[♪ ♪ ♪] 不正な法律が存在する; その時私たちは甘んじてそれに従えばよいのか、 あるいはそれを修正しようと努め、 その試みが成功するまではそれに従う方がいいのか、 それともただちに法を犯す方がいいのか? ─ ヘンリー・デイヴィッド・ソロー ソーシャルニュースサイトRedditの共同設立者が 遺体となって発見されました。 彼はまさに神童でしたが、 彼自身はそう考えてはいませんでした。 彼はビジネスや金儲けには 全く興味がありませんでした。 今夜、アーロン・スワーツの地元ハイランドパークでは インターネットの名士の1人に別れを告げようと、 彼の死を深く悼んでいます。 自由、オープンアクセス、コンピューター、 それぞれの活動家らが彼の死に哀悼の意を示しています。 彼を知る人によれば「驚くべき頭脳の持ち主」。 その彼は自身の持つ基本原則をすべて裏切った 政府とMITによって殺されました。 彼らはアーロンを見せしめにしたかったのでしょうか? 政府にはコントロールしたいという貪欲さがあるのです。 彼は35年の服役と100万ドルの罰金を 受ける可能性があります。 訴追への熱意に対し疑問を提起します、 もっと言えば職権乱用であるように私は思います。 どういった根拠を調査し、この結論に至ったのですか? 成長するってのはつまり、身の回りの物や、 僕に語りかける人々全てが [アーロン・スワーツ 2010年]: 自然な、あるべき姿で存在するってことを 少しずつ自覚するプロセスなんだ。 全てが自然だというわけじゃない、 その中には変わっていくものもあれば、 もっと重要な、間違っていて、 変えなければならないものもある。 一度それを理解したら、もう後には引けないんだ。 インターネットの申し子 絵本を読む時間だよ。 本の名前は「パディントンとゆうえんち」。 [アーロンの父親]: そう、彼はハイランドパークで生まれ育ちました。 アーロンは3人兄弟の1人で、とても利発な子でした。 「ほら、箱がひっくり返るわよ……」 「もう自由よ……」 [アーロンの兄弟]: 兄弟みな、お行儀のいい子供じゃなかったですね。 しょっちゅう走り回っていて、問題を起こしてました。 「こら、だめ、だめよ!」 - アーロン! - どうしたの? でもアーロンがとても若くして 学び方を習得していることに気付いていました。 「ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ、 シックス、セブン、エイト、ナイン、テン」 - トン!トン! - だぁれ? - アーロンだよ。 - アーロンって? - 芸人アーロンだよ。 やりたいことがわかっていて、 そしていつもやりたがっていました。 [アーロンの母親]: やりたいことには常に秀でていました。 彼の好奇心は尽きることがなかった。 「惑星についての図表だよ」 「それぞれの惑星は記号を持ってる、水星の記号、 金星の記号、地球の記号、火星の記号、木星の記号」 ある日、彼がSusanに、「この『ハイランドパーク 商業地区家族向け無料イベント』って何?」 「ハイランドパーク商業地区で家族向け無料イベント」 この時3歳ですよ。 妻が、「一体何のこと?」と聞くと、 彼は、「見て、冷蔵庫に貼ってあるよ、 『ハイランドパーク商業地区家族向け無料イベント』」 妻は読めることにとても驚いていました。 これは「私の家族のセデル」。 『このセデル(訳注:ユダヤ教の過ぎ越しの祭りの初日に 開かれる晩餐)は他と違う特別な夜なのです』 シカゴ大学図書館でのことを覚えているよ。 19世紀末からあるような本棚から本を取り出して、 それを彼に見せながら、 「わかるかい、ここは特別な場所なんだ」 僕たちは皆好奇心旺盛な子どもだったけど、 アーロンは学ぶのも教えるのも本当に好きでしたね。 「今日教えるのは、逆順のABCです」 「Z、 Y、 X、 W、 V、 U、 T……」 彼が初めての代数の授業から 家に帰ってきた時のことを思い出します。 彼が、「ノア、代数を教えてあげる!」 そして僕が、「代数って?」という感じで。 彼はいつもそんな調子でした。 「ここでクリックボタンを押そう、それ!よしできた」 「ピンクに塗られたよ」 彼が2、3歳の頃、夫が彼にコンピューターを教えたんです。 それ以来彼は我を忘れてコンピューターに夢中になりました。 [赤ちゃん言葉] みんなコンピューターを持ってましたが、 アーロンは本当にパソコンに、ネットにはまってましたね。 - コンピューター使ってるの? - ううん…… これ……ねぇママ、どうして動かないの? 彼はとても小さい頃からプログラミングを始めました。 [アーロンの兄弟]: 私が一緒に書いた最初のプログラムはBasicで、 スターウォーズのトリビアゲームでした。 彼はコンピューターのある地下室で一緒に座って、 何時間も、そのゲームをプログラミングしていました。 彼に対して僕が抱えていた問題は、 僕にはもうやりたいことがないけれど、 でも彼には、いつもやりたいことがある。 いつもプログラミングで解決できる何かがあったんです。 アーロンはいつも、プログラミングは 魔法だと捉えていました。 普通の人間にはできないことを彼はやり遂げることができた。 アーロンはマッキントッシュや段ボール箱などを 使ってATMを製作しました。 ある年のハロウィン、 僕が何をすべきか思いつかなかった時、 彼は自分の新しいお気に入りのコンピューターの 仮装をしたらとてもクールなんじゃないかと考えたんだ、 初期モデルのiMacにね。 彼はハロウィンの仮装は嫌がっていたけど、 自分が見たい仮装を 他人に着させるよう説得するのが好きでしたね。 「司会はアーロン、もう!ほらこっちへ来て、カメラを見て!」 「スパイダーマンもカメラを見て!」 彼は人々が情報を書き込むことのできる The Infoという名のウェブサイトを作りました。 金箔の箔置きについてなら何でも詳しい人がいるとしましょう。 このウェブサイトにはそうした人たちが知識を書くことが できる。そして他の人たちが後からやって来て、 そして情報を読み、悪いところがあれば それを編集できる。 Wikipediaとちっとも違わないでしょう? そしてこれはWikipediaのスタート前で、 彼は12歳でこれを開発したんです、 彼の部屋で、古い技術を使って 自分自身で小さいサーバーを走らせていました。 ある先生の反応は、こんな感じでした: 「ひどいアイデアだ、他人に辞書、 百科辞典の編纂をさせるなんて。 学者たちは私たちにこういった本を 書くために存在するんだ。 どうしてこんなひどいアイデアを考えた?」 僕たち兄弟はその後、 「ああ、Wikipedia、クールだね。 でも家にあったよ、そう、5年前にね」 アーロンのサイト、theinfo.orgは ケンブリッジにあるウェブデザイン会社、 ArsDigitaが主催した学校コンテストで受賞した。 ケンブリッジに行くことになったんだ……、 彼がArsDigita賞を取ったので、 アーロンが何をしたのか皆目見当がつかなかった。 その賞がとても重要なんだということはわかっていたけど。 程なくアーロンはオンラインのプログラミング コミュニティと関わりを持つようになり、 Webの新しいツールを構想していく。 彼がやってきて僕に言ったんだ: 「ベン、 僕が作ってるすごいものがある」 「これをぜひ聞いて欲しいんだ!」 「へぇ、なんだいそれ?」 「RSSっていうんだ」 それから彼はRSSがどういうものか説明してくれて…… 「なんで便利なの、アーロン?」 「それをサイトに使ったとして、一体なぜ使いたくなるの?」 RSSや、もっと一般的なXMLといったものを 開発している人たちのメーリングリストがある。 そしてそこにはアーロン・スワーツという名の 人物がいて、とても負けず嫌いで頭が良く、 [作家、活動家、ジャーナリスト、アーロンの友人]: たくさんの良いアイデアを持っていて、 でも顔合わせのミーティングには来たことがないんです。 そこでいつかミーティングに来ないの?と聞いたら、 彼が言うには、「その、母がなんと言うかわからないんです。 僕は……14歳になったばかりなので」 その時の彼らの最初の反応は、「えーっと、 この1年一緒に働いていたこの同僚は その時13歳で、今ちょうどたったの14歳か」 次の反応は、 「なんてことだ、これはぜひ会わなきゃ。 こりゃすごいことだぞ!」 彼はRSSの仕様を策定する委員会の1人でした。 彼は最新のハイパーテキストを パイプライン処理する機能の構築を手伝っていました。 RSSにおいて彼が作業していた箇所は、 他のウェブページに載っているものから [電子フロンティア財団 技術プロジェクトディレクター アーロンとは以前ルームメイト]: 要約を作ることができるツールでした。 通常は、ブログにこのツールを使える。 読みたいブログが10から20あったとする。 そのRSSフィード、ブログに今 書かれている記事の要約を使って、 そういったもの全てをひとまとめにした リストを作ることができる。 アーロンはとても若かったけど、この技術を 理解していたし、これを不完全だと見ていて もっと良くする方法を探していました。 それからアーロンの母親が彼をシカゴの空港から見送り、 私たちはサンフランシスコで彼を迎え、 彼との議論に興味を持つ人たちと引き合わせた、 そして彼の奇妙な食習慣には驚かされましたよ。 彼は蒸した米といった白い食べ物しか 食べないんです、炒めた米は十分白くないからと、 それに白いパンなど……。 そしてその少年の小さな口から飛び出す、 議論の質の高さにも驚かされました。 偏食による壊血病で死んだりしなければ、 きっと何かやり遂げると思える少年でした。 アーロン、君の番だ! 違いは、ドットコム企業は 作れないということだと思います。 確かにインターネットでドックフードを売ったり、 携帯でドックフードを売ったりはできないでしょう。 でも、まだ多くのイノベーションが今起こっている。 このイノベーションが見えていないというなら、 あなたは現実から目を背けているんだ。 彼はまるでオタクのリーダーのように振舞っていました、 こんな感じで、「僕はあなたより賢い、 賢いからあなたより鋭い、 だから何をすべきか断言できるんだ」 なんというか、不愉快な奴を もっとひどくした感じでした。 そしてそれらのコンピューターを1つにまとめて、 大規模な課題を解決することができる、 宇宙人を探すとか、がんを治すとか言った課題に。 最初の出会いはIRC、つまり インターネットリレーチャットでした。 [WWWの発案者]: 彼はコードを書くだけでなく、自分が見つけた問題を 解決することに熱心な人間を見つけてくるんです。 彼は知らない人同士をつなぐ「コネクター」でした。 彼の意欲の大部分はフリーカルチャー運動から来ていましたね。 アーロンは世界を機能させようとしていたんだと 思います。世界を修理しようと。 [マギル大学・ウルフ科学技術リテラシー講座 教授]: 彼は時々はっきりと腹を立てるような とても強い個性を持っていました。 この一件では彼は必ずしも常に世界に満足していなかったし、 世界も、彼を満足させなかったんです。 アーロンは高校に進むと学校にとてもうんざりしていました。 彼は学校が、行われたどんな授業も、 先生も気に入りませんでした。 アーロンは情報を得る方法を知りたがってました。 彼いわく:「幾何学の方法を学ぶために 先生のところに行く必要はない。 幾何学の本を読めばいい。 アメリカの歴史についての見解を学ぶために 先生のところに行く必要はない。 僕は3つの史料を持っていて、それを読めばいい。 そして僕の興味はそんなことじゃない、ウェブなんだ」 学校にとても不満を感じていたんだ、先生たちは 自分たちが話してる内容を理解してないと思う。 彼らは支配的で管理的、宿題なんてのはまやかしで、 生徒たちを全員閉じ込めて勉強を強制する手段でしか無い。 そして教育の歴史、この教育システムがどのように 開発されたのかに関する本を読み始めた。 そして、その代替手段、先生たちから 言われたことを鵜呑みにするだけの 教育とは対照的な、本当に物事を学べる手段について。 どうしてここにいるのかを学校に問いかけたその時から、 物事を問いかける生き方を歩むようになった、 学校を作った社会に問いかけ、 学校で訓練を受ける目的である企業に問いかけ、 こういった体制を築いた政府に問いかけてきた。 彼が特に初期の頃に熱心だったものの1つが、著作権ですね。 著作権は出版社と読者にとって常に負担となってきました、 しかしそれは過度の負担ではなく、 人々が対価を支払うことを確実にするために 講じられた、合理的な制度でした。 アーロンの世代が経験したのは、この古い著作権システムと、 インターネットとウェブによって 構築される新しい素晴らしいものとの間での衝突でした。 