リーダーシップ・コミュニケーション関係の 講座や本で 近年 一番人気のトピックに エグゼクティブ・プレゼンス という概念があります これはどういう意味でしょう? 定義は何でしょう? 教えたり 学んだりできるものでしょうか? センター・フォー・タレント・イノベーションによる その三大要素は 外見 コミュニケーション力 そしてグラビタスだそうです グラビタスとは 例えば その人の説得力だとか 難局で決断を下し 敢行できる能力などを指します コミュニケーション力やグラビタスを含む 広範囲に及ぶ概念を語るとき 欠落している部分が幾つかありました その中の一つを 私は 「声のエグゼクティブ・プレゼンス」 と名付けました 難しい決断を下すとき どんな話し方になっているのか? 言おうとする内容を支え 相手に伝えたいイメージを伝える話し方か? それとも台無しにする話し方か? 例えば 緊迫した空気を緩和したいとき こんな口調だったらどうでしょう? 「ちょっと落ち着きなさいよ! 今の状況もう一度考え直さなきゃ!」 こういう言い方だと最悪の場合 最悪を免れてもあとでやんわり 「カフェイン取りすぎかも」と言われそうですね ここでの鍵は相手とどう繋がるかです プレゼンや記者会見の準備をしている人と 仕事することが多いんですが こんな発言を耳にすることがあります 「我々は子供たちを支援し 学校教育の質を上げることに 情熱をもって取り組んでおります」 そうすると「本当に?騙してるんじゃないの」 と心の中で思ってしまいます 情熱があると主張されていますが その証拠はどこにもありません ここで問題となるのは 言葉の選択と実際の表現の仕方に 大きな隔たりがあることです それにより信憑性が希薄になってしまうのです さて ここに権威ある重要な研究があります 言語または非言語において メッセージを伝える際の一貫性の有無が 受け取る側の感情と態度へ 与える影響を観察した研究です この研究で 話者が誠実に聞こえると感じたかどうか 被験者に訊いたところ 全体の38%が話者の声の音調に 基づいて評価していました 音調とは 声の抑揚の上がり下がり のようなもののことです これとは対照的に 話者の選んだ言葉に基づいて 評価した人はたったの7%でした 残り55%の評価は 非言語的要素に基づいていました つまり姿勢やアイコンタクトなどの 言語以外の要素から評価したそうです この研究結果ですが 濫用されているという事実にも 注意しなくてはいけません 例えば 「コミュニケーションの55%は 非言語的要素によるらしいよ」など 声高に説く人がいます これは真実からほど遠く また この研究の意図からも外れています しかし この研究や 後続の 同様の調査から 導き出されたことが一つあります それは信憑性ある話し方の重要性です 例えば 皆さんご自分のプレゼンの 準備をしているときのことを 想像してみてください 準備時間の38%を 発声や話し方に費しますか? 普通の人なら 内容に 全てまたは ほとんどの時間を使いますよね? プレゼンの構成や文章を決めたり パワーポイントのスライドを作ったり 見栄えのいい画像や 洒落たアニメーションを挟んだり エクセルの表に データを打ち込んだりしているはずです しかし その努力の結晶を実際に 伝える という作業に関しては 意外と出たとこ勝負じゃないでしょうか 結果としてせっかくの内容を アピールする力が弱くなってしまい 目の前の目的や目標が 達成できないだけでなく 長期的にも自分のイメージや評判を 落としかねません 要するに リーダーとして見られたいなら それらしく話すことが求められるのです エグゼクティブ・プレゼンスを 声で発揮することが必要です 声のエグゼクティブ・プレゼンスには 聴衆のタイプを観察し 自分が言いたい内容によって どんな人物像として話せば その人たちに聴いてもらえるか どういう話し方をすれば惹きつけられるか 見極める力も含まれます 私たちには皆 生まれ持った声がありますが この声を使うにあたりある程度は コントロールすることができます この説明に最適な例が マーガレット・サッチャーです サッチャーは英国史上 初の女性議員でした 沢山の反対派から やりすぎなくらいに揶揄され 「女史はキーキーとわめき過ぎ」 などと言われました 議論の際に熱中すると 声がうわずって甲高くなる癖が あったからです このため 首相選の出馬を決めたとき サッチャーは国立劇場から ボイストレーナーを雇い 音程を下げてより威厳ある話し方を 身につけるべく訓練しました 声は聴き手に認知面 感情面で影響を与えるため