こんにちは Every Frame a Paintingのトニーです あなたはこんなことを 考えていますね? 「なんでコイツの話するの?」って なんてこと! マイケル・ベイね! そうなんです 私がマイケル・ベイ 僕はこの人の映画が嫌いです しかしこの人の映画は 研究しなければいけない なぜでしょうか 実は最近「レッスル・マニア」を テレビで見始めたんだけど やってくるものに対して 目をそむけてはいけないと思う これがマジョリティが TVで見たいものなんだよ 「レッスル・マニア」「アナ・ニコール」 「ジャッカス」のように マイケル・ベイもまた何かを 作り上げました 人々が欲しているのは スペクタクルだ! ローマ人もルイ・クチュールも ウルフウィッツも知っていた 1・2・3! ドカーン!ベイヘム! とても俗悪なテーマだと思いますが いい映画を作ろうと思えば そのイメージを 理解しなければならない なのでベイヘムについて 考えてみましょう あれは独特な撮影方法なのでしょうか マイケル・ベイを理解するなら もっともよいのは そのコピー作品を見ることです 「バトルシップ」のこのショットでは カメラを円状に動かす 有名な方法を取り入れています しかし上手くいっていません なぜでしょう 答えは単純です まず背景が青空しかありません 背景がなければ視差が生まれず 動いているのが分かりません 違いが分かりますか? レンズの選択が 1番の問題です ベイは望遠レンズを多用して 空間を圧縮しています 背景にあるものが より近くに写るのです また役者は止まって 頭を回しているだけです ベイヘムでは役者は 縦方向にも動きます これとか これもですね そしてローアングルと スローモーションで大きさを強調します ベイのショットでは様々な動きが 合成されています カメラや背景 役者の動きです 時間感覚の拡張です そして静止しスクリーンの外を睨んで 静寂感を作ります フレーム内で1点を見つめていても 広大な感じがしますね なんてこった マイケル・ベイはあらゆるシーンで この技法を用いています 深い背景レイヤーと 人物と環境の視差 これらが壮大さを創りだすのです これらの技術は特別なものではありません 実際 写真家の多くは 背景を深く取り 視差をとってカメラを動かします それからヒーローショット ベイの特徴はレイヤー数の多さと 動きの複雑さです よいショットにはならないにしても コンペで評価されるでしょう なのでベイのシーンでは 色々なことが一度に起こります ほこり 泥 煙 爆発が レイヤーの間を埋めていきます 街灯もそうですね 街灯はよく出てきます 「バッドボーイズ」第1作では オープニングでこれが見られます 車が一方向に動き 飛行機は別方向へ 街灯がフレームに入っているのを 望遠レンズで撮っています 物語の後半でも 同じテクニックが見られます 爆発も同じ これを抑えておけば 後の分析は簡単です その限界も見えてきます ベイはこのテクニックの 使いどころが区別できていません 登場人物が大事なことを言っている時の カメラの動きと 金は持っているのか? そしてただのおしゃべりの時 俺が何て言ったか聞いてたのか? 俺はここに立ってたから聞いてたぞ すべてのショットは 視覚的インパクトのために設計され 適当かどうかは問われません 他にもこんな 面白いアイディアを使っています あるものを大きく見せるには どうするか 同じショットの中に 色々なサイズのものを置き カメラを動かして強調するのです 「ジュラシック・パーク」でも 使われていました 恐竜だ スクリーン外のスペースも大事です この役者は背景の飛行機を見ていません 観客には見えていない大量の飛行機が あるということです 非常に巨大でスケール感あふれる ショットになるのです このようなイメージは どこからやってきたのでしょうか マイケル・ベイの場合は 彼のお気に入りの映画から ニューヨーク・タイムズは以前彼の 「ウェストサイド・ストーリー」のレビューを掲載しました それによると これがすごいショットで これがすごいカットだそうです その理由について彼は「ダイナミックだ」以外に 説明することができませんでした たぶんそれだけなのでしょう 「ウェストサイド・ストーリー」のショットを ベイの作品に当てはめてみると その類似性が分かるでしょう ベイのゴールとは彼なりの 「よいショット」を撮ることであり それを彼流の「よいカット」で つなぐことなのです ハワード・ホークスはよい映画を 「良いシーン3つ・悪いシーンなし」と定義しましたが ベイの考える「良い映画」は ダイナミックなショット3000に 動きのないショットなし というもののようです ウェストサイド・ストーリー以外では ベイは他のブロックバスターに 影響を受けています 他のシークエンスにおいて 「語彙」を借りているのです たとえばこんなもの こうなります タイトなショットは よりタイトに ワイドなショットは よりワイドに 動きのレイヤーはどんどん追加されますが 基本は同じです 借りてくるのは他人からだけではありません 自分自身の表現も 借りてくることがあります たとえばこれ こうなります 元ネタのすべての動きが たとえばカメラが反時計回り 爆弾が時計回りですが こちらでも同じです すなわち「ベイヘム」とはなにか? 動きと構図と編集で 壮大さを持たせることです すべてのフレームは広大で さらに外側には巨大なものを感じさせます 動きのレイヤーをたくさん重ね 超望遠あるいは超ワイドレンズで撮影します 一瞬で多くのものを見せ 画面からすべて消し去ります 何かが動いている感じはあるのですが はっきりしたことは何も分かりません 作るのに人手がかかる映画ですね しかし基本的には既存の アクションシーンの文法です 個別のショットはやや雑でブレがあり 複雑でレイヤーが多い それをカットアップして 目はついていけても脳は無理なくらい速くするのです これは別に革命的でもなんでもなく ありふれたやり方です このやり方をもっと見たければ トニー・スコットの後期の作品があります 滑らかな動きのものが見たければ アニメーションがあります グレン・キーンの作品などですね ベイのものより分かりやすい感じですが 基本のところは同じです 登場人物と環境がレイヤーを作り 大きなスイングを行っている 世界は広く見えます マイケル・ベイスタイルの模倣で 好きなのは こんな風に小さくしたものですね ベイヘムは電車のおもちゃで育った 子どもの想像の産物に近く 皮肉にも小さいものを撮るとチャーミングです 世界を吹き飛ばすのではなく 小さな英国の街とかね しかしこの大衆性はとても大事だと思います 好き嫌いはあるでしょうが 私たちの視覚は洗練されていても そこから意味を読み取るのは とても困難なのです 現在 私たちは視覚情報を 超高速で処理できます しかしそのイメージの意味を考えるのは そんなのいらねぇ! それほど速くありません ヴェルナー・ヘルツォークが言うように 「やってくる未来から 目をそらしてはいけません」 奇妙なことですが 最も多くを失ったのは マイケル・ベイ自身です 彼は彼自身の目の 奴隷なのです 彼はすべての映像を ダイナミックにしてしまいます たとえその映画のテーマに 反していようとも じっと睨みつけているから いいものに気づかない人だっているわ その通りだ 人生におけるシンプルなルールとは そう ちいさなことです ドック付きの家から 水辺を眺めるみたいなね もし2人の偉大なるストーリーテラーが 同じ内容を表現するとこうなります 私たち うまくやってるわよね 愛してるよ マージー 私もよ ノーム あと2ヶ月だね そうね あと2ヶ月