そうしたものがぶつかり合い、カオスとなったのです。 彼はその後ハーバード大学の法律学教授、その時最高裁で 著作権法を変えようとしていたローレンス・レッシグに出会う。 若かりしアーロン・スワーツは最高裁審理を 傍聴しにワシントンに飛んだ。 僕はアーロン・スワーツ、エルドラッド論争(訳注:著作権保護 期間延長法に対する違憲訴訟)を傍聴しにここに来ました。 なぜエルドラッド論争を見るためにシカゴから飛行機で かれこれここまでやってきたの? それはちょっと難しい質問ですね……、 よくわからない、最高裁を傍聴することに とても興奮している、 特に今回のような名高い事例では。 レッシグはインターネット上での著作権を 規定する新しい方法を押し進めていた。 それがクリエイティブ・コモンズだ。 クリエイティブ・コモンズの基本アイデアは 人々、クリエイターたちの [ハーバード大学エドモンド・J・サフラ財団倫理センター所長 クリエイティブ・コモンズ創設者]: 創作性に対し、その自由な 取り扱い方を表示するシンプルな方法です。 著作権が「全ての版権を所有します」だとすると、 これは「いくつかの版権を所有します」といったモデルです。 こういったことを簡単にあなたに伝えたい: 私の創作物を使ってこういうことができます、 事前に私からの許可が必要なことがあっても。 そしてアーロンはコンピューターの部分を担当していました。 シンプルで理解でき、 機械が処理できる形で表される ライセンスをどのように設計するかといったことを。 人々は、「なぜ15歳の少年にクリエイティブ・コモンズの 仕様書を書かせているんだ? 大問題だと思わないのか?」 レッシグは、「一番の問題は私たちが この少年のことを聞き及んでいないことだ」 彼はなんとか演壇に立てるぐらいしか背が高くなくて、 加えて移動式の演壇だったので、扱いに厄介で、 液晶画面を開くと、誰も 顔を見られなくなってしまってね。 この私たちのウェブサイトを訪れた際、 「ライセンスを選ぶ」ページへ行きます。 オプションのリストが表示され、 その内容が説明され、3つの質問を受けます。 「著作権者表示を求めますか?」 「あなたの作品の商用利用を認めますか?」 「あなたの作品の改変を認めますか?」 大人たちが息子を大人として扱っていることにとても驚きました。 そしてアーロンは満員の観衆の前に立ち、 そしてクリエイティブ・コモンズのために 作成したプラットフォームについて語り始めました。 観衆全員が息子の話を聞き、そして…… 私はその後ろに座ってこう思っていました: 息子はまだ子どもよ、なぜみんな耳を傾けてるの? でも彼らは聞いていました。 ええ、私には完全に理解できたとは思いません。 アーティストへの対価の保証が 足りないという批評にもかかわらず、 クリエイティブ・コモンズの成功は甚大なものだった。 現在ウェブサイトFlickrだけでも、2億人以上が何らかの 形でクリエイティブ・コモンズライセンスを利用している。 彼は自身の技術的才能を通じて貢献し、 なおかつそれは彼にとって技術的課題以上のものでした。 アーロンは自身のブログにたびたび率直に綴っている: 僕は深く物事について考えている、 そして同じように人々にも深く考えて欲しい。 僕はアイデアのために活動し、そして人々から学ぶ。 人間を埒外に置くのは好きではない。 僕は完璧主義者だ、しかし出版の 妨げになるようなことはしたくない。 教育やエンターテインメントを別にすれば、 影響を与えないようなことに 時間を無駄にしたくないんだ。 みんなと友達になりたい、しかし 僕に対し真剣でない時は嫌うよ。 恨んだりはしない、だって生産的じゃないから、 でもそれは経験として学ばせてもらう。 僕は世界をより良くしたいんだ。 2004年、スワーツはハイランドパークを離れ、 スタンフォード大学に入学する。 彼はとても厄介な潰瘍性大腸炎に罹り、 投薬を受けている彼がとても気がかりでした。 彼は入院し、毎日たくさんの薬を飲まなければならなかった、 そしてそのうちの1つがステロイド剤で、 彼の成長を阻害し、 他の学生たちと自分は違うんだと考えるようになっていきました。 アーロンはたぶん奨学金のために大学に顔を出し、 この4年間で企業のリーダーや1%の富裕層になるような 早熟の高校生をまるで子守でもするような プログラムをあざとく見つけるんだろうな、 そしてそれは彼を狂わせるのでは、と思っていました。 2005年、1年だけ在学したあと、 スワーツはポール・グレアム率いる新しいスタートアップ インキュベーション、Y Combinatorの出資を受ける。 彼は、「やあ、ウェブサイトのアイデアがあるんだ」 ポール・グレアムは彼を気に入ってて、 「ああ、いいとも」って。 アーロンは大学をドロップアウトして、 このアパートに移り住んで…… ここがアーロンが使っていたアパートだ。 アーロンが金もなく、その上大学を ドロップアウトしたせいで、アパートを借りるのが どんなに大変だったかを父が話してくれた、 そんな漠然とした記憶があるよ。 アーロンは今リビングルームになってる所に住んでて、 住んでた頃に貼ってあったポスターがいくつか残ってるよ。 そしてここが書庫、もっと本があるけど、 ほとんどはアーロンの本だ。 Y combinatorの出資を受けたアーロンのサイトの名は 「infogami」、ウェブサイト構築ツールだ。 しかしinfogamiはユーザーの獲得に苦しみ、 そこでスワーツは最終的に 支援を必要としていた別のY Combinatorの プロジェクトと自身の会社とを合併する。 それがスティーブ・ホフマンとアレクシス・オハニアンを リーダーとするプロジェクト、「Reddit」だ。 ほとんど何もないところから 始めました。お金も、コードも、 そして日に日に、人気のある巨大サイトへと成長していき、 終わりそうにありません。 最初の1000ユーザーから1万、そして2万、 そしてさらに、信じられません。 Redditは巨大に、そしてインターネットの オタクコーナーみたいなものになっていきました。 ユーモアあり、アートあり、そしてサイトに群がる人々、 毎朝ニュースをチェックしにやってくる メインサイトになっていった。 Redditはある面ではカオスさながら、 そして一方ではその日のニュース、テクノロジー、 政治、諸問題を議論する場でもあり、 さらに職場に適さないもの、不快なものもたくさんあり、 荒らしが居場所を見つけるようなsubredditもある、 つまりそういう意味で、Redditは議論の場なんです。 狂気の沙汰にいるようなものです。 Redditは巨大出版企業Condé Nastの目に留まり、 Redditの買収を提案する。 とても多すぎて、「どうやって保管するんだ?」と 父を悩ませるほどの大金でした。 - 大金ですか…… - 大金です。 たぶん100万ドル以上でしょう、 でも私は正確なところを知りません。 - その時彼はいくつ? - 19か、20歳でした。 そう、このアパートで起きたんです。 彼らは当時のままのこのカウチに座って、 Redditをハックし、そしてRedditを売却したときは、 大きなパーティーを開いて、 翌日に彼らは全員カリフォルニアに飛び発ち、 私にアパートの鍵を預けていきました。 面白いもので、自身のスタートアップを 売却した彼について、私たちはみな とても裕福な人間になったと思っていたのに、 彼はというと、「僕はこの靴箱みたいな 小さい部屋にいるよ。これが必要なもの全てだ」 押し入れぐらいの部屋でしたよ。 高価なものにお金をかけようという 考えは全く無いようでした。 彼の説明では、「このアパートに住むよ、新しい場所で 暮らすことに大金を掛けたくないんだ。 何も買うつもりはないし、 ジーンズとTシャツを着るのが好きだ。 だから衣類にも一切お金を掛けない。 ほんと、どうでもいいことだよ」 スワーツにとって重大だったのはどのように インターネットにトラフィックを流入させ、 そして何によって彼らの注意を集めるかだった。 [映画 Steal This Film IIより]: 古い放送システムでは、電波による送信容量が 限られている。電波ではテレビが10チャンネル、 ケーブルでも500チャンネルしか送信できない。 インターネットなら、誰でもチャンネルを持てる。 みんながブログや、Myspaceページを持てる。 みんなが自身を表現する手段を持てるんだ。 今議論しているのは誰が電波を利用するのかの問題じゃない。 人々を見つける方法を誰がコントロールするかの問題だ。 知ってのとおり、Googleのような、 ネットで行きたいところを教えてくれる門番のようなサイトに 権力が集中しているのを垣間見ている。 ニュースや情報のソースを提供してくれる人たち。 そういった人たちは情報を伝える権限を 持つ人ばかりじゃない、今では全ての人が 情報を伝える権利を持っている。 これは誰からその情報を得るのかという問題なんだ。 [Condé Nast サンフランシスコ支社 Wired、Redditが入居] Condé Nastのあるサンフランシスコで 働き始めた後、彼がオフィスに入って行くと、 彼らはくだらないものがインストールされた コンピューターを与え、 そしてこのコンピューターに新しいものを インストールするなと言ったんです、 開発者にとっては屈辱ものですよね。 初日から、彼はこうしたもの全てに 不満をぶつけていた。 「灰色の壁、灰色の机、灰色の雑音。 ここに来た初日から、本当に我慢できなかった。 昼食の時間、文字通りトイレの個室に 鍵を掛け閉じこもり、そして涙が出てきた。 一日中がやがやとした中で 正気を保てるかどうか想像もできない、 ましてなにか仕事をやり終えるなんて。 ここでは仕事をこなしてる人は誰もいない。 みんなしょっちゅう部屋に来ては ぶらぶら、おしゃべり、そしてWiredが テストしてる新しいビデオゲームに誘ったりしている」 彼は人とは違う政治指向的な大志を持っていて、 そしてシリコンバレーは、政治的な目標のための技術活動に 進むといった文化をあまり持っていませんでした。 アーロンは企業のために働くのを嫌っていました。 皆Condé Nastで働くことを嫌がっていましたが、 アーロンはただ1人、我慢できなくなったんです。 そしてアーロンはもう仕事に出なくなり、 結果解雇されました。 それは面倒な破局だったようだ。 アレクシス・オハニアンとスティーブ・ホフマンは両者とも この映画のインタビューを断った。 彼はビジネスの世界を拒絶したんです。 この選択について思い浮かぶ重要なことの1つは、 [Wiredマガジンフリーライター]: アーロンがスタートアップの文化から 離れることを決めた時、同時に 彼を有名にし愛してくれたものから離れることになり、 そして彼のファンをがっかりさせる危険性があったことです。 彼には向かわなければならない場所があり、 そうした自己認識を持っていた、 一輪の薔薇を摘みとるためにゴミの山に登り、 失った嗅覚を見つけようとする頑固さがあった、 ゴミの山に座り、ここも悪くないよと言い、 なんやかんやで薔薇を取って、 とても良いねと山を降りてくる、 そんな感じじゃなくてね。 アーロンの物の見方は、プログラミングは魔法─ 普通の人間にはできないことを達成できる、 プログラミングによって。 もしそんな魔法の力が使えたら、いいことに使うだろうか、 それとも大金の山を作るために使うだろうか? スワーツは子どもの頃に出会った 1人のビジョナリーに触発された、 ワールドワイドウェブを発明した男、 ティム・バーナーズ=リーだ。 1990年代、バーナーズ=リーはほぼ間違いなく 20世紀最も富をもたらす発明の1つを産み育てたが、 しかしWWWの発明から利益を得る代わりに、 彼は自由に使えるようにした。 これがWWWが今日ある理由の1つだ。 アーロンは確実にティムから深く影響を受けていました。 ティムは決して金儲けをすることのなかった、 まさにインターネット創成期の突出した天才でした。 彼は大金を得られる方法を見つけることには まったく関心がなかった。 言われましたよ、「残念、大金を得られたのに」って、 でもそうなるとその代わり大きな1つのウェブじゃなく、 小さなウェブがたくさんできただろう、 そしてそれらの小さな、様々な種類の ウェブたちは機能しないだろう、 なぜなら一方からもう一方へとリンクをたどれない。 臨界量に達さないといけない、それはつまり地球全体だ、 だから地球全体に広がらない限り機能しないんだ。 この世界で生きていくには充分では ないと強く感じる、あるがままに 与えられるものを消費し、大人たちがやれということに従い、 両親がやれということに従い、社会がやれということに従う。 僕はそういったことを問いかけるべきだと思う。 