盤面と針 それから 00:06:08.205 --> 00:06:09.901 機械部分と電池で構成されています 00:06:09.901 --> 00:06:11.349 しかし私たちは 00:06:11.349 --> 00:06:13.167 「時計」と言われるものがまずあり 00:06:13.167 --> 00:06:15.489 それに先ほどの部品を くっつけたのだとは考えません 00:06:15.489 --> 00:06:18.686 我々は時計は部品が入手され それを寄せ集めて作られると 00:06:18.686 --> 00:06:21.173 とても明快に理解しています 00:06:21.173 --> 00:06:23.642 さてもし全ての物が こんなふうにできているとすれば 00:06:23.642 --> 00:06:25.717 自分はそれと違うと なぜ言えるのでしょう? 00:06:25.717 --> 00:06:27.386 なぜ自分を 00:06:27.386 --> 00:06:31.192 部品の寄せ集めにすぎないと見ずに 00:06:31.192 --> 00:06:35.767 それらの部品をもった 独立した永久的な実体と見なすのでしょう? 00:06:36.388 --> 00:06:39.284 この見方は実のところ 特に新しいものではありません 00:06:39.284 --> 00:06:40.727 これには長い経緯があるのです 00:06:40.727 --> 00:06:42.342 それは仏教や 00:06:42.342 --> 00:06:44.985 ロックやヒュームなど 00:06:44.985 --> 00:06:48.754 17、18世紀に始まり現在に続く哲学にも 見られます 00:06:48.754 --> 00:06:50.573 しかし面白いことに 00:06:50.573 --> 00:06:54.291 この見方は神経科学からの 支持を増しつつあるのです 00:06:54.928 --> 00:06:58.390 こちらはポール・ブロックス 臨床神経心理士です 00:06:58.390 --> 00:06:59.816 彼はこう言います 00:06:59.816 --> 00:07:02.456 「私たちには 核 つまり 本質的要素が実在するという 00:07:02.456 --> 00:07:04.778 深い本能があり それを振り払うのは難しい 00:07:04.778 --> 00:07:07.691 恐らく不可能だ 00:07:07.691 --> 00:07:11.371 しかし脳には全ての事が 集まってくる中心がないことを 00:07:11.371 --> 00:07:13.915 神経科学が示しているのは真実である」と 00:07:13.915 --> 00:07:16.262 ですから皆さんが脳を見て 00:07:16.262 --> 00:07:20.145 どうやって自分という感覚が 生み出されているか知れば 00:07:20.145 --> 00:07:23.981 統制を司る中心点が 脳にはないことが分かるでしょう 00:07:23.981 --> 00:07:27.044 そこで全ての事が生じる中枢のようなものは 存在しないのです 00:07:27.044 --> 00:07:29.668 脳の中では実に多種多様なプロセスが 進行しており 00:07:29.668 --> 00:07:32.737 各プロセスは 言わばはっきりと独立して 実行されています 00:07:32.737 --> 00:07:35.591 しかし我々が自分という感覚を得るのは 00:07:35.591 --> 00:07:38.054 まさに各プロセスの そのような関係のあり方によるのです 00:07:38.054 --> 00:07:41.696 このことを私の著書では 「エゴ・トリック」という言葉で表しています 00:07:43.410 --> 00:07:46.493 これは機械的なカラクリのようなものです 00:07:46.969 --> 00:07:49.352 それは私たちが存在しないという 意味ではありません 00:07:49.352 --> 00:07:52.490 そのトリックによってこそ私たちは 00:07:52.490 --> 00:07:55.623 実際よりも統合的な何かが 自分の中に存在すると感じるのです 00:07:55.623 --> 00:07:58.860 今皆さんはこの考え方に対して 心配を抱いたかもしれません 00:07:58.860 --> 00:08:01.404 もしその考えが正しいとすれば 00:08:01.404 --> 00:08:05.381 つまり 自己の核 または 永続的な本質的要素を 00:08:05.381 --> 00:08:07.229 誰も持っていないとすれば 00:08:07.229 --> 00:08:11.149 それは自分という存在が 幻想であることを意味するのでしょうか? 