このような訓練は非常に重要です 認知面からご説明しましょう 38%の評価の基となる 音調 つまり音の高低について これを戦略的に使いこなせれば 伝えたい内容の中で 最も重要な部分や言葉に 聴き手の注意を誘導できます 聴く人にとって 情報処理がしやすい話し方なら 伝えた内容がちゃんと理解され 記憶に残る可能性も高くなります つまり説得力が増すのです 人は話を聴くとき 音調のまとまりやかたまりごとに 情報処理します 通常まずは抑揚のパターンに意識を集中し 聞こえる内容と音の頂点とを結びつけます その後 必要があれば 低音の谷部分は何だったか 想像力で埋めていくのです 例えば 歌の歌詞 こんなことよくあるでしょう 好きな歌に合わせて歌っていて ふと気づいたり 誰かに遠慮なく指摘されて 歌っていた歌詞が 間違っていたことに気づくこと 経験ありますか? 皆さんうなずいてますね ルイ・アームストロングの名曲 『この素晴らしき世界』 皆さん知っている歌ですね 歌詞にこんな部分があります "the bright blessed day and the dark sacred night" 私が小さいときは こうだと思っていました: "the bright blessed day and the dogs say good night" (笑) これって意味通じます? 通じませんよね でもそう聞こえたんです 何よりもまず抑揚のパターンや 音調ピーク部分が元の歌詞と同じで 高音部分の母音や音節も同じですから なので あまり目立たず あまり強調されていない 低音の谷部分を 想像で埋めて歌っていたんです 効果的な話し方を習得している人が 最重要部分を高音で強調する理由も これと同じことですね つまり リーダーとしての立場を 確立したいと思えば 誰かと会った瞬間に 声の音調を意図的に変えることで 相手に 望ましい印象を 与えることが可能になります 当然のこととして 強く記憶に残るような良い印象を 与えることも非常に重要ですが 他人の名前を覚えることすら 苦手だというときは それどころではないですよね 心当たりありませんか? でも その苦手意識について 半分は免責してあげましょう なぜかというと ほとんどの人は 自己紹介の時点で 自分の名前を 間違って発音しているからです 正確には間違えているのではなく 聞き手にとって 何を言っているか理解しにくい リズムや抑揚で話しているということです ところで 先ほどの半分を 免責する話ですが 残り半分は ご自身の自己紹介として 責任を負うことになります では 正しい自己紹介は どうするか 聞き手にきちんと名前を 理解してもらえる話し方をし また 理解してもらうことで 名前つまり自分が誰なのかを 相手に憶えてもらう方法です まず ファーストネームを言うときは こうして 語尾で声を高くします 「まだ終わっていませんよ」という感じで そして一番高い部分で 少し 間を空けます この短い間で音が途切れ 単語間の境界を示します そして名字を言うときは 声を低く下げます 「これで終わりですよ」 という意味を込め 句点を最後につけて 話しているつもりで下げましょう 自己紹介全体がぼやけてしまうような 話し方は避けます 名前を言った後 間を置かずに すぐ次を続けるのではなく 聞き手が理解しやすいよう 話し方に気をつけます 細心の注意を払って 「ローラ・シコラです」と言います 意識的に音調を変えるという こんな些細なことで 驚くほどの違いが生まれます さて 当然ながら でたらめなイントネーションで 変なところで声を上げ下げすると まったく逆の効果が生まれます 聞き手の気が散ってしまい 最も大事な部分を聞いてもらえず 言っていることを理解してもらうのが 難しくなります 一番多く見られる例は 現代社会では「アップスピーク」または 「アップトーク」と呼ばれ 個人的には非常に 耳障りに聞こえますが 増える一方にある話し方です 専門的には 「語尾上げ」と言われます この抑揚パターンは 人と話しているときに 文や語句の終わりに 質問文のような 語尾を挟みながら 話を続けます 「でしょ?」とか「だよね?」