僕はこの科学的な考え方を使っている、 つまり学んだこと全ては暫定的であって、 常に取り消しや、反論や、質問の機会が開かれている、 そしてこれを社会にも適用したいんだ。 僕が取り組めるような現実的で 重大な問題─根本的な問題─が 存在することにひとたび気付くと、それを忘れることが できない。何もしないわけにはいかないんだ。 私たちは多くの時間を共に過ごし始めました、 友達のような感じで。 よく夜まで何時間も語り合いました。 彼が私に気があることに気付くべきでした。 ある程度は感じていたんですが、 私は、とんでもない、ありえないわ、だから そんなことは起きないんだって振る舞おうとしていた。 私の結婚生活が崩壊していたので、 行くところがなく困っていました。 私たちはルームメイトになり、娘も連れてきました。 引っ越して、家に家具を入れて、 それで本当に落ち着きました。 私の人生はしばらく平穏とは言えず、 そしてそれは彼も同じでした。 恋愛関係になってからはとても親密になりました。 私たちは……、連絡を取り合っていました。 でも私たち2人とも、とても扱いづらい人間なので(笑)。 アリー my Loveみたいなやりとりの中で、彼は自分の テーマソングがあると白状し、そこで彼に再生してあげました。 フィオナ・アップルの 「Extraordinary Machine」です。 この曲にはちょっと思い悩んでいる感じがあって、 同時に、なんていうか、 その先に希望が満ちているところがあるんです。 ♪一歩一歩、のんびりした足取りだけど、 居心地が悪いのには慣れっこだから、もう この先ずっと変えられないの ♪ 色んな意味で、アーロンはものすごく人生に 楽観的でした。彼自身がそう感じていない時でも、 人生についてすごく楽観的だったのかもしれません。 ♪ わたしってへんてこマシンね ♪ (アーロン) - 何してるの? (クイン) - Flickrにビデオ機能ができたの。 スワーツは公開情報へのアクセスに関する 一連の新しいプロジェクトに力を注ぎ始めた、 "Watchdog.net"という アカウンタビリティーに関するサイト、 そしてプロジェクト、"The Open Library"。 Open Libraryプロジェクトとは、openlibrary.orgで 訪れることができるウェブサイトで、 その目的は巨大なwiki、1冊の本の情報を 1ページにまとめる編集可能なウェブサイトです。 これまでに出版された全ての本について、 出版社から、書店から、図書館から、読者からの 情報全てを組み合わせたウェブページを 1つのサイトに載せたい、 そしてその本をどこで買えるのか、借りられるのか、 閲覧できるかのリンクを提供する。 僕は図書館が好きです。新しい街へ行くと すぐさま図書館を探すような人間です。 Open libraryの夢は、このウェブサイトを、本から本へ、 人から著者へ、テーマからアイデアへと 飛び回ることができ、また物理的な 巨大図書館の中で埋もれ、見つけるのが大変で、 オンラインでアクセスできないような知識の 系統樹を体験できるような場所に 構築することです。これはとても重要なことで、 なぜなら本は私たちの文化的遺産だからです。 本とは人々が事柄を著述するために向かう場であり、 そしてその場が一企業に全て囲い込まれて しまうという……、これは恐ろしいことです。 どうすればパブリックドメインへ アクセスする権利をもたらすことができるか? [インターネット・アーカイブ創設者、デジタル司書]: パブリックドメインへのアクセス権を持つことは 自明のことのように聞こえるかもしれませんが、 しかし実際は違います。つまりパブリックドメインはあらゆる人に 公開されるべきなのですが、しばしば遮断されています。 たいていは防護柵があるんです。周りを掘で囲まれた ナショナルパークのような感じで、 万が一誰かがパブリックドメインを楽しもうと やって来た時のためにガンタレットが配置されてるんです。 アーロンが特に興味を持っていたのは パブリックドメインへのアクセス権の実現でした。 これが彼を多くのトラブルに巻き込んだ原因のひとつでした。 [ハーバード大学インターネット&ソサエティ バークマンセンター元特別研究員]: 私はアメリカ合衆国の連邦裁判所記録へ アクセスしようとしてきました。 そして見つけたのは、「裁判所電子記録への パブリックアクセス」の略である、 "PACER"と呼ばれる難解なシステムでした。 それについて検索し始めた時、 カール・マラムドの名を見つけたんです。 アメリカでの法的資料へのアクセスは 毎年100億ドルもの額のビジネスとなっています。 [public.resource.org 創設者]: PACERはまさに政府サービスの 信じられない恥部です。1ページにつき10セント、 見たこともない役立たずのコード。 検索できない。ブックマークもできない。 クレジットカードが必要なんです、 あるのは公記録ですよ。 連邦地方裁判所はとても重要です─ 私たちに影響のある多くの訴訟の出発点です: 公民権訴訟、特許訴訟、そうしたもの全てです。 ジャーナリスト、学生、市民、そして弁護士たち、 全員がPACERへのアクセスが必要で、 あらゆる局面でこれと対峙することになる。 アメリカンエキスプレスゴールドカードを持っていない人は 簡単に訴訟を確かめることもできない。 正義へのアクセスに人頭税を課しているんです。 [オライリーメディア 創設者]: 当然ですが、法というのは我々の民主主義にとっての OSです。それを確認するのに課金が必要? これってちっとも民主主義じゃないですよね。 彼らはPACERシステムで年間1億2000万ドルを稼ぎ、 そして彼ら自身の記録によれば、これに関する コストは一切かかっていません。実際、これは違法です。 2002年米電子政府法では、裁判所が PACERを稼働させるコストを支払うといったような、 必要経費に限り請求することができると定めています。 Public.Resource.Orgの創設者として、マラムドは PACERの料金に抗議しようとした。 そこで彼は「PACERリサイクルプロジェクト」 という計画を開始、 既に支払いを済ませたPACERの文書を他の人が使えるように 自由なデータベースにアップロードできる。 PACERの人たちはパブリックアクセスについて 議会などから多くの非難を浴びたので、 そこでアメリカ国内17の図書館に自由に PACERにアクセスできるシステムを導入しました。 つまり、22000平方マイル(訳注:北海道の約2/3)につき 1つの図書館です、まったく、不便もいいところです。 私はいわゆる「サムドライブ部隊」に 参加してくれるようにボランティアに呼びかけました、 アクセス権を持つ図書館から文書をダウンロードし、 PACERリサイクルサイトにアップロードしてもらうのです。 それらの図書館の1つにUSBメモリを持ち込み、 文書をまとめてダウンロードし、 そしてそれを私に送ってもらう。 だけど、これはただのジョークだったんです。 実際、「サムドライブ部隊」の部分をクリックすると、 オズの魔法使いの、 あのマンチキンが歌っているところの、 ビデオが再生されるんです: ♪ 我々はペロペロ飴組合…… ♪ ところがやはりシュルツとアーロンから私に電話があり、 「いいね、サムドライブ部隊に入るよ」 ちょうどその頃、会議でアーロンに会いました。 これは間違いなく、多くの様々な人たちによる コラボレーションにしなければならない。 そこで彼と接触し、言いました、 「ねぇ、僕もPACER問題に介入しようと思うんだ」 シュルツはすでに公判記録図書館からPACERの文書を 自動的にダウンロードできる プログラムを開発していた。 スワーツはそれを一目見たいと思った。 そこで彼にコードを見せて、 どうなるのかわからなかったけど、 結局、その会議から数時間かけて、 隅っこに座って私のコードを改良し、 図書館で彼の改良したコードをテストするために 目的の図書館の近くに住んでいる友人を雇いました、 この時点で裁判所の連中は 計画通りに事が進んでいないと気が付いた。 そしてデータがどんどん、どんどん、届き始め、 ついに760GB、2000万ページのPACER文書となりました。 公判記録図書館から回収した情報を使い、 スワーツはPACERシステムからの 大規模自動並列ダウンロードを行った。 連邦裁判所の270万の文書、テキストにして 約2000万ページを手に入れることができた。 今、当初のアクセス権プロジェクトを実行した 人たちの期待を上回るであろう、 2000万ページを取得できます、 しかし驚いたことに官僚は違法ではないと。 アーロンとカールは事の顛末について ニューヨーク・タイムズに語ろうと決めていた。 彼らはFBIの目に留まり、イリノイ州のスワーツの 両親宅に張り込むようになった。 そしたら彼の母からツイートが来たんです、「電話して!!」 思ったんです、一体何が起きたんだ?、と。 それでアーロンに連絡を取って、 彼の母によると、「大変よ、FBI、FBI、FBI!」 FBIのエージェントの車が自宅の私道に入り、 アーロンが自室にいないか確認しようとしました。 その日のことを思い出します、なぜ車が私たちの 私道に入ってきたんだろうと思いました、 そして引き返して行きました。奇妙でしたね。 なので、5年後にFBIの資料を読んだときは、 「なんてことだ、FBIだったのか、私道に入ってきたのは」 彼は怯えていました。完全に怯えていました。 FBIが彼を電話で呼び出し、弁護士不在の元、 コーヒーショップから連れだそうと 策略したことでさらに怯えるようになったと。 彼いわく、家に帰ってベッドに横たわると、震えていたそうです。 このダウンロードのおかげで、裁判所文書中に 大規模なプライバシー侵害があることも発覚。 最終的に、結果として司法は自身の ポリシーの変更を余儀なくされ、 そしてFBIは起訴することなく捜査を終えた。 今日に至るまで、注目すべきと感じる点は とても辺ぴな田舎のFBIの出張所でさえ、 法体制を公開しようとしたという理由で 窃盗の罪で民衆を捜査することは 市民の税金の適切な使い道だとは 考えていないということです。 一体どうすれば、法執行官を名乗る人物が、 法体制を公開することで この世界を悪くする可能性が あると考えられるのでしょう? アーロンは自分の信じる大義によって 危険にさらされることを厭わなかった。 貧富の格差が気になると、スワーツは技術の枠を超え、 広範囲な政治的目的へと移っていった。 私が連邦議会の一員となった時、議会に出入りし、しばらくの間 インターンとして働けるよう彼を招待しました、 [民主党議会補佐官、アーロンの友人]: 彼が政治的プロセスを学べられるようにと。 彼は新しいコミュニティ、新しいスキルを学び、 そしてなんというか、政治をハックすることを学びました。 鉱山労働者が汗水たらしてせっせと 働かなければならないというのは馬鹿げてる、 しかし彼らがあえてそれをやめれば、その夜の食事はなくなり、 一方僕はというと、座ってテレビを見ながら 毎日さらに大金を稼いでいる、という事実に直面する。 やはりどうもこの世界は馬鹿げている。 そこで、「進歩的変化キャンペーン委員会」と いう名のグループを共同創設しました、 私たちの趣意は、進歩的な政治に 関心のあるネット上の人々を組織し、 より進歩的な方向へとこの国を動かしていく、 協力し、メーリングリストに参加し、キャンペーンに参加し、 国中の当選した進歩的な候補者を手助けすることで。 このグループはエリザベス・ウォーレン氏の上院議員選挙運動の 草の根の取り組みの引き金となった。 彼はきっと無意味なシステムだと思っていたんでしょうが、 彼いわく、「このシステムを学ぶ必要がある、 なぜならこれによってどんな社会システムも操られている」 しかし、彼の知識とライブラリーへの情熱が 二の次になることはなかった。 アーロンは学会誌論文を出版する機関を詳しく調べ始めた。 [イリノイ大学 - 2010年10月16日] アメリカの一流大学の学生であるおかげで、 皆さんは幅広い分野の学会誌に アクセスできる、そうですよね? アメリカのほとんどすべての一流大学が、それ以外の 世界では読むことができないような学術誌に アクセスするために、JSTORやトムソンISIのような組織に ある程度のライセンス料を支払っています。 これらの学術誌と論文は基本的に オンラインにおける人間の知識、その完全なる財産であり、 そしてその多くが納税者のお金や 政府の補助金によって支えられている、 しかしそれを読むには、たびたびリード・エルゼビアといった 出版社に法外な引き渡し料金をまた支払わないといけない。 こういったライセンス料はアメリカ以外の、インドなどで 勉強している人たちにとってはかなりの負担なので、 こうしたアクセスができない。