00:08:11.149 --> 00:08:13.420 それは自分が存在しないという 意味なのでしょうか? 00:08:13.420 --> 00:08:15.321 確かに「本当のあなた」はいません 00:08:15.321 --> 00:08:19.196 実際に多くの人が この幻想や それに類するものについて語っています 00:08:19.196 --> 00:08:22.586 この3人は心理学者のトーマス・メッツィンガー ブルース・フード 00:08:22.586 --> 00:08:24.509 スーザン・ブラックモアです 00:08:24.509 --> 00:08:27.675 彼らをはじめ多くの人たちが 幻想という言葉で語っています 00:08:27.675 --> 00:08:29.999 「自分とは幻想であり フィクションである」 と 00:08:29.999 --> 00:08:32.778 しかしこれが有益な見方であるとは 私はそれほど思いません 00:08:32.778 --> 00:08:34.352 時計の話に戻ります 00:08:34.352 --> 00:08:37.825 この時計は部品の寄せ集め以上の 何物でもありませんが 00:08:37.825 --> 00:08:40.050 だからといって幻想ではありません 00:08:40.050 --> 00:08:42.609 同じように 我々もまた幻想ではありません 00:08:42.609 --> 00:08:47.551 自分がいろいろな意味で 単に非常に複雑で整然とした 00:08:47.551 --> 00:08:49.228 物事の寄せ集めであるからといって 00:08:49.228 --> 00:08:51.504 自分が現実に存在しないと いうことにはなりません 00:08:51.504 --> 00:08:54.411 これに関してちょっとした例え話を しましょうね 00:08:54.411 --> 00:08:56.643 滝を考えてみましょう 00:08:56.643 --> 00:08:59.404 これはアルゼンチンにある イグナスの滝です 00:09:00.516 --> 00:09:02.622 今こういうものを取り上げてみると 00:09:02.622 --> 00:09:05.374 良く分かると思いますが いろいろな意味で 00:09:05.374 --> 00:09:07.540 ここには永続的な物は何もありません 00:09:07.540 --> 00:09:09.401 第一に これは常に変化し続けています 00:09:09.401 --> 00:09:12.251 水は常に新しい流路を 切り開いていきます 00:09:12.251 --> 00:09:14.463 それらの変化や 潮の満ち引き、天候によって 00:09:14.463 --> 00:09:18.294 ある物は干上がってしまったり あるいは新しい物が作られたりします 00:09:18.984 --> 00:09:22.141 もちろん滝を流れ落ちる水は 00:09:22.141 --> 00:09:24.582 瞬間ごとに異なります 00:09:24.582 --> 00:09:28.215 しかしだからといって このイグアスの滝が幻想で 00:09:28.215 --> 00:09:30.298 現実でないという意味にはなりません 00:09:30.298 --> 00:09:32.182 このことが意味するのは 00:09:32.182 --> 00:09:34.936 それが歴史をもつ 1つのまとまりとして捉えるべきである一方 00:09:34.936 --> 00:09:37.877 それがプロセスまたは流動的であり 永遠に変化し続けていることを 00:09:37.877 --> 00:09:40.587 我々が理解しなければ ならないということです 00:09:40.587 --> 00:09:43.994 そしてこれが自分を理解するための 1つのモデルだと私は考えます 00:09:43.994 --> 00:09:46.174 これは解放的なモデルだと思います 00:09:46.174 --> 00:09:49.058 なぜならもし皆さんが この固定的・永続的で 00:09:49.058 --> 00:09:51.871 生涯にわたり常に同一の本質を 何であれ持っていると考えるならば 00:09:51.871 --> 00:09:54.391 ある意味皆さんは囚われの身です 00:09:54.391 --> 00:09:56.983 あなたはある本質的要素をもって生まれ 00:09:56.983 --> 00:09:59.518 あなたという人間は死ぬまでそのままです 00:09:59.518 --> 00:10:02.668 もし死後の世界を信じているなら それはまだ続くでしょう 00:10:02.668 --> 00:10:05.406 しかしもし皆さんが 自分という存在を 00:10:05.406 --> 00:10:08.756 そのようなものではなく ある種のプロセス つまり 00:10:08.756 --> 