を いちいちつけ加えているかのような 話し方です 一種の心の奥底に根付いた不安や 常に肯定されていたい 病的欲求があるのでしょう (笑) ですよね? こういう話し方の悪いところは たまたま語尾に来た部分が 内容の区別なく強調される結果に なってしまうということです どんな聞き手にとっても 理解が難しい話し方ですし この単調な語尾の上昇の繰り返しには むしろ催眠性があり これが続くと 話の中身どころか 話自体を聴いていられるかどうかも 疑わしくなります 補足しておきますがこの話し方 若いギャル層に特有の現象だと 片づける人も多いですが 別にこの世代に限りません 人間性を貶める発声的犯罪と 言っても過言ではありません 老若男女問わず 教育の良し悪しも関係なく 皆に広まってきています まあある意味男女の機会均等が 達成されたわけです やりましたね! (笑) さて また別の問題点として この語尾上げに対し 当然のことながら 人々の評価は散々なものです ひどく感情的に反応する人までいます 威厳ある発声の 正反対であるだけでなく 人前で髪をいじることの 声バージョンみたいなものです よね? さて 感情的な反応もあると言いましたが ここで 声が感情面にもたらす 効果についてお話します まず 非常に特徴的な声を持つ人を 想像してみましょう ジェームス・アール・ジョーンズ あのダース・ベイダーの声で 最もよく知られている俳優です 個人的に思うのですが あの深くよく響く低音の声で シャンプーボトルの裏の材料を読んだら 詩の朗読に聞こえるでしょう でも この声では うまくいかない場合もあります セサミストリートのエルモ役は 多分難しいでしょうね (笑) フラン・ドレシャーはどうでしょう NYクイーンズ出身特有の 誰にでもわかる 不機嫌そうな鼻にかかったあの声 ドラマ『ザ・ナニー』では良かったですが ダース・ベーダ―の声には 多分向いてないでしょう 想像できます? ルーク・スカイウォーカーを前に 『ルーク 私がお前の父親だ』って あの鼻声で言うところ (笑) ありえないでしょう? コミカルな場面にはぴったりの声ですが 例えば葬儀屋を 探しているときなどは 近寄ってきてほしくない タイプの声ですよね 全ては状況次第なのです 葬式という状況では 感情面での支えを必要とする時期に あなたや家族の気持ちを 託す相手として相応しい 信頼のおける 思いやりや同情心に溢れた 声の持ち主がいいですよね ここで問題なのが 聞いていて不快に感じるような 声だった場合や その場で求められている役割に合った 人柄に欠けていると思われる場合 またイメージに合わないような場合 その声は耳に届かないということです なんとなく心を閉ざし 情報の重要性の如何に関わらず その先を聴こうとする気が 失せてしまいます 意識しなくとも 人は話し手の伝える 内容と声質の一致を求めるものなのです ではエグゼクティブ・プレゼンスの 発声とは演技することでしょうか? 違います むしろ真逆です 自分らしくなければならず 本当の自分を出さねばなりません しかし ここで鍵となるのは 自分が持つ性質の中で どの瞬間に どの特性に光を当て 自分の声と話し方で伝達するには どうするのかという点です 今日ここで皆さんが私の話を 聞いてくださる理由は 聞く価値があると思ってもらえる話し方 そして皆さんが期待するTED講師像に あてはまる話し方だからでしょう しかし この話し方をそのまま 3歳の甥っ子に対しては使えません ローラ叔母さんどうしちゃったの いつもみたいに楽しくないよ と思い 甥は遊んでくれなくなるでしょう 同じ理屈で 私がこの場で皆さんに対し 甥に対するときみたいに 話すことはできません こんな風に講演を始めたとします 「ねえ おばちゃんいいこと思いついた! 声のエグゼクティブ・プレゼンス のおはなし!」 (笑) 「冗談でしょ?頭おかしいの?」 ってなりますよね 「この人にリーダーシップや エグゼクティブの何がわかるわけ? そもそも 誰が呼んだの?」 はい 呼んだのはあの人たちです (笑) 要は「声のプリズムを駆使する」 ということです 決して演技ではありません それは 2種類の聴き手の それぞれ異なるニーズや期待を 見極め意識するというだけのことです そして聴く人が話す内容を 受け入れてくれるように 自分のが持つ性質のうち どれを引き出すかを決めます 白い光がプリズムを通る時に 虹色に分散される現象と 色々な意味で合致するものが 大きな観念であり比喩である 「声のプリズム」なのです 人柄を白い光に喩えると 状況というプリズムを通って 様々な色つまり性質に分かれます ここで出てきた色すべて つまり 自分の人柄を構成する あらゆる性質の中から この瞬間に強調したいのは どれかを決めるわけです その時と場面に合った 最も効果的な表現をするためです この使い分けをマスターすれば あなただけの あなたらしい そして真にリーダーらしい話し方を 創りだせるはずです ありがとうございました (拍手)