彼らはこうした 学術誌すべてから締め出されている。 科学的遺産全体から締め出されている。 そう、こうした多くの学術誌は、啓蒙時代にまで遡る。 常に誰かが科学論文を書けば、それはスキャンされ、 デジタル処理され、こうしたコレクションに収蔵される。 これは興味深い仕事をしてきた人たち、科学者たちの 歴史によってもたらされた遺産だ。 庶民として、民衆として私たちが所有すべき遺産なのだが、 それどころか、これらの遺産は そこから引き出せる最大の利益を得ようとする 一握りの利益追求型の企業によって 保管され、オンラインに公開されている。 [アメリカ自由人権協会 言論・プライバシー・技術プロジェクト主任技術者]: つまり研究者は大学から給料をもらい、 あるいは人々は論文を出版し、 そしてプロセスのずっと一番最後の段階、 すべての仕事を終えた後、 独創的な研究─構想、研究室での作業、分析、 そうした全てが終わった後、 ようやく最後の段階になったら、研究者はこういった 何十億ドル規模の企業に著作権を譲り渡さないといけない。 これは異常です。勤労奉仕によって築かれた経済全体、 その頂点に出版社が居座り、上前をはねている。 [民主党女性下院議員、カリフォルニア19区]: まさに詐欺ですよ。イギリスのある出版社は 昨年30億ドルもの利益をあげました。 つまり、ボロ儲けです。 JSTORはこの話の中では とても小さな登場人物に過ぎませんが、 何らかの理由で、アーロンが対決しようと 選んだ相手がJSTORになったんです。 彼はオープンアクセスとオープンパブリッシングに 関するいくつかの会議に行っていました、 JSTORの人物が誰かについては存じ上げませんが、 彼らに─ある時期に、アーロンが質問したんだと思います、 [Sprout (民間の教育研究団体) 所長]: 「JSTORを永久にオープンにする コストはいくらぐらいなのか?」 彼らは─おそらく2億ドルだろうと思いますが、そう答え、 アーロンは実に馬鹿げた話だと感じたのでしょう。 ハーバード大学のフェローシップとして働いていた彼は、 近所にあるMITの有名な公開高速ネットワーク上に JSTORの財産へのアクセス権を持つユーザーを 知っていた。彼は機会をうかがっていた。 こうした扉を開く鍵を持っていて、 そしてちょっととしたシェルスクリプトの魔法で、 これらの学術論文を手に入れることができる。 2010年9月24日、 スワーツは新しく購入したAcerのラップトップを MITのネットワークに登録した、 ラップトップの登録名は"Gary_Host"。 クライアント名は"GHost_laptop"として登録。 彼は伝統的な意味ではJSTORをハッキングしませんでした。 JSTORデータベースは整理されていたので、 いかにしてJSTORの論文全てをダウンロードするか ということは全く取るに足らないことだった、 それらが基本的に番号付けされていたからです。 スラッシュ、スラッシュ、スラッシュ…… 論文番号444024、そして25、26というように。 [ラジオ番組 "Flaming sword of justice" 司会者、 アーロンの友人]: 彼は次から次に論文を取得し続ける Pythonスクリプト"keepgrabbing.py"を書いた。 次の日、GHost_laptopは論文の取得を開始、 しかし程なく、コンピューターのIPアドレスがブロックされた。 スワーツにとって、これはほとんど問題ではない。 彼は即座にIPアドレスを再割当てし、ダウンロードし続けた。 JSTORとMITがこの事態に気がついた時 妨害しようと多くの措置を取ったが、 控えめな措置が功を奏さなかったので、 ある段階で、JSTORはMITからの データベースへのアクセスを遮断しました。 JSTORデータベースへのアクセスをめぐる ネコとネズミの追いかけっこのようなものです。 アーロンは明白にネコの側でした、 防御側のJSTORデータベースの 人々より彼のほうが、技術的能力があったからです。 ついには、とあるビルの地下にあった 施錠されていない資材倉庫に 向かうと、WiFiの代わりに、 直接ネットワークにコンピューターを接続し、 外部ハードディスクを使って論文を ダウンロードするために設置した。 スワーツの知らぬところで、 当局により彼のラップトップとハードディスクが発見された。 彼らはダウンロードを止めなかった。 代わりに、監視カメラを設置。 彼らはMITのビルの地下の部屋にコンピューターを見つけた。 [アーロンの弁護人]: そのコンピューターのプラグを抜くこともできた。 犯人が来るのを待ち、「あんた、何やってんだ、 その電源を切れ。お前は誰だ?」と聞くこともできた。 その手のことができたはず、しかしそうはしなかった。 彼らがしたかったのは事件化のための 証拠集め用に撮影することだった。 それが撮影した唯一の理由なんです。 当初、映像に乱れのある監視カメラが捉えたのは、 倉庫にビン缶を置きに倉庫にやって来た人物だけだった。 しかし数日後、カメラはスワーツを捉えた。 スワーツはハードディスクを交換。 それをバックパックから取り出すと、 5分ほど画面から見切れて、 そして立ち去った。 彼らは張り込みでもしていたかのように 組織されていて、MITからバイクで家に帰る彼に 警察官が道路の両側からやってきて、 そんな感じで、彼の追跡を開始しました。 息子は警察に押し倒され暴行を受けたと言いました。 彼ら─後になるまで警察だとは気づかなかったが、 誰かが暴行しようとしたように感じたと。 彼らに殴られたとも言いました。 衝撃的でした。家族の皆誰にとっても、 刑事告発についてのイメージは 他所事で難解なものでした、 どうしていいかわからなかった。 彼らはアーロンの自宅、ケンブリッジにある彼のアパート、 そしてハーバート大学の事務所の捜査令状を執行しました。 逮捕の2日前、捜査はJSTORと 地元ケンブリッジ警察の管轄を超える。 彼らはアメリカ合衆国 シークレットサービスに捜査を引き継いだ。 シークレットサービスは1984年にコンピューターや クレジットカード詐欺の捜査を開始したが、 9/11のテロの6週間後、彼らの任務が拡大された。 [拍手] ブッシュ大統領は米国愛国者法に基づいて 電子犯罪特別対策部隊と呼ばれるネットワークを設立。 今私の目前にあるこの法律は、昨今のテロリストによる 新しい現実と脅威を考慮に入れている。 シークレットサービスが言うには、 彼らは主に経済的影響のある、 組織的犯罪者集団、あるいは新技術を使った 犯行計画の行使に対して活動しているとのこと。 シークレットサービスはスワーツの事件を ボストンの米連邦検事事務所へ送致。 ボストン米連邦検事事務所には、 「コンピューター犯罪特別対策本部のトップ」の 肩書を持つ男がいる。 彼が他に何をやってきたのかは知りませんが、 コンピューター犯罪を起訴したこともないような人は 完全に「コンピューター犯罪検察官」向きではないですよね。 従って仮に彼が検察官の座を拒否し続けたとしたら、 職員や部隊の中に任命できる人間はいない、 それがスティーヴン・ヘイマンです。 検察官スティーヴン・ヘイマンはアーロン・スワーツの 逮捕以来公の場から姿を消しているが、 アーロンが逮捕された時期に撮影された テレビ番組American Greedのエピソードで 彼の姿を見ることができる。 彼は以前扱った悪名高いハッカー、アルバート・ゴンザレスを 相手取った事件を説明している、 この事件でヘイマンは報道から膨大な注目と称賛を集めた。 ゴンザレスは1億件以上のクレジットカード番号 ならびにATM番号の窃盗を計画、 同様の不正行為としては歴史上最大のものだ。 ヘイマンはここで、ゴンザレスについて説明し、 ハッカーの考え方について自身の意見を述べている。 [連邦検事補]: 彼らは私たちを突き動かしている多くのものに 同様に突き動かされています。 彼らは自我を持ち、挑戦を好み、そしてもちろん お金とそれで買えるものすべてが好きなのです。 ゴンザレスの事件に関与したとされる容疑者の 1人にジョナサン・ジェイムズという名の若いハッカーがいた。 ゴンザレスの犯罪に関与した容疑が掛けられていたが、 ジェイムズは捜査中に自殺を図った。 アーロン・スワーツの事件における政府の方針を 伝える初期の報道発表の中で、 ヘイマンの上司であるマサチューセッツ特別区 連邦検事のカーメン・オーティズは次のように語った: 「コンピューターコマンドにしろバールを使うにしろ、 ドキュメントやデータにしろお金を盗むにしろ、窃盗は窃盗だ」 それは違う。明らかに違います。 それに罪がないと言うことではないし、 また情報を盗むことを犯罪とすべきでないと いうことではありません、 しかし、どういったものが厳密に害を及ぼすかを 判断しようとするときはより慎重でなければならない。 だからバールといったものは、 常にバールを使って何かを壊そうとする、 損害を与えようとする。これに疑いはない。 しかしアーロンはスクリプトを書いた、 内容は、1秒間に100回、「ダウンロード、 ダウンロード、ダウンロード……」、 誰も明白な損害を受けてない。 仮に彼が学術的研究のためにアーカイブを 集める目的で行ったのであれば、 誰もいかなる損害を一切受けていない。 彼は盗んでいない。彼は盗ったものを 売却していないし譲渡もしていない。 私の知る範囲では、彼はそう主張しました。 この逮捕はスワーツに痛手となった。 彼はこの件について話したがりませんでした。 つまり、かなりストレスを受けていました。 もしある日FBIが自宅の前までやって来て、 玄関に降りてきて、洗濯をしようとしたその時、 ドアに鍵をしていなかったので 彼らがアパートに押し入ってきたと考えてみてください、 きっと……かなりのストレスでしょう、 そして明らかにこのおかげで、 アーロンはいつも陰鬱とした気分でいました。 この期間ずっと彼は居場所に関わる 情報を出そうとしませんでした、 なぜなら彼を待ち受けようとするFBIを ひどく恐れていたからです。 この時期、世の中は空前の社会的、 政治的行動主義ブームだった。 タイム誌は後に2011年の「今年の人」に 「抗議者」を選んだ。 拡大しつつあるハッカー活動の巣窟のようでした。 Wikileaksは外交公電の山を流出させ、 マニング米軍情報分析官はこのとき既に逮捕、 彼がリークの情報源かどうかわかっていなかった。 Anonymous、組織の中に多くのハッカーを 抱える一種の抗議集団、 彼らはお粗末な馬鹿騒ぎを色々とやっていた。 もしスワーツの行った事とこれらを比較するなら、 プライベートや専門的な問題において、 彼の事柄への対応は MITやJSTORのために残置しておくべきだった。 刑事制度の注意を引くべきではなかった。 こうなるはずじゃなかった。 [ボストン・モークレイ連邦裁判所] 起訴される前、スワーツに司法取引の申し出があった、 刑務所に3ヶ月、更生訓練施設で過ごし、 その後1年間の自宅軟禁、 その間コンピューターの使用はすべて禁止。 スワーツが重犯罪に対し有罪であることを認める事が条件だった。 さて、この国家訴訟についての 開示する証拠も 証人もいない。 そして弁護士がこうしろと求めてくる 膨大な決断をしないといけない、 政府は交渉の余地のない要求をしてくる、 そしてあなたが有利な可能性は小さいと言われる。 だから、有罪か無罪かにせよ、 この取引に応じたほうが楽になる。 ボストンは コンピューター犯罪対策課を持ち、 多くの、おそらく必要以上の弁護士がいます。 従って、起訴することがとても難しい 様々な事件を思い浮かべることができます、 例えばロシアで起きた事件であるとか、 1時間で500ドルから700ドル 稼ぐ弁護士と 対峙することになるような 会社の内部の人間であるとか、 それに加えて、この事件、彼の場合には 彼がやったことを証明するのはとてもたやすく、 そして彼は既にトラブルメーカーとして FBIにマークされていた、 これでは彼らと立ち向かうには タフでなければならないですよね? 検察官にとっては問題ない。この国にとっても、 なぜなら彼らはすべての テロリスト集団と戦っているから。 とても怖かったですね。 私のコンピューターが押収されるのが とても怖かった。 コンピューターが押収されることで 刑務所に行くことになるのでは、とすごく恐れました。 前職で私のラップトップには情報源からの 機密情報を所持していたので、 そしてとりわけ、私の優先事項は─ 情報源を守ることにある。 娘のエイダに何か起こるのでは、と いうことがすごく怖かった。 アーロンからは、彼らが取引を 申し出てきたことを話してくれて、 彼は最終的に私が望むなら 取引を受け入れてもいいと、 それで私は、彼に寄り添って 言ったんです、「取引しましょう」と。 