00:10:11.004 変化し続けるものだと考えるなら 00:10:11.004 --> 00:10:13.137 それは非常に解放的なことでしょう 00:10:13.137 --> 00:10:15.481 なぜなら滝の場合と違って我々には 00:10:15.481 --> 00:10:17.828 自分の目指す方向を 00:10:17.828 --> 00:10:21.914 ある程度は自分で決める力が あるからです 00:10:21.914 --> 00:10:23.944 ここで慎重にならないといけません  でしょう? 00:10:23.944 --> 00:10:27.149 もしあなたが自分の知られざる可能性を 過剰に重視してしまうと 00:10:27.149 --> 00:10:29.666 思いどおりの自分になれると 信じ込んでしまいます 00:10:29.666 --> 00:10:31.014 それは真実ではありません 00:10:31.014 --> 00:10:33.506 私は今朝素晴らしいミュージシャンの 演奏を聴きましたが 00:10:33.506 --> 00:10:36.989 自分があんな風に上手にできるとは 決して思いません 00:10:36.989 --> 00:10:39.378 一生懸命練習すれば 上手にはなるかもしれませんが 00:10:39.378 --> 00:10:42.271 私にはあんな生まれつきの 才能はありません 00:10:42.271 --> 00:10:44.792 人が成し遂げられることには 限界があります 00:10:44.792 --> 00:10:47.353 どんな自分になれるかについても 限界はあります 00:10:47.353 --> 00:10:49.855 それにも関わらず 我々には 00:10:49.855 --> 00:10:53.502 自分で自分を形づくる一種の力があります 00:10:54.039 --> 00:10:56.357 「本当の自分」とは かつて言われていたような 00:10:56.357 --> 00:11:00.119 発見されるような性質のものでは ありません 00:11:00.119 --> 00:11:03.698 心の中をのぞいても本当の自分は 見つかりません 00:11:03.698 --> 00:11:05.654 少なくとも部分的には 00:11:05.654 --> 00:11:08.243 本当の自分を 実際には自ら作り出しているのです 00:11:08.243 --> 00:11:10.361 これは極めて有意義なことだと思います 00:11:10.361 --> 00:11:12.530 特に皆さんのライフステージではそうです 00:11:12.530 --> 00:11:14.078 皆さんは 自分の多くの部分が 00:11:14.078 --> 00:11:16.098 ここ数年でいかに変化したか 分かるでしょう 00:11:16.098 --> 00:11:19.062 もし皆さんが自分の映った 3、4年前の動画を見たら 00:11:19.062 --> 00:11:22.642 気恥ずかしいでしょうね だって自分の姿だと分からないから 00:11:22.642 --> 00:11:25.839 そこで私はこれを皆さんに伝えたいのです 我々に必要なのは 00:11:25.839 --> 00:11:28.591 自分という存在を 自ら形作り 方向づけ 変えられるものとして 00:11:28.591 --> 00:11:29.903 捉えることです 00:11:29.903 --> 00:11:31.441 再びこれは仏陀の言葉です 00:11:31.441 --> 00:11:33.257 「井戸職人は見事に水を導き 00:11:33.257 --> 00:11:34.806 矢師は見事に矢の曲がりを直し 00:11:34.806 --> 00:11:36.844 大工は丸太を見事にまっすぐにし 00:11:36.844 --> 00:11:40.278 賢人は見事に自分自身を形作る」 00:11:40.597 --> 00:11:42.961 皆さんに覚えておいてほしいのは 00:11:42.961 --> 00:11:48.818 「本当の自分」とは 追い求めても永遠に見つからないような 00:11:49.134 --> 00:11:51.903 謎めいたものではないということです 00:11:51.903 --> 00:11:54.345 「本当の自分」が存在すると言う場合 00:11:54.345 --> 00:11:56.821 それはあなたの発見による部分も あるでしょうが 00:11:56.821 --> 00:11:59.315 あなた自身が作り出すものでもあるのです 00:11:59.315 --> 00:12:03.446 これは解放的でわくわくする見方だと 私は考えます 00:12:04.013 --> 00:12:05.575 ありがとうございました 00:12:05.575 --> 00:12:07.572 (拍手)