彼は2つの出来事の期間中に、 そうした、成熟した、なんというか、 純粋な政治的野心を持っていました、 起業家人生を終えた瞬間と、 この政治活動を始めることになった 新しい人生を開始した時点との間で、 そして彼は重罪を受けたまま人生を 続けていけると信じるがことができなかった。 そう、ある日ホワイトハウスを 一緒に通りかかった時、 彼は言いました、 「重罪人を働かせてはくれないよ」と。 そして彼は─彼は本当に 人生を自分らしく生きたかったんです。 彼は誰も殺しちゃいない。 誰も傷つけてない。 お金を盗んだりなどしちゃいない。 重罪に問われるようなことは 何1つやっちゃいないですよね? そして…… この思いはつまり、彼が行ったことで 重罪人の汚名を着せられ、 多くの州で投票する権利を剥奪すべきだという 理由は無いということだ。 常軌を逸している。 多額の罰金を課されたり、あるいはMITに再び 戻ることのないよう頼まれることは 筋が通っている。 ところが重罪人になる? 懲役に処されるって? スワーツは司法取引を拒否。 ヘイマンは一層働きかけを強めました。 ヘイマンは私たちにあらゆるレベルで プレッシャーを掛け続けてきました。 アーロンのAcerコンピューターのHDDとUSBから 押収した物的証拠だけでなく、 検察官たちは彼の動機も証拠として必要だった。 なぜアーロンはJSTORから論文をダウンロードしたのか、 そしてそれらを使い何を計画していたのか? 政府の主張では彼は論文を出版しようと計画していた。 彼の真意がどうであったかは私たちは知りません、 なぜならアーロンは論文から興味深いことを学ぶために 論文の巨大データを解析するプロジェクトを 行った経歴も持っていたからです。 動機に関する最も有力な確証は、 彼がスタンフォード大学にいた時、 彼は法律情報サービス会社Westlawの 法務データベースもダウンロードしていたことです。 スタンフォード大学の法学生のあるプロジェクトで、 スワーツはWestlawの法務データベースを ダウンロードしていた。 彼は法律調査の資金提供先と彼らに 好ましい調査結果との間に厄介な つながりがあることを明らかにした。 利益追求型企業が、石油流出事故におけるExxonのように、 都合のいい法律論文を書いてくれる法律学教授に 資金を提供していたという 素晴らしい分析を彼は行いました。 つまり粉飾目的の研究に資金を出す 非常に腐敗したシステムだったんです。 スワーツはWestlawの文書を公開しなかった。 理論上、JSTORデータベースにも同じ分析を行うことができた。 これは完全に問題ないでしょう。 一方、仮に彼がJSTORと競合するサービスを作る目的で、 あるいはハーバード・ロー・レビューにアクセスするシステムを 自分たちで作り上げ、料金を徴収したら、 もちろん、それは犯罪行為になるでしょう、 なぜならその資料を商業目的で不正使用しようとしている、 しかし彼の行為からこういう推測をするのはまともじゃない。 そして、さらにその中間のケースもある、つまり、 もし彼があらゆる発展途上国に論文を解放しようとしていたら? しかし彼の行動次第で、法律が これをどのように解釈すべきかについて 全く異なる特徴を形作る。政府はこの行為が あたかも商業的な犯罪行為であるかのように彼を起訴した、 大量のクレジットカードの記録を盗んだかの ような、そういった犯罪であるかのように。 このデータベースで何をしようと していたのか私にはわからないが、 しかし彼の友人から聞いた話では、アーロンは バイアスのある結果となった気候変動研究へ 企業の資金が流れた証拠を データから分析するために行ったと話したそうです、 私はこの話を完全に信じています。 スティーブン検察官が私に話があると聞いたので、 この状況から抜け出すことのできる方法についての 話なのかと思いました、 そして自分のコンピューターが押収される 恐怖の中で生活したくなかった。 コンピューターの暗号を解くよう強要され、 法定侮辱罪で刑務所に入るのではという 恐怖の中で生活したくなかった。 彼らが来て「スティーブンから あなたに話がある」と言った時、 なにか訳ありなんだと思いました。 彼らは「Queen For A Day文書」、あるいは「提案文書」 として知られるものを申し出た。 アーロンの事件についての事情聴取を 検察官に許可する文書だ。 聴取の間に明らかにされた情報によって ノートンは検察官から訴追免除される。 気が進みませんでした。弁護士に繰り返し 言いました……、怪しい感じがして、 気が進まなかった、訴追免除を受けたくない、 訴追免除は必要ない、私は何もしていない、 でも彼らはとても差し迫った感じで、 捜査官らは訴追免除なしの検察官聴取をしようとしませんでした。 [インタビュアー] 確認ですが、それはQueen For A Dayに よる取引、提案文書だったんですよね。 - そうです、提案文書です。 - 基本的にあなたが情報を渡すのと 引き換えに訴追から保護される。 - 情報の受け渡しではありませんでした。 ─少なくとも、そういう風には思えません。 それはただの話し合い、 彼らとの面接でした。 - その、彼らがあなたに聴取し…… - 彼らは私に聴取しました。 - そして彼らが欲しい情報を聞くことができ、 - そうです。 - そして情報を得たら…… - 私はとても…… - 彼らはあなたを起訴できなくなる。 - そうです、私は繰り返しその保護は受けないよう努めました。 私は繰り返し、繰り返し、 この提案文書を拒否しようとしました。 具合を悪くしました。 私の弁護士から圧力を受けました。 混乱しました。 このことで調子がよくありませんでした。 気分が落ち込み、 私がいるこの状況が理解できませんでした。 なぜこんな状況になったのかわからなかった。 変わったことはしていないし、 まして悪いこともしていない。 私たちは気が狂いそうになりました。 アーロンはこのことで明らかにしても取り乱していました。 私たちも取り乱しました。 アーロンの弁護士もとても取り乱していました。 クインに弁護士を代えるよう説得しました。 大きな、完全武装した男たちと一緒に いることに慣れず、 彼らは絶えず私が嘘をついていて、 何かをやったはずだと言ってきた。 私は彼らに、あなた方が起訴しようとしていることは 犯罪じゃないと言った。 あなたたちは歴史の暗部だと言いました。 このフレーズを使いました。 「あなたたちは歴史の暗部だ」って。 そして彼らはうんざりしていました。怒っていませんでした。 彼らはただうんざりしていました、 そして同じ会話ばかりすべきでないと感じ始めた。 つまり、たくさんのことを、なぜ論文をダウンロードしたのか についてのことを話しました。 そして結局、─その時のことはよく思い出せないのですが─ 彼が「ゲリラオープンアクセスマニュフェスト」という ブログ記事を投稿したことに触れました。 これが「ゲリラオープンアクセスマニフェスト」、 たぶん2008年7月にイタリアで書かれたものだ。 「情報は力だ。しかし全ての力と同様に、 自分たちのためにその力を保持したい人たちがいる」 「世界全体の科学的文化的遺産、 何世紀と出版されてきた書籍や論文、 それらは次第に一握りの民間会社によって デジタル化され隔離されている」 「その間、締め出された者たちは ただ手をこまねいているわけではなかった」 「すき間から覗き込み、壁を乗り越え、 出版社によって隔離された情報を 解放し、仲間と分け合う」 「しかしこうした行為は秘密裏に、水面下で行われる」 「これは窃盗や海賊行為と呼ばれ、 あたかも豊富な知識を分け合うことが 船からの強奪やその船員の殺害と 倫理的に等しいかのように言われる」 「しかし分け合うことは道義に反しない。 ─これは倫理的義務だ」 「欲に目のくらんだ者は 友人にコピーを作らせることを拒むだろう」 「不正な法に従うことに正義はない」 「今こそ陽の下に進み出て、 市民的不服従という素晴らしい伝統の中で この公共文化の独占的強奪に対し 反対の意思を宣言しよう」 このマニフェスト自体は4人の異なる人物によって 書かれたとされ、そしてノートンが編集したものだが、 自身の名を署名をしたのはスワーツだった。 聴取が終わった時、すぐさまアーロンの元に行き、 覚えていることを全て話しました、 彼はすごく怒り出しました。 私がした事でこういう方向へ成り行きが進んでしまった。 まずいことをして、 全てが悪い方向に行ってしまった、 でも私は…… 私はまだ憤慨しています。 まだ憤慨しています、正しいことをするために こうした人々と最善を尽くすことができた、 そして全てが私に不利になってくると、 彼らはできる限りの手を使って 私を傷めつけようとしてきたことに。 そしてその瞬間、私がしてきたことを 話したことを後悔しました。 だけどさらなる後悔は、 このことで私たちが落ち着いてしまったことです。 このことを了解したことに。 この正義のシステムを了承したこと、 人々を小さな罠にはめてそうした人たちの人生を 台無しにすることができるシステムに。 ですから、そう、言わなければよかったのに、と。 でももっと憤慨していることは、 いま私がこうしてここにいることです。 1人の国民として、 このことを了承したことに。 彼女から情報を得ようと、思いつく限りの あらゆる手を捜査官らは使ってきました、 アーロンにとって不利となる情報、 そしてアーロンを起訴するのに有利となる情報を、 しかし政府にとって有利となる情報を 彼女が持っていたとは私には思えません。 スワーツの友人と家族が迫り来る起訴を 待ちつつ数カ月が過ぎていった。 その頃、スワーツはネットの諸問題に対する 頼りになる専門家となっていった。 [RT インタビュアー] あなたに 質問したいのは、インターネットは 人権に留意すべきだと思いますか、そしてネットは 政府が奪い取ったりできないものだと? はい。もちろん、つまり国家安全保障のために ネットの遮断を許可するというこの考え方、 今まさにエジプトやシリア、 その他多くの国で伝え聞きます、 そして確かに、WikiLeaksといったサイトが アメリカの政府が行ったことについての 厄介な資料を公開しようとしていて、 人々はそれに抗議しようと組織を作り、 政府に立ち向かい変えようとしている。 知ってのとおり、これはいいことです。 これらはすべて憲法修正第1条の表現の自由、 結社の自由に関わることです、 だからネットを遮断しようというこの考え方は 基本的なアメリカの原則に反していると思う。 この原則は、我々の建国の父が理解していたものの1つだと思う。 もしインターネットがその当時あったのなら、 憲法の「郵便局」と書かれた部分の 代わりに「ISP」と書いただろう。 [RT インタビュアー] ええ、 どうなるのか興味深いですが…… スワーツは活動家のタレン・スタインブリックナー= カウフマンと出会い、2人は付き合うようになった。 [アーロン] 僕らには世界的な大規模民衆抗議が必要だ。 [タレン] 世界的な大規模民衆抗議がなければ、 世界を変えることはないわ。 この街の人間で世界的な 大規模民衆抗議を引き起こさなきゃ。 - もちろん、嘆願書への署名者が必要だわ。 スワーツは事の詳細を彼女には知らせず、何かに 巻き込まれていることを彼女に警告した、 彼はそれを単に「厄介事」と呼んでいた。 [企業監視機関 SumOfUs 事務局長、アーロンのパートナー]: エリザベス・ウォーレンとのスキャンダルでもあったのだろうか、 とか、ちょっとおかしな想像をしていました。 ヒラリー・クリントンとエリザベス・ウォーレンの 2人を疑っていて、実際は…… たぶん7月末のあるとき、アーロンが電話してきて、 電話を取ると、彼いわく、その「厄介事」が 明日ニュースで流れると。 僕の口から聞きたいか、 それともニュースで知りたいか?と聞いてきて、 私は、「いいわ、あなたから聞きたい」と。 すると彼は、「その、僕は……僕は 学術論文を大量ダウンロードした罪で逮捕され、 僕を見せしめにしようとしているんだ」 私は、「そんなこと?それが大問題なの? 本当に?一大事には思えないわ」 2011年7月14日、連邦検事は4つの罪でスワーツを起訴。 LulzSecの構成員2人がイギリスで、また 複数のハッカーが逮捕されたのと 同じ日に起訴されました。そしてアーロンはまさに ハッカーのような人物だったので、 首を杭に差してさらし首にするには充分でした。 アーロンは自首し、当局は彼を逮捕しました。 彼らは彼を裸にし所持品検査を行い、 靴紐を没収し、ベルトを没収し、 独房に入れた。 マサチューセッツ地区米連邦検事事務所は 声明を発表、 「スワーツは35年の懲役の後、 3年間監視下で保釈され、 賠償、科料、罰金は100万ドルに及ぶ」 彼は10万ドルの保釈金で保釈された。 同日、この事件の直接の被害者であるJSTORは 公式にスワーツに対する起訴を全て取り下げ、 この事件への追求を断った。 JSTORは─私たちの味方ではなく─ 有益でも友好的ではなかったが、 しかし彼らは同時に 「私たちは無関係だ」といった様子でした。 JSTOR、そしてその親会社ITHAKAは この映画へのインタビューの依頼を断った。 しかし当時、彼らは声明を発表、 「起訴するかどうかは政府の決定であり、 JSTORのものではない」 なので、この訴訟も終わるのだろうと確信しました。 スティーヴン・ヘイマンがこの訴訟を諦めるか、 何らかの合理的な方法で解決されるはずだと。 政府はそれを拒否しました。 [インタビュワー] なぜでしょう? おそらく、アーロンを見せしめにしたかったんだと思います、 そして彼らが……すぐさま重罪判決と懲役の要求を 進めようとしなかった理由は、この訴訟を 抑止力として使いたかったからだと彼らは語りました。 [インタビュワー] そう言ったんですか? - はい。 - これを見せしめにしようと? - はい。 - 彼がこれを見せしめにしようと? - はい。 スティーヴン・ヘイマンはそう言いました。 誰を抑止するんだ? うろつき回って JSTORにログインして、 政治的な発言をするために論文をダウンロードする 人間を? ほんとに、彼らは誰を抑止したいのか? [ニュースサイトSalon コラムニスト]: もしオバマ政権が、例えばこの国が 過去100年間に垣間見てきた、 ウォール街の金融危機につながるような 最大級の経済犯罪を起訴してきた政権だというのであれば、 建前上はそれを抑止したいという 政権の立場も理解しやすいのですが。 抑止力という、この議論の余地のない 考えを展開し始めれば、 これは選択的に、 違法行為に対する公平な分析をやめ、 そして明確に政治的イデオロギーを基礎に置いた 法執行リソースの配備の決定に着手したことになる、 これはまさに非民主的なだけでなく、 非アメリカ的であると言えるでしょう。 後の報道によると、検察官スティーヴン・ヘイマンは MITの外部弁護士に対し、 堪忍袋の緒を切るきっかけになったのは、 スワーツが立ち上げた"Demand Progress"という 組織が発表したプレスリリースだったと語った。 MITの報告によれば、ヘイマンは この支持声明に対して反応し、 「馬鹿げたネットキャンペーン」、そしてこの事例を 一対一のレベルから組織的レベルへと 移行させようとする「愚行」と呼んだ。 それは良くない組み合わせでした: メンツを潰されたくない、 近い将来政治キャリアを獲得する、 そしておそらく、出戻りなんてしたくない検察官。 図書館から大量の本を持ち出した人物の 逮捕に多額の税金を使い、 あげくは裁判でこてんぱんにやられる? 絶対にありえない! それから私は、MITが政府に赴いて 訴追停止を要請するよう、 MITに様々な圧力を掛けることにしました。 [インタビュワー] MITの反応は? 当時MITからの反応はなかったように思います。 MITはアーロンを守ろうとしなかった、 つまり、MITコミュニティの内部の人間を、 これは理不尽なことです、 なぜならMITは真の意味で ハッキングを振興する場所だからです。 MITでは、立ち入りが許されない 屋根やトンネルを駆けまわろうという発想は 通過儀礼というだけじゃない、 MITキャンパスツアーの一部になっていて、 そしてかつては錠前破りがMITの冬期講習にありました。 MITは訴追を直ちに中止できる道徳的権限を持っていました。 MITは連邦捜査局に立ち向かい、「こういうことをやめろ。 こんなことはごめんだ。過剰反応だ。やりすぎだ」と いう見解を示すことはなかった。 ……先刻承知ですが。 MITはあたかも企業のように立ち振舞った。 彼らはなんと言うか─政府を支援し、 彼らが義務感を感じない限り私たちを助けようとせず、 そして、止めようともしなかった。 MITはコメント依頼を繰り返し拒否してきたが、 彼らは後に報告を発表、そこで 中立の立場を守ろうとし、 ヘイマンと米連邦検事事務所は訴訟についての MITからの考えや発言について関心を払わなかったとしている。 MITのこの態度はMITの精神と まったく食い違っているように思う。 MITは見て見ぬふりをし、彼らのなすがままに させてしまったんだ、と主張することもできる、 しかし彼らのこういった立場、中立な立場を取るということ それ自体が、検察官支持の立場を取ることになる。 スティーブ・ジョブズと スティーブ・ウォズニアックに目を向けると、 彼らは電話会社から回線をだまし取るよう 設計されたBlueBoxの販売を始めていた。 ビル・ゲイツとポール・アレンに目を向けると、 彼らは当初ハーバード大学のコンピューター利用 時間を使って自身のビジネスを始めていた、 これは非常に明らかにルールに反している。 アーロンと今私が言及した人々との違いは アーロンは世界をより良くしようと欲し、 そしてお金儲けをしたかったわけではないんだ。 スワーツは様々なインターネットの 問題に対する率直な意見を続けていた。 知っての通り、インターネットが機能している 理由は、アイデアの競争市場があるからだ、 そして注目すべきは、政府についての情報、アクセシビリティ、 議論、討論は増えているのに、むしろ国会は これらを締め出すことしか頭にないように見える。 アーロンは人々にとてもはっきりと世界を説明することで、 世界を変える事ができると考えていました。 [RT インタビュワー] フレームによって文字通りあなたの コンピューターは制御され、そしてあなたを偵察する。 ようこそアーロン。この番組で再びお会いできて光栄です。 ご存知のように、昔スパイが使っていた手口は、 小型マイクを仕込み会話を盗聴していた、 今は同じことをするのにコンピューターを使う。 スワーツの政治的活動は継続していた、 彼の関心はオンライン海賊行為を制限するよう 作成された、会議を通過中の法案へと移った。 "SOPA"と呼ばれる法案だ。 ピーター・エカズリーのような活動家は この法案は非常に行き過ぎで、 インターネットそのものの 技術的完全性を脅かすものと見ていた。 最初にしたことの1つが アーロンへの電話でした。 「これに反対する大きなオンライン キャンペーンをやらないか?」と。 「これは著作権に関する法案ではない」 「違うのか?」 「違う」彼は言った、 「これは接続の自由に関する法律だ」 だからその話に耳を傾けた。 そしてスワーツは少しの間法案について考え、 そして言いました、「そうだ」、と。 そして彼はDemand Progressを設立しました。 [Demand Progress 創設者、アーロンの友人]: Demand Progressはオンラインの行動派組織で、 現在は150万人のメンバーで活動しています、 でも設立したのは2010年の秋でした。 アーロンはこの国の政府レベルの 社会正義問題に関わる 組織作りを手助けしたコミュニティの 中でも最も突出した人物の1人でした。 [電子フロンティア財団 活動家]: SOPAは音楽や映画のオンラインにおける海賊行為の 抑制を目的とした法案だった、 しかしその実際は、おおむね外科手術が必要な 問題にハンマーを持ち出すようなものでした。 もしこれが通過すれば、司法は正当な手続きを経ることなく、 ウェブサイトへの資金流入を遮断したり、 そのサイトリンクの除外をGoogleへ 強制したり、これらを企業に認めることになる。 企業が必要としていたのは 著作権侵害に対する1つの要求だった。 そしてそれは伝統的なメディアの巨人たちと、新しい 遥かに洗練されたリミックス文化とを対抗させることになった。 これによりウェブサイトを持つ誰もが警察官と出くわす事になる、 そして仮にそのサイトを、まさに違法性を持つ 目的で使用しようとする人間を確認する義務を 果たさなくても、審判請求なしに サイト全体を遮断することができる。 これはやりすぎです。というか、大惨事です。 この法案はインターネットを使う人たち全ての 表現、市民の自由に対する深刻な脅威です。 ごく一握りの人間のみが、「見てみろ、 海賊行為を支持するつもりはないが、 [オレゴン州 民主党上院議員]: しかしインターネットの構造、ドメインネームシステム などの自由でオープンな多くのものを、 海賊行為に対する戦いという名の元に 破壊しようなんて意味がわからない」と声を上げた、 そしてアーロンはすぐさま立ち上がったのです。 自由、この憲法で保証された、 私たちの国を作り上げてきた自由が、 突然削除されることになる。 新しいテクノロジーが、さらなる自由を もたらすのではなく、当たり前だと思っていた 基本的権利を消滅させるだろう。 そして僕はその日、ピーターと話し合った時に気がついた、 これを見過ごすわけにはいかないと。 SOPAが2011年10月に提出された時点で、 可決は避けられないと考えられていました。 最初に法案が登場した際の我々の戦略では、 うまくいけば法案の通過を遅らせる、 あるいは少しでも弱体化しようと いったもので、まさか 法案通過を阻止できるとは考えていませんでした。 ワシントンで働いていた時に学んだのは、 ワシントンではたいてい、 議会闘争というのは、異なる企業資本絡みの 利権同士の闘いだということです。 彼らはみな法案通過のために格闘します、 そしてその闘いが接戦となる時、 それは企業利権と別の企業利権同士の闘いで、 選挙献金とロビー活動の点において 財政的に互角である場合です。 こうした闘いは接戦になります。 そしてたいてい互角の闘いとならないものは、 全ての資金、全ての企業が一方にいて、 そして反対側には何百万の市民だけという場合です。 私が公職にいた間、PIPAやSOPAの ようなものを見たことがなかった。 この法案を40人以上の アメリカ上院議員が共同提案していた、 そのため審査手続きをすべてクリアするのに必要な 60票の投票を得るための長い道のりをすでに経てきていた。 僕でさえ我が身を疑い始めた。 大変な時期だった。 スワーツとDemand Progressは昔ながらの支援活動に加え、 とても簡単に国会議員に電話できるよう、 一般的なVoIPを組み合わせて、 莫大なサポートを集結させることができた、 技術面とキャンペーン戦略の面、その両方において 彼のようなレベルで運営できる人物に会ったことがありません。 何百万の市民が議会にコンタクトを取り、 SOPA反対請願に署名した。 議会は不意を突かれた。 法案を審議している馬鹿な議会議員、 我々はインターネットを規制できる、 オタク連中には止められないと断言する 彼らを垣間見てきた。 私はオタクじゃない。 オタクでは不十分だ…… 私たちはこのことが実際どうなるのか オタクたちに聞いてみるべきかもしれない。 公聴会を開こう、オタクたちを招いて…… [笑い声] まじで? [笑い声] 「オタク」だって? [笑い声] ねぇ、思うんだけど、あなた方が お探しの単語って、「専門家」じゃないの? [笑い声] その法案が裏目に出てインターネットを 壊したりすることはない、って 啓蒙したければさ! [観衆のさらなる笑い声と拍手] 私たちはギークという言葉を使いました、 でもそれを使うことにしたのは私たちがギークだったからです。 この経験で得た事実、 技術的な専門家との対話の欠如は、 この街に問題が存在するという 事実に反映されている。 この私の目前に呼び出し、公聴会で証言し、「これが 君たちが間違っている理由だ」と言える人物を求めている。 かつては科学的、技術的なアドバイスを提供する 米国議会技術評価局があって、 議員らはそこへ行って、「これらの理解を 手伝ってくれないか」と頼むことができた。 ギングリッチがそれを潰してしまった。 お金の無駄だと言って。 それ以来ずっと、議会は暗黒時代に陥ってしまいました。 アーロンも含めて、SOPAを打ち負かすことができると 考えている人間はいなかったと思います。 試す価値はあるけど、勝てる見込みなんてないわ、と、 そしてたしか2、3ヶ月後、彼が私の方を向いて、 「僕たちは勝てるかもしれないぞ」って。 そして思いました、「なんてすごいことなんだろう」と。 議会への要求は続いた。 ドメインホスティングサイトGo Daddyが 法案の支持者になった際、 1万人以上のユーザーが抗議のために 自身のドメインを移管した。 1週間もせずに、恐れをなしたGo Daddyは SOPAに対する立場を逆転させた。 レコード会社や映画会社に支持されていた 国会議員たちが、 この反発の存在に気がついた時、 彼らは法案の規模を若干縮小しました。 起こりつつある変化が見えた。 私たちの議論が共鳴し始めていた。 それはまるでアーロンがマッチで 火を着け、それが広がり、 また別のマッチに火を着け、それが広がり、 ついには本当の炎となるのに充分な 焚付に成長するまで彼が管理し、 そしてこの燃え盛る大火となったようでした。 2012年1月16日、ホワイトハウスは法案を 支持しないという声明を発表。 そして、それは起こった。 私は海賊行為の問題に 対処すべきだと大いに信じています、 そして我々も真剣に対処すべきでしょう、 しかしこの法案は正当な法案ではない。 ジミー・ウェールズがWikipediaの停止、 ブラックアウトを通じて運動を支援したその時、 世界第5位の有名サイト、 これはインターネット上で行われる 全てのクリックの7%にあたる。 Wikipediaがブラックアウト。 Redditがブラックアウト。 Craigslistがブラックアウト。 連邦議会の電話回線は またたく間にパンク。 議会議員たちはたった2日前に 推進した法案への支持を 撤回する声明の作成に殺到し始めた。 24時間内に、議会内のSOPA反対派の数は、 これから…… (賛成80:反対31) こうなった。 (賛成65:反対101) 上院、下院議員たちがブラックアウトデイを 通してゆっくりと態度を変えるのを見たのは、 とても信じられなかった。 100人近くの議員が移行した。 そしてその時、僕にとって 信じられないことだが、色々とあってついに、 私たちは勝利した。 皆が不可能だと言っていた、 いくつかの世界の大企業たちが 夢物語だとして片付けたことが、 起こってしまった。 私たちはやり遂げた。 私たちは勝った。 インターネットの政治問題、ひいてはアメリカの 政治問題にとって歴史的な1週間です。 ワシントンの、連邦議会のスタッフから聞いた話では: 今までに受け取った以上のメールや電話を SOPAブラックアウトデイで受け取ったと。 あの時は非常に興奮した瞬間だと思う。 インターネットが政治的に成長した瞬間だった。 本当に起きたことが信じられないほど気分爽快だった。 背後に多額の資金力を持つ法案の通過が、簡単に 楽々と行われなかったことが信じられなかった。 そしてそれだけでなく、全く通過しなかった。 時々自分が無力だと感じるのは簡単だ、 街に繰り出しデモ行進をし大声を上げても 誰にも聞き入れてもらえないときは。 しかし今日ここであなたたちに言いたい、 あなたたちにはパワーがある。 [観客の声援] 時々聞き入れてもらえてないと感じるかもしれない、 しかし今日ここであなたたちに言いたい。 あなたがたは聞き入れられている。 あなたがたは変革している。 闘うのをやめなければ この法案を阻止できる。 [観客の声援] PIPAを阻止しよう。 SOPAを阻止しよう。 [観客の声援] 最大級のインターネット企業のいくつかが、 あからさまに言えば、 小さな競合相手を検閲できるような世界から利益を得る。 私たちは見過ごすことはできない。 彼にとっては、大きな変革の内のごく一部の役割を果たすより 確実に小さな変革を成し遂げることに、 より興味がありました。 でもSOPAでは大きな変革で 大きな役割を果たしたんです、 なので彼にとっては、こういった 概念を実証したようなものでした、 「OK、僕の人生の目的は世界を変えることだ」 「僕の影響力を科学的な測定法で検討すると、 それは実現可能だと示された」 「僕の人生の目的は実現可能だ」 「ぼくはやり遂げられると証明された、 それはつまり、アーロン・スワーツは 世界を変えられるということだ」 自身をよくやったと心から感じたことがない、 つまりアーロンのことですが、そういう男にとって、 この出来事は、なにか良い事を やり遂げたと彼自身が感じているのを、 これが唯一で最後となるかもしれない ウイニングランだと感じているのを、 見ることができた数少ない瞬間の1つでした。 SOPAを阻止する方法はないと皆が言っていた。 私たちはそれを阻止した。 3つの素晴らしい、幸先のいい勝利だった、 そして今年はまだ終わってない。 つまり、前向きになれる時があるなら、 それは今だ。 ご存知のように、彼は逮捕後、 その年にSOPAを打ち負かしました。 明らかに幸せな瞬間とは言えなかった。 多くのことが進行中でした。 彼はとても政治的プロセスへの参加に 順応していたので、彼を止められなかった。 スワーツが設立、ないし共同設立した 組織のリストは膨大で、 エドワード・スノーデンが広範囲にわたるインターネット 監視について暴露する何年も前の事だった。 スワーツの身はすでに案じられていた。 スパイ計画がどれほど大きいのか といった基本的統計情報すら持っていないほど、 説明責任がとても曖昧だというのは衝撃的です。 もし回答が「ああ、たくさんの人間をスパイしてるので カウントすることすらできない」だとしたら、 その人数は非常に大勢になるだろう。 もし回答が「見てくれ、我々は スパイしている電話の本数は把握している、 これに対応する実際の人間の正確な数は 分からない」というなら話は別だ、 しかし彼らは戻ってきて言うには、 「その数字を答えることはできない」 これはとても……、つまり、 恐ろしいことだ、そしてこれが事実だ。 彼には途方もない圧力が掛けられ、 彼が稼いだ資金の全てが取り上げられました。 知ってのとおり、彼の身の自由も 奪い去られる危険がありました。 なぜそうしたのか分かりますか? つまり、なぜ内部告発者を追い詰めようとしたのか? なぜ様々な事柄について、つまり、銀行から、戦争、 政府の透明性にまで関わる真実を伝えようと する人間を追い詰めようとしたのか? そういうわけで、秘密主義はすでに権力を持つ側の役に立ち、 そして私たちは、政府が十中八九不法で違憲な 様々なことを行っている時代と 相重なるように、秘密主義の時代に生きている。 つまり、この2つは偶然じゃない。 この技術が海外の小さな国のためではなく、まさにここで、 アメリカで使うために、アメリカの政府によって 開発されたことは非常に明らかです。 スパイ計画の問題は、これが 長い期間にゆっくりと拡大していることです、 遡ることニクソン政権から、 ジョージ・W・ブッシュ政権下、 9/11以後に大きくなり始め、 オバマ政権下で拡大を続けている、 そしてこの問題はゆっくり、ますます悪化している、 しかしこういったように指摘できた瞬間はなかった、 「よし、我々には今こそ反対論の活性化が必要だ、なぜなら……」 私の見るところ、今回のアーロン・スワーツへの起訴は オバマ政権を政治的脅威と見る グループに特定の強烈なメッセージを送ることになった、 そのグループとは基本的に、ハッカーの、情報の、 そして民主主義活動家のコミュニティで、 こうしたコミュニティにオバマ政権が 送ろうとしたメッセージとは、 私の見立てでは、「あなたがたは既存体制に対し トラブルを起こす能力があることを我々は知っている、 そして我々は、あなたがたの多くがこうしたトラブルを 引き起こしたくないと恐れるよう、 アーロン・スワーツを見せしめにしようとしている」 そして政府が言うには、「ああ、スパイ計画を合法化するのに 利用している法的意見についても機密事項だ、 だからあなたをスパイするのに 使っている法律も言うことはできない」 知ってのとおり、いつでも彼らは決まってそう言う、 「ああ、これは別の形のサイバー戦争だ。 サイバー犯罪が再び私たちを襲っている。 皆が危機に直面している。皆が脅威に晒されている」 ますます危険な法律を通過させるために こうした言い訳を使っている。 [2012年7月10日、最後のインタビューとして 知られるものの1つ、映画 War For The Web より] [インタビュワー] 続いての質問ですが、個人的に、 闘いが進行しているときどのように感じていますか? ご想像にお任せしますよ! わかってます。もちろん、でももう行かなければ…… 知ってのとおり、2つの対立する見方があります、そう、 全てが偉大で、インターネットがこの自由で縛られない ものたちを作り上げ、全てが素晴らしくなっていく、 一方は、全てがひどいもので、 インターネットがクラックやスパイ用のツール群を作り出し、 私たちの発言を統制している。 そしてこれは2つとも正しい、そうでしょう? インターネットはこの2つのことを行う、 それらは素晴らしく、また衝撃的で、 長期間どちらを勝ち取るのかは私たち次第だ。 「ああ、こっちのほうが断然いいよね」と言ったところで 意味がない、ご存知のように、この2つの見方はどちらも正しい。 そしてどちらを力説し、どちらを生かしていくかは私たち次第だ、 なぜならこの2つの見方は現に存在し、 そして常にそこにあり続けるのだから。 2012年9月12日、連邦検事らは電子通信による不正行為、 コンピューターへの不正アクセスならびに不正行為における 訴因を追加した、スワーツに対する追加的変更の起訴状を提出。 これで、4つの重罪にかわって、 13の重罪に問われることになった。 検事らの影響力は劇的に増加、 スワーツの懲役と罰金を見込めるほどに。 彼らはさらなる変更を加えるために訴状を分けて提出した、 そしてなぜこの行為がこれら多くの連邦犯罪を構成し、 法律に基づいた数多くの処罰を加えられるのか といった持論を持っていました。 その持論、そしてスワーツに対する検察側の言い分に 関連する法律は本来は1986年に作られたものだった。 「コンピュータ犯罪取締法」と呼ばれる法律だ。 コンピュータ犯罪取締法は マシュー・ブロデリック主演の映画、ウォーゲームに 触発されたものでした─素晴らしい映画でした。 [ブロデリック] 頂くぞ。 この映画では、ある少年がコンピューター ネットワークの魔法のような力で、 核攻撃を開始する能力を得ます。 [ミサイルの発射音] [電子フロンティア財団 法務顧問]: もちろん、実際には無理です、 そして80年代では確実に不可能ですが、 話によれば、この映画が当初のコンピュータ犯罪取締法を 通過させるに充分なほど、議会を怯えさせたようです。 これはまさに時代遅れの法律です、例えば、 合意などといった利用規約によっても罰せられる。 eHarmonyやMatch.comといったサイトで、 誰かが自身の個人的特徴を誇張したりすれば、 前触れもなしに、法域や検察官によっては たくさんのトラブルに巻き込まれることになる。 「利用規約」の意味は皆がわかっている。 ほとんどの人はそれを読まない、 しかしそれらの規約を遵守しなければ、 重罪を犯したことになる。 ウェブサイトの利用規約はたいていこんな感じです: 「お互い仲良くしましょう」とか、 「不適切なことをしてはいけません」とか。 刑法の考えというのは何らかの 違反行為について述べたものであって、 たいていの人はクレージーだと感じるでしょう。 この一例は更に「クレージー」だ: 2013年5月に変更されるまで、 雑誌Seventeenのウェブサイトの利用規約では サイトを読むには18歳以上でなければ ならないと書かれていた。 コンピュータ犯罪取締法を司法省が解釈すれば、 私たちはおそらく皆違法だと言わざるを得ません。 曖昧で乱用されがちなコンピュータ犯罪取締法は、 広範囲のコンピューター関係の論争に使われる 万能サイズの鉄槌へとなっていった。 彼の訴訟での唯一の要因とは言えないが、 スワーツに対する13のうち11の容疑で コンピュータ犯罪取締法が関係していた。 アーロン・スワーツの物語において繰り返し もたげてくる「なぜ?」という疑問。 それは政府の原動力、 そしてこの訴訟をどうするつもりだったのか? 司法省は疑問への回答依頼を拒否したが、 オリン・カー教授は元検事で、今回の事例を研究していた。 [ジョージ・ワシントン大学 法律学教授]: 私は様々な理由で他の人よりも異なる視点から、 この事例について考えられると思います: 私は教職に入る前の3年間 司法省の連邦検事でした。政府は どのような犯罪が行われたかを判断し、 それに基づいて起訴状を提出します、 純粋な法律家の問題として、 前例から判断し、法律から判断し、 歴史から判断し、これまでに 明らかになった事例から判断します、 こういったものに基づいたものが 公平な訴訟だと私は考えます。 この事件を起訴すべきだったかどうかに ついて討論することもできます。 様々な意見の相違があります。オープンアクセス側の 立場の人たちもいれば、そうでない人もいる。 政府はスワーツの「ゲリラオープンアクセス マニュフェスト」をとても重大に受け止め、 スワーツが不法だと捉えた 法律を乗り越え、破るといった 倫理的義務にかられて犯行を 犯した人物と捉えたんだと思います、 そして民主主義では、法律が不法だと感じれば、 その法律を変える方法があります。 スワーツがSOPAで見事に 成し遂げたように、議会に赴くか、 さもなければある意味法律を無効にしようと 法に違反することもできます、 検察官を駆り立てたのは、 スワーツが法律に違反しただけでなく、 法律が無効であることを実際に確かめようと 犯罪を犯したというこの印象にあると私は考えます、 「覆水盆に帰らず」というわけで、 皆がデータベースにアクセスできるようになる。 そうなれば、スワーツ側の勝ちでしょう。 不当な法律であるかどうかには 社会の中でも大きな意見の相違があり、 そして最終的に、それはアメリカ国民のために 議会を通して作り上げていく意思決定となる。 そして2つ目の問題だと私が考えるのは、 私たちがいまだ見つけ出そうとしているもの、 重罪と重罪でないものを分かつものは何か? 私たちは今までと異なるコンピューター、 その悪用という状況に入りつつあり、 そして我々は厳密に線引きする確固たる判断を未だ持っていない、 なぜなら今現在それに取り組んでいる。 これは訴追裁量のまずい使い方です。 司法省が人々を恐れさせようと、その鉄槌は ますます大きく、大きくなりつつあります、 そしてたいていの人々は、自分の人生を サイコロのように賭けたりしない。 第三者の電話を盗聴すべきでしょうか? 第三者を撮影すべきでしょうか? 人の裏をかいて別の人々に対する 不利な証言をさせるべきでしょうか? 連邦捜査員や連邦検事はそのように考えている。 彼らは訴訟を組み立て、訴訟を作っている。 スワーツは後戻りできない重犯罪刑事司法制度の 歯車に絡め取られてしまった、 アメリカという国が作った、 世界一の投獄率を誇るこの機械の歯車に。 この国では、恐怖や怒りといった政治判断によって 逮捕することを自身に許してしまっている、 [Equal Justice Initiative 事務局長]: インターネットとそのアクセスの未来と言ったものを危惧し、 またそれに怒り、無意識のうちに刑事司法の介入を生み出し、 歴史的にかつて見たことのない刑事司法の諸問題を 解決するために、拘置所や刑務所、刑罰を使っている。 この脅迫や起訴を行いたいという衝動、 インターネット上の情報、そしてオンラインアクセスから 生み出されたこの討論と論争のうちの1つの論点、 これは他の分野で見られる論点と非常に一致している。 唯一の違いは、たいていこの種の 犯罪や刑務所に対する反応によって ターゲットとなり、犠牲となる人々は 典型的に貧しく、またマイノリティです。 スワーツが抱える友人や家族からの孤立感は増していった。 彼は基本的に活動するのをやめてしまいました、 今回の事件は、もっと言えば、 彼の人生そのものを奪ってしまいました。 アーロンの弁護士の1人の話では、 検察官いわく、彼は感情的に弱く、 その上それを留意する必要があったので その事実を知っていた、と語ったそうです。 この事は彼にとても重くのしかかっていました。 行動する気が起きないようで、 多少なりとも彼の行動は制限されていました、 そして彼をさんざん傷めつけた投獄への恐怖が 彼を怯えさせました。 息子は金融資産を完全に使い果たし、 そして多額の経費を使ったため、 彼はかなりの金額を工面しました、 その額は、そう、数百万ドルにのぼりました。 [インタビュワー] 法的弁護のために? - はい。 - 数百万ドルも? - はい。 彼は人々の重荷になりたくなかったんだと思います。 これが要因だったんだと思います、 「普段通りの生活を送っていたが、 その後解決しなければならない このひどいトラブルを抱え、 可能な限りこのトラブルから距離を置こうとしたが、 それらは渾然一体となり、全てが不愉快に思えてきた」 スワーツは最も厳しい選択に迫られた: 罪を認めて生きていくのか、 それともこの破綻したシステムと闘うのか? 彼の訴訟事例の場合、答えはシンプルだった: 彼は最後の司法取引を拒否し、 公判期日が決定した。 アーロンは公正だと思えないものには屈せず、 受け入れないと固く決心していました。 彼は有罪とはならなかったでしょう。 彼が裁判所から出てきたら、彼を強く抱きしめ、 ボストンの小川を歩き、そしてビールを飲み交わす、 そんなつもりでいました。 私たちは正しいと本当に考えていました。 その訴訟に勝てるだろうと。 この訴訟に勝てるものと考えていました。 彼はこの一件についてあまり話そうと しませんでしたが、彼が受けた 大きな苦悩を見て取れました。 ♪ 遠くへ行ってしまった…… ♪ 子どもの頃、アーロンが激しい気分の浮き沈みや、 うつ病エピソード、「重度の抑うつ」と いったものに見舞われたことはないですね、 でも彼はうつ状態になったのでしょう。 人は誰でもうつ状態になります。 [♪ ♪ ♪] 付き合い始めてまだ早い時期、 3、4週間目の頃に、 彼が話したことを覚えています…… 彼よりも私のほうがとても打たれ強いと。 そう、彼は色んな面で傷つきやすかった。 多くの人々よりも、彼にとって 物事はいろいろと過酷でした。 その上それは彼の才能のせいでもあった。 20代の早い時期に、彼はおそらく うつ病のような状態にあったと思います。 私と一緒にいた時に彼が その状態だったとは思っていません。 彼は「愉快」な人間ではなかった、 ですがうつ病とは違います。 彼はずっと2年間もこうした 数多くのプレッシャーを受けていました。 彼はもう、何もしたくなくなったんでしょう。 彼はただ……、もうたくさんだと 思ったんでしょう。 ♪ 独り静かに佇む…… ♪ 夜遅く電話がありました。 何か悪い予感がして、その後電話しました、 そして何が起こったのかを知りました。 ソーシャルニュースサイトRedditの共同設立者が 遺体となって発見されました。 警察によれば、アーロン・スワーツ、26歳は 昨日ブルックリンの自宅アパートで自殺したとのこと。 僕たちの時代の最もクリエイティブな 知識人の1人を失ったと感じました。 この瞬間この世界全てが壊れていくように感じました。 僕の人生で一番つらい夜の1つでした。 ただ叫び続けていました、「聞こえない! なんて言ってるの?聞こえない!」 耳に入ってこなかった。ただそれだけで。 [インタビュワー] わかりました。 ええ、まったく理解できなかった。 いまでもよく理解できていません。 とても、苛立ち、憤慨しました。 [深いため息] そう、私の子どもにこのことを説明しようとしました。 私の3歳の子どもが、「お医者さんたちが きっと彼を治療してくれるよ」と言ってくれたので。 これまで亡くなった人たちを数多く知ってるが、 こんな形で誰かを失ったことはなかった、 だから皆が感じているように、私も考えています、 できることがたくさんあったのでは、もっとしてやれることが…… 彼がそんなことになってるとは知らなかった。 彼がそんなに思いつめてるとは……。 彼は私の一部でした。 これが現実でなければといいのにと 思いました、そして…… そして彼のWikipediaページを覗くと、 その忌日が目に飛び込んできました: 「2013年没」と。 アーロンが亡くなった。 この狂気の沙汰を彷徨う我々は、 一人の指導者を、一人の賢兄を失った。 正義を求めるハッカーである我々は、 その一人が旅立ち、 同胞の一人を失った。 育て、慈しみ、話し相手となり、 養い、親である我々は、 一人の子どもを失った。 我々は皆、彼を追悼しよう。 ティム・バーナーズ=リー卿、 2013年1月11日 (訳注: W3C技術アーキテクチャグループの メーリングリストに投稿されたもの) 最初に感じたことは: もし誰も気付かなかったら どうなっていただろうか? なぜなら彼がどんなに目立つ存在だったか 私にはよくわかっていなかった。 この機運の高まりは今までに見たことのないものでした。 インターネットで火が着きました。 誰もがそれぞれ独自の方法でこの事実を 説明しようとしていました、しかし私は ツイッターで人々がこんなに深く 追悼しているのを見たことがなかった。 オンラインで人々は 見るからに深く悲しんでいました。 彼はインターネットの申し子だった、 そして旧態とした世界が彼を殺したんです。 私たちはひどい不正が無傷で 横行する時代の真っ只中にいます。 金融危機を起こした張本人は 頻繁に大統領とディナーを楽しんでいる。 こうした時代の中で、この事件を政府が 起訴しようとしていたというこの見解、 これが悲劇でないというなら、 まさに不条理でしょう。 問題は: 起こってしまったことに 対して、私たちは何ができるか、 この世界をより良くするために、 そしてこの遺産をどう進展させるか? これが私たちに問われている唯一の問題です。 世界中で、ハッカソンや集会が行われるようになり、 アーロン・スワーツはある意味、こう問いかけることで 私たちの持っている力を最大限に引き出した: 私たちはこれをどうやって修復しよう? 私見ですが、彼はこの国が生み出した、並外れた真の 革命派の1人でした。 アーロンが闘いに敗れたのか、 勝利したのかはわかりませんが、 しかし私たちは確実に、彼が取り組んだ 物事によって形作られている。 知識へのアクセスを増大させようという 市民たちが法律の武装工作員となった時に、 私たちは法のルールを破り、正義の神殿を侵犯する。 アーロン・スワーツは犯罪者ではない。 [拍手] 変化は当然のようにはやって来ない、 変化は闘いの連続を通してやって来る。 アーロンは本当に魔法を使うことができた、 そして彼の魔法がその死によって終わらないよう 見守っていくことに生涯を捧げます。 彼は世界を変えることができると 信じていました、そして彼は正しかった。 先週、そして今日と、 不死鳥はすでによみがえっています。 [拍手] スワーツの死の後、下院議員のゾーイ・ローフグレンと 上院議員ロン・ワイデンは コンピュータ犯罪取締法、スワーツに対する 容疑の多くを形作った時代遅れの法律を 修正する法案を提出。 その名も「アーロン法」。 アーロンは文字通り常にこう 自問するべきだと信じていました、 「この世界で今すぐに取り組むことが できる最も重要なことは何か?」 そしてまだ取り組んでいないのなら、 ぜひやらなければ。 [抗議者たち] 民主主義とはこういうものだ! [大勢の合唱]そして我々国民も! インターネットの自由が攻撃されている! 我々にできることは何だ? 立ち上がり、反撃しよう! インターネットの自由が攻撃されている! 我々にできることは何だ? ヘイ!ヘイ!ホゥ!ホゥ! カーメン・オーティズは出て行け! 過去を変えられればよいのですが、 それは不可能です。 しかし未来は変えられるし、 変えなければならない。 アーロンのためにも、変えなければならない。 私たちのためにも、変えなければならない。 世界をより良い場所に、より人間味ある 場所にするために、正義が機能し、 知識へのアクセスが人権と認められるような 場所にするためにも、変えなければならない。[拍手] 2月頃に、ボルチモアからJSTORに アクセスしていた14歳の少年がいました、 彼はJSTORを探索し、その後何かを読んで、 すい臓がんを早期発見する検査方法を突き止めた、 すい臓がんはあなたを死に至らしめる、 なぜなら現在の方法では発見が遅れてしまい、 何かの処置を施すにはもう手遅れになってしまう、 そして彼はジョンズ・ホプキンス大学の がん科全体にメールを送った、 そう、何百というメールを送って、そのすべての…… [インタビュワー] 14歳って言いました? そう、14歳です、そしてほとんどのメールは 無視されたが、彼らの1人が彼に返信を送った、 「まったく馬鹿げたアイデアという わけでもない。ぜひ来てみないか?」 その少年はそこの研究者として午後と週末働いた、 2月にこのニュースを聞いたんだ、 アーロンが亡くなってまだ2週間後、 まだニュースにアーロンがたくさん出ていた時に…… すまない…… そしてなぜその彼がニュースになったかというと、 彼らがやり遂げたからだ。彼らは 多くの命を救うすい臓がんの早期検査法を発表した、 [どのようにアーロン・スワーツはジャック・アンドレイカの 革命的がん検査に道を開いたのか] そして彼いわく、「このことが、アーロンの 行なったことが重要である理由なんだ」 何が起こるかわからないですよね? この宇宙の真理というやつは、 速度制限はこうあるべきだと政策決定機関が 計算する際に使われるだけじゃない。 その真理によって、子どもがすい臓がんによって 亡くなることから守ることができるだろう。 そしてもし情報へのアクセスが無ければ、 その鍵を握る真理を見つけ出したであろうその人物は、 答えを見つけることができなかったかもしれないんだ。 パディントンはよく眠りました、夢の中で宇宙船の遊具に また乗船した時も、ベッドから落ちたりしませんでした。 よくできました、アーロン。 よくできました。よし、アーロン! OK、さあ、お歌の時間だよ。 [♪ ♪ ♪]